第4話 光と影

 砂川夕陽は旧作を全て手元に回収した上で新作「輝きのひまわり」を発表した。

 これは従来のファンの間でセンセーションとなった。

 キラキラ輝く眩しい作風に、

 苦悩の時代をくぐり抜けついに到達した瑞々しい楽園と賞賛する者がいる一方、

 わたしの砂川夕陽はどこへ行ってしまったの?と嘆くファンもいた。

 後者のファンは砂川夕陽が森山宗景と和解したというのがえらくお気に召さず、砂川の劇的な画風の変化を

「退屈な老画家の悪影響に染まってしまった」

 と非難した。


 そんなネット上の論争など知る由もなく、大画家は実にのんびりした日常を過ごしていた。

 彼は年甲斐もなく若い女性のことを考えていた。

 砂川夕陽である。

 紅倉美姫は宗景に女難の相が出ていると警告した。タイミング的に砂川がそうなのだろう。

 宗景は最初砂川を見てひどく苦手に感じた。

 そもそも宗景は女性が苦手だった。数多くいる弟子的画家たちはほとんど男だった。宗景は親分肌の豪放なキャラクターであったが一方で芸術的繊細さも持ち合わせていたので、女性にはどうも気後れしてしまって苦手だった。六十三歳の現在独身であり、まあ年齢的に考えても生涯独身で終わるだろう。若い頃にも身を焦がすような劇的な恋などした覚えもない。

 苦手に感じた砂川だったが、その才能には一目で惚れてしまった。

 その劇的な変化が自分の悪口が原因なら、それは大いにけっこうなことであったと思う。

 強く反発した者が、理解が進むに連れ強く惹かれ合う。

 なんだ恥ずかしい、恋愛ドラマの常套句じゃないか?

 宗景は年甲斐もなく口元をだらしなく弛めてしまう。

 紅倉はその女性をどう扱うかで自分の未来が大きく変わってくると言った。

 砂川の容姿を思い出す。若くはあるが……二十三歳だそうだ、若くはあるが、それほど美人というわけでもない。至って普通人だ。しかしそれが宗景には好もしい。あまり美人過ぎては宗景の女アレルギーが出てしまう。

 芸術を理解する才能豊かな、社会性のある女性。

 宗景は芸術家にありがちな、自分が自分が、と我の強い人間も嫌いだ。そんな奴の芸術が何ほどの物かと思う。勝手にほざいておれ。芸術は、絵は、人に見られて初めて生きるのだ。自分が自分がとわめいてる奴は、一人部屋ででも、誰もいない冬の海ででも、勝手にわめいているがいいのさ。

 なんだか砂川夕陽が理想の女性に思えてきた。

 ああ、ちくしょう、自分がもっと若い頃にあのような女性が現れてくれたらと思う。そうしたら自分の人生はもっと別の楽しみに溢れていたと思う。子どももいるかも知れん。そうしたら世間の親並に子どもの成長や反抗期に悩んだりするのか? もっと普通に世間に関わっていただろうか?

 宗景は想像の現在を夢想して楽しんだ。

 まあ現実に立ち返ってみれば自分は既に先の見えた老人だ、独りぼっちの。

 宗景はそれなりの地所にそれなりの大きさの、アトリエ付きの、住宅に一人で住んでいる。家族というようなものは、通いの家政婦のおばちゃんと秘書代わりの弟子の青年二人くらいのものだ。

 砂川は訪問看護のヘルパーをしているそうだ。元々は高校時代の職場体験で病院を訪れ、入院患者の相手のボランティアをして、そこで絵を描いている青年に出会ったのが絵を描きだした初めだという。してみると初期の暗い画風はその青年や介護する不自由な老人たちの人生に影響された物かも知れない。してみると彼女はその呪縛から解放されて本来の明るい人柄に立ち戻ることが出来たのかも知れぬ。

 なんだ、自分は彼女に良いことをしてやったのじゃないか、と自惚れる。

 彼女は自分に感謝しているだろうか?

 これまでおかしなファンどもにおかしな言葉でおだてられて暗いキャラクターを演じさせられてきて、うんざりしていたのではないか?

 彼女は自分に好意を持っているだろうか?

 男らしい自分に惚れる気持ちがあるだろうか?

 洗面所へ行って鏡を見てみる。芸術的苦悩がしわに刻まれたなかなか渋いいい男ではないか?

 宗景は若い男の子のようなときめきを感じている。

 高齢の大芸術家と若い才能溢れる乙女。

 ああそうか、ロダンとカミーユだ。

 偉大なる彫刻の巨人オーギュスト・ロダンとエキセントリックな才媛カミーユ・クローデル。

 二人が出会ったのは四十二歳と十九歳の時か。

 ロダンはカミーユの豊かな才能に惚れ、男として彼女を愛した。二人の恋愛関係は芸術にも多くの傑作の共作を残した。

 しかしいつまでも巨人ロダンの陰に甘んじるカミーユは、芸術家としても、妻子ある男性との恋愛にも、苛立ちと不安と狂気を募らせていく。

 ロダンが妻の元へ帰っていったことで、ついにカミーユは壊れてしまう。発狂し、精神病院へ閉じ込められ、美しき若き才媛は、自分の多くの作品を自ら破壊し、かつて尊敬し愛したロダンを呪い、周囲を見下し悪態をつき、醜い老婆へ老いさらばえて不幸な一生を閉じた。

 才能と、周囲の無理解に押しつぶされた、哀れな女の一生だ。

 もしかしたら自分と砂川夕陽もそのような関係に陥るのだろうか?

 なるほどそれは女難だろう。

 しかし自分が彼女を愛し続け、決して裏切ることがなければ?

 それはとても幸せなことではないか?

 ロダンの時代とは違う。女性がことさら社会で見下されることもない。自分は妻も子もない。寂しい老人だ。その寂しい人生にきらびやかなひまわりが咲いてくれたら、ああ、どんなにか嬉しいだろう?

 そんなことを夢想して穏やかに幸福な毎日を過ごしていくのだった。



 砂川の「輝きのひまわり2」と宗景の「黄金の黄昏」は同じ航空コンテナでニューヨークへ送られた。

 砂川は元々八号四十五×三十三cmだった「輝きのひまわり」を三十号九十一×六十五cmで描き直している。その完成度は森山宗景のお墨付きだ。

 宗景の「黄金の黄昏」一・八×五・四mは、寸法を合わせて組まれた木枠に板を釘打ちされて、厳重に梱包され、間違いがないか十分確認の上コンテナに収容され、貨物機の腹に格納され、アメリカはニューヨークへ旅立っていった。

 追って、砂川夕陽と店長竹林も航空機で旅立っていった。

 宗景はわざわざ空港へ出向き、「行って来ます」と笑顔で手を振る砂川に手を振りながら、俺も行くと言えば良かったなと後悔した。今さら同行者もなくアメリカなんぞへ行きたくない。宗景はこれまで数えるほどしか海外へ出たことはない。偉そうなことを言ってけっこう内弁慶なのだ。

 宗景はちょっぴり寂しく思いながらあちらからの吉報を待つことにした。



 事故が起こった。

 コンテナから出された絵たちは大型トラックに乗せ替えられ会場の現代美術館に運ばれ、運送会社の人間と美術館スタッフの見守る中梱包を解かれた。

 「輝きのひまわり」は問題なく、早速展示場へ運ばれた。

 問題は大作「黄金の黄昏」である。

 美術館の広い倉庫の床に置かれ、ていねいに、万が一にも絵を傷つけることのないよう細心の注意を払って釘が引き抜かれ、木枠から板がそうっと起こされた。

 あらかじめ送られた写真と見比べ絵をチェックしていった美術館スタッフは

「Oh my god!」

 と小さく叫んだ。運送会社の人間に緊張が走った。

 絵が、汚れていた。

 金箔の上に描かれた夕暮れの雲と太陽が、何か塗料を落としたように黒く汚れていた。

 いったい何が起こったのか?

 運送会社の人間は覆っていた板や緩衝剤を念入りに調べたが、異常は見つからなかった。しかし日本で梱包の際も絵は異常がないか厳重にチェックされ、その上で間違いのないように釘で封印したのだ。これは明らかに運送会社の責任になる。会社の人間たちは青くなった。



 電話連絡を受けた宗景は激怒した。

「馬鹿野郎! すみませんでしたで済む問題か!?」

 ひたすら恐縮する運送会社の責任者を怒鳴りつけ、苛々として訊いた。

「絵はどうなんだ? 汚しているのはなんだ? 元どおりになるのか?」

『それはあちらの学芸員が調べているところでして。誠に、申し訳ございません!…』

「結果が出たらすぐに報せろ」

 宗景は受話器を叩きつけるように電話を切った。

「ええい……、くそっ!」

 荒い声を上げ、苛々と部屋の中を歩き回った。

 おのれよくも俺の絵を、と歩き回り、ふと、ぎょっとして立ち止まった。

 影を見ていない。視界の端にちょくちょく現れていたもやもやした黒い影だ。

 紅倉はそれを絵が祟っているのだと言った。描いた画家ではなく、絵そのものがだ。

 陰々鬱々と部屋に引きこもっていた画家は、実はあんなに明るい絵をせっせと描いていたのだ。

 その画家と会って和解して以来すっかり影は見えなくなっていたし、周りで悪いことも起きなくなっていた。宗景はそれですっかり安心していたのだが……

 祟っているのが画家ではなく絵ならば、描いた画家にも否定されどこか暗い場所にうち捨てられて、絵の恨みはむしろ大きくなっているのではないか?

 その絵の恨みが自分の大切な絵を汚したのではないか?

 ええい、忌々しき「雨雲の中の太陽」め!

 またしても陰気くさい嫌味な仕返しをしやがって。

 宗景は苛々して、はあとため息をつき、もっとちゃんと紅倉の言うことを聞いておけばよかったかと思った。

 しかし描いた作者と和解したのに、その絵がまだ祟るなんて、普通思わんだろう?

 女難の相への対応を誤ったと言うことか?

 絵の嫉妬を煽ってしまったか?

 宗景は、よしてくれよ、と思い、自分の大切な絵の復活を祈った。


 美術館の学芸員から電話があった。女性だ。多少アクセントにおかしなところがあったがきれいな日本語だ。宗景は苦手意識を押して強気の態度を崩さず話を聞いた。

 大丈夫です、とのことだった。

 汚れは油絵の具でした。

 どうしてこうなってしまったのかさっぱり分かりませんが。

 幸い付着は浅く、元の絵を傷めることなく拭き取ることが可能です。

 クリーニングしてかまいませんか?

「ああ。よろしくお願いします」

 と宗景は答えた。

 ではすぐにクリーニングを開始します、と言い、電話を切り際、

『大きな絵で修復室に運び込むことが出来ません。こちらから倉庫に出張です』

 とお茶目に言って、切れた。

 倉庫で作業かと宗景は我が絵を哀れに思った。

 汚れがたいしたことなく幸いだったが、まさか倉庫で作業中に間違って踏みつけられたりしないだろうな?と暗い絵の復讐を思って心配した。


 ま、そんなことはなく、翌日弟子が宗景の仕事用のパソコン(本人はほとんど使うことはない)で美術館からの写真と動画メールを見せてくれた。

 まず写真で汚れの様子が写されている。直径三十センチほどの太陽を中心に半径一メートルほどの円状にべたっと黒の強い焦げ茶色が汚く載っている。心配したようなひどい汚れではないようで、油に溶かれた絵の具がこぼれた感じだ。

 次の写真でがっしりした作業台に立てられた絵の様子が写されている。床に寝かせたまま作業するわけではないのだ。

 次に二分ほどの動画で作業の様子が撮されている。洗剤を染み込ませた布で軽く叩き、白い綿でていねいに少しずつ吸い取るように汚れを取っていく。カメラに向けられた汚れを吸った綿はやはり焦げ茶色に汚れている。

 動画を見た宗景はあちらのスタッフのていねいな仕事ぶりに安心し、インターネットというのは便利な物だなあとあまり面白くなく感心した。

 文章でクリーニングは二日で完了し、三日静かに乾燥させて、展覧会のオープニングまでに展示は間に合う見通しですと書かれていた。


 画廊の店長竹林からも謝罪の電話があった。

 宗景は鷹揚に

「ああ、いいよ。分かった」

 と言ってやった。

「まあそちらのスタッフ諸君がよくしてくれているようだから、よしとするよ。展覧会の成功を祈っているよ」

 と、大事な作品を汚された大画家としてはずいぶん優しく言って電話を切った。

 さて大画家は、

「おい、ちょっとやり方を教えろ」

 と弟子にパソコンのインターネットの見方を聞き、「森山宗景」を検索してみた。

 画廊や作品展の案内が出て、なるほど俺の絵はこんな風にして見られているわけか、と思い、更に見ていくと、よく分からないが「掲示板」という参加者たちがおのおの意見を寄せているサイトを見つけた。

「あ、先生、それは」

 と弟子が止めようとするのを、

「いいから見せろ」

 と面白がって開いた宗景は、大先生は、

 そこにずらーっと羅列される意見の数々を目で追っていき、顔を赤くし、マウスを握る手をぶるぶる震わせ、とうとう、

「なんだこれは!!」

 と激昂した。

「な、なんだ、この、この、低能な阿呆どもの言いぐさはっ!!」

 なんたる幼稚、なんたる無知、破廉恥、悪意、よくもよくもあることないことでたらめを、よくもこう無責任にひどいことが言えたものだ!

「なんなんだあ、これはあっ!?」

 八つ当たりと分かっていてもつい弟子を怒鳴りつけてしまう。

 弟子も憤然たる面もちで言った。

「先生にはこんな汚らしい物をお見せしたくなかったです。まったく、ごらんの通りにひどいものです。最初から悪意をもって相手を貶めてやろうとしているとしか思えませんね」

「くっそう、こいつら全員、名誉毀損で訴えてやる!」

「それは無理でしょうねえ。皆匿名ですし、プロバイダーに名前を明かすよう言ってもどうせ個人情報を明かすことは出来ませんと突っぱねられるだけでしょう」

「じゃあ、これだけひどいことを言われて泣き寝入りしろと言うのか!?」

「現実的にはそうです。サイトの管理者に削除を求めたり、サイト自体を閉鎖させたりは出来ると思いますが、どうせまた別で同じようなサイトを立ち上げて前以上に悪意をもって書き立てられるのが落ちです」

「ううむむむ……」

 宗景はまっ赤になって唇を噛んだ。

「世の中腐ってやがる!」

 弟子も不快な顔で頷いた。

「おっしゃるとおりですね。しかしこんなのは社会のほんの一握りの奴らですよ。人を悪く言って貶めることでしか自分の立場を守れない、哀れな連中です。まあ、無視してください」

 宗景は怒りのぶちまけどころもなく額ににょっきり太い筋を立ててぶるぶる震え、思いつき、

「そうだ、砂川…………」

 と思ったが、また不愉快になるのが目に見えているので、

「ええい、やめだ! 金輪際こんな腐った物は使わん!」

 とぶりぶり怒って、むしゃくしゃしてどうしようもないので散歩に出た。

 小雨が降っていたが頭を冷やすにはちょうどいいとかまわず歩いた。

 公園まで歩き、緑を眺めて考える。

 ああ、世の人間どもはどうしてこうも醜く汚らしい心をしているのだろう?

 あんな物を、書いている本人も気持ち悪くならないのだろうか?

 彼らは世の中をそんなにも汚らしい心で見ているのだろうか?

 画家は考える。

 だから美しくあらねばならぬのだ。

 美で人々の心を明るく美しく照らしてやらねばならぬのだ。

 こんな今の世の中だからこそ、俺の絵は必要なのだ。

 と。

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