第2話 清潔バスタイム
なんやかんやあって。
イケメン騎士の駆る巨大ロボットの活躍で、魔王軍の獣人部隊は撃退された。
わたしもなぜかロボットに同乗して、彼の膝の上で戦闘を見守っていたのだが、そのあたりは割愛する。
ロボットアクションに感極まり言葉を失うわたしのことなど、語るに足らないものだ。
○
戦闘を終えた、その日の夜。
王の命令でわたしがおこなったのは、入浴だった。
場所は、城内にある石造りの巨大な露天風呂。
湯舟には花や香草が浮かび、ハーブ系の香りがつんと鼻をついた。
現世の中世国家には入浴文化のない国もあるらしいが、この国は水が豊富なのだろうか。それとも貴族階級だけのものか。
侍女が体を洗ってくれると言っていたが、自分でできると断った。
この体の持ち主である『白銀の乙女』からすれば、同性相手に身構える必要はないわけだが、意識を持っているわたしは違う。
この体に宿る魂、今思考しているこのわたしは、中年のおじさんだ。
生前はセクハラ容疑を警戒し、満員電車ではかばんを両手で胸に抱き、帰りの夜道で女性が前方を歩いていれば道を変えたりわざと遅く歩いたりする。
だからこそ、否、それ以前にひとりの人として。
こんな状況を利用して女性の裸体を視界に収めるのはとても不誠実なことに思えた。
おかげで自分の体を洗うのにも苦労した。
触れることも憚られるが、借り物である以上、清潔に保たねばならない。
いつかこの体に、本来の女性の魂が帰ってきたときのために、彼女の名誉と、健康を保たねばならない。
そういうわけで、目をつぶって、直接手が触れないように布で体を拭った。
浴場に姿見がないのは不幸中の幸いだったと言える。
そして問題は、このたっぷりとしたシルバーブロンドの髪の毛。
現世のわたしの頭髪は、固形せっけんでひと撫ですれば十分なほどの薄毛だった。
この美しい髪を保つ術を、しかもリンスインシャンプーが存在するのかさえ怪しいファンタジー世界の洗髪事情など知るべくもない。
やはり侍女に頼るべきだったか。
そう思って人を呼ぼうか逡巡していると、誰かが脇にあった陶器のジャグを手に取った。
「これをお探しですか?」
鳥がさえずるような軽やかな声音。
返事をする前に、その人はジャグから掌に薬液を移し、わたしの髪を洗い始めた。
なるほど、これは気持ちがいい。駅前の床屋の乱暴な洗髪とは違う。
頭皮をマッサージされながら、髪にオイルの薬液が浸透していく感覚。
ほんのりとジャスミンの香りがして、全身の力が抜けていくようだった。
その後、湯で丁寧に薬液を洗い流してもらい、さらにタオルで水気を吸い取ってもらった。
なるほど、これだけの毛量と長さなら、乾くまでに時間がかかる。
この世界にドライヤーがあるかはわからないが、髪を洗い、乾かすという作業ひとつとっても、浅はかならぬ労力と時間がかかっていることを痛感する。
湿ったシルバーブロンドは、これまで以上に上品な輝きを湛えていた。
指で梳いても引っかかることはなく、いつまでも触れていたくなる。
そのまま侍女に手を引かれ、巨大な浴槽へ。
スーパー銭湯を貸し切りにした気分だ。本来は大勢で使う浴場を、もてなすために空けてくれたのかもしれない。
ようやく入浴。
髪は湯に浸からないように、タオルでまとめてもらっている。
「ありがとうございます。わたしひとりでは、満足に洗えなかったと思います」
わたしはようやく目を開て、頭を下げた。
湯船なら、水面と湯気のおかげで、体を見ずに済むだろう。
「あはは、大袈裟だなあ。それじゃあ、髪を洗ってあげた代わりに……」
そう言われてはっとする。
一緒に湯に浸かっていたのは侍女ではなく。
「今日のことはふたりだけの秘密ね」
裸の美男子だった。
瑞々しい若葉色の髪。少女と見紛うほどの甘い眉目。
騎士エンジよりも一回り小柄だが、余分な肉など微塵もない、鍛えられて細く引き締まった肉体。
「童顔細マッチョ」という言葉が入浴していると言っても過言ではない。
そう思っていると、緑髪の美男子はわざとらしく首を傾げた。
「あまり驚かないね? 女の子はみんな、こういうサプライズをするとひどく恥じらうか、ぼくの裸にうっとりなのに。もしかして見慣れてる?」
驚きすぎて、反応が顔に出ていなかったらしい。
生前、日々のストレスを押し殺すために、感情を表に出さないように心掛けてきた。
わたしの感情など、厄介の引き金にしかならない。
そんな処世術が、今回はポーカーフェイスとして作用したらしい。
ついでに、何かを言うことも面倒を引き起こす。
戸惑うわたしは相手が求めていない、筋違いな発言をする。
だが、相手はわたしの言葉を待っている。
「ここは……混浴だったでしょうか」
言った言葉に、彼は目を丸くし。
それから小さく笑った。
「今はきみの貸し切り。でもさ、噂の『白銀の乙女』とふたりきりになるチャンスだもん。つい来ちゃうよね」
話題のカフェにでも入ったかのように、悪気なく言う緑髪の美男子。
それにしても。
外では侍女がわたしを待っているはずだが、彼はどうやって入ってきたのだろうか。
そう思っていると、外から声が聞こえてくる。
「フウラ様、どこですかあ!」
「ああ、呼ばれてるみたい。もっとゆっくり話したかったなあ」
フウラというらしい緑髪の美男子は、やれやれと笑って湯舟を出た。
下腹部が露わになる前に、思わず目を逸らした。
「一応恥じらいはあるみたいだね。ちゃんと感情があるみたいで安心したよ」
わたしの反応を喜ぶ、緑髪のフウラ。
「今日はエンジにいいところを持っていかれたけど……今度は、ぼくのお姫様になってくれるよね?」
フウラはそう言って浴室を後にした。
侍女が驚く声、外で探していたらしい部下が呆れる声。
それらが収まってから、わたしも湯舟を出る。
脱衣所に向かって歩くと。
はらり、と頭に巻いてもらったタオルがほどけて落ちた。
湿っていた髪は、何故かもう、すっかり乾いていた。
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