第四話 宰相は秘宝を発見しました

 古エルメ王国が栄え、いまは帝国の属州となっている砂漠地方マカロンはかつて水に恵まれた豊かな大地が広がっていたという。それが広大な砂漠になったのは千年ほど前に起きた第三次魔王戦争のときだったという。ときの魔王が放った崩壊魔法によって緑の生い茂る山々が薙ぎ払われ、大地からは水が失われた。いまではわずかに残るオアシスを中心とした大小の都市が残るのみである。


「ハンナさんの料理は最高ですね。こんなおいしい料理は帝都でもなかなか食べられません」


 私―――三等書記官アンナ・ド・ヴァランタンは目の前に広げられた料理に舌鼓を打っていた。この地方の料理は帝都の料理と違って大量の香辛料を用いるのが特徴で、数種類の香辛料や塩を混ぜた調味液に染みこませたヤギ肉を窯焼きにした肉料理や豆をすり潰した粉にバターや牛乳を加えて煮込みにんにくや大量の香草を加えたスープは有名である。


 また、ハーブに似た白い花を付ける香草はオアシスの周りでしか栽培されずここでしか食べられない。この香草は噛むと柑橘類のような香りがするが食感はシャキシャキとしており肉やチーズと相性がいい。料理を作ってくれているハンナはこのオアシスで旅館を営む中年の女性で、いかにも肝っ玉かあさん、というような恰幅のいい女性だ。


「あんたは帝国の偉い貴族なんでしょ? こんな田舎料理のどこがいいかねぇ」


 刻んだ香草と香辛料を混ぜ込んだ肉団子を運んできた中年の女性は、心底からわからないというように笑うと私の前に皿を置いた。


「いえいえ、帝国の料理はとにかく肉と芋があればいいというような雑な料理ばかりで、ハンナさんのように繊細に香辛料を選んだり、香りの出し方を変えるために水で煮込んだり、油で炒めたり、という調理法の手数が少ないのです」

「そんなもんかねぇ」


 首をかしげるハンナであったが、その間にも私は鶏肉の香味焼きや豆料理に匙をすすめる。私の姿を見てハンナは明るく笑う。恰幅のいい彼女の声はよく通るので大地が揺れているような気さえする。


「そんなもんです。しかし、こんなおいしい料理ばかりたべていたのでは宰相は太ってしまったのではないですか?」

「どうかねぇ、あの宰相さんときたら遺跡探索ばっかりでろくに村にももどらないもんだからアタシも心配してるんだけどねぇ」

「大丈夫ですよ。私がここに来たということは宰相から古エメル王国の秘宝が見つかったという報告書を頂いたということですので。もうじきオアシスに戻られると思います。ご同行頂いている聖女様にはお礼を言わねばなりません」


 私は宰相から届いた報告書を机に広げて、スープをすする。砂漠のど真ん中で熱い料理というのはいかがなものかと思っていたが、これはこれで悪くない。辛味の強い料理で少し汗ばんだ身体にオアシスの水辺を通り抜けた冷たい風があたるとすっとした清涼感がある。


「スープはまだあるけどもう一杯飲むかい?」


 ハンナが大きな体を揺らしながら微笑むと、私は彼女に空の椀を勢いよく手渡した。


 宰相からの報告書には古代遺跡で厳重に封印された遺物を発見したことが記されていた。だが、それが本当に蟲殺しのザバイオーネであるかは分からないらしい。私は報告書に添付された遺物の模写図を眺めた。それは槍というには鋭利さはなく、杖というには長すぎ、鍵というにはあまりに異形な形状をしている。


 確かに用途不明である。


 そんな事を思っていると小さな虫がブーンと私の周りを飛び回る。手で払うのだが虫は私の周りを飛び回る。二、三度同じような動きをして無意味さを知った私は報告書を丸めるとそれを思いっきり振り下ろして虫を殺した。


 だが、虫は一匹ではなかったらしくブーン、ブーンとさらに数を増やして私にまとわりつく。私がイライラしながら報告書を振り回していると、スープを持ってきたハンナが呆れた顔でお香を焚いてくれた。


「虫と喧嘩をしても無駄さ。悪い男を追い払うときと同じで煙にまいてやれば虫もどっかにいくもんだよ」


 確かにお香の紫煙が立ち上ると虫はあっという間にどこかへ消えていった。


 なるほど、悪い虫はどこでも煙が苦手らしい。


 私もよく興味のない男性に誘われることがあるがその度に「帝国における街道整備の必要性とその保守に関わる費用効率」や「徴税権の一元化による貴族の形骸化とその反発」について語って差し上げると二度とお誘いを受けることはなくなる。まったくこちらがためになる話をしているというのに失礼な話だ。きっと頭の神経の一、二本が腐っているのに違いない。


「それにしてもよく効くお香ですね。原料は一体何ですか?」


 私が尋ねるとハンナはスープを指さした。スープには青々とした香草がこれでもかとばかりに入っており、清々しい香りが鼻を抜けていゆく。


「へぇ、この香草は食べるだけじゃくて、こんな使い方もできるのですね」

「そうさ、オアシスはどうしても虫が湧きやすい。それでもアタシらが快適に過ごせるのはご先祖様がさまざまな香辛料や香草がどんな効能を持っているかを伝えてくれたからさ。毒虫に刺されたらこの植物を、熱が出たときはこの種を、なんて風にね」


 なるほど、古エルメ王国が滅び、緑の大地が砂漠に変わるなかでもこの地の人々がたくましく生き抜いてきたのは先人の知恵のおかげなのだろう。私たちが探している蟲殺しのザバイオーネはまさにそういうものだ。


「ちなみにこの香草の名前はなんというのですか?」

「これはね。オーネというのよ」


 ハンナは調理前のオーネを私にかかげてみせた。白色の小さな花をつけたそれは香草と言われなければ、どこにでも生えていそうな雑草のようであった。だが、私はその姿よりも名前が気になっていた。


「え、これはオーネですか?」

「はい、オーネです」


 ごく簡単な母国語の質問文のような言葉で私は名前をもう一度確認した。


 私たちが探している古エルメ王国の秘宝は蟲殺しのザバイオーネ。目の前にある香草はオーネだという。ならば私の前でもくもくと紫煙をのぼらせているお香はなんというのだろうか。


「ハンナ……。このお香の名前は?」


 私が急に神妙な顔をしたのを怪しんでかハンナは困ったような顔でお香と私を交互に見比べた。

「それはザバイオーネよ。この辺じゃ大昔から使っているわよ」


 考えてみれば当然なのかもしれない。

 古代において蟲殺しとして有効であったものはいまでも有効であり、国が滅びても有効であるものを人は忘れない。むしろ便利ゆえに多くの人の手に製法が伝わり一般化する。つまり、最初は秘宝とされ珍重されたものも作り方さえ広まれば秘宝ではなくなる。


 絶句というものがあるのならいまがそれだった。

 探し物はすぐそばにあったのだ。

 青い鳥も青い薔薇もさがす必要はない。


「大丈夫かい? あんたひどい顔してるよ」


 ハンナが心配そうに私の顔を覗き込む。


「……ええ、大丈夫です。大丈夫なのですが宰相は一体何を見つけたのでしょう?」

「宰相さん? 古エルメ王国の秘宝を探すって言ってたから古代遺跡に案内したんだけど何があるのかねぇ。秘宝っていうからにはエルメの王様であるハシュマッキが神様からもらった悪を打ち払う稲妻の槌バーミエみたいなもんなんだろうけど、本当にあるのかねぇ」


 これはまずい。

 宰相が見つけたのはおそらく蟲殺しのザバイオーネではない。まったく正体不明の遺物である。ただの装飾品であれば良いがなにか魔力を宿していたり、神々の力が残された神器であればどのような効力があるか分かったものではない。


 最近では属国の一つであるホルマが風の神殿から発見された神器を暴走させて神殿の跡地さえ分からぬほど吹き飛ばした事件があった。


「まずい!」


 私が慌てて席を立つと背後から呑気で懐かしい声がした。


「いや、早かったね」

「さ、宰相……?」


 振り返ると宰相がいかにもいわく有りげな巨大な鍵のような物体を抱えて立っていた。


「聖女様に教えられた古エルメ王国の王墓で見つけたんだけど、どう使うか皆目わからなくてね。大量の罠や仕掛けで守られていたあたり、これがきっと蟲殺しのザバイオーネだと思うのだが」


 ぶんぶんと遺物を振り回す宰相を私は殴り倒したい衝動にかられたが、なにが発動の要因になるかわからない以上、宰相とあの謎の物体を刺激するわけには行かない。


「それが噂の秘宝かい。すごいねぇ、本当にあったんだねぇ」


 ハンナが口に手を当てて驚きをあらわにする。


「いや、ハンナさんのおかげですよ。あの遺跡を紹介されなかったら私はこの広大な砂漠をまだうろうろしていたでしょう。あ、そうだ。ハンナさんも持ってみますか?」

「あらいいのかい? 悪いわねぇ」


 無造作に謎の遺物がハンナに手渡される。私はそれを止めることもできずに眺めることしかできなかった。ハンナがそれを握った瞬間、遺物から眩しい光が発せられる。同時に地面が鳴動するような低い唸りが響き渡る。


 それを見た宰相が「おお」と感嘆の声をあげる。ハンナも「これは……!?」と目を大きくして巨大な鍵を両手で握り締める。光はほどなくしておさまり、私は暴走の脅威から一旦は解放された。


「いやー、流石は水の一族の聖女様ですね」

「やだよぉ。聖女様なんて。一族の持ち回りで名乗ってるだけなんだから」


 ハンナは照れたようにはにかむと大きな手で宰相の背中をバシバシと叩いた。ハンナと比べて華奢な宰相はその衝撃でぐらぐらと揺れた。


「えっ、ハンナが聖女なんですか?」

「こら、また君は人を呼び捨てにして。ちゃんとさんをつけなさい」

「別にいいんだよ。アタシは別に聖女様っていうガラじゃないしねぇ。これの使いかたもサッパリわからないねぇ」


 からからと大きな声で笑うハンナと一般的に思う水の聖女との印象の差に私は何とも言えない気持ちになった。今日は驚くことばかりでどうしていいかわからない。


「というわけで悪いのだが帝国の研究所で、蟲殺しのザバイオーネの使い方を調べてもらえるかな?」

「あの、宰相。たいへん言いにくいのですが……」


 私がもじもじと宰相の顔を見られずにいると、彼はすべてを察したような顔で言った。


「次の職場のことだろう。今度はどこだい? 東の戦場か。それとも西の海に現れるという幽霊船かな。もう、私も慣れてきたからね。そうそう驚かないよ」

「いえ、そうではなく……ザバイオーネなのですが。実はお香であることがわかりまして」


 まだ紫煙をもくもくとのぼらせているお香を指差すと宰相は、開いた口がふさがらない、という様子でこちらを見つめる。


「じゃー、これは?」


 宰相はハンナから謎の物体を取り上げると私の前にかかげる。


「いや、ちょっと私には分かりかねまして。下手をすると神器的な何かの可能性もありまして。ひょんなことからオアシスのひとつふたつくらいは吹き飛ばしてしまうというか。なんというかでして……ねぇ?」

「ねぇじゃないよ。はい!」


 宰相は汚いものを避けるような素早さで遺物を私に投げる。


「えっ! やだ!」


 私は手に落ちて来たそれを再度、宰相に投げる。


「うわぁ! 私もやだよ」

「私もです!」


 謎の物体は私と宰相の間を何度も飛び交った挙句、最終的にハンナの手に収まった。彼女が手にするとそれはまたとんでもなく神々しい光をはっしたがそれ以上のことは起きなかった。私と宰相は相談をしてハンナに帝国西部にある魔導研究所に運んでもらうこととした。


 ハンナは「これ眩しいから困るんだけどねぇ」と困惑していたが、二人で頭を下げて了承してもらった。

「さて、宰相。改めまして、次の職場の説明をします」


「今度はなにかな?」


 なれた会話というものは落ち着きを与えるようで私たちふたりはひどく穏やかな表情でいることができる。


「はい、宰相には帝国中央部にある天罰の塔に封じられている伝説の勇者の盾を回収していただきます」

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