第4話 危機感ベッドイン

食事は終わり、あてがわれた部屋に向かう。


寝間着にも着替えず、わたしはベッドに体を横たえた。

ビジネスホテルにあるような硬めのスプリング、パリパリの冷たいシーツの感触。それらにたまらない懐かしさを覚える。


なにやら大変なことになった。

ここがファンタジーの世界で、わたしがその物語のヒロインなのであれば、美男子たちと恋愛し、魔王軍を倒せばそれでオーケーだ。


しかし、先の会談はそんな雰囲気ではなかった。

わたしは魔王軍を倒し世界を救うためのキーパーソン……否、人として扱われているかも疑わしいのだ。


騎士エンジに助けてもらったときの感動。

あれは間違いなく物語のそれだったが、わたしの思い違いだったのだろうか。


これが美男子だらけの物語だとすれば、あるいは女性向け作品かと思ったが、少なくとも中年おじさんの独学の範囲では、この扱いを喜ぶ女性がいるとは思えない。

わたしが認知していないだけで、需要があるのだろうか。


考えて答えが出るはずもなく。

わたしは疲労から来る睡魔に身を委ねた。


   ○


よく寝た。とても深い眠りだった。


しかし目が覚めて窓を見ると、まだ月明かり。

空が白む様子もないから、まだ深夜のようだ。


目覚めた理由はすぐに理解できた。

下腹部の、さらに体の奥のほう。そこから重く鈍い痛み。


尿意だと気づくのに、少し時間がかかった。


生前、妻と付き合い始めた頃、聞いた話を思い出す。

女性は男性のように、立って事を済ませることができない。

当然のごとくトイレはすべて個室で、利用時間が長いために行列ができやすい。

そのためトイレに行く回数を減らすため、水分の摂取を控える人も少なくない、と。


そんな伝聞による知識、何より今現在の自分が女体であることを忘れ、夕食時に水もスープも気にせず飲んでしまった。

運動不足で汗っかきの成人中年男性の、せめてもの健康維持。それはこまめな水分補給。習慣が出てしまったわけだ。


ベッドから降りて部屋を捜索するが、トイレはない。少なくとも部屋ごとについているわけではなさそうだ。

あるいはいつか雑学で知った西洋中世の文化よろしく、壺にして外に投げ捨てるのか。


駄目だ。借り物の体に事故があってはならない。

わたしは下腹部をさすりながら廊下に出た。

広すぎる。例えるなら大型のショッピングモール。

窓からの月明かりで見通しはきくが、トイレはどこかと聞く相手はいない。案内表示もない。現実世界の大型商業施設が、利用者のことを考えた親切な表示を心がけていたことを痛感する。


このままでは無理だ。いったん外に出て……と、思ったとき。

わたしは廊下で、眼鏡をかけた裸の美男子に出会った。


   ○


トイレの位置を教えてもらい、わたしは一命を取り留めた。

水洗だった。大浴場といい、この国は水が豊富らしい。

拭くための紙も、手洗い場もあった。

ディートサム王国のインフラ、衛生管理意識に深く敬意を表したい。


裸で眼鏡の美男子に心から礼を言い、それから。

部屋に案内された。

その美男子とは、何を隠そう水の騎士団、団長。リュース・スペルディアその人であった。


裸とは言ったが、腰にタオルを巻いていたことは補足しておこう。

小脇に籠を抱えているのを見て、風呂上がりなのだと推察できた。

わたしはリュースの部屋に案内され。


ぱん、ぱん、という音に耳を澄ませていた。


それは布を叩く音だった。

洗濯物を干す前に、シワがつかないようによく伸ばしておくあの音だ。

リュースは裸で、部屋のテラスに洗濯物を干していた。


一人暮らしなら夜に洗濯することもあろう。

だが、高貴な騎士団の団長が、なぜ深夜に裸で洗濯物を干しているのか。

思わず問うた。


「……あなたは風呂に入ったあと、汚れた衣服を放置するのですか? 理解できませんね」


「お手伝いの方に任せれば……」


「自分の衣服は自分で洗います。他の者たちと一緒に洗われたら、逆に汚れてしまいますからね」


「どうして裸……」


「裸で寝るからですよ。ナイトウェアなど、洗い物が増えるだけです」


ぱん! と、最後の一枚を叩き終え。

テラスには洗濯紐に掛けられた衣服や下着、タオルがひらめいていた。

遠くから見れば、月光に輝く万国旗といったところか。


さて、と言って青髪のリュースが椅子に腰かける。

手元にはいつのまにか用意した紅茶のティーカップ。

深夜に裸で椅子に腰かけ、優雅に紅茶を嗜む眼鏡の美男子を見たことがあるだろうか。少なくとも生前のわたしにはない。


「……あなたをこの部屋に招いた理由、当然わかっていますね?」


わたしが黙っていると、リュースは眼鏡の奥で目を細めた。


「やはり天空人は、言い伝えほど聡くないようですね。……それとも、このわたしを欺いているのか」


豊かな紅茶の香り。

わたしも飲みたくなったが、トイレのトラウマがあるため自重した。

まだ下腹部には鈍い痺れが残っている。


「選択肢はない……そう言ったはず」


ティーカップをサイドテーブルに置き、リュースは椅子から立ち上がる。

わたしにゆっくりと迫りながら、言う。


「水の騎士団の神機アクオルフィンの性能を最大限に引き出し、このわたしの子を産みなさい。それがもっとも正しく合理的な結論です。

 本来なら純血種のエルフこそ至高。しかしこれは世界のため。わたし自身が勇者となり、勇者の父となることが最良の選択なのですよ」


思わず後ずさるが、後ろにはベッド。


「……なぜ答えに窮するのです? よもやあなたも、天空人こそが最も高貴な種族であると思い違いをしているのではないでしょうね」


そのまま押し倒され、わたしは仰向けに覆いかぶさるリュースを見上げる。


「無知で愚かなあなたに、教えてあげましょう。

 ファンタージャ世界で神の寵愛を受けた最も高貴で優れたる種族はエルフ族。

 その王家の血を引き、ディートサム王国最強の水の騎士団を率いる才能、実力、容姿どれをとっても他とは比べるべくもない最高の男、それがわたしです」


とてつもない自信とプライドだ。

しかもこれは必死さではなく、当然だからさっさとやれ、という種類の苛立ちのようだ。

わたしが間違っているのかも、とさえ思えてくる。

エルフは長寿で聡明。高潔で排他的というのがファンタジー作品のテンプレートだと聞いたことがある。

彼もつまりそういう部類なのだろう。


男に迫られる感覚が、初めてわかった。


怖い。逃げたほうがいい。まあいいか。まんざらでもない。

何か取引ができないか。気持ちいいのか。痛いのか。

多くの思考がノイズのように頭を巡る。


かつてのわたしなら、ただ状況に身を任せていたかもしれない。

だが、今は違う。


わたしが魂を宿している、「この娘」にとって一番の選択をする義務がある。


脅えではなく、抵抗する意思。

リュースもそれを、わたしの瞳から感じ取ったらしい。


反抗する獲物に、眼鏡の騎士は緩い笑みを浮かべ。

わたしの耳元に口を近づけた。


「……これから毎晩わたしの部屋に来なさい」


吐息から漂う紅茶のにおい。


「断るのなら……あなたがこの時間、この部屋に夜這いに来たとを広めましょう。

 あなたがわたしの部屋に来たという事実。そして権威ある騎士団長と、国に現れたばかりの小娘……皆はどちらの言葉を信じるでしょうね?」


そのくすぐったさに、思考が乱れる。

体が動かない。喉に熱いものがこみ上げて、声が出ない。


「なに、そう時間はかかりません。あなたの思考はやがてわたしで塗りつぶされる。

 そしてわたしの野望を叶えるための忠実な道具として……」


その刹那、ふわり、と窓から爽やかな風が吹き込む。

真っ白な洗濯物が干されたバルコニー。

その手摺りに、誰かがしゃがみこんでいる。


「やあ、いい風吹いてる?」


大浴場と大広間で出会った、あの緑髪の美男子、風の騎士フウラだった。

真夜中だというのに、きちんと鎧を身に着けている。

闖入者をにらみつけるリュース。それに怯むこともなく、フウラは爽やかな笑みを湛えている。


「風の騎士団長が、夜間警備ですか?」


「まあね。どんなケダモノが彼女を狙っているか、わからないし」


ふたりの騎士が睨み合う。

だが、わたしが目を奪われたのは、それだけではなかった。

騎士たちも同じく気付いたようだ。


視界に映る大きな月に、妙な影が映っている。

翼がある。蝙蝠だろうか。夜なら飛んでいてもおかしくない。


夜空に溶けると見えづらい、おそらく黒い何か。

小さいと思っていたが、それは月明かりを遮り、地上に影を落としている。

近づいてきている。みるみる大きくなる。


それは、鳥だった。

子どもの頃『シンドバッドの冒険』で読んだ怪鳥ロックのような、巨大な鳥が、彼方から向かってくるのだ。

そしてその左右に、羽根を持った人型。鳥人族の軍団が広がる。


「空将ビークマン、やっぱり来たねえ」


立ち上がり、にやりと笑う緑髪のフウラ。

青髪のリュースは、クローゼットを開き素早く衣服を身につける。


「さっさと行きなさい。覗きではなく、あれに備えるために夜警をしていたのでしょう」


「もちろん。シルフ族は風の動きには敏感だからねえ」


リュースはわたしに目もくれず、部屋を出ていってしまった。騎士団の務めがあるのだろう。


フウラはわたしに手招きする。

そして、さっきまでの恐怖で足腰が立たないわたしを抱きかかえ、そっと頬に口づけする。


「怖い思いをしたね。でも、そんなのはぼくが忘れさせてあげる。風の騎士フウラと、夜のダンスを楽しもう」


そう言ってフウラは、夜空に向かって軽快に指を弾いた。


「さあおいで、深碧の荒鷲。神機『ウィンディーグル』!!」


月光を切り裂いて、天から碧色の大鷲が舞い降りる。

その羽根ひとつひとつに剣のような金属を纏い、魔法の風で空気を震わせる。


そう、このファンタジー世界はやはり巨大ロボットもので。

たぶんまた、わたしはこれから、美男子と共にアレに乗るのだった。

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