宰相は追放されました。つきましては次の職場の説明をします。
コーチャー
第一話 宰相は追放されました
「宰相は追放されました。つきましては次の職場の説明をします」
「ふぁ!?」
グラニテ帝国の宰相アクセル・ノアイユは、部下である私――三等書記官アンナ・ド・ヴァランタンの言葉を聞いてひどくマヌケな顔と声で答えた。私は緊張感のない元上司にもう一度だけ事実を伝えた。
「宰相は追放されました。つきましては次の職場の説明をします」
「それはどういう冗談なんだ?」
四十代も後半になると耳は遠くなり、目は老眼で見えにくくなるというが頭の回転も悪くなるらしい。私は察しの悪い彼にどのような言葉を使えば良いか、と少し考えてからとても短い言葉を使うことにした。
「宰相はクビです」
宰相は口をあんぐりと開けたまま、こちらを不審だらけの目で見つめるので私は、皇帝陛下からの勅命を彼の目の前に差し出した。勅書を食い入るように眺めていた彼の顔色はどんどん青白くなり、最後には腐臭が漂う魚のような目のまま動かなくなった。
宰相は、宮中でも穏やか人間という認識で知られている――当然のように会議で激高して怒鳴り散らすようなこともしない。私は任官から三年間、宰相のもとでずっと働いてきたが、彼が誰かを口汚く罵ったり、手を挙げる場面に出くわしたことはない。
さらに驚いたことに彼は部下と食事に行ったとき、部下が彼よりも高い料理を頼んでもそれを笑って許していた。これはなかなか出来た人物だと思う。私なら「なに私より高い定食頼んでるんだ」くらいは言うかも知れない――いや、絶対にいう。
陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせている宰相の頬を私はうんざりした気持ちで叩いた。彼は現実に引き戻されたのか「痛っ」と叫んでいたが現実はもっと痛々しい状況なので我慢してもらおうと思う。
「こんな事になったのはどうしてかお分かりですか?」
「いや、分からないよ。私は帝国のため、国民のために身を粉にして働いてきたつもりだよ」
確かに宰相は真面目に仕事に取り組んでいた。
彼が宰相になってから貴族に対する徴税を厳格化させたり、魔王に追われて難民となった人々を救済する法律が制定された。さらに平民にとって最低賃金の制定や労働環境法などはとくに喜ばれたものであったが、それらに対する貴族層からの反対は厳しかった。私たちが働く政務室に貴族が私兵を連れて突撃したことは一度や二度ではない。八度である。そのたびに宰相は槍や剣に脅された。
西方の大貴族アディオン伯爵が怒り狂ってやってきたときなどはひどいものであった。私であれば「もう決まった法律なんです。黙って従ってください」というところなのだが、宰相はどうしてこの法律が必要であるから始めて、伯爵がうんざりして「もういい!」と席を蹴るまで丁寧に三日間に渡って説明を続けた。おかげで私たち書記官は剣や槍に囲まれたまま三日間も業務に従事しなければならなかった。
そんな宰相だから今日のことは来るべき日が来たと言えなくはない。
北方の属州ダックワーズが魔王軍によって奪われ、難民となった国民をどの属州にどれくらい割り振るかという属州総督との協議のために宰相が王宮を離れた隙に、大貴族を中心とした反宰相派が皇帝陛下に宰相の罷免を強く要求したのである。陛下もこの強い突き上げに対抗できず宰相ははれて追放となったのである。
「宰相が貴族の利権を削るからですよ」
「そう言っても魔王が現れて国難に陥っているいまこそ貴族が最初に身を削るべきじゃないか」
宰相はお題目のようなことを真剣に言った。確かに貴族とはそういうもののはずだ。民の手本となり、民のために血を流す。だから多くの権利を与えられている。だが、それは数百年前の建国当時の話だ。平穏に包まれて豪華な暮らしになれたいまの貴族にはそのような考えはない。
「えっ、うそ。うちの宰相、真面目すぎ」
「でもね。貴族制度というのは――」
私は制度論を語りたがる宰相の口元に手を押し当てて黙らせると進まない話を強引に動かした。
「制度でも冥土でも毎度でもどうでもいいです。それよりも。宰相の次のお仕事です」
「追放された先での仕事か。なんだか気が進まないね」
宰相はがっくりと肩を落としてこちらを見た。
「気が進みませんか。分かりました。追放が嫌だというときは別の案もありますので、そちらにいたしましょうか?」
「そんなのがあるの? この歳で辺境とかはきついから王都でできることがあるならそっちがいいねぇ」
「そうですか。分かりました。では宰相は絞首刑になりました。つきましては執行日の説明を――」
説明をしようとする私の肩をがっちりと宰相は両手で押さえるとひどく低い声で「いや、行く。追放される。どこかなー。楽しみだなぁ」と言った。私はそう言うならはじめから素直に従って欲しいものだ。手間がかかる宰相に私はやれやれと溜息をついた。
「ったく、最初からそういえばいいのに。宰相はご存知ないでしょうが、死刑から追放刑にするために私は頑張ったんですよ」
そうだ。私は宰相の処刑を叫ぶ貴族たちを上手くなだめすかして追放にしたのだ。ある貴族には、死刑にしたら宰相の怨霊が出るかもしれませんよ、と吹き込み。別の貴族には平民に人気のある宰相をかばえば平民からの人気があがりますよ、とささやいた。おかげで宰相は死刑から追放となったのである。
「それは悪かったね。貴族を相手に大変だっただろう」
「そうですね。私も貴族じゃなければ危ないところでした」
「あー、そうだったね。君、貴族だったね」
「やめてくださいよ。貴族だなんて、大貴族って言ってくださいよ」
私の母方のヴァランタン家は、帝国中でも五指にはいる名家である。そこらにいる男爵とか子爵という有象無象と一緒にされるのはたまったものではない。
「君は……どっちだったんだ。私を罷免する一派にいたのか?」
「宰相は私にとって尊敬する上司です。私が任官したときいただいた言葉を私は覚えています」
『貴族であろうが平民であろうが官吏となったからには公私に拘らず、国民のために職務を遂行せねばならない』
宰相は私に言った時と同じように言葉を繰り返した。
「と、いうわけで宰相の次の仕事なのですが」
「いや、待ちなさい。君はどっちだったの?」
いい話でまとめようとしているのに話を蒸し返そうとする宰相に私は舌打ちをすると、食い下がろうとする彼を後ろに押し返して話を続けた。
「では、まずこれを宰相にお渡しします」
私は用意してきたものを宰相の前に置いた。
「これは?」
「はい。ご覧のとおり我が帝国の軍旗です」
アイリスの花と太陽を紋章としたこの旗は、帝国軍の進むところに掲げられる伝統的なものである。王宮にも飾られていたので宰相も知っているはずなのだが、彼は首をかしげながらそれを手にした。
「軍旗ってことは軍隊だよね。だけど私は文官で一度も剣を握ったこともないよ。それとも軍の後方責任者かな」
確かに補給や人員整理というのは宰相の得意分野だろう。だが、今回彼に求められているのはそういうものではない。もっと大きなものだ。
「責任者というのは正しいです。宰相はこれから属州の総督になられます」
「えっ、総督なの? 追放って言うからにはもっと閑職かと思ったよ。どこの属州かな?」
安堵した表情を見せる宰相が妙に憎々しくて私は彼を睨みつけた。
「はい、任地はダックワーズです」
「ダックワーズ? 魔王軍に占領された?」
「そのダックワーズです。これからは宰相が進まれたところにこの旗を刺してドンドンと領地を取り返してください」
「自慢じゃないが私は兵士を指揮したことないのだけど」
それはそうだろう。宰相は文官として任官してからずっと官僚の世界で生きてきたのだ。
「安心してください。兵士の指揮は必要ありません」
「良かった。じゃー指揮は誰か武官が来てくれるんだね?」
「いえ、宰相お一人ですので指揮する必要がありません。夢がありますね。無人の荒野を自分の実力しだいで切り取り放題なんて」
私の言葉が終わるか終わらないくらいに宰相は「できるかー」と叫んで武者震いをされているのを見て私は、彼ならできると確信をしました。ひとしきり叫び終えた宰相に私は微笑むと軍旗とは別に用意したものを彼の前に差し出した
それは燃え盛る炎のように剣身がくねくねと曲線を描いた異様な剣である。
「宰相に餞別をご用意いたしました。我が家の倉庫にあった陽炎剣フランベリオンです。」
「こ、これが伝説の!? いいのかい? こんなすごいものを」
「この剣をご存知なのですか?」
「知ってるもなにも伝説の竜殺しルッジェロが持っていた剣だよ。本当にあったなんて知らなかった」
すごく褒めてくれる宰相に私の心は苦しさでいっぱいになった。実はこの剣は振ったり、構えたりすると炎が出るので、我が家ではもっぱらたいまつの代わりや炭をおこすのに使っていたのだ。宰相が一人で属州を取り返すのに道中の明かりが必要だと思って用意したのだが、そこまで喜ばれると罪悪感がすごい。
「い、いえ。わ、我が家では普通ですからどうぞお持ちください」
「ありがとう。だけど、私に本当に剣が使えるかな」
心配そうな顔を見せる宰相に私はもう一つ用意してきたものを差し出した。
「はい、そんな宰相のために用意しました狂刃イゾウになります。この剣を握るとあら不思議。どんなひとでも凄腕の剣士に大変身。見るもの全てを斬りたくて斬りたくてたまらなくなっちゃう。これなら初心者の宰相も安心です」
「え、これ呪われてない?」
「呪われてるんですか?」
私と宰相の間に微妙な空気が流れる。
「まぁ、こういうものは気持ちだからね。だけど、フランベリオンだけで十分かなぁ」
「そうですか。分かりました。ではご武運を、宰相」
「書記官、頼みたいのだが妻と娘……。いや、元妻と娘か」
宰相はやや寂しそうな顔をすると「無事に総督を勤めあげたら会いたい、と伝えてくれるか?」と頭を掻いた。私はそれを素直に受けると「必ず」と短く答えた。こうして、私の尊敬する上司は新たな任地へと旅立っていった。
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