第十三話 宰相は帝都に突入します
私――二等書記官アンナ・ド・ヴァランタンと宰相が属州アーモッドの州都サンドラを出た直後、帝国の各地で魔王軍の侵攻が報告された。二日後、魔王軍が帝都クランペットを急襲した。
帝都クランペットは帝国が大陸に最後まで残った独立国アーモッド王国を征服したあとに築かれた百年程度の歴史しかない若い都市である。都市北側のトライフルの丘と呼ばれる小高い場所に宮殿が建てられ、南部に市民街が広がり、それを囲む形で西部と東部に貴族街が造られている。貴族街の屋敷は東西を貫く大通りに沿って意図的に石造りや多くの尖塔をもっている。これは帝都が外敵に襲われた際は屋敷一つ一つが皇帝を守るための城壁になるように設計されたためだ。
一方で市民街は大きく分けて三十四の区画に分けられている。区画には有事を想定して緊急時は砦として使える神殿や公会堂などが建てられ市民はここに避難することになっている。とはいえ、市民街にいる人々の数は膨大である。すべてが逃げ込めず、一部は貴族街にはいることになるだろう。
「東部戦線はよく兵力を貸してくれました。これも日々の善行のおかげですね」
帝都に向かう途中で東部戦線の騎兵二師団を徴発したのである。東部戦線の指揮官は私たちが広域防御魔法を教授した過去や優先的に勇者候補生を戦線に投入していたことを覚えていてとても気持ちよく兵力を貸してくれた。
「善行? 脅迫だったよね? 帝国魔導研究所のフェーブとフォン・ダン・ショコラ様がなだめてくれたから良かったけどあのままだとフラップジャック将軍が激怒して決闘を挑んでくるところだよ」
「えっ? そうでしたか? フラップジャック将軍は私の深い帝国への忠誠心に感じ入って、滾る熱い気持ちで顔を真っ赤にして兵士を貸してくれたのだとばかり思っていました」
東部戦線の維持は重要であるが、帝都が陥落してしまっては元も子もないのである。それなのにフラップジャック将軍が一師団を貸すのが精一杯である、と言った。それも足の遅い歩兵師団である。これでは間に合うものも間に合わない。
「すくなくともこれまで東部戦線に供給してきた物資や人的資源を出しにして恩着せがましく兵力を借りるのはだめだよ。それに将軍はもうお年なんだからあまり怒らせては本当に頭に血が昇って憤死ということもありえるんだからね」
「でも、私は憤死って見たことないですよ」
怒り狂って死んだことで有名なのは、第二代勇者の仲間であったトフィーである。トフィーは雷光剣バーチ・ディ・ダーマを手に戦い剣聖と人々から讃えられた。彼には永遠の愛を誓いあった恋人がいた。勇者とともに魔王を討ち果たしたトフィーは無事に故郷に戻り恋人と結婚した。だが、そのひと月後に恋人が仲間であった勇者に寝取られていることが発覚しトフィーは雷光剣バーチ・ディ・ダーマを怒りに任せて振り回しながら憤死したという。
このときトフィーによって切り裂かれた岩山が寝取られ岩として帝国北部の寒村マルゲリータの観光名所となっている。
「いや、私もないけど……。老人を怒らせるのはよくない」
「そんなもんですかね」
「そんなもんだよ。それはそうとそろそろ斥候が戻ってきてもいいと思うんだけどね」
私たちの師団はいま帝都まであとひと山という位置まで来ている。いまのところ魔王軍には接敵していないものの帝都から逃げ出した人々や魔王軍の襲来を耳にした周辺住民が逃げてくる姿を確認している。数名に話を聞いたが帝都での戦況は分からない。だが、皇帝陛下が討たれたという報せもなく斥候を放っているのである。
「帝都についたらどうします? まず元奥様の屋敷にでも行きますか?」
私が訊ねると宰相は何とも言えない表情で視線を外した。
「いや、まずは民だよ。そして、皇帝陛下だ。帝宮がまだおちていなければ市民街から敵を北部へ押し出して、帝宮を守る近衛と挟み撃ちにしよう。貴族たちがこれに呼応してくれれば理想的な包囲殲滅ができるはずだ」
宰相は淀みなく言ったが、私は少しだけ不愉快だった。
「もし、帝宮が陥落して皇帝が死んでいればどうしますか?」
「……そのときはできる限りの民を救ってから古都イートンメスに戻って残っている皇族から新たな皇帝陛下をたてるしかない」
「元奥様たちはいいのですか?」
意地悪な質問だと思う。だけど私は問わずにはいられなかった。
「公私は分けなければならないんだ。もし、私が家族を優先すればそれはもう役人とは言えないだろう」
「貴族であろうが平民であろうが官吏となったからには公私に拘らず、国民のために職務を遂行せねばならない、というやつですか。分かりました。宰相がそういうのでしたら今回は何も言いません」
私が言うと宰相は少しだけ間をあけて「彼女なら大丈夫さ」と小さく言った。それが宰相の願望なのか、甘えなのかは分からない。だけど、宰相はやはり宰相なのである。そんなことを考えると三騎の騎兵が戻ってきた。
彼らは息を切らしながら口を開いた。
「帝宮に帝国旗あり! 魔物は市民街を中心に帝宮目前までを制圧している模様」
どうやら宮殿は持ちこたえているらしい。
「最悪の事態は避けられるかもしれませんね」
「そうだね。ここまではまだ間に合っている。じゃ、帝都へ行こう」
宰相は偵察を終えた兵士にねぎらいの言葉をかけると乗っていた馬の腹を足で軽く蹴った。馬は主の思い応えてか迷うことなく帝都への道を駆け出した。私たちの師団は一気に山を駆け上がると帝都が眼下に見えた。市街地の建物の多くは倒壊したり、燃えているが所々に石づくりの神殿や庁舎、公会堂が姿を残している。それらの窓や門では市民兵が抵抗している様子も見える。
一方で、貴族街には火の手や破壊の様子は見られない。尖塔などからは立派な鎧を身にまとった兵士が弓を射かけている。だが貴族街から打って出るような雰囲気はない。
「まず市民街に橋頭堡を築いて状況を確認しよう。いこう!」
宰相の声に従った騎兵が一気に帝都へ突き進む。帝都外周に僅かに残っていた魔物がこちらを見つけて襲って来るが、騎兵たちは弓で魔物の手足を射抜いて動きを止めてから、槍や剣で襲いかかった。魔物の群れはあっという間に駆逐されて帝都への道が出来上がった。
市街地に入ると焦げ臭い匂いがした。
帝都を賑わせていた屋台の幌や商店の軒先で炎がちろちろと赤い姿を見せる。
「このまま、第二区、十七区、二十八区を抜けて帝宮の様子を探ろう! 君は十七区の防衛拠点で市民の警護と状況の確認をしてくれるかい?」
宰相が宮殿までの最短距離を指し示す。兵士たちが第二区へと続く目抜き通りに駒を進めたときであった。市民が住む三階建ての建家が爆発するように吹き飛んだ。激しい衝撃と土煙があたりに広がる。一部の兵士が土埃のなかへ矢を射る。風切り音をたてて飛んだ矢はひどく硬いものにぶつかったように弾かれた。
目を凝らせると土煙の向こうに巨大な影が見える。それが動くと地響きのような揺れが生じる。それは徐々に近づき姿を見せた。土くれと岩で作り上げられた巨大な人型。ゴーレムと呼ばれるそれは建物を打ち壊し、人を圧殺する。生き物のように遠吠えも雄叫びも上げないそれはただ破壊する。
「くそ! デカ物が!」
「怖じけるな、突撃!」
「あたりにも警戒しろよ。ほかにもいるかもしれん」
兵士たちはそれぞれ武器を手にゴーレムに接敵するが、巨大な土くれの腕や足にはほぼ効果が見られない。せめて魔法兵でもいればましなのに、と思ってもない袖は振れない。
「宰相! ゴーレム相手では騎兵は不利です」
私が叫ぶと宰相は黙って首を横に振った。
「だめだよ。あんな大きな相手では市民街の防衛拠点では持ちこたえられない。私たちでなんとかしないと」
宰相は騎兵たちにゴーレムの機動力を奪うために脚を狙うように言うが剣や槍ではゴーレムの大きな脚を切断することはできない。さらにゴーレムに手間取っている間にほかの小型の魔物が集まってくる。私たちは帝都の入り口付近まで徐々に押し返された。
「あら、
甘い声に視線を動かすと東から白い馬にのった女性がこちらに近づいてきていた。女性はこれから晩餐会に出るかのような真っ赤なドレスに身を包み。唇には真っ赤な朱がひかれている。これほどまで場違いという人物を私は知らなかった。だが、彼女の手に握られた白銀の槍だけは戦場らしさを持っていた。
「おか、いえ。シルビア様じゃないですか。もう四十代なんですから屋敷にひきこもっておられれば良いのに」
「そんなことできないわ。だってうちの当主がどこぞの誰かさんについて行って帰ってこないものだから貴族の仕事をしないといけないのだもの。それとも木っ端役人ちゃんが代わってくれるのかしら」
シルビアは槍を片手で弄びながら微笑む。
「それは……」
私が言いよどむと彼女はくるりと槍の穂先を私から宰相に向ける。
「全くはっきりしない子ね。お仕事大好きさんはどう思う?」
話を振られた宰相は驚いた顔をしながら苦笑いをする。
「いま、彼女は二等書記官としてここにいるんだ。貴族の義務はあなたにお任せするべきでしょう。公私を混同してはいけない」
真面目くさった言い方をする宰相にシルビアは呆れ返ったという顔で応じると少しだけ楽しそうな声を出した。
「ヴァランタン家の開祖リュミエールは言いました。政治は王に、世界の平和は勇者に、ヴァランタンには栄光と富を」
彼女は言葉とともに槍を振りかぶるとゴーレムに向かって投げた。白銀の槍は魔力を加えられて切っ先から光の塊となって一直線に市街地の石畳や崩れた建物もろとも貫いた。ゴーレムは上半身を完全に失って地面に崩れ落ちた。
「まったく世話のかかる子だわ。誰に似たのかしら?」
シルビアは首をかしげて私のすぐそばにまで馬を寄せると、白い指で私の頬を撫でた。
「目の前にいる方だと思いますけど?」
「そんなことないわ。私はもっと素直で可愛らしかったもの」
「絶対、嘘です。素直で可愛らしい人が『狂焔の美姫』なんて呼ばれません」
「あら、懐かしい。そんなこともあったわねぇ」
私を見つめていた瞳を空に向けると彼女はぱっと私に触れていた手を離した。
「それはそうと、先ほどの槍は?」
「ああ、あれ? あれはねお隣さんの家にあったものよ。まったく貴族だというのに市民を救わずに屋敷で篭城されていたから、屋敷を打ち壊して武器を持ち出したのよ。どういう名槍でも使わないで死蔵するなんて馬鹿な話だわ」
シルビアは心底から面白い話をしているように笑う。私は肩をすかして宰相を見る。宰相は苦笑いのまま私たちを見て「変わらない人だね」と小さく呟いた。私は大きなため息をついたとき、うちの屋敷がある方から多数の兵士たちが駆けつけてきた。彼らの手には妙に凄みのある武器が握られている。
「シルビア様! お一人で先行しすぎです!」
「だってあなたたちが遅いのだもの。戦支度は最短に行うものよ」
「我らもまさかお隣さんの武器庫で戦支度するとは思っておりませんので」
兵士の先頭に立つのはヴァランタン家の家宰である男だった。彼はすぐに私に気づくと「お嬢様もご無事でなによりです」と頭を下げた。私はそれに小さく頷いた
「その方をよろしく頼みました」
「我々でどうにかできる方ではありません」
家宰は困り顔でシルビアと私を眺めた。
「まったく家臣も娘も私を馬鹿にして。なんて私は不幸なのかしら。お仕事大好きさんもそう思うでしょう?」
「君は幸せだよ。こんなときでも君に従ってくれる家臣と心配してくれる娘がいるのだから」
宰相が真面目な顔で言う。
「まぁ随分とお世辞が上手だこと。そのお世辞に免じて市民街はヴァランタンが抑えます。あなたたちは役人らしく皇帝を助けに行きなさい。優雅さとは全く縁が無い方だけど国のためには必要でしょうから」
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