第10話

「はい」


 僕は握った手を伸ばした。要は手の中の物を不思議そうに受け取る。


「これは?」

「アトリエの鍵」


 しばらく瞬きを繰り返したあと、えええ!と要は飛び上がる。


「なんでなんで、私なんかに」

「今日、ずっと家の前で座って待ってたんでしょ。今は一番寒い時期だし、これからもそんなことあって

風邪ひかれたりしたら困るからさ。僕もバイトで遅いときあるし。だからそれ、持ってて」

「いやでも、私一応他人っていうか知らない人っていうか。そんな簡単に渡したりしない方が……」

「え、なに、そんな変なことするつもりなの?」

「そういうことじゃなくて!や、変なこととかしないからね!?」


 必死な姿をみて笑ってしまった。


「大丈夫。そういうこと言ってくれる要ちゃんだから、信用してるんだよ」


 要は頬を膨らませた。ゆっくり鍵を握りしめる。


「水無瀬さん。詐欺とかすぐ引っかかりそう」

「そういう要ちゃんの方が引っかかったりして」


 頭が横にふるふると揺れる。「私はないです!知らない番号から来た電話は出ませんから!」


「えっと、オレオレ詐欺だけが詐欺の全てじゃないからね?」


 あっほんとだ。真顔で呟いた要についに吹き出してしまった。


「やっぱり、引っかかりやすいよ」

「改めて言わないでください」両手で顔を覆い隠した。


 指の間から赤い頬が覗いている。


 また、見とれるところだった。要の表情には勝てない。

 素早く目線を下に下げた。

 腕と、足と……。僕は今まで彼女の顔しか見ていなかったのかもしれないと自覚した。よく見たら胸元だけでなく、他にも数えきれないほど痛々しい跡が伺えた。つい今さっきまで要と笑いあっていたときの表情が、上手くできない。


 要は動揺する僕に気づいたのか、ゆっくり手を顔から離した。


「水無瀬さん、見ますか?」


 え。何を。


「全部」


 そう言って、要は立ち上がった。僕は下から彼女を見上げる。そのまま、静かにブレザーを脱いだ。リボンを取り、シャツのボタンを一つ一つ丁寧に外していく。

 僕は、ただ見ていた。急な提案に戸惑ったのは事実だが、止めなかった。


 彼女の全てを受け入れると誓ったから。


 要はシャツを脱ぎ終えた。水色のブラジャーがあらわになった。次にスカートに手を伸ばし、ゆっくりとおろしていく。

 やがて下着以外のすべてを脱ぎ終え、要はこちらに目線を合わせた。


 その体は、思わず目を瞑ってしまうほど酸鼻を極める光景だった。服で隠れる部分には至る所に火傷、変色した皮膚の色が。屈んだときに目にした背中には、掻き切られたような大きな切り傷が刻まれていた。


 僕は立ち上がり、彼女の腕に触れた。なるべく色のないところを、優しく。


「痛い?」

「痛くない、です。今は」


 要は触れられた部分に過剰に反応し、身を固まらせた。

 もしかしたら今、我慢しているかもしれない。本当は誰にも触れてほしくなかったのかもしれない。


 ずっと、苦しい思いをふさぎ込んできたのかもしれない。


「痛かった、よね」


 要は唇を千切れそうなほど噛みしめた。


「痛かった」


 震える手で僕のシャツを軽くつかみ、顔を埋めていく。


 この時初めて、要が僕の前で泣いたのだった。

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