第35話 いつでもふたりでお風呂②



「ふたりでなに話してたんですか?」



「別に、取るに足らないことだ」



「また、それですか」



 宇佐美さんはラビが座っていた場所に腰を下ろし、タオルから手を離す。



「わたし、犬山さんのことなら、なんでも知りたいのに」



 唇を尖らせて、そう言うものだから、俺は思わず目を逸らす。


 濡れ髪に上気した頰。水色のパジャマは孕んだ熱のせいか、肌にぴたりと張りつき、膨らみをより強調していて。


 先ほどまで好意がどうの、告白がどうのと話していたから、つい意識してしまう。


 風呂場からシャワー音と鼻歌が聞こえ、宇佐美さんはそういえば、と口を開いた。



「ラビは明日帰るそうです」



「そうなのか」



「お義母さんとまたケンカにならないか、心配です。ここに来てからも揉めていたそうで。といっても電話でですけど。怒りで熱くなった頭を冷やすため、漫画喫茶にこもった日もあったとか」



「それでこの前、連絡つかなかったのか」



「はい、お義母さんへの感情をわたしにぶつけるのは違うからと。あまり上手ではありませんが、妹なりに気遣ってくれてるんです」



 以前駅前にいたのも、宇佐美さんを心配してのことだったらしい。ハンカチを渡したとき、不機嫌だったのは、姉の悲惨な生活ぶりを知ったせいだったのか。


 いや、それは関係ないな。

 あの態度は素以外のなにものでもない。



「犬山さんも、いろいろとありがとうございました」



「俺?」



「はい」



「俺はなにもしてないけど」



「いいえ、お義母さんの前でわたしの味方になってくれました。それだけでいいと以前言いましたよね」



 本当に嬉しかった、と微笑む宇佐美さん。

 その無垢な表情が眩しくて。


 ──もう気づいていないフリはできないと悟った。


 俺は大人だからと抑えて、なかったことにしようとしてきた。この関係が崩れることが怖かったから。会えなくなるより、嫌われるほうが辛かった。


 でも、宇佐美さんはひたむきだった。

 少しも躊躇ためらわず、想いに忠実に、ときに大胆な手法で、真っ直ぐに俺に向かってきた。


 だから、今度は俺が。

 俺から伝えたい。



「そのことだけど」



「はい」



「俺は味方とか、そういう後ろで支えるだけじゃもう満足できないって言ったらどうする?」



「えっ......?」



 おっさんだけど。

 女子高生だけど。


 たとえ風呂を貸す必要がなくなって、お隣さんでなくなったとしても。宇佐美さんにとって、特別な存在でありたい。


 そう言いたいのに、うまく言葉が出てこない。俺ってこんなに口下手だったか?


 期待に瞳を潤ませる宇佐美さん。

 早く、なにか言わなければ......!


 焦燥感に駆られ、俺は頭に浮かんだことをそのまま口に出した。



「俺は宇佐美さんと風呂に入りたいっ!」



「ふぇっ!?」



 驚きに間の抜けた声を出す。

 そんな宇佐美さんも可愛い......じゃなくて!



「いや、あの、そういう意味じゃなくて。宇佐美さんには風呂が直っても気軽に部屋に来てほしいし、お隣さんでなくなっても仲よくしたいし、だからその、なんというか」



「はいっ!」



 言いたいことがまとまらず、しどろもどろ。おまけに変な汗まで出てきて、情けないおっさんだなと思い始めたとき。


 宇佐美さんが大きく返事をした。

 弾けんばかりの笑顔。



「わたし、犬山さんとお風呂に入ります!」



 そして、俺の手をぎゅうと握る。



「これからはいつでも」



 それはまるでプロポーズの返しのようで。

 俺と宇佐美さんはしばらく見つめ合う。


 宇佐美さんの手もちょっと湿っていて。

 俺は嬉しさに心が震えた。


 と同時にひとつ疑問が。



「これからは......?」



「はい」



「実家に戻らないの?」



「戻りませんよ。前も言いましたが、この環境に満足しているんです。お義母さんの計らいで生活費も少し上がることになりましたし」



「そ、そうなのか」



「はい、このことはラビには言ってあったんですけどね」



 聞きませんでしたか、と首を傾ける。



「あの、ガキ......!」



 じわじわと怒りが込み上げる。


 あいつは最後まで、人をバカにして。

 だいぶ前に風呂から上がる音がした。きっと今ごろ立ち聞きでもして、思いどおりになったとほくそ笑んでいるのだろう。


 俺は部屋を出て、洗面所に向かう。

 動く人影に、声を荒げる。



「お前、騙したな!」



「きゃあ」



 ところが、俺の目に映ったのは、突き出された小さな尻。姉よりも華奢な肩に、細いウエストライン。鏡を見て、顔になにかを塗っている。


 突然の怒号に、ラビは慌ててタオルで前を隠し、振り向く。その顔は見たこともないほど赤くなっていて。



「な、なんでまだ服着てないんだよ!」



「最近乾燥肌がひどいから、着る前にお手入れしようと......」



 あわあわと下着に手を伸ばすラビ。

 だが、無理に動けばタオルが揺れる。


 ラビが使用しているのは、隠すには心ともないサイズのタオル。恥じらって押さえれば押さえるほど、胸や骨盤のラインが透けて。



「もう、早くあっち行ってよ!」



 おっさんのバカ、とラビが手近にあったボディタオルを投げる。続いて飛ぶ洗顔ネットやプラスチック容器。


 たまらなくなって、部屋へ逃げ込んだ。

 ところが、目の前にはもっと怖いものが。



「う、宇佐美さん......?」



「やっぱりラビみたいな子がいいんですね?」



「ご、誤解だ」



 頰をぷくっと膨らませて、俺を見上げる。


 鋭い眼光も、拗ねた表情も。

 血は繋がっていなくても、ふたりはよく似ている。


 ぷいっと顔を背ける宇佐美さんに謝りながら、そう思うのだった。


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