第29話 混浴サービス②



「たまにはゆっくり入ったらどうって言われたんです。ラビが犬山さんを連れ出して、理由を説明して引き止めるからって。三十分は帰ってこない予定だったのに」



「いや、それ騙されたんだよ、宇佐美さん」



 ため息混じりに後方に返す。

 この会話をラビも聞いているはずなのに。磨りガラス越しに外を窺っても、ドアにピタリと張りつく立ち姿が見えるだけ。表情までは分からない。


 俺は出ることを諦め、風呂場の椅子に、浴槽を背にして座っていた。


 騙されたのは俺も同じだ。

 ジュース買うだけでしょと言われ、不用心にも鍵をかけず、外に出た。そして、その隙に宇佐美さんは風呂に入った、と。


 鍵もかけずに、入浴。

 相変わらずの無防備さ。



「ほんとにごめんなさい」



「こちらこそ、申し訳ない」



 阿呆がふたり、頭を下げる。

 謝ったところで状況は変わらないのだが。


 こぢんまりとした風呂に、裸の男女。

 おまけに宇佐美さんは湯船に浸かってる。

 隠すものもなにもなしだ。


 しかし、このまま黙っているのも気まずい。



「あのさ、髪洗っていい?」



「ど、どうぞ」



「念のため、あっちを向いてて」



「はい」



 サイダーが乾いて、髪はベトベト。

 さすがに不快なので洗いたい。


 俺は素早くシャンプーし、どうせならと、身体まで洗う。シャワーでソープを流しながら床を見れば、見たことのないボトルが。


 なるほど、嗅ぎ慣れない甘い匂いは、宇佐美さんのシャンプーやトリートメントの香りだったのか。


 さて、全身はサッパリしたが。

 どうしたものか。


 力では勝てるんだ。

 このままドアを無理やり開けてもいいが、壊してしまっては元も子もない。


 かと言って、もうやることもなくなってしまった。時折聞こえる水音に、甘い匂い。さっきから、妄想が捗って仕方ない。


 なにせ振り向けば、なにも身につけていない、生まれたままの姿の宇佐美さんがいるんだ。



「あ、あの、犬山さん」



 すると、宇佐美さんが後方で声を上げる。

 おずおずと、かなり緊張している様子。



「わたし、そろそろ、のぼせそうで」



「あ、ああ。じゃあ、交代しようか」



 当然だ。

 熱い湯船に長く浸かってはいられない。


 だが、困った。


 宇佐美さんは隠すものを持っていないのだ。とはいえ、女の子の身体を見るわけにはいかないので、俺が先に浴槽に入って、タオルを貸すことにした。


 俺自身も見られないように、ゆっくり湯船に足を突っ込む。


 宇佐美さんが入っている湯。

 女の子といっしょに風呂に入るんだと思うだけで、頭がくらくらしてくる。


 できるかぎり波を立てないよう浸かると、タオルを宇佐美さんに渡した。それから背を向ける。少しして、ザバァと大きな音。反動で湯の表面が揺れる。


 どうやら、浴槽から出たようだ。


 これでしばらくは大人しくしていられる。

 そう思っていたのだが。


 三十秒ほどして、またちゃぽんっと。

 なにかが湯に入り、大きく波が立った。



「宇佐美さんっ!?」



「な、なんだか身体が冷えてきちゃって」



「さっき、のぼせそうって」



「今日は寒いですねえ」



 とぼけた口調で明後日の方向を向く。


 しかも、驚きに思わず振り返ってしまったが、宇佐美さんの身体はタオルを巻いているにも関わらず、溢れんばかりの胸が隠し切れておらず。


 男を誘い込むような深い谷間も。鎖骨下のほんのり上気した肌も、色っぽくて。ついつい視線が吸い寄せられてしまう。



「......はあ、もう、知らん」



 俺は風呂場の壁を背に、いっそ開き直ることにした。こんなものを見せられて、冷静にしていろなんてほうが無理だ。


 宇佐美さんは、俺が横を向いたのを真似て、膝を抱くように浴槽に寄りかかった。


 そして、少々上擦った声で聞いてくる。



「メッセージ見ましたか?」



「ん、ああ、見たよ」



「迷惑じゃありませんでしたか?」



「迷惑なんて、むしろありがたかったよ。おかげで仕事を頑張れた。宇佐美さんには感謝してる」



「ほんとですか?」



 よかった、とはにかむ宇佐美さん。

 嬉しそうに湯の表面を叩いた。


 あれ、宇佐美さん、顔がかなり赤くなっているような。



「そろそろ、ラビを叱りつけないとですね」



「お、おう」



 え、今ごろ、と思わなくもなかったが、もう目まで潤んで、我慢の限界なのだろう。


 宇佐美さんは身体にしっかりタオルを巻きつけて立ち上がった、はずだったのだが──



「宇佐美さん!」



「きゃっ」



 足を滑らせたのか、宇佐美さんがバランスを崩す。俺はとっさに手を伸ばし、浴槽で頭を打たないよう左腕で肩を、右腕で腰を支える。


 湯が激しく波打って。

 衝撃にはらりとはだけるタオル。


 豊満な胸が、くびれた腹が。

 隠すものを失い、一糸もまとわぬ宇佐美さんの姿が、俺の目に飛び込んでくる。


 掴んだ肩も、腰もなんて柔らかさなんだ。


 マシュマロ、というより綿菓子のような。

 すぐ溶けてしまいそうな儚い感触。


 いや、今はそれよりも......


 腕の中で、薄らと目を開ける宇佐美さん。



「あ、ごめんなさ......」



「宇佐美さん!?」



 そう謝って、ふっと意識を失った。

 どうやら、完全にのぼせてしまったらしい。


 俺は大声でラビを呼んだ。

 一刻の猶予も許されない。早く風呂場から出し、身体を冷やさなくては。


 怒鳴り声に驚いたのか、ラビはすぐにドアを開けた。全身を真っ赤にした宇佐美さんを見て、青ざめて。しかし、状況を瞬時に理解し、その身体をいっしょに運び、タオルで身体を隠すなど精一杯の配慮もしてくれた。



「だってえ」



「だってじゃない」



「おっさんが素直じゃないから」



「俺のことはいいんだよ。一昨日迷惑かけたってのに、また宇佐美さんに困らせただろ?」



「それは......悪ふざけが過ぎました」



「しっかり反省しろ」



「......はあい」



 ラビは唇を尖らせる。

 生意気な返事だが、目は姉の背中から離れない。心配そうに、眉尻を下げて。


 申し訳なく思っているのだろう。


 五分ほどして、宇佐美さんは目を覚ました。素早く冷やしたおかげで、特に異常もない。


 だが、いろいろと、受けたダメージは大きかったようで。意識が戻っても、布団からなかなか出てこなかった。


 その顔は、起き上がっても、冷たいスポーツドリンクを飲んでも。自分の部屋に帰るときまで赤いままだった。


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