貫く価値

 洞窟の奥から出入口へと戻る道中。暗い洞窟の中、ディラリスが戦っていた場所へ。


「っ!? そ、そんな……ディラリス……? おい、嘘だろ!? なあ! 嘘だよな!?」


 レギウスは前のめりに倒れ込んでいて、流れている黄緑色の血液は固まっている。鮮血とは程遠く、とっくに酸化した後の濁った血液。


「なあアトラス! ディラリスは、死んでないよな!?」

「…………」


 アトラスは何も答えない。否、答えることができなかった。

 ディラリスはもう力尽きている。それはここにいる誰が見ても一目瞭然だ。目の前の現実を受け止められない様子のレギウス。


「ごめん。先生はもう、死んでいるよ」

「嘘だ! ディラリスは、こんなことで死ぬような柄じゃない!」

「……それだけミーゼンとパラワンが強かったんだ」

「そんな!」


 目尻から涙が溢れて止まない。

 レギウスは地面に崩れ落ちてしまった。脚に力が入らず、地面に這いつくばった状態。腕の力だけでなんとかディラリスのもとへ移動すると、ディラリスの亡骸を仰向けに抱え直す。


「くぅ、うぅぅうぅぅ」


 アトラスはふと、違和感に気づいた。


「それならミーゼンとパラワンは? 一体どこへいった?」

「──そうか。ディラリスは、あの技を使ったんだな」


 アトラスの疑問にレギウスは確信する。遠くを見れば、石のように固まったミーゼンとパラワンの姿があった。

 かつてレギウスが憧れたディラリスの勇姿。存在を固定ふういんする起死回生の技をディラリスは使ったのだ。

 レギウスの涙は粒となってディラリスの顔へ落ちる。雫は鼻筋、目元、そして頬を伝って地面を濡らした。


「俺、決めた」

「改まってどうしたのレギウス?」

「ディラリスみたいに、ディラリスみたいな男に俺はなる!」


 レギウスは心に決める。その様子にアトラスは言葉を失っていた。

 ディラリスへ対する悲しみと、新たに目標がせめぎあったような──複雑な表情だったのだから。


「……俺は、ディラリスの後を継ぐよ」

「あぁ。頑張れよ、レギウス!」

「改めてありがとうな。アトラス」


 表情に陰は残るが、レギウスが今できる最良の笑顔だった。




 一方、ギレファルが宿っていたもう一つの身体──ボルブドはというと。


「っはー! 負けだ負けだ、完敗だ! でも、ようやく見えてきた」


 独り言を繰り返す。

 かつてのギレファルは一人の殻人族を守るため、周囲をすべて敵に回した。


「退屈しない日常が欲しかったのに、どうしてアタシは」


 過去の自分はどうしていただろうか。ギレファルはふと思い出す。


「あいつは今、どうなったんだろうなぁ」


 ギレファルはかつて守り抜いた、ある少年について想いを馳せた。



 ***



 ──誰かの叫び声が聞こえる。


「誰か助けて! 皆が……皆が僕を殺しに来る!!」


 そこから少し離れた場所で叫び声を耳にしたかつてのギレファル。疑念に駆られ、声の方角へ駆け寄っていく。

 草木を押し除けて、足場の悪い道を進んでいくと、地面に泣き崩れている少年を発見した。

 服装は泥だらけ。泥濘ぬかるみに脚を取られていた。


「お前、大丈夫か?」

「ぅあ?」


 少年は上を見上げて、ギレファルの顔をまじまじと見つめる。涙はいつの間にか乾いていた。


「アタシが助けてあげるよ」


 少年はまだ幼く、黒の髪に茶色の翅。翅が透明でないのは、ギレファルにとって珍しく思えた。


「え? 本当に、いいの?」

「あぁ、もちろん。お前はアタシが助けてやる!!」

「あ、ありがとうございましゅっ!!」


 少年は早口になりながら、口元を噛んでしまう。恥ずかしそうに俯きながら、少年は立ち上がってこれまでの経緯を口にした。


「僕は村の……忌み子なんです!!」

「村? どこの村だ?」


 ギレファルの問いに、少年は遠くを指差した。


「ええと、あっち?」

「ええと、わかんないです。必死に逃げて来た、から」

「それなら、アタシの家に来るといい。一時的な避難場所にはなるだろう」


 そのうち追っ手が来ると予想できる。それに逃げ続けるのも少年にとっては酷な話だ。ギレファルはひとまず自分の家へ連れ帰ることにした。


「ここが、ギレファルの家?」

「ギレファル、な?」

「は、はい! ギレファルさん」


 少年はギレファルに手を引かれながら、ギレファルの家の中へ入る。家の中は、ギレファルの男勝りな性格に反して、意外にも女性ならではの整えられた造りだった。


「意外か? アタシだって、これくらいのことはするさ」

「そうだったんですねー」

「なんだその顔は?」

「い、いえ! なんでもないです!」


 少年はあたふたとしているが、その様子を見ながらギレファルは──ニヤリと笑っている。すぐにからかわれていることに気がついて、少年はぷくっと頬を膨らませた。


「ギレファルさん、ひどいですよ」

「ああ、すまんすまん! 思わず揶揄からかいたくなってな」


 少年が危機的状況だとしても、今の状況を楽しまずにはいられない。少しでも平穏な日々が続けばいいとギレファルは思っていた。


「案外、一人じゃないこの状況も楽しいもんだね」


 ギレファルはそう呟く。

 少年との生活は数ヶ月ほど続き、

 ──やがて、終わりを迎えることとなる。


 複数人の殻人族がギレファルのもとを訪ねた。それぞれ物騒なものを手に持っていて、表情はどこか切翅詰まったようにも見える。


「おい、あんた。このあたりに茶色の翅をもつ子供を見かけなかったか?」

「茶色の翅、だと? 知らないな。念の為、その子の特徴を聞いてもいいかな?」

「黒い髪で、さっきも言った通り……翅が茶色だ。それと身長はこのぐらいだ」


 代表して一人の殻人族がそう答えると、ギレファルはすぐに確信した。目の前にいる者が少年を殺そうとしている追手であると。

 手に持つ物騒な武器も彼を殺すためなのだろうか。ギレファルの眉間に皺が寄る。


「見ていないか? それならいいんだが」

「いや待てよ。もしかしたら数ヶ月前、近くの泥濘で見かけた少年かもしれないな」

「それは本当か!」


 訪ねてきた者たちは驚きの声をあげる。しかしギレファルは焦りの感情を表に出していなかった。

 ギレファルは嘘をついていない。ただ数ヶ月前に見つけた少年を自分の家で匿っているだけなのだから。


「それなら、引き返すぞ!」

『おお!』


 そして、物騒な者たちは引き返していった。


「──もういいぞ。お前も大変だな」

「ありがとう、ギレファルさん!」

「ああ! お前が無事でよかったよ!」


 しかし少年が危険な立場にいることに変わりはない。少年を守るとギレファルは再び決意する。


「おい! いたぞ!! 忌み子だ!」

『何っ!?』


 誰かが見ていたのか、一人の殻人族が叫んだ。それからすぐに少年をかばうギレファルへ甲殻武装が突きつけられた。

 その瞬間、ギレファルは『災厄』となってしまった。家を訪ねた殻人族に少年の敵となる同胞。そのすべて滅ぼしていった。


(それからアタシは──)


 あの少年は幸せになれただろうかと今になって思う。思い返せばギレファルが『災厄』になったところで、少年への風当たりは変わらないかもしれない。


(別に、今の時代に生きてるわけもないか)


 ──ギレファル様……! ギレファル様!


 するとどこかからか、ギレファルを呼ぶような声がした。洞窟の出口のほうから二人の男が駆け寄る。


「ああ、なんとか生きていた」

「本当に危機一髪でござるよ」


 パラワンとミーゼンはとても疲労した様子。

 両腕をだらりと下げている。ついでに背筋も丸くなっていた。


「お、お前ら」

「俺は、いつまでもギレファル様にお供します」

「拙者も祖父に代わってギレファル様の助けとなるでござる」


 ミーゼンの言葉にギレファルは首を傾げる。祖父とは一体どういうことなのか。


「おっと、すっかり忘れていたでござるな。拙者の祖父は茶色の翅を持っていて──」


 瞬間、ギレファルの目が見開かれる。


「ギレファル様、貴女様に命を救われたのでござる。だから拙者はここにいるのでござる!」


 ミーゼンは爽やかな笑顔を浮かべた。


「お前だけ何故アタシに仕えるのかずっと分からなかったが、そういうことだったんだな」


 自ずと涙が流れる。そして、ほっとしたような表情のミーゼンと驚きを隠せないパラワン。


「これからどうしようか。アタシが『災厄』なのはわかってるけど、このままなのもアタシ嫌だね!」

「ならば拙者はそれについて行くのみ」

「ギレファル様がそうするなら、俺に異論はありません」


 ギレファルはこの環境に飽きたようだ。その呟きにミーゼンとパラワンも同調する。


「ところで、アタシを復活させたサタンっていう奴は、一体どこへ消えたんだ?」

「そういえば見ていないな」

「拙者もギレファル様が復活してから一度たりとも見てないでござる」


 一体どこへ行ったのだろうか。サタンという男を疑うと同時に、不気味な悪寒が三人の背筋を駆け巡る。



 ***



「なるほどね! そういう手段があったかー! ようやく俺も、アレを手に入れられそうだ!」


 暗い暗い闇の底。嗤い続けるサタン。

 何かを欲しているような表情で、サタンは己の甲殻武装を撫でた。ドロリと液状に溶けて地面に落ちる。


「次はお前だよ。『日食魔蟲』ヘラクス。さぁて、次は誰に寄生させようかぁ!」


 液状のそれは剣の姿を象り、サタンは柄をぐっと握る。指の隙間からは白い炎が弾けていた。

 そしてかたきの名前を叫ぶ。


「アトラス! お前のせいで俺の楽しみが全て台無しだ。絶対に潰す!! そのためにも頼んだよ。甲殻武装、パラサイトダークネス」


 苦虫を噛み潰したような表情の後、サタンは静かに息を吐き出した。

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