第三話 宰相は魔法を完成させました
貴族というものはなぜか魔法使いを志す者が多い人種であるらしく、魔法都市パリブレストには貴族の子弟がゴロゴロと転がっている。彼らは私――三等書記官アンナ・ド・ヴァランタンのような帝国でも五指に入る大貴族を見かけるとすぐに口説かなくてはいけない、と考えているらしく魔導研究所にたどり着くまでに有象無象を追っ払うのに難儀した。
最後など「大公以下の下級貴族は道を開けなさい!」と言ってようやく道が開いたほどだ。まったくそんなことだからロクに魔法の開発ができないのだ。帝国がどれだけの予算を捻出して研究を行っているのか銅貨一枚単位で教えてやりたいくらいである。
とはいえ、ほとんどの職員を追い払ってしまったため宰相がどこにいるのかさっぱりと分からない。私は研究所の中をきょろきょろと見渡していると通路からいかにもうだつの上がらないよれよれのローブをまとった男が出てきたので声をかけた。
「そこの魔法使い。貴族に恨まれて追放されてやってきた宰相――アクセル・ノアイユがどこにいるか教えなさい」
男は私の声に溜息をつきながら振り返ると渋い表情を向けた。
「君ね。だんだん任官前みたいな口調になってるよ。前にも言ったように身分に関係なく丁寧に話しなさい」
その懐かしい声に私は安堵しながらも藪をつついてしまった、と苦笑いをした。
「これはこれは私の敬愛する宰相ではありませんか。ご無沙汰しております」
服の裾を掴み優雅に頭を下げて上目遣いに宰相をうかがう。宰相はもう何日も眠っていないような充血した目を片手で押さえて呆れていた。そこまで呆れることはないだろう。ここの連中が悪いのだ。「ヴァランタン嬢、僕が案内いたします」とか「魔法のことでしたら任せてください。私が手とり足とりお教えします」と軽薄な顔を見せるので久々にイライラしてしまった。
「まったく取ってつけたような挨拶をしても騙されないよ」
「そこは素直に騙されるのが良い上司というものだと思います」
「それは部下にとって都合の良い上司だろう」
「お分かりならそのようにしてください。上司がごちゃごちゃうるさいほど部下のやる気はなくなるものですから」
言葉の応酬をして私たちはどちらからともなく笑った。かつては王宮でよくやったやりとりではあるが宰相が追放されてからは久しいものだ。
「元気そうでなによりだ」
「はい、宰相もお元気そうで良かったです。報告書をいただきましたので参りました」
「前回も奇跡だと思ったが、今回も奇跡が起きたよ」
宰相は祈るような穏やかな声を出した。だが、私は別のことに気づいていた。
「私が差し上げたいかにも大賢者っぽいローブと杖はどうされたのです?」
せっかく私が倉庫から探し出してきた秘蔵のローブと杖であったというのにいま宰相はそれを身につけていない。それどころか街のどこでも買えるような安くて薄い生地のローブに樫の枝を少し磨いて先端に銀の飾りをつけただけという初心者のような杖を握っているのだ。
「あれね。あれなら――」
感情が複雑に混じり合った苦笑いで宰相が口を開いたときだった。背後から鈴を転がしたような澄んだ声がした。
「主さまはここにおられたのか。フェーブの粗忽者が多重結界の実験がしたいとうるさいのじゃ」
声の主は、背丈に合わない大きなローブに身をまとい、装飾が余りにも多い杖をついた十歳くらいの幼女だった。栗色の髪をした彼女の肌は大人にはないみずみずしさときらめきをもっていた。これくらいの子供はどれをとっても可愛らしいものであるが、目の前にいる彼女は別格であった。これが街角であれば私は彼女をなでまわして可愛がったに違いない。
「ちょっと待ってくれますか。いま彼女と話をしていて」
「待てぬのじゃ。主さま」
幼女はくいくいと宰相のローブの裾を引いた。
「……宰相。見損ないましたよ。元妻には仕事ばかりしてればいいでしょ、とあしらわれ。娘にはお父さん加齢臭がきついと罵られてとは言え、まさかこんな幼い女の子を捕まえてきて主さまと呼ばせるとか尋常ではないくらい業が深いですよ。ついでに言うと彼女のローブと杖って私が上げたものじゃないですか? 幼女にブカブカなローブとか性癖が狂いすぎです」
幼女は不思議そうに大きな瞳で私を見つめたあと宰相の方を見上げた。
「この者は主さまの愛人か?」
「違います! 彼女は部下です」
「その割には親しく見えたがのう。まぁ、確かにわしくらいの年頃の幼女に主さま、と呼ばすなど変態趣味を疑われるのも仕方あるまい」
幼女はひとりでうんうんとうなずくと悪戯げに微笑んだ。
「私は主さま、と呼んでくださいなんて頼んだことはありませんよ。フォン・ダン・ショコラ様」
宰相は半ば呆れたような顔で幼女に言った。
フォン・ダン・ショコラという名前に私は覚えがあった。帝国がまだ小さな王国として周辺諸国と覇権を争っていた時代の大賢者だ。戦うことを嫌い結界魔法ばかりを研究し、都市をまるごと結界に包み込む、という方法で外敵の侵攻を阻止した。その広域結界こそ、私たち帝国が求めているものだ。
だが、はっきり言えることは言い伝えられている大賢者フォン・ダン・ショコラは、白くて長いヒゲを伸ばした老人であり、間違っても幼女ではないということだ。
「そうじゃったかのう。それはそうとフォン・ダン・ショコラは長いからショコラちゃんで良い、というておるだろう」
「ショコラちゃん、と呼べば主さまって呼ぶのやめてくれますか?」
「嫌じゃよ」
「なら呼びません」
仲がいいのか悪いのか分からない会話を私はひとしきり聞いたあと訊ねた。
「で、結局この幼女は何者なんですか? まさか伝説の大賢者フォン・ダン・ショコラとかいうわけじゃないですよね?」
宰相と幼女はお互いの顔を見合ったあと息を合わせたように「そうだけど」と答えた。
「宰相、あなたは疲れているのよ。少し休んだほうがいいです」
私が心配すると宰相は少し嬉しそうな顔をしたがすぐに困った顔をした。
「いや、本当なんだ。この子は君がくれた『サルでもわかる始めての防御魔法(中)』のなかに封印されていたフォン・ダン・ショコラ様の擬似体なんだ」
いよいよもって宰相の頭が壊れたのかもしれない、と私は思った。魔法が様々な効果を持つことは私だって知っている。だが、人を擬似的にでも再現するなんて話は聞いたことがない。
「百歩譲って擬似体だとしてもその子のどこが白ひげの大賢者なんですか。可愛らしい幼女じゃないですか」
「フォン・ダン・ショコラ様。ああ言っていますけど」
肘で幼女をつついて宰相は説明を求めた。幼女の方はやや恥ずかしそうにもじもじしたあと私を下からじっと見つめて口を開いた。
「どうせ、擬似体として復活するなら幼女すげぇーって言われてみたかったんじゃよ。わしって大賢者として認められたのが年寄りになってからで若い頃はちやほやしてもらえんかったから、若い姿で蘇ってちやほやされようと思ったんじゃ」
「それなら別に幼女じゃなくてもいいじゃないですか?」
「お嬢さんや。男というものは人生に百回くらいは女に生まれ変わりたい、と思うもんなのじゃ。それもただの女ではないぞ。美少女とか美女とかそういうやつになりたいんじゃよ」
幼女の眼差しはどこまでも真剣で嘘を言っているようには見えない。だから、私は思うのである。こんなこと真面目に語るような人が大賢者であっていいのだろうか、と。むしろ、徹底して隠蔽するべきだ。
「ショコラ様に宰相もここにおられたのですね。はやく改良型多重結界の実験をしましょう」
私が隠蔽のためには魔導研究所を閉鎖するか、研究員をすべて投獄するべきか悩んでいると背後から軽薄な若い男の声がした。振り返ると金糸や銀糸で飾り付けたローブを揺らして駆けてくるその男に私は見覚えがあった。
男も私に見覚えがあったらしく、彼は慌てて挨拶をした。
「これは麗しきヴァランタン嬢。ようこそ我が魔導研究所に。あなたにお会いできたことこのフェーブにとってまことに僥倖であります」
「アディオン伯爵の長男で――」
「フェーブです。ヴァランタン嬢」
色の薄い金髪に青い瞳。いかにもな貴族である。だが、それだけに彼の印象は薄い。どこかの舞踏会か式典かで顔は見た覚えがあった。
「どういうことですか。研究所所長」
私が怒りを向けると彼はなにを言われているか分からない、とばかりに口をポカンと開けた。私はその開いた口に書類の束を突っ込んでやりたい衝動に襲われたが、大人な女性としてひかえておいた。
「頭が腐りかけた宰相が、この幼女を白ひげの大賢者だと言い張るのです。さらに幼女にだぶだぶのローブを着せたり、主さまと呼ばすなど公序良俗に反する数々の行い。あなたはこの研究所の責任者としてこれを止めようとは思わなかったのですか」
「いやーそのー、この方は白ひげの大賢者フォン・ダン・ショコラ様だと研究所として認めておりますし。なによりショコラ様が封じられていた魔道書はヴァランタン家の秘蔵品であったと聞いているのですが……」
そういえば宰相もそんなことを言っていた気がする。
「まぁ、そういうわけでお主がわしを復活させる遠因なのじゃ」
幼女は諦めろ、と言わんがばかりに慈愛のこもった表情を向けた。
「はい、ショコラ様のご指導で研究所にいる魔術師は皆、結界魔法をものに出来ました。これで東の魔物が攻めて来ても防ぐことができます。さらに宰相が組織を効率的に動けるように改編してくださり、いかなる場合でも迅速に結界を展開することが可能です」
どうです、すごいでしょう、とばかりに胸を張ってみせる所長の胸ぐらをつかむと私は彼の顔を自分の顔のすぐそばに引き寄せた。
「あなた、反宰相派じゃなかったの? どうして、それが宰相を褒めてるのよ」
「父から宰相は貴族権益を奪う悪人だと聞いておりましたが、直にお会いして話を聞いておりますと実に誠実で有能な方だと分かりまして、いまでは尊敬している次第です」
私は彼の襟首をぱっと手放すと溜息をついた。
「それはよろしいこと」
嫌味を込めていったにも関わらず彼は「いやーどうも」と照れくさそうに頭を掻いた。私は釈然としない思いを宰相の瞳に視線の形で撃ち込んだ。
「な、なにかな」
「いえ、なんでありません。つまり、宰相は私の差し上げた魔道書から出てきた大賢者フォン・ダン・ショコラから結界魔法を学んで、ついでに魔導研究所の組織改編もした、ということですね」
「そうだね。君があの本をくれなかったらこうも上手くはいかなかったよ。ありがとう」
「それは、おめでとうございます。では宰相には次の職場の説明をいたします」
隣にいる幼女と所長は、突然のことに驚いた顔をしていたが宰相だけは、黙って頷いて次の辞令を受けた。
「宰相には帝国南部にある古代遺跡に眠る秘宝を探していただきます」
「秘宝?」
「はい、東部戦線に出現している水を操る魔物――水操蟲に対して有効な秘宝が遺跡にあることがわかったのです。帝国誕生以前に南部の砂漠地方マカロンにあったという古エルメ王国が蟲殺しの秘宝を持っていた、という記録があります」
「蟲殺しのザバイオーネ。用いれば一夜にして大地の悪虫が死に絶えた、という伝説の秘宝か」
「伝説は有名なのですが、形状や使用方法などはいまだにわかっていません。ですが、それを宰相には探していただきます」
広域結界の完成でしばらくの間は敵の侵攻が止まる。この間に帝国は魔王軍からの侵略を打ち破る方法を見つけなければならない。だが、いまのところ有効な方法は見つからず。伝説などというあやふやなものに頼らなくてはならない。
「分かった。これも帝国の民のためだ。私は行くよ」
宰相はいつもと変わらない口調で言った。
「待つが良い。主さま。古エルメ王国といえばわしが生きておった時代でも伝説であった。そんな古のものがあると本当に思ってるのか?」
「ないかもしれません。ですが、私は彼女が言うことを信じますよ。なんせ私の部下ですからね。部下の言うことは信じてやるのが上司というものです。フォン・ダン・ショコラ様、どうか私が戻るまで東部戦線をお守りください」
宰相は静かに頭を下げた。
幼女はそれを渋い顔で受けると「早く戻ってくるが良い。そうでないとわしが東部戦線を救ってしまうかもしれんぞ」と心にもない冗談を言った。
「申し訳ありませんが、今回は餞別はありません。ですが、現地にいる古エルメ王国の末裔と言われる水の一族に協力を申し入れてあります。話では一族で一番力の強い聖女が力を貸してくれるそうです」
「それはありがたい。どんなときでも人が一番の助けだよ」
「言っておきますが、聖女といい関係になったりなどせぬようにお願いします」
私が言うと「しないよ。別れたとは言え妻も娘もいるんだから」と宰相は言った。
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