第46話 わたしだけのお隣さん①



 翌朝の小鳥遊たかなしはやけにテンションが高かった。部署に入るなり、すれ違う人すれ違う人、みんなに陽気な挨拶をして。



「おはよう!」



「......はよ」



「昨日はありがとう」



「いえいえ、たいしたもてなしもできず」



「なかなかに面白かったよ」



 今度は俺にニコッと笑いかける。

 そりゃあもう不気味で。


 続けざまに質問してきて、やっぱりなと思った。小鳥遊は俺を強請ゆするネタができて、喜んでいるのだ。



「それで、あの子とはどこまで?」



「......なにもしてないって」



「あんな可愛い子とお風呂に入っといて?」



「違う、ただ風呂を借りにきてただけ」



「ふうん」



 むう、と唇を尖らせ、椅子に座る小鳥遊。

 後輩がデスクに貼った付箋に目を通しながら、声のトーンを落として言う。



「でも、好きなんだ?」



「......」



「もしそうでなくても、ちゃんと考えてあげないと。相手は高校生、まだ十代なんだよ。意思と欲の区別もつかない年頃なんだから」



「分かってるよ」



 言われなくても、抑えている。

 宇佐美さんが一時の感情で動いていないとも限らないから。決して後悔して欲しくないから。


 黄色い付箋になにか書き込み、パソコンに貼りつけて。



「わたし個人としては少し寂しい、かな」



 小鳥遊はそう一言つけ加えた。



***



「ただの同僚だよ」



「信じられません、あんなに綺麗な女性とずっといっしょにいて、なにもないなんて」



「うん、その言い方だと俺が甲斐性なしみたいで、ちょっと悲しくなるよ」



 追及の手は自宅にも。


 帰り着いて早々、アパートの前で待っていた宇佐美さんに手を引かれ、俺は部屋に入った。ローテーブルの下で眠っていたクロは、なんだなんだと驚いて。


 今は宇佐美さんの膝の上で、また夢の中。



「長くいっしょに仕事をやってるから、もう異性視できないし、恋愛感情なんか湧きもしないよ」



「......ほんとですか?」



「ああ」



 何度も否定したのだが、いまだに信じてもらえない。


 小鳥遊との距離が近いせいだろうが、その事実がない以上、問われても弁明のしようがなかった。


 しばらく鋭い目つきで俺を見ていた宇佐美さんだったが、ふと眉尻を下げると、クロを右手で優しく撫でた。



「それでも、心配です」



 俯いていても、その表情は分かる。

 駄々っ子のように。

 頰をぷくっと膨らませて。



「大丈夫、俺には宇佐美さんしか......」



 言いかけて、やめた。


 相手は高校生、まだ十代なんだよ。

 小鳥遊の言葉が頭を過ぎったのだ。


 俺の軽率な言葉は、宇佐美さんを惑わせるのだろうか。


 少しの親切に喜びを覚え、求められることに安らぎを得て。そうして過ちを犯す少女も確かにいる。小鳥遊はそのことを示唆していたのだろうか。



「犬山さんはいい人です。お風呂が壊れて、困っていたわたしに手を差し伸べてくれました。ご飯を食べさせてくれて、服もくれて、わたしの数少ない味方になってくれました」



 しかし、宇佐美さんはやはり真っ直ぐで、ひたむきだった。


 こんな素敵な人、他に知らない。

 そう言って、俺を愛おしげに見つめる。



「だから、心配なんです。誰かにとられてしまわないか」



 直接言わなくても、言葉で、行為で、こんなおっさんに嫉妬までして、想いをぶつけてくれる。


 ──でも、好きなんだ?


 そうだな。

 惑わされているのは、宇佐美さんではなく俺のほうなのかもしれない。


 熱を帯びた視線。

 俺は耐えられなくなって、顔を背ける。すると、宇佐美さんの後ろのバッグに目が留まる。



「ところで、今日は荷物が多いね」



「寝る用意もしてきたので」



「え?」



「今日はもう帰りません」



「はい!?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る