第七話 宰相は四天王の一人を捕まえます

「宰相! いきなりですが、次の職場の説明をします。魔王軍四天王である暗黒魔剣士ルシエンテを捕獲してください!」


 私――三等書記官アンナ・ド・ヴァランタンが叫んだ。暗黒魔剣士ルシエンテは慌てて宰相に握られていた手を振りほどこうとしたが、宰相は手を離さなかった。


「離せ!」


 ルシエンテは食い下がる宰相を忌々しく睨みつけて思いっきり足で蹴飛ばした。宰相が小さなうめき声をあげて吹き飛ばされる。地面を転がった宰相がふらふらと起き上がるとルシエンテは私たちを見て笑った。


「女、俺のことを知っていたのが運のツキだったな。そのおっさんともども殺してやる」


 さきほどまでの好青年ぶりが嘘のように醜い笑みをたたえるその姿は彼が魔王軍四天王の一人だと実感させるのには十分であった。私は手持ちの武器がないことに舌打ちをした。こんなことなら倉庫にある蒼槍ブランケニッサでも持ち出しておくべきだった。


「それは無理な相談だよ。ここにいるのは私の大切な部下でね。殺させるわけにはいかない」


 蹴られた腰が痛いのか片手で腰を押さえたまま宰相は、残りの手で陽炎剣フランベリオンを構えていた。フランベリオンの刀身からは真っ赤な炎を吹き出している。それはかつて私が松明がわりにしていたころとは別物のようだった。


「炎を生み出す剣か。変わった武器だな」

「なんでも伝説の竜殺しルッジェロが使っていた剣だそうだ」

「ルッジェロ……獄炎帝竜マジョリカを殺した。それが事実なら相手に不足はない」


 ルシエンテはさして驚く様子もなく呟いて、さげていた二本の剣を抜きはらった。だが、私はこの時点で宰相の勝利を確信していた。なぜかと言えば簡単である。


「宰相! 奴はご自慢の暗黒剣も魔剣も持ってません! 試合で使ったくそ見たいな鉄の剣ごと焼き斬ってください」


 そう。彼の装備は試合で使ったただの剣だ。武器の性能では圧倒的に宰相が有利なのだ。


「……なるほど」


 ルシエンテは構えていた双剣とフランベリオンを見比べて剣を投げ捨てた。


「来い。すべての悪意を吸い込む暗黒剣リベリオン。血を啜れ魔剣ムラマサ」


 彼の呼びかけに答えてか空間がゆがみ彼の手元に二本の剣が現れる。それは明らかに普通の武器とは違い禍々しい力に包まれていた。私は絶望と共に宰相に語りかける。


「宰相。まだいける。たぶんいける。気楽にいきましょう」

「君が余計なことを言うから!」


 これで武器の性能は同じくらいか、少し負けているくらいだ。剣の腕は考えてはいけない。


「構えから見ればただの素人か。だが、容赦はしない!」


 ルシエンテは深く腰を落とすと一気に踏み込んで宰相を斬りつけた。暗黒剣の真っ黒い剣閃はフランベリオンの炎を打ち消し、次に振り下ろされた魔剣がフランベリオンにぶつかる。耳をふさぎたくなるような金属音のあと、激しい閃光があたりを包む。閃光が消えると宰相の持っていたフランベリオンが砕かれていた。


 刀身はバラバラに砕け破片からは煙が立ち上っている。宰相は砕けた剣の柄を握ったまま後ろに下がった。ルシエンテは嘲笑うように口元ゆがめた。


「伝説の英雄が使った剣といえどこの程度のものか。やはり最強は俺の暗黒魔剣。さて、お前らを葬ってあの生意気な農夫を片付けてこの国を亡ぼすとしよう」


「宰相。これはまずいですよ」

「ずっとまずいよ! ……あつっ!」


 急に宰相が握りしめていたフランベリオンの柄を投げ捨てた。投げ捨てられた柄からは炎と煙が巻き起こりあたりが見えなくなる。私がきょろきょろとしていると「こっちだ」と宰相が私の手を取って後方に下がろうとする。


「逃がすと思うか」


 剣を振るう風切り音とともに起こった突風によって煙がはれる。その瞬間、私と宰相は目を疑った。


 私たちとルシエンテのちょうど中間に誰かがいた。その人物は腰まで伸びる真っ赤な髪に炎のように明るい明け色の瞳をした女性だった。だた、彼女には人間にないものが一つあった。腰のしたから伸びる長い尻尾である。赤よりも深い赤い鱗に覆われたその尻尾は彼女が人とは違う何かであることを如実に表していた。


「……俺は甦ったのだな。この完全体で」


 彼女の落ち着いた声が響く。ルシエンテは切っ先を彼女に向ける。


「お前は誰だ? 見たところご同類のようだが、魔王軍で見かけた覚えがない」

「そうだろうな。俺はルッジェロ。いわゆる竜殺しの英雄というやつだ」

「ルッジェロだと。嘘をつけ。お前のその姿は人間ではない」


 ルシエンテが言う通りルッジェロを名乗る女性の姿は人間とは違う。獲物を狙うようにゆらゆらと揺れる尻尾が明らかに違うのだ。


「俺は獄炎帝竜マジョリカを倒したとき致命傷を負った。だが、俺には生きてなさねばならないことがあった。だから俺は強い生命力を持つ炎帝竜の肉体と自身の魂を自らの剣に封じたのだ。長い年月をかけて俺の魂はマジョリカと混ざり合い一つとなった。それがいまの俺よ」

「魔物の肉体になってまで生きながらえてなにを望むのだ竜殺しの英雄は」

「俺の望みか。それなら今かなっている。俺が愛した獄炎帝竜マジョリカとの融合。それこそが俺の望み。愛の極致!」


 自らの身体を抱くように両腕を交差させるルッジェロは恍惚の表情で天を仰ぐ。私はひきつった笑顔で問いを投げかける。


「では、あなたは獄炎帝竜マジョリカと融合するためだけに戦ったのですか?」

「そう。彼女は人里離れた火山帯で一人で生きていた。その孤高。孤独。孤閨。それを俺で満たす。そのために俺は彼女に何度となく愛を叫んだ。そのたびに彼女は俺を拒絶し、俺は追いすがった。そのせいでいくつかの町や村が被害にあったが愛のための犠牲だ。

 そしてそのときが来た。俺の愛が彼女を打ち破り俺は彼女と一緒になった。見ろ、人の造形と竜の造形を併せ持つ美しい肉体。天女のごとき清らかな声。ああ、すべてが最高だ。このすべてが俺であり彼女だ」


 これを世間一般が純愛と呼ぶだろうか。いや、呼ばないに違いない。むしろ、狂気のたぐいだ。


「つまり、あなたは愛する女性に振られた挙句、それが認められず殺して肉体に寄生した、ということですね」

「……君は頭が悪いのかな? 俺と獄炎帝竜マジョリカは愛の果てに一つになったのだ」


 だめだ。こいつはとっても質が悪いものだ。

 下手をすれば魔王よりも悪い。女性の敵と言っていい。こいつを倒さずにいればいずれほかの女性が被害にあうに違いない。


「変態だ! こいつは女性の敵。世界の敵だ!」

「なにを言う。俺は変態ではない。純愛の塊だ」


 英雄の一方的な恋愛理論に宰相と暗黒魔剣士は完全に思考停止していた。


「暗黒魔剣士ルシエンテ!」


 私が名を呼ぶと彼は一気に現実に引き戻されたような顔で「はい」と返事をした。


「いま、私たちの前にいるのは全世界の敵。愛を語ながらも愛に至らぬストーカー。これを討ち果たすために力を貸しなさい」

「な、なぜ俺が!」

「想像してみなさい。あなたの愛する女性が一方的な愛を押し付ける者に蹂躙され、魂どころか肉体まで奪われる姿を。そのような悪行が許されるものか?」

「……許せない。とても許されるものではない。このようなものに妹が襲われれば俺は生きてはいけない」


「ならば、その者を討つのです」


 ルシエンテは剣を構えなおすと厳しい瞳を全世界の敵に向けた。


「竜の力と英雄の力を併せ持つ俺を倒せる、と思うのか」


 ルッジェロが拳を握ると真っ赤な炎が剣を形作る。火勢はフランベリオンとは全く別物で、少しでも振れればすべてを塵芥に変えるような激しさがある。竜の力と変態の力を併せ持つすべての女性の敵。


「俺は魔王軍最強の剣士。貴様のような外道に負けはしない!」


 二本の剣を一気に振り上げたルシエンテが切りかかる。一撃が必殺とも思える鋭い斬撃を変態は跳ね返した。一振りの剣となった業火は、彼の愛のように激しく纏わりつくように剣勢を奪い取る。激しい連続攻撃を烈火の剣で打ち払い。長い紅の尻尾で痛撃を見舞う。変態ルッジェロの攻撃はあまりにも強力だった。


 胸部に尻尾の一撃を受けたルシエンテが膝をついた。彼の口からは血が滴り、刻まれた傷の大きさを示す。


「俺はあの農夫に負け。また、ここでも負けるのか……」


 悔しそうに眼を閉じるルシエンテに宰相が言う。


「君はまだ強くなれる。君が言っていたじゃないか暗黒剣と魔剣を融合させる光絶漆黒一閃がまだあると」

「光絶漆黒一閃は十全の状態で放てる必殺技。いまのような身体では……とても」

「諦めるのかね。それもいいだろう。だけどね。私は諦めないよ」


 膝をついたままのルシエンテの肩を軽く叩いて宰相が前に歩み出る。彼にはもう武器はない。


「お前は、フランベリオンを使っていたおっさんだな。あんたも俺を止めるかい?」

「止めるよ。もし、君みたいな男が娘に求婚してきたときに拳骨で追い返すのが父親の役目だからね」

「お義父さんは娘離れするべきだ!」


 ルッジェロが炎をまき散らして宰相に襲い掛かる。


「獄炎帝竜マジョリカにお父さんがいれば君からなんとしても守っただろう」


 宰相は真正面から熱の奔流に向き合うと盾を構えた。それは、彼が命がけで手に入れた勇者の盾だった。いくたの戦いで勇者を守った伝説の盾はルッジェロの火炎を受け止めた。だが、それだけだ。盾は盾でありそれ以上ではない。攻撃を防いでもそれを跳ね返したり、反撃に転じることはできない。


 必死の表情で攻撃を受け止め続ける宰相で、へたり込んでいたルシエンテがゆっくりと立ち上がった。


「あなたはどうしてそこまでして戦うのです。いくらすごい盾があっても勝てないのに……」

「そうだね。私にできるのは守ることくらいだ。いつかは負けるだろう。だけど、それは諦める理由にはならないんだ。私の後ろには君がいる。大切な部下がいる。さらに多くの民がいる。ならば退けないだろう」

「……強いんですね」

「強くないさ。私は宰相だったからね。勇者じゃない。でも人より少しえらい地位にいたのだから弱くてもやることがあるんだ」


 火勢に少しづつ宰相が後ろに押し戻される。


「……俺は魔王軍四天王が一人、暗黒魔剣のルシエンテ。すべての悪意を吸い込み魔刃を生み出す暗黒剣。命を奪うほどに魔剣。この二つを合わせて一つの刃を生み出さん」


 ルシエンテはぼろぼろの身体を引き起こすと二つの剣を十字に重ね合わせる。真っ黒な闇と化した二つの剣は一つにまとまり、空間が切れ堕ちたような漆黒が生まれた。


「ゆくぞ、わが最大の必殺剣――光絶漆黒一閃」


 ルシエンテが振るった闇夜の一撃はルッジェロの炎の奔流を飲み込む。だが、最後のところで押し切れない。ルッジェロが生み出す膨大な火力が闇の浸食をぎりぎりの位置で防いでいるのだ。


「俺は愛の果てに彼女自身を手に入れたのだ。手放さぬ。手放さぬ。」


 邪まな妄念が燃える泥のように溢れ出す。


「……わが暗黒魔剣は悪意を喰らい刃となす。貴様のその愛という悪意さえ喰らい刃に変える!」


 ルシエンテの手元にルッジェロの赤くたぎる悪意の泥が集まる。剣はそれを喰らうが、膨大な泥に耐えられないのか悲鳴にも似た軋みを周囲に叫ぶ。そして、最後がきた。何かが破裂するような音ともに空間をむしばんでいた闇が粉々に崩れ落ちた。


「ここまでしても届かないのか!?」


 砕けた闇は崩れ落ちた二振りの剣に戻っていた。もうこの剣がなにかを斬ることはできぬだろう。そう思わせるほどの損傷であった。だが、ルッジェロのほうはまだ立っていた。その顔には優越にも似た笑みがはりついている。


「終わりだ」

「あなたの終わりだ」


 宰相はそう言って勇者の盾を武器のように振り下ろした。激しい光とともに盾が砕ける。同時に低い男の絶叫が響き渡る。このおぞましい声こそが竜殺しルッジェロ本来のものなのだろう。気持ち悪いくぐもった響きを残して彼の声はゆっくりと消えた。


「届いていたよ。君の剣がなければあれを打ち倒せはしなかっただろう」


 宰相が肩で息をしながら手をルシエンテに差し伸べる。彼はその手を握ると「まだ強くなれる気がします」とさわやかに笑った。それはとても清々しい光景でした。ですが、私の脳裏には次の問題が激しく駆け回っていました。


 ――勇者の盾が壊れた。


 目の前が真っ暗になるような思いでいると騒ぎを駆け付けたであろう衛兵たちが駆けてきた。私はとりあえず次の命令を彼らに伝えた。


「魔王軍四天王であるルシエンテを捕獲しなさい」


 衛兵たちは宰相と談笑している青年が敵将だとすぐには信じられないようでしたが、私が睨みつけると慌ててルシエンテを捕獲しました。途中、宰相が「彼はいい奴なんだ。逮捕なんてやめてくれ」と叫んでいましたが私は沈黙を保ったまま命令を遂行させました。


 ルシエンテは最後まで宰相との別れを惜しみながら虜囚となり、私は正しいということの難しさにいまさらながら気づきました。宰相はそんな私を見て「君は鬼なのかな」と沈んだ声を出しましたが「あなたの可愛くて大切な部下です」と答えておいた。


 そんなとき、地面に倒れていたルッジェロの身体がむくりと起き上がった。


 私が慌てて宰相の背後に隠れると、焦点の合わない目でそれは宰相を見つめました。そして、少しの間をおいて言いました。


「おはようございます。お父様」


 私と宰相が顔を見合わすと、それは不思議そうな顔をして尋ねました。


「私は獄炎帝竜マジョリカ。あなたは私のお父様ではないのですか?」


 紅玉のような無垢な瞳にはさきほどまでの偏執じみた狂気はない。これはもしかするとルッジェロに封じられ魂まで蝕まれた獄炎帝竜マジョリカなのかもしれない。だが、どうして彼女が宰相を父と呼ぶのか。私にはその理由が少しだけ分かった。


「刷り込みですよね。すごくべたな展開ですけど刷り込みですよね」

「刷り込みってあの雛が初めて見たものを親だと思う。あれかい?」

「それしかありえません」


 ああ、悲劇の獄炎帝竜マジョリカは変態によって精神を病んで雛まで退化してしまった。どうすればいいのか。まったく解決策が見つからない。


「では、私は彼女の父親ということかね。この年で娘が増えるとは」


 まんざらでもないという顔した宰相の足を私は思いっきり蹴って言いました。


「とりあえず。宰相と獄炎帝竜マジョリカはほとぼりが冷めるまで東部戦線でいてください。今回ばかりはどうしていいか私にもわかりませんので……」

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