第十二話 宰相は柩で眠ります

「……おお、宰相よ。死んてしまうとは情けない」


 小さく呟いて黒い衣に袖を通す。


 昔、母が言っていた喪服が黒いのは涙を拭っても目立たないからだと。それは葬儀の場だけは泣くことを許されているということだ。どれほど偉い者も大切な者を失ったときは泣くのだ。逆に言えば涙を流すのは葬儀の間だけでそれが終わればどれほどの悲しみが、果てしない喪失感をも見せてはならないということなのだろう。


 私――二等書記官アンナ・ド・ヴァランタンは不眠気味の目尻を指でこすると部屋をあとにした。


 すでに神殿では神官や役人たちの手によって葬儀のための壇と柩が用意されている。あのなかに私の上司であった宰相が眠っている。私は壇前で片膝をついて手を合わせた。宰相は果たして幸せだったのであろうか。その疑問が祈りの隙間に澱みのように入り込んでくる。


「書記官殿……」


 怯えたような声が背後からかかり、私は手を緩めて振り返ると属州アーモッド総督であるバタール・カンパーニュが大量の汗を流しながら立っていた。


「なにか?」

「この度のことはなんと申し上げればいいか」

「宰相が毒殺されたことは誠に残念なことです。しかし、あなたには宰相の死を悼むよりも先にやるべきことがあるでしょう。はやく犯人と思わしいミケーレを見つけなさい。さもなければあなたの首を胴につけておく必要はないのです。そもそもあなたとコンラッドがミケーレの顔をしっかりと覚えていればこのような面倒事にはならなかったのです」


 バタールは私の美しい顔を怖いものであるかのように目を背けた。


「も、申し訳ありません。どうにもミケーレは認知阻害の魔術を使っていたようでして……」

「そして、私が宰相にミケーレ捜索を命じた日の晩餐に毒が盛られた。それも認知阻害によって料理人たちも覚えていない。便利なものね。なにも覚えていないなんて」


 私は顔を背けたバタールの顔を左手で掴むと強引にこちらを向かせるとその瞳を覗き込む。彼の瞳はうぐいす色でその真ん中にある黒い瞳孔が恐怖からか小刻みに揺れ動く。私は手を離すと彼を後ろへと突き飛ばした。


「きゃ」


 中年男性とは思えない可愛らしい悲鳴をあげて尻餅をついたバタールに私は言う。


「ミケーレは私たちのすぐそばにいるはずなのです。あなたとコンラッドを使って宰相をこの属州におびき寄せ。さらに町を魔物に囲ませて宰相がここから出られないようにした。そして、町が解放されいよいよミケーレを探そうという段になると宰相に毒を盛った。どれもこちらの動きを近くで見張っていなければできないことです」


 床に座り込んだままのバタールを葬儀の準備をしていたコンラッド・タルトタタンが手を止めてバタールを引き起こす。彼の表情にも戸惑いや恐怖が染み付いている。


「どうか。もう少しお時間を! 必ずやミケーレを見つけ出します」


 コンラッドは必死な形相でいったが私には響かない。


「そんな月並みな言葉を言うくらいなら結果で示してください。帝都から戻るまでにミケーレを見つけられなければあなたたち二人はご家族仲良く処刑になります」


 私が帝都に戻る事を告げると二人の反逆中年は少しだけ喜色を見せたが最後の言葉のあたりで蒼白になった。


「……いつごろお戻りになるのですか?」

「そうですね。宰相の死を皇帝陛下にお伝えしたり、元奥様にもお知らせしなければなりませんのでひと月ほどでしょう。一応、あなた方の監視とこの属州の防衛のためマジョリカと勇者候補生のベンを残しておきます」


 マジョリカもベンも帝国の戦力としては一級品である。一時的に私が帝都に戻っても軍事力で属州が失われるということはまずないだろう。


「待ってください! 書記官が戻られるなんてとんでもない!」


 そう言って慌てて駆け寄ってきたのはどこかで見たような官服の青年であった。


「あー、あなたは属州の官吏でしたね。何度かお会いしてますけど。あなたには私に命令する権限はありません。控えなさい」

「しかし、宰相が亡くなられてその上、あなたまでも帝都に帰還されてはこの属州を統治する人間がいなくなります」


 地方官吏は心底から困ったという表情をした。


「この属州の統治? それなら初めから総督であるバタールがいるでしょう」

「そんな! この男は帝国に反旗をしめした男ですよ」


 確かにバタールは帝国からの独立を目論んだ。本来ならば九族族滅の大逆だ。


「そうですね。ですが、前にも言ったとおり属州総督の任命と解任は皇帝陛下の権限です。そして、いまのところバタールの解任と新しい総督が着任していません。ならば、総督はいまもバタールです。それが反逆者であったとしても帝国の規則では間違いなく彼が統治すべきなのです」

「認められません。あんな男に属州を任せるなんて!」


 地方官吏は顔を赤くして怒りを吐き出す。


「そうですか? ここしばらくだけで言えば彼は魔物から町を救うために敵中を走破して援軍を連れてきましたし、バジリスクの臭気を除くために自らの金を使い人々に尽くしました。総督として及第点と言えなくもないでしょう」

「書記官や宰相がいたからでしょう。それにあの金は不法に蓄えられたもののはずです」


 確かにあのお金は綺麗なものではない。

 だが、危急の際に必要なのは金であって、それが汚れていようが綺麗であろうが関係ない。


「っ! そもそも宰相が悪いのです。あのような謀反人を許すから。最初から処断して属州を統治してくれればよかったのに」

「そうすれば、宰相がこの地にとどまってくれる。そう考えたと?」


 私が尋ねると地方官吏ははっとした表情で私を見た。


「違います。自分は宰相やあなたのような大貴族に正しい統治をして欲しいだけです」

「そうでしょうか? あなたはずっと私たちがこの地に留まるように誘導してきたように思えるのです。バタールとコンラッドをそそのかして反乱を起こさせては私たちに密告し、魔物が襲ってくれば市民を煽る。どれも私たちをここに居させることが目的だった」


 有能な敵がいるとき、それを倒すだけが手段ではない。有能な敵をどこかに釘付けして遊兵にしてしまうそれだけでも目的は達せられるのだ。


「な、何を言ってるんですか?」


 地方官吏は疑われていることを察したらしく後ろへとじりじりと下がり、宰相の柩が置かれた壇の方へと向かう。


「あなたにとっての誤算はひとつ。反逆中年たちが皮肉にも活躍して事件は早々に解決してしまったことです。焦ったでしょうね。本来ならもっと攻城戦は長く、バジリスクの処理は時間がかかるはずだったのにあっさりと片付いてしまったのですから」


 追い込まれた地方官吏の周りには先程まで怯えたり、青い顔をしていた反逆中年が間合いを詰めるように集まってきている。官吏はそれらを牽制するように懐から短剣を取り出した。


「……自分はバタールをけしかけたりなどしていません。あなた方は宰相が毒殺されて正気を失っています」

「そうかもしれません。ですが、犯人は必ず見つけねばなりません。毒殺など卑劣な行いを許すわけにはいきません」


 確かに宰相の死は私たちを変えるに違いない。


「ですが、バジリスクの毒などこの町にいたものなら死体処理の合間に簡単に手に入ったはずです」

「宰相を殺した毒がバジリスクのものだとは誰も言ってませんよ。どうして、それをあなたが知っているんです?」

「それは……」

「どうでもいいことですね。だって私はずっとあなたを疑っていたのですから」


 官吏はどういうことだと言いたげな表情でこちらを見る。私は少しだけ可笑しくなって笑った。それが気に障ったのか彼はひどく憎いものを見る目で私を睨みつけた。


「私は人並みには記憶力がいいつもりなんです。だけど、この町に来てから何度もあっているはずなのに名前も顔も曖昧になる人が一人だけいたんです。それがあなたです」

「自分が特徴もないただの凡人だからというわけだからではないですか? 書記官と比べればほとんどの人は何の特徴もない人だと思いますけど」

「いえ、そんなことはありません。私はあなたの働きぶりを見て有能な人物だと感じてはいました。ですが、どうにも記憶に残らない。そう考えたときでる答えは一つです。あなたは人の記憶に残らないように認識阻害の魔法を使っている。それはなぜか。考えるまでもありませんよね」


 認識阻害といっても完全に人の記憶から逃れることはできない。


「普通に過ごしていればバレなかったなんて皮肉ですね」


 その言葉と一緒に一気に彼の印象が濃くなる。かかっていたモヤが晴れたようであった。バタールとコンラッドは「ミケーレ!」と示し合わせたように叫ぶ。


「最初からそうであればわからなかったかもしれません」

「その割には詰が甘かったですね。宰相は死んだ。これは大きな成果だ」

「ええ、そうですね。まったく。宰相よ。死んてしまうとは情けない」


 私が宰相の死を嘆くとミケーレの背後の柩が大きな音を立てて開いた。


「まったくこんな狭い箱の中にいると体が痛くてかなわないよ。中年には酷な場所だよ、棺桶ってやつは」

 柩から現れた宰相はミケーレを背後から蹴り倒した。勢いよく倒れたミケーレは神殿の冷たい大理石の上にうつぶせに倒れた。そこを反逆中年が押さえつける。


「うまくいきましたね。飛び出す間合いも完璧でした。練習した甲斐がありましたね」

「あのさ、『まったく。宰相よ。死んてしまうとは情けない』が合図っていくらなんでもひどくないかね?」


 柩のなかで体が硬くなったのか宰相が腰を叩いて渋い顔をした。


「ええ、自然な台詞まわしでよかったじゃないですか?」

「そうかなぁ」


 首をかしげたまま宰相がミケーレに近づく。


「ミケーレを探す、と声高にふれこめば動いてくれると思っていたよ。おかげで聖水ばかり飲む日々だったよ」

「とんだ狸だよ。あんたは」

「いやいや、発案は全部、彼女だよ。君はずっと目をつけられていたんだ」


 宰相は私を指さすとにやりと笑った。


「さて、教えてもらいましょうか? 私や宰相をここにとどまらせてどこを攻撃するつもりだったのです? 戦力が抜けた東部戦線ですか? それとも貴族領が多い西部ですか?」


 私が質問を投げつけるとミケーレは首を左右に振った。


「違うさ。帝国を倒すならもっと攻めるべき場所があるだろう。帝都だよ。皇帝を殺せば帝国は終る」


 ミケーレの台詞を聞いて私は笑った。彼はなぜ私が笑っているのかわからないようで唖然とした顔をした。


「素晴らしい策です。でも、失敗しますよ。あなたの無罪をかけてもいいほどに」

「バタール。コンラッド。ミケーレを拘束しておいてくれ。私は帝都に戻るよ」


 宰相はそう言うと踵を返した。


「宰相、次の職場の説明をします。帝都を守り、民と皇帝陛下を守ってください」


 私はそう言って宰相の背中を追いかけた。

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