第五話 宰相は勇者の盾を手に入れました

 これまでの歴史を振り返れば魔王がこの世界に現れたのは七回。そのたびに勇者と言われる人間が現れては魔王を打ち破り世界を救ってきた。そして、歴代の勇者の身を守り続けてきた最硬の盾は勇者の盾として現在まで伝わっている。


 平和の時代に比類なき防御力が悪用されることを恐れた七代目の勇者によって盾は、天罰の塔に封印された。天罰の塔は五百年前に築かれた自動防衛城砦のひとつである。完成当時は、魔物から多くの人々を守った、という記録があるが、現在では近づくものなら人間でも魔物でも関係なく攻撃を仕掛ける狂った防衛施設に成り果てている。


 だからこそ、勇者の盾を封印する場所に選ばれたのであろうが、いざ有事になるとこれほど回収が難しい施設もなかった。私――三等書記官アンナ・ド・ヴァランタンは思う。きっと七代目の勇者は強かったのだろうが、頭は悪かったのだろうと。まともに取り出せない金庫に金を入れるような馬鹿は想像力がないのだ。


「三日も天罰の塔をぼんやりと眺めていたと聞いたときは。いよいよ、宰相も仕事を放棄されたのかと思いましたよ」


「私は役人だよ。国民のためになることなら投げ出したりはしないよ」

「いつもの『貴族であろうが平民であろうが官吏となったからには、国民のために職務を遂行せねばならない』ってやつですね」


 私が出仕だしたころよく宰相から言われた言葉だ。


「そうだよ」


 宰相は満足したような表情で微笑むと、私に優しい眼を向けた。それは喜ばしいことではあったが、私は少しだけ居心地の悪さを感じた。


「でも、三日間も何をしていのですか?」

「私はずっと天罰の塔を観察していたんだ。どれくらいの距離まで近づくと稲妻が降ってくるのか。それはどれくらいの精度なのか。感知から発射までの時間はどれくらいか。そういうことを調べていたんだ」

「宰相は慎重ですね。言い伝えにある勇者と違って」


伝説の勇者は言う。


「稲妻が俺を焼き尽くそうとするのなら、俺は稲妻よりも早く大地を駆け抜けよう」


 脳みそまで筋肉でできたような言葉を吐いて勇者は天罰の塔を文字通りに走破した。しかし、これはさすがに誇張があるに違いない。どんなに人が早く走っても空から降り注ぐ雷を避けることはできないのだから。


「いやいや、あの伝説こそが肝だったんだよ。天罰の塔は一定の範囲内に敵が踏み込んだことを感知すると、塔の先端から稲妻を撃ちだすんだ。この感知から発射までは約三秒の間があるんだ。つまり、恐る恐る進んでいると稲妻が直撃するが、脇目も振らず真っ直ぐに走りきればなんとか躱せるんだよ」

「えっ、本気ですか」

「本気というか走ってきたよ」

「四十九歳の宰相が? 四十肩でろくに腕も上がらない、うだつも上がらない、と嘆いていた宰相がですか?」

「そうだよ。うだつも腕も上がらない君の元上司は心臓が張り裂けそうになりながら走ったんだよ」


 こともなげに語る宰相に私は呆れた目を向ける。勇者の盾回収の報告書が届いた時点で気づくべきだったのかもしれない。この人は国民のため、といえばなんでもこなす化物なのだと。奥さんや娘に逃げられるのはこういうところに起因するのは明らかだ。


「で、これが勇者の盾ですか?」

「見た感じ普通の盾だけど、天罰の塔から降り注ぐ稲妻を軽く跳ね飛ばしたからそうだと思うよ」


 宰相が持っている盾は一目見た限りではよく騎士が持っている鉄張りの盾と変わらない。よく目を凝らしてみれば盾の表面に文字のようなものが刻まれているのが分かるが、それが何を意味しているのかは分からない。少なくともいま帝国で使われている言語とは全く異なるものであることは確かだった。


「それはそうと私が勇者の盾を回収したということは、ついに八代目の勇者が現れたのかな?」


 魔王がこの世界に復活してからすでに二年が経つ。通例なら一年ほどで勇者が現れるのだがいまのところ勇者が現れたという話は報告されていない。四代目の勇者のときは現れるまで五年の期間があった事を思えば通例というのも当てにはならない。


「残念ながらまだそういう報告はありません」

「じゃーどうして私はあんな危険な目にあってまで勇者の盾を回収したのかな?」


 暗い目を向ける宰相に私は微笑む。

 私はその深淵から向けられたような黒い目に微笑むと口を開いた。


「帝国が諸王国を統一するまで勇者といえば志願制でした」

「……そうだね。我こそは勇者である、という力自慢や名の知れた戦士、夢見る農夫いろいろな人が勇者を名乗った。ある国では旅立つ者に銀貨二百枚を渡すことが通例となっていた。でも、それらの多くの人びとは旅の半ばで魔物に殺されたり、仲間の死に耐え切れずに挫折して旅を終えた」


 勇者とはそれら多くの人々が越えられなかった不幸を踏み越えていった存在なのだろう。


「一応、我が帝国でも歴史に習って自称勇者に銀貨二百枚を渡す政策を次世代勇者創出計画推進事業として援助金を渡してきたのですが、これが非常に効率が悪いのです」

「効率が悪い?」

「はい、統一以前の諸王国なら国内に現れる自称勇者の数は千から二千というところです。ですが、帝国が諸王国を平らげて有象無象を属州としたいまは三万近い人間が、我こそは勇者、と名乗りを上げているのです。これはいまの数値でまだまだ増える見込みです。そのくせに勇者と認められるような功績を示したものはいまだに皆無、となれば無駄金と言われても仕方ありません」


 宰相は腕を組んで、うーんと唸り声を上げた。


 どんな大国であっても国庫にあるお金は有限であり無限ではない。


「それはそうかもしれないけど、勇者は自費、自己責任でっていうのはひどくないかな?」

「しかし、宰相。三万人の自称勇者に銀貨二百枚を配ると合計で六百万枚の銀貨が必要になります。これだけの大金があれば十二万の大軍を一ヶ月間運用できます。同じお金を出すなら後者のほうがよくありませんか?」

「そりぁまぁ、素人よりは訓練された兵士の方がいいよね。でも、歴代の勇者のこともあるし。お金の問題だけで変更するっていうのはどうかな?」


 その言葉を待っていた私はぱん、と手を打ち鳴らした。


「そうです。先日、行われた御前会議でもそういう意見が出ました。お金は関係ない。慣例に従うべきだ、と。ですが、ある大貴族が言いました。、と」


 そうなのだ。勇者が出てこないならこちらで勇者を仕立てればいいのである。この天動説が地動説に変わるような発言に会議の流れは一気に変わった。そして、一つの決定がなされたのだ。


「え、作る?」

「はい、無闇矢鱈に自称勇者を認めるのではなく、自称勇者を集めてもっとも最適な者を勇者として帝国が総力をあげて応援するのです」


 眉間にしわを寄せた宰相が不信をぶつけてくる。


「応援って具体的には?」

「具体的には武具の提供や魔王やその配下についての情報の提供。各都市などでの宿泊地の斡旋になります」


 試算では最上級のものを取り揃えても支払う金額は銀貨百万枚にも満たない。勇者関連経費で浮いた予算はそのまま属州などの防衛費に向ければ、より多くの人々のためになるに違いない。


「どうやって自称勇者のなかから勇者を選別するつもりだい?」

「はい、いま属州や直轄地でこのような大会を開いています」


 私は鞄から羊皮紙に印刷されたチラシを宰相に手渡した。そこには、『次世代の勇者は君だ! 帝国最強の勇者決定戦』と書かれて各地域ごとに予選の日程が書かれている。宰相はチラシと私の顔を相互に何度も見つめた。そして、チラシの最後に書かれた一文に気づいて口をぽかーん、と開けたまま首だけを動かしてでこちらを向いた。


「何? この優勝賞品の勇者の盾って」

「気づいてしまいましたか。宰相もお目が高い。そうです。今回、宰相に勇者の盾を回収していただいたのは、この勇者決定戦の賞品を用意するためだったのです」


 声にならない悲鳴をあげて宰相が、怒りをあらわにする。


「宰相は、この大会で心無い者が力だけで勇者の盾を手に入れるのを危惧されているのですよね」


 私が言うと宰相は何度も首を縦に振った。


「そこで、次の職場の説明をします。宰相には帝都で開催される勇者決定戦本選にて勇者審議委員会の委員長になっていただきます。そこで参加者が勇者に相応しい品格、力量があるかを判断していただきます」


 事前に勇者審査の内規を作成していたので、それを宰相に見せる。彼は穴がひらくのではないか、と思うほど食い入るように読み込んだ。


「よくぞ考えたものだね。これだと最終的な決定は大会での優勝ではなく、審議委員会にあるじゃないか」

「それはそうです。いくら優勝者でも強いだけでは意味がないですから、帝国のためひいては国民を救うための勇者でなければダメですから」


 私はきっぱりと言った。

 勇者の条件に強さは含まれるが、それは最優先事項ではない。


「しかし、こんな都合のいい人間がいるかな?」


 宰相は国民のために命を捧げる勇者というものに否定的なのか首をかしげてみせた。しかし、私は家族を顧みず、貴族の顰蹙を買ってまで国民のために仕事をこなす宰相を知っている。ならばこの世界のどこかに同じような勇者がいてもおかしくはないだろう。


「いますよ。きっとどこかに」


 私が言うと宰相はそんなものかね、と呟いてから「ちなみに、と言った大貴族は誰だったんだい?」と訊ねた。


 私は少しだけ悪い顔をした。


「私は不幸なことにその貴族の顔を直接見たことがありません。なぜかその方は鏡にしか写りませんので、誰かなど分かりません」


 宰相はやれやれと肩をすかした。


「なら、その大貴族は相当悪い顔をしているだろうね」

「いいえ、噂ではたいそうな美人で彼女に求婚を求める殿方で溢れかえり、彼女の父親は頭を抱えているそうですよ」

「その父親が頭を抱えているのはもっと別の理由だと思うよ。娘を持つ父親だからわかることだけどね」


 まったくひどい元上司である。

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