第5話 砂川夕陽

 ニューヨークの現代美術館で「現代日本のアートシーン」を紹介する展覧会がオープンした。

 日本にいる森山宗景は嫌々ながらパソコンのインターネットで展覧会の様子を撮した美術館ホームページのビデオを見た。

 見て宗景はがっかりした。広範なアートを網羅するとは聞いていたが、奇抜なポップアートやマンガばっかりだ。アニメだかゲームだかの恥ずかしいコスチュームを着てポーズを取る女の子たちまで登場している。抱いていた展覧会のイメージとは百八十度正反対だ。

 しかし宗景の「黄金の黄昏」も少しだが映った。

 砂川の「輝きのひまわり2」も映った。

 砂川の方が少し長く、お客も多いようだった。

「まあいい。ちゃんとした大手新聞のレビューが出れば状況も変わるだろう」

 と、宗景はその教養ある良識的なレビューに期待したのだが。


 メジャー各紙のレビューが出揃った。

 各レビューともジャパニーズ・ポップカルチャーの世界への進出ぶり、とりわけ「マンガ」と「カワイイ」を大きく取り上げ、クラシカルなアートについては「サムライ・ショーグン」の日本でのブームとコスプレまがいの甲冑が取り上げられる程度で、日本画や油絵と言った芸術の本流についてはほとんど取り上げられなかった。

 例外的に砂川の「輝きのひまわり2」だけが取り上げられ、

「日本の繊細なゴッホ」

 と賞賛されていた。


 森山宗景大先生は当然面白くない。

「ちくしょう、しょせんアメリカ人には日本の繊細なわびさびの美意識など理解できんのだ」

 と表面的にはえらくご立腹され、内心ではしゅんと落ち込んでいた。


 その大先生に追い打ちを掛けるようにアートな話題として「黄金の黄昏」の評判が伝えられた。


「日本本国でたいへん評価の高い森山宗景画伯であるが、その評価はどうやら日本人独特のもののようだ。

 今開催されている『現代日本のアートシーン』展で公開されている画伯の『黄金の黄昏』が変な評判を取っている。

 実際に絵を見た人たちの声として聞かれるのは、

『言葉では言い表せない不愉快な絵』

『その絵の前に立って眺めると、胸くそ悪い吐き気を感じる』

『足早に通り過ぎるか、でなければつばを引っかけてやりたくなる』

 とさんざんな評判だ。

 日本であれほど評価の高い画伯の絵に何故これほど悪評が聞かれるのか、アートの専門家に見解を求めると、

『金箔をべたべた貼り付けた悪趣味さに不快感を催すのだろう。彼の絵は伝統的な傑作のコンピューターによるトレースのようなもので、上手な物まね以外の何物でもない。実際これが大量生産の壁紙だったら季節の変わり目に気分転換に一枚くらい購入してもよいが、こんなご大層な成金趣味の薄っぺらい絵が何百万ドルもするなど、馬鹿なジョークとしか思えない』

 と手厳しい。

 展覧会の会場で森山宗景画伯の『黄金の黄昏』は『ジャパニーズ・アルケミー=日本の錬金術』と揶揄され、物笑いの種にされているが、その大きさに反比例して立ち止まって鑑賞する客の数は決して多くはない」


 このニュースをまたこっそりパソコンで覗き見た宗景先生は髪の毛が逆立ちそうに激昂した。

 しかし宗景は何故あの絵がそこまでアメリカ人に嫌われるのか本当に理解できなかった。喜んでもらえるとばかり思っていたのに、なんだかひどい裏切りに遭った気分だ。

 これではまるで、あの悪意溢れる「掲示板」の連中といっしょじゃないか?

 宗景は世界を覆う不道徳な闇を思ってひどく落ち込んだ気分になった。



 森山宗景がブーイングに晒される一方で、砂川夕陽の「輝きのひまわり2」は若い感性のポップカルチャーとは別次元で高い評判を呼んでいた。

 会場を訪れ、求められれば嬉しそうにサインに応じる気さくな態度と、プロの画家ではなく老人介護の仕事の傍らの画業という点でも好感を得ているようだ。

 レビューにこうある。


「日本の若き画家砂川夕陽は世界基準で通用する才能豊かな芸術家である。

 彼女の作品は元々日本で若い人たちを中心にカルト的な人気があったが、今回発表された新作でそれまでの枠を抜け出し、大きな飛躍を遂げた。

 今回新しく提示された彼女の感性は世界中の誰でも共有できる親しみやすさを持つ一方で、優しく、強く、見る者の心を勇気づけてくれる。

 苦しい境涯にある者はその絵を前に涙を流すことだろう。しかしその涙もきっと雨上がりの太陽のごとき砂川のひまわりによってキラキラと輝くことだろう。

 世界は今砂川を得て幸せである」


 アート雑誌が砂川に取材を求め、特集記事をまとめた。その電子版がいち早く発信され、日本でも提携するネットサービス会社が日本版を掲載した。

 そのインタビューで砂川は自分の劇的な作風の変化についてその内実を初めて明かした。


「実は『砂川夕陽』はわたしと兄の合作のペンネームだったんです。

 元々は兄が砂川夕陽として絵を描いていたんです。

 兄は先天的な病気で、十歳を過ぎた頃からだんだんと体の自由が利かなくなり、杖をつき、車椅子に乗り、十七歳からは学校に通うのも不可能となり、病院が生活の場となりました。

 兄は辛かっただろうと思います。

 本名は雄飛と言うんです、雄大に飛翔すると書いて。名前を付けた親もその名前が兄に重くのしかかって苦しめることになるとは思わなかったでしょうね。

 兄は夕焼けの夕陽を名乗って絵を描き始めました。最初は手元で小さな絵を描いていたんです。それからだんだん欲が出てきたんでしょうか、だんだん大きな絵を描くようになっていきました。でも絵が大きくなっていったのは手の自由までだんだんと利かなくなっていったからでした。大きな画面でないと線が引けないんです。

 わたしは兄を手伝って、兄の手となって絵を描くようになりました。こうしてわたしたち兄妹二人、砂川夕陽となったのです。

 兄は病院から出たがりまして、ちょうど手頃な借家がありましたのでそこへ移り、そこをアトリエとして絵を描き続けました。コンクールで入選しまして、兄はずいぶん嬉しかったようです。

 兄は内からわき上がってくる感情を絵に表現しようとし、わたしは兄の言葉に従い、兄の思いをくみ取り、絵筆を走らせていきました。絵のモチーフと構成は兄、実際に絵として完成させるのがわたしという役割分担になっていきました。

 絵は画廊で扱っていただけるようになりましたが、それだけではとうてい暮らしていけませんので、わたしは兄の介護の為もあって勉強した資格で訪問看護の仕事に就き、兄の世話は両親とわたしで交代で行っていました。兄の病状は進行し、もうじきベッドから起き上がるのも難しくなるだろうと思われました。

 兄の絵は暗いモチーフの物が多かったですが、決して暗い、辛い気持ちだけ描いた物ではなかったんですよ? 兄は常に暗い辛い状況の中でも希望の光を見いだそうと努力していました。その光を希求する心が、兄の絵を好きだと言ってくださる多くの方の心に届いていたのでしょうね。

 しかしその兄も、とうとう病魔に勝てず、先般自ら命を絶ってしまいました。きっと、まだ自分の力で動ける内に、との思いだったのでしょう。

 わたしたち家族は泣きました。希望を常に求め続けた兄が、ついにその希望を失って自ら命を絶ったのです、見守るわたしたちは自分たちを責めました。

 わたしはもう絵筆を持つことはないだろうと思っていましたが、ふと生前兄が申していた言葉を思い出しました。兄はいつか外に出て明るいひまわりを描いてみたいと言っていたのです。

 そこで砂川夕陽の片割れとして兄の魂が天に昇る手向けに描いたのが『輝きのひまわり』なのです。

 これは兄が描きたかった砂川夕陽の最後の絵です。この絵を以て砂川夕陽の全作品は完結しました。

 わたしは、これを最後に絵筆を置くことを考えていました。このアメリカニューヨーク旅行が今まで砂川夕陽として描いてきたご褒美にして。

 でも、気が変わりました。わたしはずっと絵を描いていきます。会場でも多くの方から次の作品を楽しみにしていると言っていただけたので。それに、この絵を描くのは楽しかったんです。兄と一緒に兄の絵を描いているのは正直しんどいことが多かったですから(笑)。

 砂川夕陽は兄と共にその生涯を終えました。

 わたしはこれからわたしの名前の美羽で絵を描いていきます。砂川夕陽のファンをがっかりさせちゃうかも知れませんけれどね(笑)。砂川夕陽ファンの多くの方にとって砂川夕陽は兄だったと思います。ですからわたしはもう砂川夕陽は名乗れません。ファンの皆さん、どうか兄の思い出を大切に心の内に置いておいてくださいね? 砂川夕陽の絵が、少しでも皆さんの心の糧になってくれていることを願っております」


 この告白に対し、インタビュアーは日本での噂について真相を尋ねた。

 森山宗景画伯が砂川夕陽の作品をひどく批判し、画壇から排斥したという噂があります。今のお話によると、ひょっとしてお兄さんが亡くなったのはそのことのショックによるのではありませんか?


「それはないと思います。兄は病気だったのです。病気でなければ、兄が自殺することはなかったでしょう。兄は病気に負けたのです。森山先生のせいではありません」




「うむむ…………」

 インタビューを読んだ宗景は後ろによろめきながらデスクを離れ、逃げるように部屋を出た。

 ああ、俺は馬鹿だ。

 何がロダンとカミーユだ。

 あの女が、兄を殺した俺を恨んでいないわけはなかろう?

 全て計算尽くの復讐なのだ、どのタイミングで真相を暴露すれば俺に一番ダメージを与えられるかを計算して。

 ああ、すまない、知らなかったのだ、砂川夕陽がそのような病気だったなんて。

 だってそうじゃないか? あの筆致から肉体的な不自由さなんて感じられないじゃないか? 筆を持って描いているのは健康な妹なのだから。

 ああ、それにしてもすまないことをした、

 ああ、許してくれ、俺は、俺は、

 人を不幸にするつもりなんてなかったのだ、

 まして、

 死に追いつめるほど絶望させるなんて、

 そんな、そんな、俺は考えもしなかった。

 ああ、許してくれ、何も知らなかった俺を、どうか慈悲を掛けて、許しておくれ……………


 暗い廊下でしゃがみ込み、ひどく落ち込んだ宗景は、ああ彼女に謝らなければと思った。一刻も早く、ひとまず電話ででもとにかく謝ろう。そうは思ったが、外国に国際電話を掛けるなど、どうしたらよいのか分からない。弟子も夕食を用意してくれたお手伝いさんもとうに帰ってしまっている。彼らがいなければ大先生の宗景は一人では何も出来ない。竹林の携帯電話なら直接つながるのだが、そんなことは知らないし、番号も、聞いたのかも知れないが記憶になかった。

 はあと重いため息をついた宗景は、明日弟子に電話をつないでもらうとして、今夜は寝ようと思った。もう何もする気が起きない。どうせ寝付けやしないのだろうなあと思った宗景はリビングに行きキャビネットからウイスキーの瓶を取り、その場でグラスに注いで煽った。焼け付く辛さばかりが残ってちっとも酔えぬ。二杯三杯と注いでクッと仰ぎ続けた。悪酔いしようがかまうものか、どうせしばらく悪夢しか見られないだろう。

 立ったまま飲み続け、ようやく足元が怪しくなって、倒れない内にベッドに入ろうと思った。

 歩き出すとなんだか急に酔いが回ってきたみたいだ。着いた足から急に力が抜けて、ガクンと腰砕けになって慌ててソファーの背もたれに掴まった。やれやれ無茶をし過ぎたか、俺ももう年なんだからとしっかり立ち上がろうとしたが、何かおかしかった。脚に力が入らず、手がぶるぶる震え、ううむ、と宗景はその場に座り込んだ。背もたれに裏側から肩と頭を付き、何かおかしな違和感から一生懸命立ち直ろうとした。ああ、いかん、本当に飲み過ぎた、と後悔したが、ひどい目眩がして、胸が苦しく気持ち悪く、気が付くとハアハアと荒い息をついていた。ぐるぐると激しい不安が胸を渦巻き、言いようのない不安感に顔をしかめ、眉間に深いしわを刻んだ。ドクンドクンと額側面の血管が脈打ち、震える手を当てると、驚くほど太い血管が浮き出して踊っていた。

 宗景は恐怖した。おかしい、何か変だ。不安がどうしようもなく膨れ上がり、誰かに助けを求めなければと電話に向かおうとしたが、立ち上がろうと力を込めた瞬間、頭の中で赤い爆発が起こった。

 あっ、しまった!、と思った宗景はゴロンと転がり、ビクビク痙攣しながら胃の中の物を吐いた。幸い横向きだったので吐瀉物で窒息することはなかったが、ビクビク痙攣しながら、苦しい苦しいと思いながら、意識を失い、冷たくなっていった。


 夜の住宅街に救急車のサイレンが鳴り響いた。

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