歩みと眼差し

 休日になにがあっても平日は訪れる。日曜の夕方に憂鬱に苛まれても月曜の朝日は昇るのだ。


「……いつも通り」


 月曜日はいつもよりも三十分早く起きるようにしている。日常に追われて足どりの重い生徒を相手にする時間がない、なんてことのないように。軽くストレッチしてからシャワーを浴びて朝食を済ませて早めに出勤。ゆったりと自転車で通学路をゆく。

 職員室で朝の確認ごとを終えて担当クラスへ足を運ぶ。ホームルーム前のなんとも形容しがたい時間を生徒たちは各々自由に過ごしていた。この時間だと電車登校の面子はいつも通り。いたりいなかったりする面々は机に突っ伏していたり、何やらせわしなく机の上で何かをしている。


「いつも通り、では……ないか」


 春川がいた。自転車登校の彼女はいつも遅めに教室にやって来る。あれから遅刻やサボりはないが、基本的にゆったりしたタイムスケジュールで動くタイプだ。

 ぼぉっと真正面を見つめる春川の表情を確かめることは出来ない。 

 そんな調子で足を止めていたら生徒の一人に気づかれ、途端に暇な数名がわらわらと寄って来た。蜘蛛の子を散らす様に逃げられるよりずっといいし内心嬉しいが、あまり気づかれたくなかった。特にこんな日は。


「先生、何してんのー?」

「たまに見回りしてるんですよ、こっそりと」

「え? 気づかれちゃ、ダメじゃーん」

「ははは……」


 適当に受け流していると、騒ぎに気付いたのか春川がこちらを見た。


「…………」

「それじゃあ、またホームルームで」

「はいはーい!」


 適当に切り上げて逃げ帰るように特に用事のない職員室へと踵を返した。

 なんなんだろうか、あの挑むような目つきは。



 § §



 姉が通っていた大学のOGだったあの人と出会ったのは俺が高校を卒業して間もない頃だ。姉に誘われた大学の付属高校の学祭で出会った。職業柄か当時両親と折り合いが悪かった俺をとても気にかけてくれた。

 距離があっと言う間に縮まったのは寂しさを抱えた者同士だったからか。それとも目標のない大学生と娘が小学校に上がりたてのシングルマザーの都合や相性が良かったからだろうか。

 当時はそんな相手の事情を深く考えたり戸惑ったりすることもなく、ただ好きな女性、安心できる人、尊敬できる大人だったあの人と会えるときが待ち遠しいばかりだった。だから、簡単な変装なんかして公園であの人からのメールを待つ時間はじれったかったけど幸せな時間だった。


「いつも通り……とは、いかないか」


 しきりに脳裏をよぎる想い出。その映像に疑問や罪悪感がひっかき傷のように刻まれていく。砂嵐となった傷口から春川の瞳がこちらを覗き込んでくる。


「……くそっ」


 なにが情けないって、想い出は混濁としていくのに春川の隣にあの人の影が日に日にチラつくことだ。自身を情けないと詰ってみても、どうしたらいいかなんて見えてはこない。

 廊下を進む足が止まった。途端に膝から下が抜け落ちてしまったような気分になる。堪らなく先生に会いたくなる。助けて欲しい。話を聞いて欲しい。話を聞かせて欲しい。


「……先生」

「秋田先生……⁉」


 そのとき鈴木が現れた。いつも通りの白衣姿の美術教師はこちらに詰め寄ると、鋭く他人行儀な声をあげる。


「どうしたんですか? 顔色青いですよ。こちらへ来てください! とにかく座りましょうっ!」


 病人を連れ込むような調子で鈴木は俺を美術室へと誘った。

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