第12話 南蛮
次の日、モローが宿屋に顔を出した。
「葵ちゃん、今日は天気も良いし、一緒に笠羽芋畑の裏に行くでやんすよ」
「え、でも、ちょっと足がまだ……」
サラシで作った簡易テーピングが巻かれた左足を見せる。
「なので、今日は馬を借りてきたでやんすよ」
外を見る。
馬だ!
「え、モロー、借りられたの?」
「ひと仕事終わったから、一日借りれたんでやんすよ」
「ナイス! じゃ、乗せてってくれる?」
「もちろんでやんす。じゃ、馬で待ってるでやんす」
葵は部屋に戻り、またジロの昔の着物に袖を通した。やっぱりこっちのほうが動きやすい。
入り口に出ると、お繭と目が合った。
「葵、どこかに行くの?」
う、お繭の前でこの兄貴の着物を着てるのは、ちょっとアレだな……。
「う、うん。モローと、ちょっと南蛮人に会いに」
「へー! この辺に南蛮人なんていたんだ!」
お繭が興味深そうな顔をする。
「うん。ひょっとしたら、南蛮に戻る方法がわかるかもしれない」
そう言うと、お繭の顔が一瞬暗くなった。
「そ、そう。見つかるといいね!」
また笑顔に戻るが、ちょっと複雑な笑みだ。目が笑っていない。
そうだ。お繭。同じ年頃の友達がこの辺りには居ないんだった。もし私が「南蛮」に帰れたら、お繭はまた、一人ぼっちか……。
「気をつけて!」
女将さんの声にハッとして、スニーカーを履いてゆっくりと外に出た。
何とか歩けるけど、走ったり長距離は無理。
モローに手伝ってもらって馬の背に乗る。
そして振り返ると、笑顔の女将と、お繭。
行ってくるね。ごめん。でも、私も自分のやることを、やらなきゃ。
考えてるだけじゃ、解決しない。
私は私の世界に戻る。これが最後の糸だ。
馬が走り出してからは、葵は後ろを振り返らなかった。
振り返ったら、心がくじけそうだった。
「さあ、この辺から畑が見えるでやんすよ」
馬は丘を越えられないため遠回りしてようやく工場の裏についた。昨日あんなことがあった後でも、工場は普通に動いているようだ。
中で働く男衆のみんな。もう少しで今度こそ本当に楽になる、はず、だからね。
「ここでやんすね」
急に暑くなった。地面の色が違う。赤土だ。周りの土は黒いのに。
その赤土に、緑色の背の低い植物が、みっしりと植えてあった。
「これが笠羽芋でやんす」
これが笠羽芋か。
とはいっても、葵は普通の芋の葉もよく知らない。
遠くのほうはよく分らないが、畑自体は相当な広さに見える。
「なんか、暑い。急に日が照ってきた?」
「いや、この畑、というか畑が出来る前からずっとこうだったらしいでやんすよ。畑の中は暑いでやんすから、横の道を行くでやんすよ」
不思議に思いながらも、横にある道を馬は進む。
畑のほうからはさっきの熱気が伝わってきた。まるでキャンプファイヤーの横を歩いているようだ。
「男衆は、こんな暑いとこでも働いてるの?」
「収穫の時期だけでやんすけどね。ここが一番きついんでやんすよ。工場よりも」
そりゃそうだろうなあ。こんな暑いとこで。
「あの丘でやんす。具伍から聞いたのは、この辺りでやんすね」
丘といっても小さい。高さ数メートルといったところだ。
よく見ると、その横に平屋が建っている。目立たない。屋根は板の簡素なものだ。
「あそこに南蛮人が?」
「具伍によれば、ここに住んでる筈でやんすね」
近づいてくる小屋。選挙事務所のプレハブ小屋くらいの大きさだ。
「着いたでやんす」
モローに手伝ってもらい、馬を下りる。
入り口にはムシロが掛けてあるだけだ。
「一緒に行くでやんすか?」
「大丈夫。ここは私の用事だから」
「何かあったら大声で呼ぶでやんすよ」
モローは馬を小屋の側にある木の棒に繋ぐと、近くの倒木の上に腰をおろした。
「ありがとう」
葵は小屋の入り口に向かった。
「すみませーん」
ムシロを横にずらす。
中は床板が敷いてある、十畳ほどのがらんとした部屋だった。
隅のほうに少し家具がある。真ん中に二脚、木で出来た椅子が向かい合わせに置いてあり、一方に白髪の着物の人間が座っていた。首がこくりこくりと揺れていて、どうも寝ているようだ。
顔はこの角度からははっきり見えない。
ち、ちょっと待って。椅子!?
葵は目を見張った。椅子があるなんて!
「す、済みません!」
もう一度声をかけると、白髪の頭がぴくりと動き、やがてゆっくりとこちらを振り向いた。
こ、これは!
アフリカ人じゃん!
アフリカの老人だ!
老人はゆっくりと立ち上がった。大きい。威圧感が半端ない。
「どうぞ」
日本語だ!
「す、すみません。お邪魔します。別巣から来た葵といいます」
老人は立ち上がると、にこりと笑って手招きした。そして自分の前にある椅子を指した。
大きい手だなあ。
「お邪魔します」
葵はまた頭を下げて挨拶をすると、緊張しながら老人が指す椅子に座った。
老人は部屋の隅に行くと、湯呑みのようなもの二つに竹で出来た水筒から水を注いだ。それを一つ葵に手渡すと、もう一つの湯呑みを大事そうに持ち、椅子に腰を下ろした。
「どんなご用件かな?」独特の響きのある声だ。
「あ、あの……その、実は私、南蛮、いや、とても遠いところから来て迷子なんです。それで、自分のいたところに戻りたくて。うまく説明できないんですけど」
どう説明したらいいのか。
いざ会えたら何を訊けばいいのか考えてもなかった。
南蛮人に会えさえすれば、同じ境遇だから分かりあえて、すぐに問題が解決するのだとばかり思っていた。
「戻りたい……のか」
「そ、そうなんです。失礼ですが、えーと、貴方は」
「私か。私はもともと、暑い国に住んでいた。ポルトゥゲーと共にここに来た」
「ポルトゥゲー?」
「そう。ここでいう南蛮人、だ」
南蛮人! あ、でも、この「南蛮人」って、要するに「本物の南蛮人」よね……。ポルトゥゲーって、きっと「ポルトガル人」だろう。
「その後、ヤスケという名を貰ってノブナガ公に仕え、戦い、ノブナガ公が倒れてからも幾つもの戦いを経て、そして逃げて、長い期間かけて、ここに来た」
ノブナガって。ひょっとして!
「織田信長!?」
「そうだ」
織田信長の家来じゃん。っていうかバリバリの江戸時代――じゃない。安土桃山だ。
「そして行き倒れた折に捉えられて城に連れて行かれた。城では牢に入れられていたが、そこでキャサバ芋の種芋を見せられた。これを知ってるか、と。知ってる、私が生まれた暑い国で作られている芋だ、と答えた。育てられるかと問われ、育てられると答えた。でもここじゃ駄目だ、暑い場所なら作れると言ったら、暑い場所はある、と、この場所に連れてこられた」
確かに暑い。ヤスケが生まれた国と同じ気候ってことか。
「この場所だけ、私の国と同じ暑さだ。この場所なら出来る。と種芋を植え、数年かけて殖やし、ということをやり、代わりに小屋を建ててもらった。手伝いの人間も数人充てがわれた。そのうち畑は私の手を離れ、そして私は老い、ここで隠居している」
葵はため息をついた。
この人は、私の住んでいた世界とは全く関係が無い。本物の昔の南蛮人だ。
そうだったのか……。
糸が切れた。
頭が濁ってくる。
「……ヤスケさん。そうですか。ありがとうございます」
もう何かを質問する気力も無くなっていた。
「葵さん。お役に立てましたか?」
葵は躊躇しつつも、笑顔をつくり「はい」と言った。
それを見たヤスケは一瞬目を伏せると、胸の前で小さく十字を切った。
「分かったでやんすか?」
モローのところに戻った葵は、うなだれていた。
「駄目だった。わからなかった」
「そうでやんすか。残念でやんした」
モローは立ち上がり、ふと思いついたように「折角なので、ちょっと拙者も挨拶してくるでやんすよ。笠羽団子の伝説的な立役者の一人でやんすから。ちょっと待っててくださいでやんす」と言って小屋に入っていった。
さあ、どうするか。
これでこの「南蛮人」の情報は終了だ。また別の道を探さないと。でも、今度はどこを。
江戸に行けば判るかもしれないけど、来たのはこの地だ。ここに何かのキーがあるはず。だって、小次郎だって、ここに来たんだから。何かがある。何かが。
しばらくすると、モローが戻ってきた。手伝ってもらって馬に乗る。帰る道すがら、モローがしきりと慰めてくれる。
ありがとうよモロー。
いっとき疑ってごめんよ。
でも今日はちょっともう、元気が出なさそう。
宿屋に着くと、お昼過ぎだった。
お繭が入り口の前に水を撒いている。
「葵! どうだった!?」
「駄目だった……」
お繭の肩を借りて、宿屋に入る。
「じゃ、しばらくまたここで、探そうよ。南蛮人。宿場町だから、何かしら知ってる人、来るかもしれないし」
「うん、そうだね」
明るく慰めてくれるお繭。いい娘だよ本当に。
「それまでの間、絵を描いて暮せばいいしさ!」
なんだか嬉しそうなのも気にかかる。まあ、仕方ないだろう。複雑な気分だ。
「お繭、もしお繭が、いつの間にかどっか遠くの町で迷子になってしまって帰れなかったら、どうする?」
お繭は葵の隣に腰掛けると、天井を見ながらしばらく考え、そして口を開いた。
「どうするだろうなあ。そこで、結婚して、仕事して、友達作って、暮らしていくかなあ」
おお。なんて前向きな。
「だって、他にどうしようも無いじゃない。帰れないんだったら」
そりゃそうだ。
帰れないなら、そうするしかない。のか。
「でも葵、大丈夫。葵って、突拍子もない事やるから。そのうち、突拍子もないところから、道が開けるよ!」
「そうだといいんだけど。でも、なんか元気が出てきた。ありがとう」
葵は笑顔を作ると、部屋に入っていった。
挫いた足がまた熱く痛く感じた。
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