第2章 新たなるお隣さん

第19話 辛辣ハンカチJK、再来①



 穏やかな朝。

 外から小鳥のさえずりが聞こえる。


 寝返りを打つと、ベッドが軋んだ。

 やけに大きく。



「......てください」



「んん......?」



「起きてください」



「なんで、今日、日曜」



「起きてくださいよ、犬山さん」



 頰をやんわりと摘まれて、深く沈んでいた意識が徐々に外界へと向かう。


 鼻をくすぐるのは、甘い匂い。

 頭上でゆったりとした息遣いを感じて。細い指が右頰を優しく撫でるから、俺はくすぐったくて身をよじる。


 それに合わせて、彼女も揺れた。

 薄らと瞼を開ければ、薄桃色のネグリジェに身を包んだ宇佐美さんの姿が。


 俺の上に跨がって、胸元のリボンの先を引っ張っている。コットン生地が陽光に透け、まるで天使のよう。だが、その生地の向こう、シルクから見える柔らかそうな肌がなんとも妖艶で。


 思わず、生唾を飲み込む。



「どうして、宇佐美さんが」



「起きなきゃダメですよ」



「なんで」



「だって......」



 弧を描く、ぷっくりとした唇。

 宇佐美さんがなにかを伝えようと、身体を前に傾ける。でも、うまく聞き取れない。


 それもそのはず。

 彼女の後方では、ずっとドアが叩かれている。ドンドン、ドンドンと荒々しく。


 そして、叫んでいる。



「ねえね、いるんでしょ!」



 たいそう不機嫌な声だ。



「宇佐美さん......?」



「起きなきゃ、犬山さん」



 ドンッ


 激しい音に、ハッと目が覚める。


 身体を起こし、周りを見渡す。当たり前ながら、宇佐美さんはいない。代わりに、部屋には苛立たしげなノック音が響く。


 そっちが夢ならよかったのに。


 声からして宇佐美さんではないが、出ないわけにもいかない。俺は寝癖を少し整えて、玄関のドアを開けた。



「やっと出た、朝からラビを叫ばせ......」



 右手を上げた状態で固まる少女。

 俺の顔を見て、首をくいと傾けた。



「......誰?」



「それはこっちのセリフだ」



「普通、男性から名乗るものでしょ」



「普通、訪ねてきたほうが名乗るだろ」



 引く気配のない、強気な口調。

 鋭い視線に射抜かれ、一瞬怯む。


 なにも返ってこないことに焦れたのか、少女は手を下ろし、流れるような動きで腕を組んだ。



「まあ、いいや。ねえねはいないの?」



「ねえね?」



「ねえねよ、ねえね」



「誰のことか、分からないんだが」



「え、ここ、宇佐美さんの部屋じゃないの?」



「......宇佐美さん?」



 少女の口から予想外の言葉が飛び出す。


 俺は改めて彼女を見た。

 

 ボロいアパートに似つかわしくない、派手な金髪。にも関わらず、どこぞのお嬢様と見紛うほどの上質で、清楚な服を着ている。


 加えて、他人を侮蔑するこの目。

 なんとなく、見覚えがあるような?



「それなら、隣の部屋だけど」



「そう、わかった」



 途端に興味をなくした顔をして。

 少女は両サイドに高く結った髪に触れる。


 そして、通路を引き返そうとした。

 俺は腹立ち紛れにその背に呼びかける。



「礼ぐらい言ったらどうなんだ」



 てっきりまた文句を言われるかと思ったが、少女はこちらを優雅に振り返り、八重歯を見せて笑う。


 その発言に、ついに思い出した。

 以前、俺にコンプレックスを与えてくれた可愛い女子高生のことを──



「吠えないでよ、おっさん」


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