名もなき英雄

「ぐぁ……っ!! なんだ、一体……何が起こった!?」


 ハイネの顔が驚愕の色に染まり、無意識に力が入る。それは緊張感によるもの──身体が強張っていたのだ。


「ハイネ……うちの娘を一体、どうするつもりだったんだ? 今度こそ、お前を倒そう」

「あ、あぁぁ……!」


 レーカの表情が歓喜に包まれる。聞くと安心する、聞き慣れた声色。小さい頃から何度も憧れた背中が、目の前にはあった。


「お父さんっ!!」


 レーカは涙ながらに喜ぶを叫んだ。アトラスの登場で観客席に残る数人がざわめく。


「え、英雄様だ……!!」

「良かった、これで安心できる!」

「英雄、アトラス……」


 アトラスは一度、レーカに目を向けて首を縦に振る。


「レーカも、よく頑張った。それに……ここで能力が開花するとは思わなかったよ」

「……っ」


 労いの言葉にレーカが頷き返すのを見て、アトラスはハイネを睨みつけた。重たい圧がハイネへ向けられている。アトラスは甲殻武装を握りしめて、上段で構えた。


「いくぜ……っ、【重開放】!!」


 アトラスは血管を収縮させ、弛緩させる。そうすることで一度にたくさんの血液を全身へ回し、更に甲殻武装から放たれる蒼雷を全身に纏わせた。青白い光がアトラスの身体表面を駆け巡り、瞳の奥で光が爆発した。


「はぁぁぁぁぁ!!」


 レーカを超える、圧倒的なスピード。超高速の斬撃がハイネの腕を掠めた。傷口からは血が滲み出し、ハイネの腕にぱっくりと筋が入る。

 ハイネも負けず劣らずの反撃をアトラスへ浴びせた。後面から空気を噴出させたスパイクで、アトラスの左肩を掠めている。

 肩関節を穿たれていなかったことに安堵するも、戦いの手を止めてはいけない。鈍い痛みに耐えながらアトラスは刀を振り下ろす。ハイネはそれをかがんで躱し、バックステップで距離を置いた。


 戦いは互角。レーカの割り込む余地が見つからない。後ろで父親の雄姿を見ていたレーカは自分が弱いままであることを悔やんだ。


(でも! 私は……)


 自分の心をなんとか奮い立たせて一歩を踏み出す。


「私は、変わる! 変わらないと、いけないの……ッ!!」


 その時、レーカは自分自身を包む繭が消え去ったのを感じた。



 ***



 レーカは甲殻武装を持たない。代わりに生まれ持った異能は甲纏武装【ヤタノムシヒメ】へと覚醒を遂げた。それからさらに、レーカは殻を破る。己を包み込む繭のようなもの。

 背中の翅が光り輝き、ひび割れる。その中から見えたものは褐色で透明な翅。太陽の光を斜めに通して、淡く煌めいた。


「お父さん! 今、いくよ……!!」


 さっきまではアトラスとハイネの互角な戦いに割って入ることができなかった。しかし今、背中の殻が弾けたことでレーカは成長を見せる。今のレーカならば、決して劣るということはない。


「はぁ……っ」


 右手を天高く突き上げ、勢い良く振り下ろした。手の延長線を硬化させ、際限のない刀身がハイネの左肩を穿つ。鈍い痛みがハイネを襲い、左腕が痺れたような感覚に陥った。


「レーカ、戦えるか?」

「うん。もちろん!」

「それならレーカはハイネの後ろへ回ってくれ。俺がレーカが打ち込み易いようにハイネを誘導する」

「分かったわ!」


 そしてアトラスは地を蹴ってハイネへ近づく。横薙ぎに甲殻武装を一閃し、ハイネはスパイクで受け止めた。そして全てのスパイクが破損する。

 そのタイミングでレーカは横へ走り、後ろ側へ回り込んだ。追撃にアトラスが脚を使って蹴り飛ばす。

 しかし、レーカのほうへ吹き飛ばされたハイネは──口元を緩める。不揃いな翅を羽ばたかせて、ハイネは真上へ飛翔した。

 地面から見上げると、その姿はまるで片翼の堕天使だ。再び脚跡の鎧から【メフィストクロウラー】を出現させると、五つのスパイクが集合して巨大なかぎ爪を象る。一気に空気を噴出させ、巨大なツメがレーカへと迫った。


「……っ!?」

「レーカ!」


 アトラスがレーカの前に現れる。レーカを庇うように手を前へ突き出し、【アトラスパーク】の刀身から光を放つ。


「はあぁぁぁぁぁぁ!!」


 閃光がツメの中心を突き破り、ハイネを地に叩き落とした。


「レーカ、今だ!」


 両手を重ねて巨大な剣をつくる。それを天に掲げ、力を込めた。今までよりも何倍、何十倍にも硬化させて目をカッと見開く。そして巨大な剣をハイネへ振り下ろした。


「ちィ……ッ!!」


 レーカの重たい一撃、炸裂。土煙が舞う。アトラスはその中へ視線を向け、目を凝らす。しかし土煙の中にハイネの姿は確認できなかった。

 ──つまり、またしてもハイネに逃げられたのだ。



 ***



「レーカ、大丈夫か? それに他のみんなも」

「うん、私は大丈夫」

「わ! 私も大丈夫よ」


 後ろで戦いを眺めていたプリモも無事のようだ。緊張がほどけたからか、レーカは肩を押さえてしゃがみ込んでしまう。


「レーカ、一旦医務室に行くんだ。いいな?」

「それなら、お父さんも……その怪我」

「ああ、確かに俺も手当てが必要だな。レーカの言う通りだよ」


 そう言って、アトラスは客席のほうへ視線を向けた。遠くを見渡してから、ステージを降りて歩いていく。医務室へ向かったようだ。


「レーカ、私たちも行くわよ」

「ええ。行きましょプリモ」


 そしてレーカはアトラスの後を追いかける。


「また今度、レーカと試合をしてみたいわ!」


 部屋へ入る前に、そんな言葉がレーカの耳に届いた。


 ──今はまだ、レーカが英雄の娘であること以外はあまり知られていない。

 遠い未来、レーカという少女は名も無き英雄から真の勇者へと至る。

 そして、レーカは世界を救うこととなる。


 これは、名も無き英雄レーカが勇者の名声を得るまでの物語だ。

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