第40話
最終講義を終え、僕は息を吐いた。
講義中のノートをまじまじと眺めるが、きちんとメモは取れているもののどんな内容だったのか何も思い出せない。
三月まで時間がないということもあり、今まで描いた絵の選別や会場内部の確認作業などで睡眠時間を大幅に削られていた。そのこと自体はサインする前から薄々気づいていたし、僕自身も徐々に開催へと近づいていく興奮で疲れなど感じもしなかった。
それよりも、僕はひどく焦っていた。
今日のうちに、どうしても要に会わなければいけないのだ。どうやって時間を作ってもらおうかと、そればかりがもやもやと頭の中で浮かぶ。直接会いに行くのは……なんだか気が引ける。だからと言って電話番号を持っているわけでもない。じゃぁ、どうしよう。
頭をぼりぼり掻いた。
「覚えてる?いつの日か、要ちゃんが補導された日のこと」
隣に座っていた春は香水を振り撒きながら、突然そんなことを言い出した。いつの間にか講義中に爆睡していた宏斗は消えている。
「あぁ、ありましたね。宏斗と春さんが僕の家まで要ちゃんを送ってくれて……」
「そうそう。あれさ、警察のほうから私の携帯に迎えに来てほしいって電話があったからなんだよね」
「そう、だったんですか」
「うん。後で聞いたら水無瀬くんに迎えに来てもらったら、また心配かけちゃうと思ったからなんだって。ま、そこはどうでもいいんだけど。私が驚いたのはそのあと」
「そのあと?」
「要ちゃんが補導された理由聞いて吃驚しちゃった。水無瀬くん聞いてないでしょ?」
「いや、バイトで遅くなったからだって聞きましたけど……」
「じゃぁそれは嘘だね」
「えっ」断言されて瞬きする。
「や、バイトしてたっていうのは本当なんだけどね。あの時補導されたのは、バイトの帰りに起きたことが原因なの」
春は僕を横目で見ると、真正面を向いて静かに応えた。
「前に水無瀬くんと要ちゃん、神良でデートしたでしょ。あの時に、要ちゃんの同級生が二人のこと目撃したらしいの。しかもいじめっ子。それで「障がい者と遊んでる」って馬鹿にされて、要ちゃんは許せなくて突き飛ばしたんだって。そしたら向こうは三人で殴り掛かって来て、そのままケンカに発展しちゃったってわけ。驚いたでしょ」
僕は閉じかけていた瞼を全開にして体を起こした。
「驚いたな……知らないところで要ちゃんは、僕のことを守ってくれていたんだね」
「そうね、水無瀬くんよりカッコいいとこあるじゃない?」
「うん、ホントだ。要ちゃんばっかりかっこいいなぁ」
春はため息をついた。
「要ちゃんだって、同じ思いのはずだけど」
「そんなことないですよ」
「そんなことあるの」
ホントにもう、と頬を膨らませる春に、僕はふと疑問を抱いた。
「どうしていま、そのこと教えてくれたんですか?」
「んー」春は天井を仰いだ。「なんとなく」
「そうですか……」
「別に“水無瀬さんが寂しそうにしていたら、励ましてほしい”って誰かから頼まれたわけじゃないわよ」
「ちょっ、それって!」
春は唇に人差し指を当て、不敵に微笑んだ。
「私は知らないから。気になるなら直接聞いてみれば?どーせ頭には一人しか浮かんでないだろうし」
「だけど、要ちゃん携帯持ってなくて……」
「携帯なら買ったって聞いたわよ。ほら」
春はポケットから一枚の紙を抜いて差し出す。中には数字の羅列が並んでいた。
僕ははっと息を吸う。
「これって」
「久しぶりに声、聞いてきたら?」
しばらく紙を見つめ、それから僕は居ても立っても居られず講義室を飛び出した。
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佑の背中から感じる溢れんばかりの喜びに、春はにやけがとまらなかった。
「あれ、佑は?」
スキップで現れた宏斗はコーラを二つぶら下げて、きょろきょろとあたりを見回した。
「要ちゃん絡み」
「あぁ、中学生の恋愛かよってな。じゃぁこれやるわ」
「ありがと。……宏斗はさ、恋とかしないの?」
「んー」宏斗は近くの机に腰かけ、コーラを半分まで喉に流した。「まぁ、春とこのまま友達付き合いでいられるとは思ってないけど」
そう言って、残りの半分を飲み干した。
「へぇ、それって告白?」
「そんなカッコいいもんじゃねぇよ」
春は冷たいコーラを握り直した。
「なんかあの二人見てたら、純粋な恋愛も悪くないかなって思ったんだよね」
「だったら」宏斗はコーラをゴミ箱にシュートさせ、春の手を取った。「手ぇ繋いでデートとか、するか」
「いいかもね。でも……」
言うと春は宏斗の首に手を回し、軽く口づけをした。
「私に告白するならここまでやってくれないと」
宏斗は苦笑した。
「俺らじゃ純粋な恋愛なんて無理だろ」
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