第十五話 宰相は近衛兵を助けます

 魔王軍に占拠されていた清貧の塔から帝宮を眺めると白銀の鎧に身を包んだ近衛たちが魔王軍に一撃離脱の攻撃を仕掛けているのが見えた。その中に妙に気合充分な騎士がいた。彼は大きな声で剣を振り上げて敵を撃ち倒すとさらに敵を求めて敵陣へと突き進もうとしては周りの近衛たちに肩首を掴まれて後ろへ引きずり戻されている。


 敵である魔王軍はその乱れを突いて攻撃を仕掛けるが、そのたびに後方で弓兵たちが矢を集中して押し返している。弓兵を指揮している女騎士は近衛に連れ戻された騎士を脚甲で蹴りつけると何かを叫んでいる。どうやら騎士の猪突をたしなめているらしいが騎士の方はあまり堪えた様子はない。


 私――二等書記官にとうしょきかんアンナ・ド・ヴァランタンは女騎士を不憫に思いながら塔の上から帝国旗を掲げて合図を送った。帝宮の楼閣のうえにいたいく人かの近衛たちがこちらに気づいたらしく女騎士と騎士が慌てて楼閣に登ると近衛騎士団の団旗を振った。


 これで援軍の存在を伝えることができた、と思ったときだった。騎士が何かを叫ぶと近衛たちが大きく気勢をあげた。そして、楼閣の上から騎士が飛び降りると彼らは隊列を一気に組み上げるとそのまま魔王軍へと突っ込んだ。その様子を見ていた女騎士はなにか呪いのような言葉を吐き捨てながら楼閣の一部を蹴り壊しながら弓兵たちを呼び集めた。


「宰相! 近衛騎士団が敵に突っ込みました」

「は? どうして? あっちはこっちと合わせるだけでいいんだよ」


 私の報告を受けると宰相はすっとんきょうな声をあげて階下の窓から帝宮を見つめた。その表情は驚きから困惑へと変わり、最後には緊迫へとおさまった。


「中隊長。ルシエンテ。すぐに攻勢を仕掛けるよ。なぜか近衛が全力で攻撃に転じた。彼らが力尽きる前に助けないと間に合わなくなる」


 中隊長は床板が外れるのではないか、と思うほど激しい足取りで塔を駆け下り、ルシエンテは窓から近衛の戦闘を眺めてからこいつは面白いというように微笑んだ。私たちが数名の伝令兵を塔に残して師団に合流すると師団長が何とも言えない表情でこちらを待っていた。


「えー、宰相がおられない間にベイクド子爵、ポタージュ男爵の軍勢が合流いたしました」


 師団長の後ろにいた二人の貴族は宰相を見つけると泣き叫ぶように言った。


「頼む! 宰相の旗下に入れてくれ」

「はやく魔王軍を蹴散らそうではないか! 一刻も早く」


 彼らは皇帝陛下を救うことを熱望しているというよりもなにか別のものに怯え切ったような様子であった。


「ええ、構いませんよ。民のため。皇帝陛下のため行きましょう」


 宰相が合流を認めるとふたりの貴族は「よし! ならヴァランタンの悪魔に我らが立派に戦っていると伝えてくれ」と火が吹くように叫んだ。どうやら彼らは家に閉じこもってヴァランタンに略奪されるよりも戦うことに活路を見出したらしい。


 彼らが宰相の袖を引っ張っていたので私は「はやくこちらも攻撃にでましょう」とふたりの間に割って入った。二人の貴族は私の顔を見ると顔をこわばらせてからゆっくりと視線だけをずらして強引に笑顔を作った。


「これはこれは、お元気ですかな。いやー実に今日はいい天気だなぁ」

「この天気なら帝宮を救うのも簡単そうですなぁ」


 彼らは凍りつきそうな笑い声を引き釣りながら兵士たちの中に隠れていった。


「この戦いが終わったらあの二人には帝宮の修理を命じましょう。私費で!」

「だからそういう公私混同をやめなさいっていってるじゃないか」


 宰相は頭に手を当ててしかめっ面をつくった。


「いい薬ですよ。ケツを蹴りあげられないと市民どころか皇帝陛下すら救おうとしないのですから」

「でもね。誰もが勇敢ではいられないし。命の危険があるならなおさらだよ」


 そうかもしれないが納得はいかない。不承不承だったのがバレたのか宰相は私の眉間を指さして「シワが寄っているよ」と微笑んだ。私が悩むことが嬉しいのかと少し腹が立った。


「ああ、もういいですけどね! 近衛が崩れる前にこっちも一撃加えてやりましょう!」


 苛立ちを魔王軍に転嫁して吐き出すと少しだけすっとしたが、帝宮の正面に集まっている魔物の数を見て私はうんざりした。魔法じかけの甲冑人形や重々しい棍棒を担いだ戦鬼がこちらの襲来を待ち構えている。彼らは帝宮側と市街側の両面から攻められているにも関わらず余裕のある様子だった。


「宰相。ここはベイクド家とポタージュ家が一番槍を努めます」

「いかにも。ポタージュ家に伝わる裂弓クルトンによってズタズタにしてやります。そもそもこの弓は我が先祖が第四代勇者と共に悪風竜ミネストローネと戦った際に風の精霊から得たものといわれておりまして」

「なんの! ベイクド家に伝わるこの槍! 地穿槍クンピルも第七代勇者の時代に地鋼獣チャイブの硬い身体を貫いた名槍中の名槍でときの勇者もこの槍を欲したと伝わるほどです。この槍を持って我が一族は数々の」


 どこから沸いたのか戻ってきた二人の貴族は伝来の武器を誇りだしたが、あまりに話が長そうなので私は露骨に嫌な顔で二人を睨んでいった。


「はやく行ってください」


 私はじっとこちらに武器を構えたまま戦列を揃えた魔物の群れを指さす。二人の貴族はまだ何か武器について語りたそうな顔をしていたので私は、少しだけ優しい表情と愛らしい声でもう一度だけ「はやく行け」とささやいた。


「……はい」

「ベイクド君、行こうか……」


 二人の貴族は少しだけ肩を落としながら低い声で兵士たちに声をかける。兵士たちはそれぞれの武器を構えると鬨の声を上げた。それは怯えそうになる自分たちを奮い立たせるようで宰相の言葉を思い起こさせたが私はそれを意図的に考えることをやめた。


 ベイクド子爵の兵士は手槍に小型の盾を構えて最前列に横隊を組み、ポタージュ家の兵士たちはベイクドの兵士たちの後ろで弓をつがえた。それらの中央で男爵と子爵が自慢の武器を構えた。それらを見ていた戦鬼たちがその太くたくましい腕で岩を掴むと前列にいるベイクドの兵に向かって投げた。


 人の頭ほどある岩が降り注ぐと兵士たちの一部で悲鳴と怒号が響く。同時にポタージュの兵士が一斉に矢を放つ。放物線を描いたいくつもの矢が戦鬼に突き刺さるが、彼らはあまり痛覚を感じないのか平然とした様子で岩を再び投げるもの、棍棒を手に突進を始めるもの、と一気に戦端がひらいた。


 そのなかポタージュ男爵が弓を放つと激しい風が巻き起こる。矢の周辺では無数の刃が飛び去ったかのようにズタズタに切り裂かれた魔物が倒れ、周辺では激しい風になぎ倒されるものが多くいた。ポタージュ男爵まわりで歓声が上がる。それに呼応するようにベイクド子爵が槍を構えて突撃を開始する。ベイクド子爵が槍を地面に突き立てると鈍い揺れとともに敵陣に土や岩が無数の槍先のように噴出する。土や岩に足を取られた甲冑人形がふらつくと、そこに鋭い槍が奔る。紙屑のように貫かれた甲冑人形が地面に転がるとベイクドの兵士たちが子爵に続けとばかりに穂先をそろえて突き進んだ。


 だが、それでも魔王軍の軍列は大きな乱れを見せずに耐えている。


 彼らの背後では近衛軍団も攻勢に出ているはずだが、そちらも大きな変化は見えない。


「騎兵を右翼に繰り出して状況をみましょうか?」


 師団長がしびれを切らしたかのような渋い顔で宰相に提案した。


「いや、まだ大きな乱れもないし。騎兵が突撃するにはまだ早いんじゃないかな」

「そうは言われますが、このまま消耗戦というわけにも行きますまい」


 伝説的な武器を投入して一進一退というこの状態は、私たちのほうが不利といって言いに違いない。魔物は人よりもはるかに頑強なのだ。時間が経てばどうしても脆い人のほうが弱い。


「では、俺がいこう。傭兵として最初の仕事だ」


 雑兵と変わらない鉄の剣を持ったルシエンテが自信げに言うと師団長は信用できない、とばかりに露骨に嫌悪感を示したが宰相は買い物にでも送り出すような軽さで応じた。


「ルシエンテ君頼むよ。左右のどちらかに騎兵が突撃できるような隙を作り出して欲しい」


 ルシエンテは「騎兵が来る前に倒しきっても構わないだろう」と不敵に微笑んだ。師団長は何やら言葉をはさもうとしていたが、それよりも早くルシエンテは戦場へと駆け出していった。


「うまくいきますかね?」


 今の彼は魔王軍四天王であった暗黒魔剣士ではない。武器は平凡な物でかつて使っていたような魔力による加護もない。正直に言えばかつての強さは彼にはないはずなのである。


「そうだねぇ……。彼はきっと竜殺しルッジェロを倒したときより強いはずだよ」

「あのときより強い? いや、弱いですよ。武器が全く違うんですよ」

「確かに特別な武器はないね。だけど、彼はあのときより上手く戦えるはずさ」


 なにか自信有りげな宰相に私は首をひねらずにはいられなかった。


 だが、敵の左翼に向かっていったルシエンテが瞬時に戦鬼を二体切り伏せると次々に甲冑人形や戦鬼の関節を切り裂いていく。腕や足が動かなくなった敵は戦列の中で上手く戦えず前後の味方同士で連携が悪くなった。小さなほころびが男爵や子爵の攻撃と重なり少しづつ拡大する。魔王軍は傾きかけた左翼を繕うために戦線全体が左へと傾いた。左へと兵が補填された結果、敵の右翼が薄くなった。


「師団長。いまだ。敵右翼を撃とう」


 宰相が鍋が煮えたとでも言うような軽さで口を開く。師団長は宰相と違い重苦しく頷くと旗下の騎兵に右翼への突撃を命じた。二個師団というあまり多いとは言えない兵力であったが、薄くなっていた敵には痛撃となった。崩れかけた右翼に中央から兵が割かれると魔王軍は中央からぱっくりと裂けた。


 満足げに宰相が拳を小さく握り締めたのを見て私はこの戦いに勝つことを確信した。だが、二つに別れた敵軍の中央から予想外なものが現れた。白銀の甲冑に身をまとった若い騎士が真っ黒な甲冑をまとった魔物に掴まれていた。騎士の喉元には毒々しい形状をした剣がぴったりと押し当てられており、いつでも騎士を殺せることを見せつけるようであった。


「我が名は煉獄の大将軍ロスキーリャ。よくぞ我が軍をここまで追い詰めた。だが、貴様らが来るまで帝宮を守り続けていた近衛団長は我が虜囚となった。彼の命が惜しければ兵をおさめよ」


 私はあの騎士に見覚えがあった。塔の上から見た突撃を繰り返し味方の兵士に連れ戻されていた猪のような騎士だ。彼が近衛団長だったとは知らなかった。ロスキャーリャの獣めいた腕に掴まれた騎士はとぎれとぎれの息で言う。


「くっ、殺せ」

「殺さぬよ。近衛団長殿。貴公は大切な捕虜なのだからな」


 ロスキーリャはニヤニヤと汚い笑みを浮かべて掴んだ近衛団長の襟元を締め上げる。


「ほ、捕虜だと。この誉れある俺が虜囚の屈辱なぞ耐えられるか!」


 近衛団長はロスキーリャの太い腕から逃れようと暴れるがびくりともしない。


「宰相。どうします? 見捨てて全面攻勢でいきますか?」

「見捨てるのはなしだよ」


 私たちが相談していると近衛団長が宰相に気づいたらしく大きな声で叫んだ。


「このような辱めに俺は耐えられない。殺してくれ!」

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