第4話死人との約束
この世は地獄だ……
夢も希望もないと『双葉修也』は思い知らされた。そして死んだ。
今を生きているのは『デッドフラワー』と成り下がった俺だ。
しかし自ら身につけたマスクを外すことはない。
この世から全ての悪を駆逐するまで、戦い続ける。
灰になろうとも。塵になろうとも。
俺は――諦めない。
「デッド。あんたに朗報よ」
パソコンで何やら操作していた車椅子の女――元ジュエリーズのルビーは本部内でコーヒーを飲んでいた俺に告げる。
一年前の『あの日』以来、俺のパートナーとして働いてくれている彼女は、スマホ――彼女からもらったものだ――にデータを送る。
なんとノワールの残党共、核ミサイルを狙っているらしい。
「……ふざけた野郎たちだ。何が狙いだ?」
「案外、世界征服を本気で狙っているかもね。ふふふ」
何がおかしいのか分からないがルビーは笑った。
そしてタバコに火を点けて、紫煙を吐く。
「それで、どこが朗報なんだ?」
「ノワールが核狙っているの、『みんな』にばれたみたい。これでノワールはおしまいね」
「そうか。この手で決着をつけたかったがな」
「だけど、問題が一つだけあるのよ」
ルビーは手元のキーボードを操作して、今度はモニターに詳細を映す。
「核ミサイルの発射は全部PCでやっているみたい。それで、いろんな保険をノワールの残党は打っているわけ。言いたいこと分かる?」
「核が発射されるのは、時間の問題ということか?」
「今のところ、政府のハッカーたちが手を尽くして止めようとしているんだけどねえ。それじゃあ間に合わない」
「……だったらどうする?」
ルビーはシニカルな笑みを浮かべながら「核ミサイル発射システムを破壊するしかないのよ。効率良く、手っ取り早く」と言う。
「そしてそのシステムを破壊できるのはただ一人しかいない」
「……誰だ、そいつは?」
俺の問いにルビーは「ここから北の都市、翠流市玄部町に居るとしか分からなかったわ」とまた紫煙を吐く。
「このことを知っているのは、私だけ」
「どうして知り得たんだ?」
「凄腕のハッカーは身元を掴ませない。だけど玄武町のネット犯罪率が異常に低いのが気にかかってね。で、調べてみたらビンゴってわけ。手順が逆だから分かったのよ」
なるほどな。詳しいことは分からないが、ルビーのことを信用しよう。
「分かった。ではさっそく玄武町に行って、ハッカーを探してくる」
「待って。アテはあるの? 玄武町の人口五万人よ?」
「並行して調べよう。俺は現地であんたはネットからだ」
俺はくすんだスーツとマスクを旅行バックに入れた。流石にこのままだと移動しにくい。
「……この町の犯罪率はかなり低下した。劇的に治安が良くなったと言っても過言ではないわ。それも全部、あなたのおかげ」
ルビーはタバコを灰皿に入れる。
「でもね。『あの日』のことは許せない」
「…………」
「私の両脚を奪い、サファイアとエメラルドを死に追いやった原因は、あなただから」
「……今更恨み言か?」
ルビーは「ええ。恨み言よ」と短く言う。
「死んだオウルの遺言であなたに従っているけどね。手元に銃があれば撃ち殺したい……でもそれができない自分も居るわ」
「……そうか」
「……頑張って探してね。私、こんなだけど、まだ生きたいのよ」
その言葉が、強く響いて、心に残った。
まだ想うような心があるなんて……
翠流市玄武町はそれなりに発展した町だった。田舎ではない。しかし都会のような刺激もない。
しかしこうした静かな場所でも悪は起こる。まるで傷口にたかる蛆虫のように。
「よう坊主。ちょっと金貸せよ」
「少しでいいからよ」
駅に下りた途端、犯罪を見つけた。
裏路地で男子高校生のチンピラが二人、小学生に絡んでいる。
「駄目だよ。これはおつかいのお金だから」
怖がる様子はなく、少年はそう言って立ち去ろうとするが、チンピラはそんなことで逃がしはしない。
それどころか駄目だと分かってやっているのだから、面と向かって馬鹿と言われたのと同じである。
「はあ? 良い子ぶるんじゃねえ。また貰えばいいだろうが」
「そんなこと、できないよ」
「生意気だなこいつ。おい、殴っちまおうぜ」
チンピラが手を挙げた――俺はその手を掴む。
「はあ? なんだおっさん?」
「……これでも二十代だ」
「いいからその手を――いたた!?」
思いっきり捻ってやると地面に崩れ落ちた。
「て、てめえ――」
「カツアゲなんてするんじゃない。腕を折るぞ?」
もう一人のチンピラを睨みつつ、宣言したとおり腕を――
「駄目だよ、おじさん。そんなことしたら」
少年が――止めた。
俺は腕を放す。
「君は、こいつらを許すのか?」
「許すとかじゃないよ。だって、腕なんか折ったら痛いじゃないか」
平和ボケと断ずるのは簡単だが、確かに子どもの前で暴力は良くない。
「……さっさと行け」
「ひいい!? なんだこのおっさんは!」
二人は逃げ出してしまった。あの程度では更生は望めないな。
「おじさん、ありがとう! 助かったよ!」
少年はまるで向日葵のような笑みを見せた。
「気にすることはない。それより聞きたいことがある」
「うん? なに?」
「玄武大学って知ってるか? どこにある?」
少年は「玄武大学ならバスで行ったほうがいいよ」と歩き出す。それについて行くとバス停まで案内してくれた。
「この時間だと、後五分で来るね」
「そうか。ありがとう」
「おじさん、研究者かなにか?」
少年は不思議そうな顔で訊ねてくる。
「どうしてそう思った?」
「だって、学生っぽくないし。でも研究者にしたら喧嘩強かったね」
「……北壁教授に会いに行くつもりだ」
そう。ロボット工学とコンピュータサイエンスの権威である北壁教授ならばハッカーの詳細を知っているかもしれない。ルビーに教えてもらったのだ。
「北壁のじいちゃんに? 知り合いなの?」
「なんだ。君は彼と知り合いなのか?」
偶然助けた少年が北壁教授と知り合いとは……
「うん。姉ちゃんの先生だった人だよ!」
「そうか……君、時間があれば北壁教授に俺を紹介してもらえないか?」
少年は「いいけど……長くは居られないよ?」と言う。
「僕はおつかいの途中だし、じいちゃんは忙しいし」
「時間はとらせない。質問するだけだ」
「それならいいよ! 助けてもらったお礼もしなくちゃ!」
眩しいくらいに明るく、優しい少年だ。
俺もこんな時代があっただろうか……
「おじさん、名前は?」
「……双葉修也だ。君は?」
少年はとびっきりの笑顔で名乗った。
まるでヒーローのように。
「僕は北沢勇気! よろしくね、双葉さん!」
大学に着いて、受付で北壁教授に会いたい旨を伝えた。
受付した事務の女は「アポイントメントがないと難しいですよ?」と困った顔をした。
「そこをなんとか。知り合いの子どもも居る」
「あれ? 勇気くん? どうしたの?」
「えっとね。この人――双葉さんに助けられて、そのお礼について来たの」
受付の女は分からないような顔をしていたが「とりあえず、教授に話してみます」と固定電話の受話器を取った。
「……あれ? おかしいわ。つながらない」
「忙しいのか?」
「いえ。忙しくても助手さんも居ますし……」
嫌な予感がした。俺は「教授の部屋はどこだ?」と強めに訊く。
「ど、どうしたんですか……?」
「いいから答えろ」
「こ、この棟の三階です……」
俺は勇気に「ここにいろ」とだけ言って、駆け出した。
制止する声を無視して、三階まで昇る。
廊下に出ると非常階段の扉と研究室と書かれた扉が開いていた。
俺は――研究室の中に入った。
中には銃で撃たれた死体が五体ほどあった。
くそ! くそくそくそ! 北壁が殺された!
ちくしょう、誰が――
「う、うう……」
まだ息のある者が居る?
俺は奥のほうで倒れていた老人を見つけた。
「おい、しっかりしろ! 何があった!?」
身体中に穴が空いていて、血まみれな老人は、息も絶え絶えに、俺に言う。
「北沢……望を頼む……」
「北沢、望?」
「あの子、たちを、守ってくれ……」
一瞬、目を見開いて、そのまま息を引き取った。
「な、なんだこれは!? おいあんた、何が――」
「どけ! まだ犯人は居る!」
俺は騒ぎを訊いた職員を押しのけて、非常階段から外に出る。
男が車に乗って、逃走している。
もう間に合わないな……
「お、おじさん。北壁のじっちゃんは?」
受付に戻ると、勇気が訊いてきた。
俺は近くのソファに座り、事実を告げた。
「死んだ……銃で撃たれた」
「そ、そんな……」
勇気は俺の隣に座った。
「死んだって、どういうこと?」
「もう二度と話せないということだ。残念だったな」
「…………」
「そういえば、君の名字は北沢だった。もしかして、北沢望を知っているか?」
俺の問いに「うん、知っているよ」と神妙な顔で答えた。
「僕の姉ちゃん。家に居るよ」
「案内してくれ。教授の遺言なんだ」
死人の約束は守らなければいけない。
オウルとの約束もそうだが、北壁との約束も守らねば。
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