第18話 ネグリジェを着るのは②



「このパジャマ、可愛いですね」



「そうだな」



「王道のもこもこもいいですけど、フリルたっぷりのワンピースタイプも捨てがたい」



「うん」



「これもいいですよね、大きなリボン。生地も透け透けで、なにもかも見えちゃいそう」



「いいな、それ」



「......犬山さん、真面目に考えてます?」



「か、考えてるよ」



 そう返しつつも、視線は遥か彼方。


 ルームウェアコーナーは店の奥にあって、周囲の目が届きにくく、際どいパンツを見なくても済むのだが。


 部屋着すら、エロい......!


 丈が短いもこもこのパジャマや横にスリットが入ったワンピース、とやや露出度が高いものが並んでいて。


 特に宇佐美さんが触れている薄いピンクのネグリジェは、襟にリボンがついていて、その胸元は大きく開いている。コットンとシルク生地の二層構造になっており、大事な部分は隠れているのだが、それ以外は薄い綿の向こうに見えて、まさに透け透け。



「そ、それよりどうしてルームウェアを?」



「実は、冷房代を節約したいんです。もうすぐ夏になるので、できるだけ涼しい格好をして耐えようかと」



「......それ、行き過ぎると熱中症になるよ」



「そしたら、また助けてくれますか?」



「そりゃまあ、助けるけど」



「ふふ、よかった」



 安心からか、ゆるりと口角を上げて、宇佐美さんは触れていたネグリジェをハンガーラックから外す。



「犬山さんのお気に入りはこれですね」



「......へ?」



「買ってきます」



 そう言うと、そのままレジへと向かった。


 商品を店員に渡し、会計を済ませようとする宇佐美さん。俺はすかさず財布を開き、トレーに代金を乗せた。



「え、あ、ダメですよ、犬山さん」



「いや、そもそも責任をとることが、今日の目的だから」



「違います、いっしょにお出かけすることが目的です。並んでショッピングしてくれるだけでいいんです。お金なんて払ってもらったら......申し訳ないです」



 小さな財布を片手に、俯く。

 中身はそんなに入っていないはずなのに。


 厚かましさが少しもない宇佐美さんが余計に可愛く思えて、むくむくと庇護欲が湧いてくる。



「じゃあ、プレゼント」



「え?」



「今日の記念品ってことで」



 プレゼント包装してください、と店員に頼む。若い店員さんはくすくすと笑いながら、かしこまりましたと頷いた。


 宇佐美さんは眉尻を下げ、でも口元をにまつかせて、実に複雑そうな顔をしていた。



***



「なんだか、もらってばっかり」



「ん?」



「お風呂に、ご飯に、看病に、パジャマまで。犬山さんには頭が上がりませんよ」



 チーズケーキをひとくち食べ、そう溢す。


 モール内のカフェに入った俺と宇佐美さんは、好みのケーキとドリンクを各々頼んで、空いた小腹を満たしていた。



「たいしたことはしてない」



「でも......」



「宇佐美さんをいろいろ困らせたし、これで十分責任はとれたんじゃない?」



 むう、と頰を膨らませる宇佐美さん。

 簡単にとってもらっても困る、とかなんとか。


 俺はモンブランを半分切って、宇佐美さんの皿に乗せた。まだむくれながらも、それを口にぱくり。もぐもぐと食べる様は小動物に似ていた。



「じゃあ、そろそろ帰ろうか」



「そう、ですね。夕方にはアパートに修理の人が来ますし」



 お土産のケーキを持って、宇佐美さんは名残惜しそうにモールを後にした。バスに乗っても、電車に乗っても、終始浮かない顔で。


 アパートの互いの部屋に着いたときも、宇佐美さんは俺の顔を一度じっと見たっきり、そのまま言葉少なに別れた。


 部屋に入り、ふっと息を吐く。


 このまま、終わってしまうのだろうか。

 宇佐美さんとの日々は。


 短い間だったが、張りのない毎日が彼女によって輝いていたのだと、今になって気づかされる。


 本当に終わってしまっていいのか──?


 だが、俺にはどうすることもできない。宇佐美さんといっしょにいる理由など、もうないのだ。



 ピンポーン



 そのとき、唐突に部屋のチャイムが鳴り響いた。時間はちょうど宇佐美さんが帰りつき、俺の部屋を訪れるころ。これは偶然ではない、はず......!



「あの、修理業者さんのほうでトラブルがあったようで、今日は来れないそうで。それであの、犬山さん、よければ......」



 ドアを開けると、考え続けたその人が立っていた。俺は沸き上がる気持ちをぐっと堪える。呑み込まなければ、感情のままに行動してしまいそうだった。


 宇佐美さんは不安そうに、こちらの様子を伺っていた。初めてこの部屋に来たときのように、頰を染め、緊張している。


 返事をしなければ。

 もちろんだ、と迎えなければ。


 そう思ったのに、口から出たのはまったく違う言葉だった。



「あの服を着たところを見せてくれるなら」



 なにを言ってんだ、と自分でも驚いた。

 しかし、意外にも宇佐美さんはすうっと目を細めて。口元に柔らかい笑みを湛え、答えるのだった。



「あれはもう犬山さん専用です。わたしがあのネグリジェを着るのは、犬山さんの前だけです」


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