第二話 宰相は属州を奪還しました
絞首刑になるところを追放となった宰相アクセル・ノアイユは、たった一人で魔王軍に占領された属州ダックワーズを取り戻すように命じられた。それは事実上の死刑と言えるものであった。私――三等書記官アンナ・ド・ヴァランタンが死地へと向かう元上司を見送ってから三ヶ月が経った。
「いやー、よくご無事でしたね。見送りはしましたがもうダメだとばかり思っていました」
王宮に属州ダックワーズの変化が伝えられたのは宰相が、旅立ってから一ヵ月後のことだった。我らがグラニテ帝国の軍旗が放棄されていた砦の一つに掲げられているとの報告があったのである。このとき王宮の貴族や官吏の多くは宰相の生存を信じているものはいなかった。
だが、二ヶ月後に属州ダックワーズ奪還が宰相の名前で報告された。反宰相派の貴族たちの動揺は見ていて愉快でさえあった。
「私も今回ばかりは何度も死んだ、と思ったよ」
「その割には日に焼けてお元気そうですよ。不健康な真っ白なころより良いかもしれません」
「え、そうかな?」
魔王軍との戦いで宰相は日に焼けて黒くなり、綺麗に剃りあげていたヒゲもいまでは胡麻塩のようになっている。だが、彼の表情には曇りはなく昔と同じような穏やかな微笑みが戻っている。私はそれを嬉しく思った。
「報告書で読みましたが、魔王軍の将軍は植物系最強の地喰大樹マンテカードだったそうですね」
「まさか魔王軍の四天王とも言われるマンテカードが現れるとは思ってもみなかったよ。一匹の魔物でありながら根から種子から分裂して何百何千にも増えることができる無限増殖はまさに最強に相応しい恐ろしさだった」
マンテカードは部下を率いるような魔物ではなかった。一にして群。群にして一というのがふさわしい。根、茎、葉そして花や種子からも再生ができるこの魔物の恐ろしさは、土中から栄養を摂り込み続ける限り際限なく再生できることだ。
このようなものを相手にしては何万の兵士がいたとしても勝てる気がしない。
「まったくです。それに報告書にあったマンテカードの必殺技『地滅光蝕』なんて地形が変化するほどの威力だったそうじゃないですか」
「あれは凄まじい攻撃だった。大地に伸ばした根から栄養から魔力まで吸い上げて破壊の力に変換していた。真っ黒な閃光が身体のすぐそばを蝕んでいったときは生きた心地がしなかった。あれは人間にはできない恐ろしい技だ」
「いやー、本当によく勝てましたね」
「まったくだよ。もう一度やってくれと言われても無理だろうね」
「そうですか? もう一回くらいならできちゃうんじゃないですか」
私たちはお互いの顔を見て笑ったのだが、後半から宰相の目が笑っていなかった。まったく冗談の通じない中年である。
現在、属州ダックワーズでは慌ただしく再建が進んでいる。他の属州に逃げていた領民も五割ほど帰ってきており、あと半年もすれば元の八割くらいまではもどる見込みである。さらに幸いなことにマンテカードは戦闘がなければ地中から栄養を吸い上げて光合成をしているだけであったため、戦場にならなかった地域では建物の被害が極端に少なかったことだ。
民が戻っても住む場所がないのでは困ったものだが、今回はその心配はない。
私は砦の窓辺に近づくとしたに広がる街を見た。戻ってきた領民や大慌てで属州の維持に駆り出された兵士たちが忙しそうに走り回っている。
「これが宰相が取り戻された成果なのですね」
「維持することは取り返すことよりも難しい。これからが正念場だよ。それにしても君も帝都から来てもらって悪かったね」
宰相は心底からすまなそうに頭を下げた。私はそれを両手で押さえて「まったくです。馬車が揺れるのでお尻が痛くなりました」と微笑んだのだが、宰相はひどく白い目をこちらに向けていた。私は少し居心地が悪くなったので話を変えた。
「そういえば、あのたいまつ……いえ、陽炎剣フランベリオンは随分と役に立ったそうですね」
我が家の倉庫でたいまつの代替品となっていた剣は、伝説の剣に相応しい働きをしたと報告書に書いてあった。うちではろくに働きもしなかった剣が宰相のもとでは随分と働くものである。
「あれは助かったよ。炎が出る剣というだけでも凄いのに大地に突き刺すと地面を溶かして溶岩にしてしまうのだから。あれがなければマンテカードの根を焼き尽くすことはできなかった」
そんな力があるとは知らなかった。
「我が家の宝剣ですからね。それくらい朝飯前ですよ!」
私は胸を張ってみせたが、背中からは冷たい汗が噴き出していた。昨年、あれを使って庭で焼肉をしたことがあったのだが、油拭き取ってなかったなぁ、とか好きな吟遊詩人の舞台であれを振り回したこともあったなぁ、というどうでもいいことが脳裏をよぎる。
「さらにすごいのは、フランベリオンのなかに竜殺しルッジェロが倒したといわれていた獄炎帝竜マジョリカの力が隠されていたことだ。すべての根を失い無数の種子となって逃げ出そうとしたマンテカードにとどめを刺すことができたのはこの力のおかげだ。君も人が悪い。あんな力があるなら最初から教えてくれれば良かったのに」
待って欲しい。獄炎帝竜マジョリカの力ってなに。美味しいの。
「い、いってませんでした?」
私は目を回遊魚のようにぐるんぐるんと彷徨わせて答えた。
「しかし、竜殺しルッジェロは獄炎帝竜を討ち果たして英雄になった、というのが私たちの知る物語だったのに剣に獄炎帝竜の力が封じられていたということは真実は少し違うのかもしれない。実に興味深い発見だ」
宰相は歴史の浪漫にしみじみと目を細めていたが、私はあの剣には二度と近づくまいと決めていた。理由は簡単だ。私が剣に封じられた獄炎帝竜マジョリカだったら、自分の炎で焼肉をされたり、たいまつ替わりに使われていたら怒る。それはもうひどく怒る。封印が解けたらいの一番で燃やしたいくらいに。
「剣の性能はともかく。どんないい武器でも使う人がいなくては功績にはなりません。だから、すべては宰相の功績です」
「そうかな。喜んでいいのかな」
嬉しそうに顔を綻ばせる宰相を見て私は若干の心の痛みを感じたがそれに反省するよりも前に慌ただしい足音で男性がやってきた。彼はいかにも武人ですという幅広い肩幅に引き締まった身体をしていた。
「お、二人とも楽しそうだな。だが、いまは引き継ぎの途中だぞ」
「近衛団長、申し訳ありません」
「お前が俺のあとを引き継いでくれるのなら頼もしいことだ」
頭を下げる私と違って宰相は近衛団長に軽く手を挙げて見せた。
「文官であるお前に属州を取り戻してもらったんだ。維持するくらいは武官がせねばな」
「だが、お前が総督になったら近衛はどうするんだ?」
「あれなら、副団長に押し付けてきた。あいつもそろそろ人を使う難しさを学ぶころだろうからな」
近衛の副団長といえば、貧乏貴族の三男坊で剣しか取り柄がないと噂の人物である。王宮の警備が彼の双肩にかかっていると思うとやや頼りなさを覚えずにはいられない。だが、魔王軍に攻められているのはこの北方と東方で帝都のある中央部から戦火は遠い。そういう意味では近衛団長のように優れた人物を地方に出すのは悪くない。
「お前はいつも厳しいな」
「お前があまあまなんだよ。そこの書記官を見ろ。上司のことを上司とも思ってない顔してるじゃねぇか」
団長が私の顔を指差す。
「何をおっしゃります。私は宰相を尊敬しているからこそこうやって帝都からわざわざ出張してるんですよ」
「そういうあたりがだよ。まったくロクでもない。……それはさておき宰相はまた大貴族の不興の的だぞ」
「武功をたて過ぎたってことか」
宰相ははじめて暗い顔を見せた。それは団長も一緒であった。古臭い砦の一室で中年男性が二人で眉間にしわを寄せている姿はどうにも辛気臭い。加齢臭くらい臭いのである。
「あの、そういう話は大貴族である私の前でしないでください」
団長は視線だけ私の方を向けると「お前さんはいまさらっていうか。どうせって感じだからな」と鼻で笑った。まったく貴族に対して敬意のない人達である。
「そうですか。そうですか。分かりました。王宮で宰相と団長が良からぬことを企んでいると言いふらします。讒言祭りです。讒言につぐ讒言の嵐です」
「あー、そういうのはいいから。お前さんは別にすることがあるだろ」
団長はうんざりという様子で気だるい目をした。
「そうでした。おじさんたちの加齢臭で大切なことを忘れていました」
臭くない、と不平を鳴らす二人の小汚い中年をよそに新たな勅書を宰相に差し出した。私は咳払いをすると声を整えて言った。
「では、次の職場の説明をします。宰相には魔法都市パリブレストにて白ひげの大賢者フォン・ダン・ショコラが構築した広域結界の再現をしていただきます。この魔法は術式が伝承されていないために伝説の魔法と言われています」
パリブレストは帝国西部にある大都市で、かつて執務室に私兵を連れて抗議に来た大貴族アディオン伯爵の本拠地である。当然、パリブレストにある魔導研究所は彼の息のかかった魔法使いで満たされている。さらに研究所の所長はアディオン伯爵の長男である。
「ちょっと待て。私は剣もできなかったけど魔法もできないよ」
「宰相は剣ができなくとも属州を奪還されました。魔法もなんとかなりますよ。ようは気合です。えいやー、と叫べばなんとかなります」
宰相が三か月前のような腐った魚の目でこちらを見ている。私が視線を逸らすべきかどうか思案していると団長が余計なことを言った。
「噂ではその広域結界を三十日後まで完成させないと東部の防衛線が破れそうらしいな」
「あっ、なんで言うんですか。あの研究所のアホどもがいつまでも完成させないからいけないんですよ」
いま東部の戦線は水を自在に操る魔物によって総崩れになりつつある。その攻勢から町や村を守るためには広域結界が必要なのである。
「……なら、仕方ない。素人がどうにかできるか分からないけど仕事だからちゃんとやらないとね」
宰相はいつもの調子で言うと微笑んだ。
「宰相では私から餞別があります。これです」
この日のために我が家の倉庫から用意したものを彼に手渡す。
「こ、これは? ……なに?」
「はい、倉庫にあった大賢者っぽいローブと杖。それに誰が書いたかわからない入門書『サルでもわかる始めての防御魔法(中)』です」
「前回みたいに伝説の杖とかは?」
「そんなの都合良くありません。いくらうちが超大貴族だからと言ってなんでもあるわけじゃありません。でも、いかにもすごい魔法使いみたいなローブと杖だと思いませんか?」
真っ黒なローブには色とりどりの魔石が縫い込まれ、魔法陣のような図形が漆黒の糸で刻まれている。杖は先端に巨大な魔石があり、それらを囲うように少し小さな魔石が白金に埋め込まれている。
「確かにそれらしい格好ではあるけど。あと入門書の上と下は?」
「見つかりませんでした。でもどうせ、上は基本中の基本で、下は普通やらねぇよっていう応用しか載ってないとおもうので大丈夫です。すべて中ぐらいできればなんとかなります」
私の言葉に勇気づけられたのか宰相は静かに感情を押し殺したように「行こうか」とこちらを見た。
「流石は宰相です。行きましょう」
「前に言っていた妻と娘はなにか言っていたかい?」
「元妻子ですよね。はい、元奥様からは追放されても仕事なんて本当に仕事が好きなのね、と伝言を受けております」
私が報告すると宰相は涙を堪えながら旅立った。彼の背中に私は官僚として仕事に挑む責任感を見た気がした。
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