第31話 今夜はここにいてくれませんか②



 あまりの羞恥に、自分の身体を抱く宇佐美さん。腕にむにっと胸が乗っかる。その迫力たるや。今ならどんな罵りでも受け入れられそうだ。


 しかし宇佐美さんは、ふっと息を吐くと、腕を下ろして、自分の身体に目をやった。



「でも、犬山さんが望むなら」



「え?」



「犬山さんはラビみたいな大胆な女の子が好きなんですよね。昨日もいっしょにジュースを買いに行って、LINEだって頻繁にやり取りしてるみたいだし」



「それは、前も言ったけど、ラビは手がかかるだけっていうか、俺はやっぱり、おっとりしてるのに義理堅くて、思いやりがある宇佐美さんのほうが」



 宇佐美さんのほうが?


 続きを言いそうになって、やめた。

 さっきの動揺から、変なことを口走ってしまいそうだったから。


 幸い、宇佐美さんは気づいていない。



「と、とにかく、宇佐美さんはラビとまったく違うから」



 誤魔化すようにそう言うと、向かいに座る宇佐美さんの顔がサッと曇った。



「そりゃあ、そうですよ。ラビは実の妹じゃ、ありませんから」



 さらっと。

 爆弾発言をする。


 だが、不思議と驚きはしなかった。

 俺はなんとなく分かっていた。


 見た目だけではない。

 ラビへの接し方、その関係性。そして、母親について言及したときの、あの表情。


 なにかあるんだろうなとは思っていた。



「ラビはお義母さんの娘です。わたしたちが小学生のとき、父とお義母さんが再婚して家族になりました」



「そうなんだ」



「別に暗い話じゃありませんよ。ラビとは実の姉妹のように仲がいいし、お義母さんは、そうですね、少し気難しい方ですから、円満とは言えませんが、上手くやっているつもりです」



「でも、円満じゃないから、ここに住んでいるんじゃないの?」



「......っ、それは」



 図星という反応。


 だいたい女子高生が一人暮らしをしているというのも変な話だ。どんな事情があるにしろ、こんな物騒なアパートに女の子一人で住まわせるなんて。


それに親からの援助も少ないようだ。毎月の光熱費や食費を宇佐美さんはなんとか工面している様子。勉強のため、アルバイト等もしていないから、遊興費はほとんどない。



「親子とは血の繋がりがあっても難しいものです。血縁がない以上、苦労するのは当たり前かと」



「まあ、そうだけど」



「それに、わたしは今の環境に満足してるんです。勉学に集中させてくれる学校に、友だちは......少ないですけど、アパートに帰れば犬山さんがいます」



 明るい茶色の瞳が俺を捉える。


 宇佐美さんはとろんと目尻を下げて、笑う。決して強がりではない。本心からの笑みだった。



「今のわたしにとって、犬山さんは支え、数少ない味方なんです」



 だから、そんな顔しないで。

 俺の頰に手を伸ばす。


 いったいどんな顔をしていたのだろう。

 きっと、憂いや同情、もどかしさのようなものを浮かべていたのだろう。



「犬山さんがいてくれるから、わたしはこうして笑顔で過ごせるんですよ?」



 でも、宇佐美さんはそんなものを求めてはいない。ただ、支えてほしいのだ。


 たとえ、それが風呂を貸すだけの存在であっても。



「宇佐美さん」



「はい」



「手、握っていい?」



「え、あ、はい」



 俺は改めて彼女に触れた。

 小さい、温かな手だ。


 これまでいろいろなハプニングで触れてはいたが、はじめて、互いの肌を感じ合っている気がする。


 女の子の指って、こんなに細いのか。


 まったく骨張っていない手を包み込む。

 ここまで柔らかいのかと感心した瞬間、腕がぐいと引かれ、宇佐美さんが腰を上げた。


 宇佐美さんは膝立ちをして、俺の首に腕を回した。ネグリジェのコットン生地が鼻先を優しく撫でて。顔のすぐ前に胸があると分かる。



「う、さみさん......」



「このまま帰らないでください、って言ったら、どうします?」



「え......?」



「迷惑ですか?」



 絞り出すような声だった。


 どくんどくんと、心拍数が上がる。


 激しい鼓動、は俺のではない。

 目の前の心臓が跳ねているのだ。



「迷惑、じゃない」



 そう答えるのがやっとだった。


 ふと目に映る、畳まれた布団。

 ごくりと唾を飲む。そして、俺は彼女の身体に腕を伸ばした。


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