第40話 キスしてください①
既読が、つかない。
話したいことがあると送って、二十分。
もしかしたら放課後に用事があって忙しいのかもしれないし、通知音に気づかないほど友人との会話に夢中になっているのかもしれない。
そう思ってはいても、時間が経てば経つほど、不安は増していった。
少し前まではアプリすらまともに使っていなかったってのに。今ではトーク画面を睨んで、四苦八苦。
人生、なにがあるか分からないな。
と、スマホ画面の上部に通知。
別のメッセージが来たようだ。
ラビ:いっそのこと押し倒せば?
ママ:指一本触れてはなりません
なんだ、このまったく相入れないメッセージは。だいたいどうして宇佐美さんのお義母さんからLINEが来るんだ。
よくよく見れば、トーク画面の上に「ラビ様のための集い」とある。そういえば、さっきグループの招待が送られてきてたような。
ラビママはスマホも使いこなしているのか。見た目以上に若い。
それにしても、親子揃って無理なことを。
俺にいったいどうしてほしいんだ。
座っていても落ち着かず、アパートの外に出る。夏の日の入りは遅く、赤みが強くなる陽光を見ながら、通路の柵に寄りかかる。
すぐ隣には宇佐美さんの部屋。
チャイムを鳴らせば、出てくるだろうか。
ドアの前に立った瞬間、ピロン、と通知が入った。
宇佐美:部屋に来てください
メッセージを見て、俺は急いでドアノブを掴んだ。宇佐美さんの身になにか起きたのかもしれない。
迷っている暇などなかった。
「宇佐美さん?」
部屋の中は静かだった。
夕方とはいえ、カーテンを閉めた室内は薄暗く、家具が少ないためか、やけに足音が響く。
開け放たれた部屋の戸。奥に、布団の上に横たわる宇佐美さんが見えた。
「寝てる......?」
一瞬焦ったが、腹部が穏やかに上下しているのがすぐに確認できた。ひとまず安心する。
しかし、この寝姿。
なんだか懐かしいな。
以前、宇佐美さんが俺の部屋のベッドでうたた寝をしたときも、こんなふうに気持ちよさそうに寝息を立てていた。今と同じ、オレンジのパジャマを着て、寝返りを打って。
ちらりと見える太もものつけ根。
ほどよく肉のついた脚はすべすべとしていて、餅のように柔らかそうだ。
ふと、頭にさっきのメッセージが過ぎる。指一本触れてはなりません。これを予期していたような言葉だ。
「心配しなくても触りません」
とりあえず隠そう。
鍵もせずに、こんな露出度の高い服で寝ているとは、無防備にもほどがあるからな。
なにかブランケットのようなものはないかと周辺を探していると、後方から声が。
「して、くれないんですか?」
「う、宇佐美さん、起きてたの?」
「......はい」
驚かせてごめんなさい。
宇佐美さんはそう言って、起き上がる。
その顔は暗く沈んでいた。
「分かってます、勘違いしてたわたしが悪いんだって。でも......」
グズっと鼻をすする宇佐美さん。
もしかしなくても、泣いているらしい。
なにが原因かは分かっているが。
どう慰めればいいやら......
俺は床に腰を下ろし、布団の上の宇佐美さんと目線を合わせた。
「でも、犬山さんとキスしてたかった」
「宇佐美さん......」
「犬山さんが少しくらいわたしのことを想ってくれてる、そういう目で見てくれてるって思いたかっ」
声が吸い込まれるように消えていく。
どうやって落ち着かせようかと考えていたが、もう限界だった。俺は驚きに固まる宇佐美さんの肩を強く抱き寄せる。
指一本触れないつもりだったのに。
「い、ぬやまさ......」
「勘違いだって言わなかった」
「......っ」
「言えなかったんだ。宇佐美さん、嬉しそうだったから。本当のことを言えば、傷つくと思った。それに、わざわざ否定する立場にもなかったし」
いい隣人でいよう、と思っていたから。
女子高生にとって、俺は冴えない、ただのおっさんでしかないからと。
だが、今は違う。
「犬山さん」
「ん?」
「キスしてください」
「いいの......?」
「はい。して、ほしいです」
口をぐっと結び、上を向く宇佐美さん。
かなり緊張しているようだ。
ぷっくりとした、桃色の唇。
それに先ほどから漂う、甘い香り。
宇佐美さんがぎゅっと目を閉じるのに合わせて、俺は肩に手を置き、その顔にゆっくり口を寄せた。
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