第十六話 宰相は帝都を救います

「このような辱めに俺は耐えられない。殺してくれ!」


 近衛団長が嘆くと彼を捕らえている煉獄の大将軍ロスキーリャは、楽しげに口元を緩めた。それは捕虜が有効であることを確信した喜びなのか、他人の命の生殺与奪を手中にしているという愉悦なのか。私――二等書記官にとうしょきかんアンナ・ド・ヴァランタンにはどちらかは理解できない。


 だが、分かることが一つだけある。


 先程まで帝国優勢に動いていた戦場は、打って変わったような静けさに包まれ多くの者の手が止まっている、ということである。武器自慢をしながら武勇を競っていたベイクド子爵とポタージュ男爵の二人もどうしたらいいのかと問いたげな目を私と宰相に向けている。


「彼を離しなさい。君たちは完全に包囲されている。これ以上の抵抗は無意味だ」


 宰相は優しい声でロスキーリャに話しかける。その声にロスキーリャは人質である近衛団長の頭を強引に掴みあげると首元に剣を押し当てた。わずかに触れた刃が団長の薄皮を裂いた。滲み出す血が赤い線を引く。


「無意味? 違うなあとひと押しなのだよ。ここまで我らの侵攻を止めていたこの男も捕えた。お前たちも強いだろうがこいつほどではない。たとえ包囲されていようと、消耗戦になろうと最後に残るのは我らだ」


 ロスキーリャの言うことは正しい。近衛団長が盾になっている限り宰相たちは全力で攻撃を仕掛けることはできない。反対に相手はこちらに遠慮することはない。消極的な攻勢になれば私たちには勝利はない。唯一、活路があるとすれば人質何ぞ知らぬと開き直って攻撃を仕掛けることであるが、あの宰相がそれを認めるとは思えない。


 横目で宰相の表情を覗き見る。


 宰相は無表情を保っていたが、打つ手が無いようであった。私は近衛団長を見捨てられないであろう宰相に代わって命令を口にしようと大きく息を吸った。そのときだった。帝宮側の敵が大きく揺れた。大型の戦鬼が膝から崩れ落ちると数十人の近衛が駆けてきた。その最前列にいた女騎士はロスキーリャに捕まった近衛団長を見つけると「団長!」と叫んだ。


「副団長か。この有様だ。俺に構わずに魔王軍を倒せ」

「……そんなっ! 団長」


 副団長と呼ばれた女騎士が口元を手で押さえるとエメラルド色の瞳を悔しげに伏せる。


「おっと近衛団長殿は勝手に口を開かないでいただきましょうか。近衛の諸君は彼の命が惜しければ道を開けるがいい」


 ロスキーリャは巨大で骨ばった手で近衛団長を地面に押し付けた。くぐもった叫びが兵士たちの動きを鈍くさせる。


「なんて卑劣な!」

「何とでも言うがいい。この男には散々に苦しめられた。そのお礼にその身体、その魂までも役にたってもらう」


 口を歪めて笑うロスキーリャを女騎士は睨みつけると少しだけ悩んだ表情で口を開いた。


「ま、まさか。団長を陵辱しようというのか!?」

「えっ?」


 唖然とするロスキーリャと近衛団長を尻目に女騎士はさらに口をせわしなく動かす。


「散々、我らを手こずらせてくれたな。お礼に貴様の身体。いや、魂にまで我を刻み込んでやろう。と言って無理やり団長を手込めにするつもりだな。私にはお前の魂胆などお見通しだ!」

「……いや、彼は人質であって」


 ロスキーリャは目の前で展開されたとんでも理論にやや引いた表情で答えるが、彼女は止まらない。


「人質はだいたい拷問と称して卑猥なことをされるのだろう。先日も部下の一人が『虜囚姫騎士――堕ちた聖戦』という書物を持ち込んでいたので参考に読んだが、姫騎士と呼ばれる将軍が敵の将軍にけしからん行いをされていた。貴様も団長を捕らえたからにはそういうことをしようというのだろう!」


 女騎士はそう断言すると部下の一人に目を向け「アンソニー。お前の資料ではそうなっていたな」と声をかけた。アンソニーと呼ばれた近衛兵は顔を真っ赤にして「やめてください!」と叫んだ。


「・・・・・・煉獄の大将軍と呼ばれる我がそのようなことするものか! ましてや男色なぞ!」

「ふん、そんな言葉信じられるか! ソニア!」


 いきなり名前を呼ばれた女兵士はひどく焦った声で「はい!」と答えた。すでにその表情は真っ青であり見ているこちらが辛いくらいだった。


「な、なんですか。副団長」

「お前が前に持っていた『暗黒将軍モロゾフ×聖騎士ゴディバ』では捕虜となった聖騎士が敵の将軍とねんごろになっていたな。あのときはそんな関係ありえないと思っていたが、すまない。事実だったようだ」


 女騎士が頭を下げるとソニアは「いえ、理解していただけて嬉しいです」と感情が一つも感じられない平坦な様子で応じた。


「うちの近衛騎士団、大丈夫?」


 様子を見ていた宰相が私に尋ねる。


 近衛騎士団は閉鎖的な組織であるとともに帝宮の警備という特殊な任務からほぼ人事異動がない。そうなると特殊な嗜好が蔓延しやすい環境とも言えないことはない。


「この戦いが終わったら近衛の見直ししましょうか」

「そうだね。それがいいだろうね」


 私たちが近衛騎士団の綱紀粛正を胸に誓ったとき、理不尽な趣味を押し付けられたロスキーリャは激怒していた。当然である。とんでもない風評被害が巻き起こされているのである。


「貴様、ふざけているのか! こちらは近衛団長を殺してもいいんだぞ」

「おまえを殺す。そう言って団長の貞操を奪おうというわけか! どこまでも卑劣な。だが、団長は不名誉を恐れる方だ。貞操を奪われるくらいなら死ぬ方を選ばれるはずだ!」


 そう言うと女騎士は手を真っ直ぐに上にかざした。


「……団長。私はあなたの部下として多くのことを教えてもらいました」

「副団長……。まさか」


 慌てた様子で副団長の言葉を遮ろうとした近衛団長であったが頭を地面に押し付けられたままではどうすることもできなかった。


「何をするつもりだ。人質がいるのだぞ」

「団長。今日までありがとうございました。団長。私たちはあなたの死を乗り越えて強く生き残ります。弓を構えろ!」


 女騎士が号令をかけると帝宮に展開していたすべての弓兵が一糸乱れぬ動きで矢をつがえる。


「馬鹿な!」

「皆、団長の貞操を守れ!」


 勢いよく腕が振り下ろされると何百という矢が飛び出す。弧を描いた矢が近衛団長のもとに突き刺さる。無数の矢が彼の身体を貫く寸前で助けたのはロスキーリャだった。彼は矢じりよりも硬い自らの腕と体で近衛団長を庇っていた。


「大丈夫か」

「大丈夫だ。でもどうして俺を」


 近衛団長が不思議そうな表情で尋ねるとロスキーリャは静かに言った。


「人質が死んでは困るのだ」


 彼はあたりに散らばった矢を足で強引に散らすと副団長を睨みつけた。


「第二射構え!」

「貴様! それでも人の子か!」

「黙れこの好色将軍め! 団長の貞操奪いたいがために矢をも防ぎ庇うとは! どこまでも汚らわしい奴」


 完全に正気を失った瞳で彼女が叫ぶと周囲の兵士たちも「団長を守れ!」と叫びだす。その中には半ばヤケをおこした様子で叫ぶソニアの姿があった。


 「団長を守れ」と言いながらも矢を射掛ける異常な光景がそこにはあった。またそれを魔王軍が庇い。近衛団長を討つために近衛兵が狂気じみた執念で矢を放つ。戦鬼や魔法人形はそれらを防ぎながら帝宮側に攻めかかるが、副団長の指揮する近衛たちは巧みに弓兵と騎士を繰り出して魔物を一匹また一匹と沈めてゆく。そこに華やかさはないだが、堅実で堅固な用兵であった。


「宰相。どうします? 私たちどっちの味方をします?」

「どっちって……近衛?」

「でもそうしたら近衛団長が死ぬ……ということですけど?」

「かといってさすがに魔王軍の味方はできないよ」


 私たちが決めあぐねていると守りながら戦っている魔王軍の動きがどんどんと悪くなっていた。女騎士の指揮している近衛は団長を殺すその一点に意識が統一され兵士たちが今何をするべきかを完璧に理解していた。反対に魔王軍は前方の近衛からの攻撃を受けつつ、人質である団長を守り、特に動きを見せない私たちにも備えるという多くのものごとに意識を向けなければいけなかった。


「なぜだ! どうしてこうなった?」


 自問自答するように吐き捨てるロスキーリャに守られていた近衛団長が言う。


「俺を放せ、ロスキーリャ。あいつらの狙いは俺だ」

「だが、お前は人質だ。それをおめおめと殺されるなぞ、大将軍と言われた我が認められるはずもない!」


 波状的に射掛けられる矢を弾きながらロスキーリャは叫ぶ。彼には彼の矜持があるようだがこの状況ではそれもどれほども持ちそうもない。宰相はその様子を見て「私たちも行こうか」と微笑んだ。


 私たちが前進を始めるといよいよ包囲が狭まり、魔王軍は押しつぶされそうになった。


「師団長。完璧に包囲すると敵が破れかぶれになるかもしれないから東側に少し緩みを持たせよう」

「えっ、よろしいのですか?」


 命令を受けた師団長が驚きを示すと宰相は人が悪そうに「まぁ、逃げる魔王軍が市民が襲われないように追撃は必要になるだろうけど」と付け加えた。そうやって私たちが進むと徐々に魔王軍が東へとバラバラと崩れだした。ロスキーリャはそれを必死に食い止めようとしているようだったが猛烈な近衛の攻撃に糸口をつかめずにいるようだった。


「その人質。私が預かるよ。すくなくとも近衛団長の身柄をこちらが押さえれば近衛兵もそうそう手を出せないはずだけど、どうかな?」


 魔王軍と肉薄する距離まで軍をつめると宰相はロスキーリャに向かって言った。

「貴様は誰だ?」


 ロスキーリャがこちらを疑うように訊ねる。


「私は元帝国宰相だよ。いまは帝都の危機のためにここにいる二等書記官と一緒に救援に来た。一応、近衛とは全く違う部隊だ」


 元帝国宰相という言葉にロスキーリャは少し驚きを見せてから宰相と私を品定めするように見比べた。


「四天王のうち三人までがお前に負けるか……。だが、一度の敗北は次の勝利で挽回するとしよう」

「では、近衛団長の身柄をこちらへ」


 ロスキーリャは近衛団長を私たちに渡すと東側に軍を転進させた。近衛団長はなにか言いたげにしていたが、最後までそれを口にすることはなかった。魔王軍を先行させてしんがりについたロスキーリャは最後に宰相に声をかけた。


「追撃の部隊に言っておくが良い。我が軍は窮鼠である。攻めるのであれば決死の覚悟でこい、と」

「このまま降伏する、という考えは?」

「お前たちが逆であれば降伏すまい。そういうことだ」


 ロスキーリャはそう言うと大幅に数を減らした魔王軍を引き連れて帝都を去った。


 魔王軍が撤退し終えると近衛が帝宮から吹き出してきた。彼らは目を血走らせて私たちの師団の前で槍と弓を構えた。それはいつでも戦闘を始められると言わんばかりであった。


「団長!」


 近衛の中央から女騎士が現れた。緑色の瞳に長い金髪。その姿が鎧ではなく祝典用の長衣であればまちがいなく良家の子女に見えるだろうが、いまの彼女は魔物の血にまみれ、その瞳は狂気に染まりきっている。悪鬼のような姿である。


「君たちの団長は無事だ」


 宰相が言うと近衛兵から弾けるような歓声が上がる。女騎士はその声を聞いて高らかに勝どきを上げる。


「我らは団長の貞操を守ったぞ!」


 その勝どきの背後でアンソニーとソニアのふたりの兵士が死にそうな表情をしていた。そして、救い出されたはずの近衛団長がどこか遠いところを見つめていた。私と宰相は近衛改革の必要性を切に感じながらも解放された帝宮へと入っていった。

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