第十一話 宰相は謝罪します
「この度は皆様に多大なご迷惑をお掛け致しましたこと、誠に申し訳ございませんでした」
宰相を真ん中に右に属州アーモッド総督バタール、左に旧アーモッド王国の遺臣コンラッドという反逆中年が脇を固める。三人の中年男性は神妙な面持ちで頭を下げるとひと呼吸ほどの間、ピクリとも動かなかった。私――二等書記官アンナ・ド・ヴァランタンはこれが噂に名高い謝罪会見か、と感慨深く彼らを見つめた。
「まずご迷惑をおかけした皆様に、謝罪をしたいと思います。州都サンドラにお住まいの皆様、州都サンドラ近辺にお住まいの方々、仕事などで州都サンドラにお越しの皆様、非常にご迷惑をおかけしたことを謝罪いたします。本当に申し訳ございませんでした」
宰相たちは政庁に押しかけた市民たちに対して再び頭を下げた。
「今回のバジリスク討伐によって発生しました。悪臭に関しましては現在、除害に必要な聖水を買い集めているのですが、昨今の魔王軍の台頭によって聖水の不法販売。各神殿での聖水の生産能力の限界。という問題があり難航している状態です」
毒を持つ魔物は数あれど毒竜バジリスクは別格である。身体を覆う鱗の間から赤黒い毒の液を吹き出し、蛇の形をした尾には鋭い牙があり、牙の根元からは噛んだ獲物を溶かす毒液が流れ出すのだ。王冠のように立派な鶏冠を身につけた顔には鋭いくちばしがあり、鳴き声とともに噴出される毒霧はひと呼吸で、いかなる強者をも死者へと変える。
この難敵を宰相たちは見事に倒した。
だが、本当の恐怖はここから始まったのである。街の南門近くに倒れたバジリスクは死しても毒液を周囲に振りまき、毒液に汚れた死体からはひどい悪臭が立ち込めたのである。その匂いは日に日に強くなり、いまでは街の中でさえ吐き気をもよおす有様である。
「それは打つ手がないということでしょうか?」
官服を着た男性が質問をする。彼は確か地方官吏だっただろうか。先日の防衛戦の折に何度か見た顔だ。質問の内容も痛いところを突いている。彼ならば帝都の官吏としても通用するかも知れない。
「えー、いえ、バジリスクから溢れ出る匂いは聖水で中和できることはすでに証明されておりますので、打つ手がない、というわけではありません」
「でも、中和に必要な聖水は用意できてもいないし、時期もわからない、というのでは具体案なしといっても良いのではありませんか?」
地方官吏はすこし苛立った様子で三人の中年を睨みつける。
「いま東部最大のシュー・クリーム大神殿には聖水を早急に製造するように依頼をしておりまして、大神官から調理人にいたるまですべての職員で対応にあたっている次第です」
宰相は真面目に回答するが、市民たちは納得しない。地方官吏とは別の青年が前に躍り出ると彼は怒りを隠すことなく口を開いた。
「聖水ならあるだろ。闇市などで聖水が出回っていることは子供だって知っている。あれを買ってすぐにバジリスクにかければいいじゃないか!」
青年は、東門に押しかけたときと同じように顔を真っ赤にして宰相たちに詰め寄った。
彼の言うとおり聖水はなくはない。だが、それらは不法に流通している聖水であり、なかにはただの水が混ぜられていることも少なくない。そもそも聖水は各神殿が巡礼者向けに販売している解毒や魔物よけの道具である。帝国では神殿が大きな財力を持つことを抑えるために聖水の価格を定め、販売も神殿内のみに限っている。
だが、最近では魔王軍の台頭によって聖水を求めるものが増加して神殿外で違法に取引されているものも少なくない。かくいう私も少し前に不法聖水組織を取り締まったばかりである。
「闇取引されている聖水には中身が別のものになっているものがありそれを使うというのはまた別の危険があります。さらに聖水は神殿で販売されることが法で定められており、属州とはいえ帝国が法外で販売されている聖水を買うというのはできないことです」
宰相としても闇市に商品があることは知っているに違いない。だが、公である帝国が法に反してそれらの商品を買うというのは難しい。一つは当たり前だが法に反すること。二つは法を破り不法に利益を得ている人間に益を与える事になるからだ。
もし、勇者が存在して伝説のとおりであれば神から与えられた力でバジリスクを浄化することができるに違いない。だが、今の私たちの前には勇者はいない。
「ふざけるな! 帝国は俺たちの暮らしよりも法律が大切だってか!」
「暮らすって水準の匂いじゃねぇーぞ!」
「俺たちはいま困ってるんだ!」
市民たちは青年の尻馬に乗って好き勝手にわめきたてる。彼らのなかは先日の攻囲戦で帝国軍が救援にきたときに帝国万歳と喝采した者も含まれている。喉元すぎれば熱さを忘れるのは仕方がないことだと思う。だけど、ここまで手のひらを返されては堪らない。
宰相は何かあれば民のためというが本当に彼らを助ける意味はあるのだろうか。
「聖水以外の方法はないのですか? 例えばバジリスクを燃やしてしまうとか?」
地方官吏がもみくちゃになっている市民の列の中から質問をする。
「獄炎帝竜マジョリカの火炎であればあの死体を完全に焼却することは可能です。ただ、死体から出ている毒素が一気に気化してサンドラ一帯は毒で満たされます。いずれ毒は拡散するでしょうが、一部の毒が都市や大地に残留することになります。そのため、我々は焼却を断念しました」
宰相が説明をすると市民たちの中から大きなため息が漏れた。
「……それは……」
地方官吏は絶句に近い様子で黙り込んだ。彼を含めてこの属州の人々はこの土地に深い愛情があるのか不思議なことに移住や転居という言葉は聞こえない。青年が動きを止めた地方官吏の代わりに口を開く。
「結局は聖水を待つしかないってことかよ。ちなみに闇市の聖水をかき集めるのにどれくらいの金がかかるんだ。あんたらのことだからしっかり計算しているんだろ?」
帝国はこの手の計算が好きな国である。だからこそ、どんぶり勘定で国家経営をしてきた周辺諸国を屈服させたのである。計算と武力。それがこの大地を平定させたのだ。唯一の計算外があるとすれば、魔王や勇者という例外的な規格外である。
「最低でも銀貨で九百六十万枚です。これはこの属州の年間予算とほぼ同じです。」
「……九百六十万枚」
青年も具体的な金額を聞いて地方官吏と同じように黙り込んだ。
神殿で販売される聖水が銅貨十枚に対して闇市の聖水は最低でも銀貨十枚である。大まかに銅貨百枚が銀貨一枚であるので、闇市の聖水屋は一本の聖水で銅貨九百九十枚の利益を手にしていることになる。正規の聖水の到着を待てばこの価格は百分の一の九万六千枚で事足りるのである。
「ここはどうでしょう? 臨時税として聖水代を集めては?」
私が言うと市民たちが血相を変えた。
「無茶だ! 魔物に壊された田畑の整備や壊れた家や建物を直すにも金が要るんだぞ」
「ただでさえ麦の価格が上がっているのに臨時税なんて」
「それではまともな生活ができない」
それは帝国にしても同じなのだ。町を救うためにやってきた兵士たちの給料や食事代。壊れた城壁の修理代、市民に無償で提供している炊き出し。どれをとっても帝国からの持ち出しだ。痛みを一方的に押し付けられるのはたまったものではない。
「それはちょっと可哀想だよ」
困りきった表情で宰相がいう。
ここにいたっても宰相の民のため主義は変わらないらしい。
「なら、宰相がご自分の私費を使って購入されますか? 私はそれでも構いませんけど宰相の給金や屋敷なんかを処分して、別れた奥さんに支払っている娘さんの養育費を削って銀貨六十万枚がいいところです。残りの九百万枚はどうされます?」
私が詰め寄ると宰相は悲しそうな顔をしたが、後ろに下がったり言葉を取り下げることはなかった。こういうところだけはなぜか頑固なのである。
「それでも増税はだめだよ。この町を復興させるにもお金はいるんだから」
「そうは言いますけど、お金は湧いてこないんですよ。言っては悪いですけど匂いだけなら聖水が届くまで我慢するべきなんです。魔物もバジリスクも市民を殺しますけど、悪臭だけなら誰も死にません」
神殿だって無能ではない。待っていれば聖水を製造して持ってくるに違いない。
「君が言うことは正しいよ。でも彼らはいま困ってるんだ」
「宰相は何様ですか? 神様ですか? それとも勇者様ですか? 違うでしょ? あなたは…‥ただの役人じゃないですか。それが誰も彼も助けようなんてあまりにも傲慢です。そもそも、そこでぼーっと立っている反逆者二人も助けて、魔物に包囲された街を助けてまだ助けようというのがおかしいんです」
私が言うと宰相は頭を叩かれたような表情をして、反逆中年であるコンラッドとバタールを見た。
「あのさ。この二人の罪状ってなんだったけ?」
「ボケたんですか宰相。この二人は帝国に反逆を引き起こしたんです」
私が二人を指差すと中年たちは身を縮めて目をそらした。
「いや、違うんだ。その他にあっただろ。あの二人の罪状」
「ああ、そういえば二人で罪の暴きあって言ってましたね。確か……」
「属州総督のバタールは」
宰相がバタールを指差す。
「帝国が魔王軍との戦いが続いていることをいいことに属州での税金を本国に送らずみずからの懐に入れて……」
指をバタールからコンラッドに移す。
「旧王国の遺臣であるコンラッドは」
「王国の再興を言い訳に豪商から金を巻き上げたり、帝国軍の補給物資をかすめ取っていた……」
「お金あるんじゃない?」
私と宰相が睨むと二人のおっさんは何とも言えない媚びた表情をしたが、すぐに観念したのか肩を落とした。
「……金はありまぁす」
「すべてを差し出します」
こうして二人から巻き上げたお金を使って闇市から聖水という聖水を買い上げることができた。さすがに帝国が闇市から買うということはできないのでバタールとコンラッドが私費によって寄付を行った、という形になった。
門外ではバジリスクの死体にざぶざぶと聖水がかけられて匂いをどんどんと消している。
「勇者がいればこんなに苦労しなくて良かったんだろうねぇ」
宰相がしみじみした様子でこぼした。
「まぁ、伝説のとおりなら勇者の力でバジリスクを浄化できるそうですからそうなんでしょう」
「いつになったら勇者は現れるんだろう」
それは私にもわからない。勇者は魔王が登場するとどこからともなく現れる。それはただの村人であったり、小さな国の兵士だったりさまざまであるが確実に現れてきた。もしかして今もどこかにいるのかもしれないが私たちには分からない。
「勇者がいなくっても私たちはバジリスクを浄化してやりましたよ。これはちょっとした伝説ですよ。大貴族アンナ・ド・ヴァランタンと宰相の伝説としてどこかに刻んでやりましょうか」
私がナイフを取り出して城壁に刃を入れようとすると宰相が慌てて止めてきた。
「少しくらいならいいと思うんですけど」
「だめだよ。城壁に文字書いちゃ。それはそうといい加減にバタールとコンラッドをたきつけたミケーレを探さないとね」
「そうですね。今回は完全に相手にやられっぱなしでしたからそろそろ反撃しないといけません。では、改めまして」
私はこほん、と息をつくと宰相に向かって言った。
「では、次の職場の説明をします。宰相にはミケーレなる不審人物の正体と居場所を捕捉してもらいます。ここまで私たちを追い込んでくれたのです。ミケーレにはこの世の地獄を見てもらいましょう」
「あのさ。君、だんだんと悪役みたいになってない?」
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