第十七話 宰相は勇者になります
魔王軍から攻撃を受けた帝都を無事に守り、皇帝の生存を確認した宰相と私――一等書記官アンナ・ド・ヴァランタンは皇帝宮殿内にある政務室でぐったりと椅子にもたれかかっていた。考えてみれば官僚が集まるこの部屋に来るのも久々である。
宰相が追放されるまでは毎日のように通っていたこの職場も相次ぐ地方出張によって疎遠になっていた。こうやって自分の席に着くと懐かしさとともに何とも言えない感慨が沸き起こってくる。それは宰相も同じようだったが、かつて彼の席であった少しだけ上等な宰相の椅子には座らずに来客者用の質素な椅子に腰をかけている。それはもう彼が宰相ではない、ということを自覚しているせいだろう。
「宰相。なにか言う事はないんですか?」
「えっ! なにかってさっきの皇帝陛下が下した命令のことかい?」
宰相は慌てたように椅子から腰を浮かすとこちらを見る。
「違いますよ。皇帝陛下の話なんてこの話の前には霞んでしまう、ということがあるじゃないですか?」
私は察しの悪い宰相にいらいらしたが、彼は何かをブツブツとつぶやきながら首をひねっていたが最終的な答えを見いだせずに子犬が親にすがるような表情でこちらを見た。私は盛大にわざとらしく、そして可憐にため息を吐いた。
「まったく宰相は部下が出世したのですから、お祝いの言葉のひとつも言えないのですか? 君は帝国最高の官僚だ。君ほどの辣腕は他にはいないとか、大貴族でありながら官僚としての働きも抜群。さらには美しく性格もいいなんて非の打ち所がないとか言えることはいっぱいあるじゃないですか?」
私がまくし立てると宰相はやや冷たい目で苦い笑いをした。
「よくそこまで自分を褒められるものだね」
「事実だから仕方ありません。それとも違う点がありましたか?」
「いくつか否定したい、と思うところもあるけど概ね事実だから否定できずに残念だよ」
片手をあげて宰相は降伏をしめすと力なく椅子へと身を沈めた。
「なら。褒めてくださいよ。四年です。四年で私は八等書記官から一等書記官に上り詰めました。宰相が二十年かけた官僚の道を五倍で駆け上ったんですよ。これは結構な記録のはずです」
最速と胸を張りたかったが、私の記録はおそらく二位なのである。一位は帝国二代皇帝の時代に彗星のように現れた名宰相ビスコッティ・クッキーである。帝国でも有数の商人であったビスコッティは金に物を言わせて官僚の地位を購入。一年で八階級特進をはたして一等書記官になった直後に宰相に就任した。
彼は王国時代の古い官僚制度を廃して大陸全土を統一した大帝国にふさわしい官僚制度を構築した。彼を越える宰相は
「昇進おめでとう。君は確かに有能な官吏だよ。君が入庁した際、私はずいぶんと困ったものだよ。相当、鼻っ柱の高い新人が入ってくる。そう皆が噂をするから私は君にどうやって接すればいいか頭を悩ませたよ。それがもう一等書記官とは……」
「それ、褒めてます? 悩んだという割には任官早々に
宰相はそうだね、と頭を掻いた。
その表情はあまりパッとしない。
「宰相。先ほどの命令を本気でお受けになったのですか?」
私は質問をしながらも彼がどのような答えを発するかは知っていた。
「受けるよ。成功すれば民が救われる」
予想通りの回答に私は少しだけ顔が熱くなる。
「そうですか……。勇者になるのですね」
私たちは帝都を救い。皇帝に面会した。その際に皇帝は宰相に命令したのだ。
「勇者の如き活躍をしめしたそなたを勇者と認め。魔王討伐を命じる」
歴代勇者の登場は神託とともにあった。だが、まだそのような神託はどこの神殿からも報告されていない。だから皇帝が宰相を勇者と認めてもそれは、皇帝公認勇者であってこれまで魔王を打倒してきた神公認勇者と同じではない。
だが、八文字髭を伸ばした皇帝は続けた。
「魔王の復活からもうすぐ三年になるが、いまだに神託がない。これは魔王を倒すのに神の力が不要と神が判断したからではないか?。現にそなたは魔王軍四天王を三人まで打ち負かしてきた。これは勇者が果たしてきた行いそのものだ。神の加護がなくとも人間の力で魔王を討ち滅ぼせる。我ら人はそこまで達した。そういうことではないか」
玉座にふんぞり返った皇帝に私は「四代目勇者の際は神託が下るまで五年かかりました。いま判断するのは早計ではないですか?」と問いかけた。皇帝は私を見つめると低い声で訊ねた。
「それはヴァランタンの家長としての言葉かそれとも二等書記官としての言葉か? ヴァランタンであるならば富も名声も自由だが、帝国の権威は皇帝家にあることを忘れるな。次に二等書記官としてであれば皇帝である世の決定を遅滞なく進めることがその責務であることを忘れるな。そしてなによりもあと二年待って勇者が現れるという保証はない。その間に起こる帝国被害はそのまま民のものだ」
唇を噛み締める。皇帝の言うことはまっとうだろう。だが、私にとって正しくはない。
「しかし、皇帝陛下。元宰相は勇者の如き力はありません。魔王の黒き鎧を打ち破る聖なる光も起こせず。すべてを凍てつかせる魔法に対抗する紅蓮の剣技も使えません。他にも歴代勇者が越えてきた魔王の技をどのようにしのぐのですか?」
「それよ。歴代七代の勇者たちの活躍によって魔王の使う技や魔法を我々は知っている。そして、それらに対抗する術も伝わっている。だとすれば、勇者と同じ力を宿す武器や防具、道具を駆使すれば魔王を倒せるはずである。帝国の全土からそれらを集めて魔王と対峙せよ。」
理屈はわかる。可能性もある。だが、私はそれがとても正しいとは思えなかった。
「私が魔王を倒せれば民の被害は減る、というのならお受けいたします。」
皇帝は私を見ると少しだけ微笑んだ。それはどこまでも下卑ていてある女性が言った優雅さとは全く縁が無いという言葉をそのまま表したような表情であった。だが、同時に彼は優秀な統治者であることも示している。神という不確かなものを待つよりも自ら道を模索する。腹立たしいが現皇帝はそういう人物である。
「よし、ならばそなたは今日より勇者である。属州ダックワースから船にて極東の魔王城へ迎え。その間に東部戦線全域を押し上げて敵を陽動する。そのために必要な人員や物資を管理するために二等書記官アンナ・ド・ヴァランタンを第一書記官に昇進させ専任とする」
皇帝の作戦は王道だ。敵主力とこちらの主力を正面からぶつけ、敵の兵力を一箇所に集める。手薄になった敵本拠地に強力な別働隊を差し向けることで中枢を壊滅させる。軍略の教本のような戦い方である。文句をつけたくてもつけようがない。
思い出すだけでも腹が立つ。
「私が勇者とは分からないものだね」
乾いた様子で笑う宰相からは怯えも戸惑いも見て取ることはできなかった。
「そうですね。ついでに言えば生死もわからなくなりますね」
「縁起でもないことを言わないでよ」
「でも、魔王を倒すなんてできると思ってるんですか?」
率直な質問に宰相は首を左右に振った。
「でも、やるべきだよ。勇者が登場するまで待ち続ければ民にさらなる被害が出るのは確実だ。それを止めることができるかも知れない方法がある。それを自分の命が大事だとしてしないのは正しいことじゃない」
「あーあ、もう勝手にしてください。宰相はそういう人でした」
私が大きな声で呆れかえると宰相は少しだけ微笑んだ。
「そうです。宰相、もう最後ですから少しだけ公私混同したお話をしましょう」
「君はなんだかんだ言っても混同してたと思うけど?」
宰相は反論する。私は自分の胸に手を当てて思い返してみる。宰相が追放となったとき。宰相が四天王と戦ったとき。宰相が帝都を救ったとき。他のいろいろな場面を思い返すが私が公私混同した記憶はない。
「ないですね。私のような完璧な官吏はいません」
「そこまで言い切れるのはすごいよ。私には真似できない」
負けたとばかりに宰相は両手をあげた。
私はいろいろ話したいことがあったが、何から話そうかと悩んだあとあることを思い出した。
「では、まず州都サンドラで言いかけたことを話しましょうか?」
「……あー、あのずっといえなかったことってやつか」
「ええ、そうです」
あのときはお互いに死ぬ危機であったが今回は宰相だけの危機である。一度離れればもう言える機会はないだろう。
「いいけど、心臓に悪そうでやだな」
「別にいいじゃないですか? いま心臓が止まっても魔王の前で止まってもそんなに変わりませんよ。それにいい話かも知れないじゃないですか? 聞いて良かった嬉しいな。もう後悔なく天国に行ける的な」
「何にしても死ぬの前提やめようよ」
宰相からの承諾が出たので私は少しだけ姿勢を正すと真っ直ぐに彼を見つめた。もうすぐ四十八歳になるどこにでもいそうな中年男性がいた。とても世界を救う勇者には見ない冴えない人だ。
「私……宰相のことが
言い終えると勇者には見えない人がもっと勇者に見えないような表情でこちらを見ていた。
「そもそも任官すぐに公私混同するなとか言う人が好きなわけないじゃないですか? ついでにいえば宰相が追放されるように貴族を動かしたのも私です。私は宰相が最初の属州ダックワースの時点で失敗することを望んでいたんですよ。それなのに宰相はうまく属州を奪還して。そのあともうまくやって。本当にこっちの思い通りになってくれませんでしたね」
「どうしてそんなことを?」
どうして? それをこの人が聞くのか、と私は不愉快に気持ちになった。
「宰相には仕事を辞めてもらいたかったのです」
「君が出世するために私が邪魔だったとか?」
「いえ、私は何をしても出世します。大貴族で美人で頭が良いのですから当たり前です」
私の出世なんて関係ない。私はただ構って欲しかったのだ。
どうしてそんなことひとつこの人はわからないのだろうか?
「昔、私にはお父様がいました。お父様は宰相と同じ官僚でした。国民を愛して、彼らのためになることをしよう。そんな志のある人でした。でも、お父様はずっと民のために働いてばかり。私とお母様はずっと放ったらかし。お母様はそんなお父様に怒って離婚してしまいました。それでも私はずっと気になっていました。家族を捨ててまで人々のために働く、というのはどういう気持ちなのか。お父様の守りたいと言っていた民の中に私とお母様はいたのか。だから、私は官僚になりました。
着任した私にお父様は言いました」
『貴族であろうが平民であろうが官吏となったからには公・私・に・拘・ら・ず・、国民のために職務を遂行せねばならない』
久しぶりに会った娘に「大きくなったな」でも「君がこの道に入ってくれて嬉しい」でもなく宰相はいったのだ。このとき私は思った。この人は『民のため』という呪いにかかっている。その呪いを解かない限りこの人は私のこともお母様のことも見てはくれない。
だから、私は決めたのだ。
宰相は追放されてすべての役職を失うほどの失敗をしてもらう。そうすれば宰相はお父様に戻ってくれる。
「アンナ……私は身勝手な人間だ。多くの民のために私には出来ることがある。出来るのにやらないのは悪いことだ。そう考えて君たちを犠牲にした。私が愛した人なら私の子供ならいつかは分かってくれるだろうと君たちに甘えたんだ」
「なら、もういいじゃないですか。お父様に戻ってください。勇者になんてならなくてもいい。皇帝がそれを許さないなら私が殺して簒奪します。私が皇帝になって命令します。お父様に戻ってください、と」
私が手を差し伸べると宰相は首を左右に振った。
それはやはり拒絶だった。ずっとそうなのだ。彼は私が望むことを何一つ叶えてくれない。
「それはできないんだ。私は君に皇帝になってほしくはないし、そのために誰かを殺して欲しくない」
「宰相は民のために魔王を倒すというのに。あなたのために私が皇帝を倒すのはダメだという。それはわがままです」
「そうだね。私はわがままなんだ。自分の気持ちを家族に押し付けて家族の気持ちを拒絶する。だから、すまない」
ただのうだつのあがらない中年がいる。彼はいまにも泣きそうな顔で謝った。
彼の口から出た言葉はどこまでも残酷で、身勝手な家族愛だった。同時に私の身勝手な家族愛が砕く言葉だった。すまない。そんな言葉を聞きたいわけじゃないのだ。違う言葉を聞きたかった。泣きそうなのは彼だった。なのに私の瞳に映る彼の姿はもう歪んでいる。
泣いているのは私だ。
彼は私の頭を二度撫でるとゆっくりと去っていった。ずっと昔は我慢できたはずだった。お父様がいないことを我慢できたはずだった。でも、大人になったいま我慢できない。涙が溢れる。言葉がもれ出す。
「お父様に戻ってください」
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