第32話 お隣さんのママ①



 どんどん、と下の階から走り回る足音が聞こえる。きっと大家族部屋の子どもたちが騒いでいるのだろう。


 身体にかけた布団が落ちないよう体勢を変えると、敷き布団の上に横たわる宇佐美さんが小さく身をよじった。



「......っ、宇佐美さん」



「んっ......」



「宇佐美さん」



「まだ......ダメですよ」



「でも、そろそろ」



 ふふっ、と笑う宇佐美さん。


 艶のある桃色の頰。

 額には薄ら汗をかいて。


 そのなんとも言えない色香に、俺はもう我慢ならず、身体を大きく動かした。



「もう起きないと、学校だ」



 パッと目を開ける宇佐美さん。

 何事かというように、周りを見渡す。


 そして、気づく。


 同じ布団にくるまる男女。肌が見えるほど女性のネグリジェは乱れて。その身体は、鼻先が触れ合うほど密着している。


 きっと今、宇佐美さんの頭はパニック状態だろう。


 時計を確認し、俺は素早く布団から出る。



「先に行くから、宇佐美さんも早くね」



「〜〜〜〜っ!」



 声にならない声を上げて。

 宇佐美さんは布団に深く潜った。



***



 我ながら、よく耐えたと思う。


 正直、俺の男性部分は反応していた。

 だが、相手は女子高生。

 本能で動くのはどう考えてもマズい。


 と思うあたり、俺の理性はずいぶんと堅くなっているようだ。これも女性経験のなさが為せる技。


 それにしても昨晩は、宇佐美さんは布団、俺は床に寝たはずなのに、いつの間にか布団に入り込んでいた。


 寝相はそこまで悪くはないはずなのに。


 仕事を終え、アパートに帰り着いた俺は、今朝の一幕にそう考えを巡らせながら、階段を上がっていく。


 ふと視線を上げると、アパートの通路に誰か立っていた。


 派手な金髪、青い瞳。

 完全なるデジャビュだ。


 しかし、どこぞの誰かとは違い、その髪は毛先だけを巻いて、優雅に肩に下りている。それにあいつの瞳はほとんどが茶色。こちらはすべてが青く、澄んでいる。


 なぜ、宇佐美さんの部屋の前にいるのか。

 気になった俺は、声をかけた。



「あの、なにか」



「あなたは?」



「隣の住人ですけど」



「ふうん」



 すると、俺を上から下まで舐めるように見る。まるで値踏みするみたいに。


 年齢は四十歳前後だろうか。

 美人だが、身長が俺の顎下ほどしかないので、その視線にあまり迫力はない。



「この部屋の子、知ってる?」



「宇佐美さんですか。はい、まあ」



「なにか迷惑とかかけてない?」



「迷惑......いや、特には」



「騒音とかゴミ出しトラブルとか、壺を売ってきたりとか」



「宇佐美さんは礼儀正しい、いい子ですよ。それに、壺は他の住人で間に合ってますんで。俺は単に風呂を貸しているだけです」



「へえ、お風呂」



 意外に驚きは少ない。


 普通、女の子に風呂を貸してると聞いたら、怪しむはずなのに。


 女性は顎に人差し指を当て、考え込む。

 しばらく経って、顔を上げると、綺麗な目をすうっと細めた。



「あの子はもうすぐ?」



「はい、もうそろそろ帰ってくるかと思いますが」



「あなたの部屋で待たせてもらっても?」



「は、はい。それは、もちろん」



 頼みごとをしているはずなのに。

 この高慢な態度。


 女性が誰か。

 なんとなく分かる気がした。


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