第24話 ひとりじめしたい①
「い、犬山さ......んっ」
「......宇佐美さん」
「入れて、くれませんか?」
「いいの?」
「もう、我慢できないんです、早く」
袖を掴まれ、せがまれて。
薄ら濡れた瞳に、俺は喉を鳴らす。
再度確認すると、玄関のドアを右手で大きく開けた。
「ごめんなさい、こんな時間に」
「いや、宇佐美さんも大変だろうし」
「......?」
「ほら、アパートの壁、薄いから」
「聞こえてましたか......」
月曜日の夜も更けて。
すでに風呂に入り、とっくに寝たと思っていたのに、隣の部屋からアップテンポな音楽が聞こえてきたのだ。しかも大音量で。
しばらくして音は止んだのだが、その数分後チャイムが鳴って。ドアを開ければ、宇佐美さんが上着もなしに、立っていた。
ネグリジェを着るときは上からなにか羽織るよう言っておいたのだが、そこまで気が回らなかったのだろう。
「そういえば、風呂の修理はどうなったの?」
ローテーブルの横で縮こまる宇佐美さんに、カフェオレを差し出す。牛乳と砂糖たっぷりの甘いやつだ。
宇佐美さんはちょこんと頭を下げた。
「二、三日後に延期してほしいと言われましたが、平日に対応するのはわたしも大変なので、土曜日に来てもらうことにしました」
「そっか」
「だから、またしばらくお世話になります。よければ、ラビもいっしょに」
「それは構わないんだけどさ」
きっとラビに腹を立て出てきただろうに。
宇佐美さんはそれでも、ラビのことを考え、世話を頼むと言う。
あんな妹でも、可愛いのだろうか。
カフェオレをひとくち啜り、ほっと息を吐く宇佐美さん。その横顔を見ながら、俺は気になっていたことを聞く。
「そういえば、ラビはどうして宇佐美さんのところに?」
「おそらくですが、お母さんとケンカしたのではないかと」
「お母さんと」
「はい、とても気難しい人ですから」
なぜか他人事のように。
口ぶりが、自分の母親に対してのものとは思えず、俺はまた違和感を覚えた。ラビとの間に感じたものと、まったく同じ。
しかし、気にしていないふうを装った。
深く言及するのは躊躇われたからだ。
「あの性格は母親譲り、か」
「ふふ、そうかもしれません」
「そうだとしても、あのおっさん呼びは。だいたいあいつはハンカチを拾ってやったときから......」
「ハンカチ、ですか?」
「ああ」
俺は以前、ラビと会ったときのことを話す。駅前でハンカチを拾い、渡したときのことを。もちろん、ラビの失礼な対応まで細かく。
「そんなことが」
「まさか、あの女子高生が宇佐美さんの妹だったとはなあ」
始めはラビの言動に申し訳なさそうにしていた宇佐美さんだったが、話を聞くうちに、ふと眉根を寄せて。
てっきり、意外な接点に驚いたと思ったのだが。宇佐美さんが気になったのは、そこではなかった。
「それにしても、ラビはどうして駅前に?」
「え?」
「ラビも言っていたとおり、このアパートは実家から遠いんです。なにか用でもなければ来ないでしょうが、駅周辺にそんなわざわざ訪れるような場所はありませんから」
「確かに......」
移動の苦労をあんなに愚痴っていたのだ。
用もなく来たわけがない。
考えつく理由といえば、姉である宇佐美さんを訪ねて、くらいだろう。しかし、ラビは来ていないというのだ。
妹の過去の行動を訝しむ宇佐美さん。
だが、俺としては別のことが気になっていた。宇佐美さんがここに住んでいる理由だ。
家族と離れ、まだ十八にも満たない女の子が、どうしてこんなボロアパートに。
ずっと気になっていたが、聞く間柄でもないだろうと思ってきた。もし、しばらく宇佐美さんがラビと生活するならば、その理由の一端が垣間見えてくるのだろうか。
とにかく、今日のところは宇佐美さんを落ち着かせて、気分よく眠りについてほしい。そのためなら、なんだってしてあげたかった。
会話のない時間がしばらく流れ、カフェオレの最後のひとくちを飲んで、宇佐美さんはちらっとこちらに視線を送る。
桃色の唇がゆっくり開いた。
「このまま泊まってもいいですか?」
「へっ!?」
「じょ、冗談ですよ」
居心地がよかったから、と慌てて言う宇佐美さん。その言葉にも、俺の心臓は跳ねる。
同じことを思っていたから。
互いが無言のときも気まずくない、むしろ木漏れ日を浴びるような安らぎ、穏やかさすら感じるのだと。
ローテーブルにマグカップを置いて、宇佐美さんが少しだけ近づく。ネグリジェのリボンがふわりと揺れる。
「でも、もう少しだけ、犬山さんのそばにいてもいいですか?」
俺は掠れた声でもちろん、と答えた。
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