第11話 番所

 

 是付の番所についた。

 えらく長い時間に感じた。


 番所は是付の町の、別巣とは反対側の端にあった。大きな建物だ。

 その辺りにはあまり店はなく、この建物だけが目立っていた。他に似たものは無い。ここが役所みたいなところなのか。


「ここは番所だが、町の発展を見越して町奉行所の役目も担っている」

 同心の一人が説明してくれる。言葉に威圧感はない。


 奉行所。それって裁判所みたいなとこだよね。


「まずはこの部屋で待たれよ」


 障子を開けて通されたのは、八畳ほどのガランとした板の間だ。

 振り返ると、同心のリーダーが葵の脱いだスニーカーを興味深げに見ながら、部屋に上がってきた。


「足を怪我したようだな。楽にしてよいぞ」


 促された座布団に座り、遠慮なく足を崩す。


「拙者は顔本城下の同心、炙(あぶる)進ノ介と申す。今回の件、葵殿の担当となった」


 凄い名前だな。


「す、すみません。確かに私は葵……武田葵といいます。一応、今回の件、というのは何のことかというのと、私の名前を知ってる理由を教えていただければ」


 気持ちが落ち着いてきたので、探りを入れてみる。

 番所の人ってことは大丈夫だとは思うんだけど、この人はどうなんだろ。信用できるのか。


「さすが、南蛮の娘は賢いな。それにしっかりしておる」といって炙がニヤリとする。


 娘、って。どこまで知ってるのか。ひょっとして、逃げるべき?

 でも、この状況からはどう考えても無理。警察署みたいなところだし。


「この地の名産品、笠羽芋と笠羽団子を知ってるな?」

 葵は無言で頷く。

「ずっと不毛だったこの土地に、行商人の盛郎が笠羽芋の種芋を伝えてから始まったのがこの笠羽団子だ。最近その団子工場で不審な動きがあるという密告があって、内偵していたのだ」

「モローを使ってですか?」

 ハッと言葉を切った。


 言っても良かったのか。


「よくご存知で」

 炙はニヤリとした。


「実は二人の人間を使って内偵していたのが、片方の行方が急に判らなくなった。その二人の補佐役が盛郎だ」


 行方が判らなくなった、ってのは多分、お繭のお兄さんのジロさんだ。

 ジロさん、モローからの依頼というより番所から直接頼まれてたんじゃん。


「盛郎はお城に種芋を献上していたこともあり、行商人として工場に接触する体で連絡や補佐役としては適任だった。内偵は男衆として中に入ってもらうことになるが、外との連絡がとりにくくなる。だから、工場に外から関わっている人間が必要だったのだ」

「工場での不審な動き、って何ですか」


 葵は、わざと知らない素振りで尋ねた。自分が知る、モローから聞いたストーリーじゃない可能性もあるのだ。

 あの男衆達から、モローが変に距離を置かれてたのもちょっと気になる。


「それは聞いておろうが。盛郎から」


 ぎく。


「今度は逆にこちらから聞かせてもらおう」

 炙の顔が厳しくなる。目力がこっちの顔に刺さりそうだ。

「内偵の二人には、目立たぬように工場内のことを調べてもらっていたので分からなかった。葵殿のように大胆な調べ方をすると、こんな風になってしまうからな」


 う、まあ、確かに。これは反論できない。


「どんな目的で、何をやったのか、言ってもらえるかな?」


 有無を言わさぬ雰囲気だ。

 仕方ない。話そう。


 葵は、モローから聞いた笠羽工場での団子の質の低下や、怪我人や病人の報告が無いこと、工場内のことを調べていた次郎右衛門が居なくなったこと、それが友達の兄なので探す約束をしたこと、天井裏から忍び込んで状況を把握したこと、次郎右衛門はどうも工場外に逃げたらしいこと、を話した。


「その次郎右衛門が内偵の一人だ。連絡が取れなくなってひと月にもなる。工場内に捕まってる可能性もあったが、外に逃げたという話なんだな?」

「男衆の話では、ということなので、その後捕まったかどうかまではよく分かりません」


 葵の言葉に、炙の動きが止まった。じっと考えているようだ。


「私の名前は、モローから聞いていたのですか」


 炙は、ちょっと考える素振りをしてから頷いた。

「そうだ。が、今日あの道に迎えに行ったのは、また別の人間からの依頼だ」

「てっきり捕まえに来たのかと」

 葵の言葉に、炙は大笑いする。

「捕まえたのなら、こんな座布団つきの部屋に通しはしない」


 まあそうかもね。捕まったんなら、いきなり縛られて牢屋みたいなとこに入れられるよねえ。江戸時代だし。


「依頼者は今ここでは言えないが、そのうち説明しよう」

 落ち着いた表情だ。


 この人は味方だ。

 葵は不安がスッと落ちるのを感じた。


「しかし葵殿、工場長の追蛇や産方医の姶鼻殿の部屋にまで入って調べてくれて、誠に有り難いことであった。普通の方法では中まで入れぬ。このあたりは、盛郎の手腕にも感謝せねばならぬな。特に葵殿の協力を取り付けた手腕をな」


 また炙がニヤニヤした。

 モロー、なんだかいい人なのか悪い人なのか。言葉巧みに手伝わせた、ってことよね、それ。まあ大丈夫だったからいいけど。


 と、そこに若い男が襖を開けて頭を下げた。

「揃いました」

「さて、そろそろ別の部屋に移ろう」

 炙は立ち上がると、葵に向かって手を差し出した。

「足が痛かろう。そしてその包を忘れずに」


 ハッとして風呂敷包みを右手に持つ。左手で炙の手をにぎる。

 しっかりした、信頼できそうな力強い手だ。

 手を離すと、二人でゆっくりと若い男の後を歩いた。


 薄暗い板の廊下を数メートル歩いた先の襖が開き、若い男に促されて中に入った。


 中は明るかった。

 天窓からの明かりと、部屋の隅には蝋燭か。障子も広く明るく取ってある広い畳の部屋だ。教室くらいの広さはありそうだ。

 部屋の一番奥には床の間があり、そこには立派な掛け軸。その手前の一段高い場所に三人の男。真ん中は、格好や態度からすると他より一回り偉い感じの人だ。


 その「偉い」人が口を開いた。


「顔本城下是付番所属、与力よりき福留ふくとめ貞次郎だ。そこに直れ」

 閉じた扇子で指された場所には藍色の座布団が八つ置かれていた。

 葵はその一番奥に座り、前に風呂敷包みを置いた。すぐ横には先程の炙が正座し、深々とお辞儀をした。慌てて葵もお辞儀をする。


「足を痛めておるそうだな。崩して良いぞ」


 ほっとする。


「今日は番所に二つの申し出があった。勘案すると、その二つは互いに関係しているようだ」


 二つ!?


「もう片方、入ってまいれ」

 先程の襖が開き、二人の男が入ってきた。


 げ、追蛇と産方医の姶鼻じゃん。


 二人はじろりと葵を見ると、ムスッとした顔で与力にうやうやしくお辞儀をし、手前の二つの座布団に座り、また深々とお辞儀をした。


「まず双方、名を名乗れ」


 葵は背筋を伸ばし、緊張しながら口を開いた。

「葵……武田葵といいます」

「どこに住んでいる?」

「別巣の宿屋、『お常』で部屋を借りています」

「旅人か?」


 葵は言葉に詰まった。

 なんと説明すればいいんだろう。


「……実は、迷子になっています。帰り道が分らないのです」

 しばし不思議そうな顔をする与力。

「出身はどこだ?」

「出身は……南蛮です」


 説明できない部分にきて胸が苦しくなってきた。

 大丈夫だろうか。


「そちらはどうだ。身分と名を名乗れ」

 与力は追蛇達のほうを指した。ほっとする。

顔本家家臣追蛇呟げん。顔本家当主顔本満久みつひさ様の御承認の元、笠羽団子工場の工場長をさせて頂いております」

「そちらは」

「江戸徳川家の御殿医をしておる、姶鼻癒無ゆむと申すものです。顔本家設置の笠羽団子工場の産方医をしておる者です」


 徳川家の御殿医、の部分で声が異様に大きくなる。

 なんだ。所属マウンティングか。


「そち、徳川家の御殿医というのはまことか」

「失礼を申される。お疑いなら確かめられたらよかろう」


 目を閉じる産方医の姶鼻。全く動じていない。

 江戸と繋がってるからって地方の番所を舐めてるのか。


 姶鼻の態度に与力も一瞬眉をひそめたものの、素知らぬ顔で審議を進めていった。

「二件の沙汰につき、関係する双方に同時に意見を聴こうと思う。よいな?」


「へい」追蛇と姶鼻が頭を下げるのを見て、葵も頭を下げた。


「さて一つ目。まずは笠羽団子工場に入った賊の件について。これは追蛇殿からの申し出があった。聞くとそこの葵という南蛮人が工場に侵入し、何事かを働き、そして逃げ出したと。そういう事だな」


「そのとおりでございます」頭を下げながら追蛇が答える。

「本日、何者かが工場に侵入し、工場で働く男衆の部屋や怪我人の治療部屋を荒らし、騒ぎ立て、また工場長である拙者の部屋や産方医である姶鼻殿の部屋に侵入して何物かを持ち出し逃亡を図ったものと思われます」


「それは誰が発見した?」与力が問う。

「工場の目付役が工場内の怪我人部屋から出ていくところ、また工場の窓から出てきて逃亡するところを見つけ、途中まで追っております。また、目付役の一人が早馬を飛ばして状況を是付の我々に届けております。それで今回の件を知ったわけです」


「そちたちは、その賊を直接は見ておらぬ。なのに、この南蛮人に相違無いといえるか?」


 追蛇達は顔を見合わせる。


「あ、与力殿。それは先程途中まで追ってきた目付を呼んでありまする。こちらに」

 追蛇がそう言うと襖が開き、先程葵を追ってきた目付の男が姿を表した。


 やばい。


「相違無いか?」

「確かです。この小僧です」目付の男がちらりと葵を見て即座に答える。


 まあ、そうだわな。


「この人物は、工場の関係者ではないのだな?」

「そのとおりでございます。これまで見たこともありません」


 だろうなあ。工場にまでは絵を描きに行ってないから。


「この人物が何かを盗んだところは見たか」

 目付は一瞬黙ってしまうが、言葉を選ぶようにして答えていった。

「大事そうに風呂敷包みを持って逃げ出したところを見ると、その風呂敷包みが工場長の部屋か産方医先生の部屋から盗み出したものに違いありません」


 言葉ははっきりしているが、曖昧だ。そりゃそうだ。風呂敷包みの中身を知らない筈だから。


「その風呂敷包みは、この風呂敷包みに相違ないか?」

 目付は葵の前にある包みをじっと見て、自信をもって答えた。

「はい、確かにそれでございます」

「あいわかった。下がっておれ」

 何故か満足したような与力の言葉に、目付の男は頭を深々と下げると襖の奥に消えていった。


「それで追蛇殿。工場長の部屋には何か金目の物が置いてあるのか」

 追蛇の目が泳ぐ。

「い、いえ、材料は畑から採れ、売上は都度男衆に分配しているため、えー、分配の前日以外は部屋に金目……のものが集まることはありません」


 ところどころ言葉につまっている。言いにくそうだ。


「聞くところによると、売上の分配は今月の分が済んだばかりのようだな?」与力が問う。

「そ、そのとおりでございます」頭を下げながら答える追蛇。

「なので、本日に金目のものが私の部屋にあることはありません」

 はっきりと、だが何か動揺している雰囲気だ。


 なおも与力のとした声が響く。


「追蛇殿の給金はどこから出ている」

「そ、それは、顔本城から直接頂いております」

「工場で必要な物品の代金は」

 次々と質問をぶつける与力。

「おのおの業者に見積もり、合わせ、まとめて顔本城に請求しております」

「その帳尻は、合ってるのだろうな? 余りを蓄財など、してないだろうな?」


 追蛇の肩が震えるのが見えた。


「も、もちろんでございます」

 与力と目も合わせずに答える追蛇。声に濁りが混じって聞こえる。

「金目以外のもので、盗まれて困るものは無いのか」

「いえ、ひと月ごとに番所に提出する書面と、その書面を作成するための記録、帳簿などがあるのみです」


 その帳簿が問題なのよ。

 しかし、最近の分はどこに行ったんだろう。やっぱりジロさんが持ち出したんだろうか。


「帳簿は無事なのか」


 追蛇と姶鼻が肩を寄せてひそひそと何かを話している。

 それをじっと見つめる与力。


「どうした。帳簿に何かあったのか?」

 鋭い目で問いかけられた追蛇は、やや動揺しながら口を開いた。

「い、いえ、それが」

「なんだ?」与力の目が光った。

「この前、工場の廃棄物とともに誤って廃棄してしまいましてございます」

「廃棄?」

「そ、そうでございます。なので、現在は一部、欠けている状態です」

「なるほど。それでは、それは今回盗まれたわけではない、というわけだな?」


 追蛇と姶鼻がまたひそひそ話をする。

 あまりそこに注目してほしくない、というとこだろう。

 なくしたことにしてスルーしてもらおうと。

 

 そして追蛇が、ややうわずった声で答えた。

「それは確かにございます」

「そうであったか。帳簿の保管は申し付けてあったな? それを紛失した咎についてはまた別の機会にする」


 与力の言葉に、二人の肩から力が抜けるのが葵の目からも判った。


「さて、南蛮人の葵とやら」


 びくっ。

 背筋が伸びる。


「この笠羽団子の工場から、何かを盗み出したのか?」


 うっ。そう。

 盗んだ。盗んだんだけど……。

 まあ、ウソついてもしょうがない。

 目の前に、その実物があるんだから。

 これは「なかったこと」には出来ない。


「はい。盗……み出しました」


 追蛇と姶鼻が同時に目を見開き、葵のほうを見た。


「何を、どこから盗み出した?」

 与力が続けてはっきりとした声で葵に問う。

「はい。産方医さんの部屋から、この包の中の箱を」

 目の前にある風呂敷包みに両手を軽く添えて、目を落としながら与力の次の言葉を待つ。


「わかった。よろしい」


 え?


 思わず顔を上げて与力を見る。

 追蛇と姶鼻も目を丸くして顔を見合わせていた。


 与力は、表情を変えずに葵を見つめ、そして姶鼻のほうを見た。


「姶鼻殿。そちは産方医として、追蛇殿の工場で働く男衆の怪我や病気を治し、あるいは防ぎ、仕事の環境を整えて危険のないようにする業務を委任されていると聞いたが、そのとおりか」

「まこと、そのとおりに御座います」


 はっきりとした返答だ。自信にあふれている。

 くそっ。


「そちの業務は、だれから委任されているものか」

「それは……江戸でござります」

「江戸というと」


 姶鼻が頭を起こした。

 何を訊いてるんだ、といった表情かおだ。

「江戸徳川家にござりまする。ご存知かと」


 与力から目線を外さない。

 つ、強い。さすが徳川パワー半端ない。


「なぜ江戸の公方様がこの顔本家の工場の業務を受けているのだ?」

「受けている?」

 姶鼻がやや胸を反らせて笑みを浮かべた。

「そもそもあの工場で産方医として働いておられた是付の天村殿が勇退なされた。それをお耳に挟まれた公方様が、工場は困っておるだろうということで温情で拙者を派遣なさったのだ」


 姶鼻の鼻息が聞こえてくるようだ。


「ほほう。公方様が温情で派遣なされたのか」


 与力も一歩も引かない。同じように笑みを浮かべている。


「とすると姶鼻殿は、その産方医としての給金は江戸から受け取っていると。そういうことでよろしいな?」

「そのとおり。顔本殿からは一銭も貰ってはおりません」


 その言葉を確認すると、与力は再び工場長、追蛇の方を向いた。


「追蛇殿。とすると、工場内はもちろん追蛇殿の部屋にも、姶鼻殿の部屋にも、金銭があることは無い、ということだな?」


 追蛇が目を見開いたまま、斜め下を見つめている。

 両手が固く握られ膝の上に乗り、額には皺が寄っている。

「……は、はい。ありません」

「よろしい」

 間髪を入れずに与力が応え、軽くうなずくと正面を向いた。


「それでは、その箱を開けてもらおう」


「え?」


 葵はポカンとして目の前の風呂敷包に目を落とし、また与力を見た。


「そちが開けてみよ」

「い、いいんですか?」


 与力が葵から視線を外さず、無言で頷く。


 追蛇と姶鼻が険しい顔でじっとこっちの手元を見ているのがわかる。

 葵はその藍色の風呂敷の結び目をほどこうとするが、全くほどけない。


 なんだこれ。どういう結び方だ?


 四苦八苦していると、与力が声をかけた。

「貸してみよ」

 葵はそれを与力に渡す。


 与力は左右にいる従者とともにほどこうとするが、どうやってもダメなようだ。


 不思議と与力の顔に笑みが浮かんでいる。

「そう、追蛇殿。これ、開けられますかな?」


 ニヤニヤした与力の顔を訝しげに見ながら、追蛇が風呂敷包みを受け取った。

 受け取った瞬間、何やら表情が険しくなり、隣の姶鼻とまたヒソヒソと話をしている。姶鼻の顔も険しくなった。


「遠慮せずに開けてよいぞ。追蛇殿の工場から盗み出した、というものだ」


 追蛇は与力のほうをちらりと横目で見ると、風呂敷の結び目に取り組む。しかし、いくらやってもほどけない。

「与力殿、これを開けねば盗みの証拠にならないのですか?」

「そんなことはない。開けるだけならば、切れば開くではないか」


 追蛇は困惑した顔で風呂敷包みを与力に返した。


「葵殿。この風呂敷は、誰が包んだのだ?」


 え、やばい。

 これ、言っちゃったら、具伍さんに迷惑かかる。


「言いにくそうだな。実は拙者は知っている。これを結んだのは具伍という者だ」


 え、なんで知ってるの!?


 きょとんとする葵。

 追蛇が目を丸くして驚き、また姶鼻と顔を寄せ合っている。

 与力はニヤリと笑みを浮かべ、はっきりとした声で言った。

「桶屋の具伍」

「はいな」


 うわっ。


 驚いて後ろを振り向くと、そこには具伍がいた。

「ぐ、具伍さん!」口が半開きになった。


「お呼びになられましたね。与力様」

「その方はいつも神出鬼没だのう」


 与力と従者が笑う。


「この風呂敷の染抜きは顔本家のものだ。そしてこの結び方は、そこに居る具伍にしか出来ない。具伍にしか結べず、そして外せない結び目なのだ」

「そのとおりでございます。古今東西の結び方の全てを学び、その中から……」

「こ、講釈はよい。さ、ほどいてみせよ」具伍の説明を与力が慌てて止める。

「わかりました」


 具伍は与力の前に進み出ると風呂敷包みを受け取り、皆に見えるよう畳の上に置いた。

 そして一同を見回すと、やや芝居がかったポーズで結び目に右手の指先を伸ばし、ゆるゆると動かした。


 結び目が、はらりとほどけた。

 皆が息を飲む音が聞こえる。


 広げると中からは木で出来た笠羽餅の箱。


「お……!」

 誰ともない、一同の低く声が漏れた。


「これは、追蛇殿が管理する工場から出荷されている笠羽餅の箱に相違ないな?」

 与力の声に、追蛇は焦り気味の表情をする。

「は、はい、確かに」とうなずくのが精一杯のようだ。


 具伍は再び見回し、「よござんすか?」と聞いた。


 こっちはいい。中身は知ってる。早く。


 与力と従者は無表情。

 追蛇と姶鼻が緊張した顔で具伍の手元をじっと見ている。


 蓋を開けると、箱の中央に小判が二束。

 部屋に「ほう」とため息が満ちる。


「それは何だ?」

 与力の言葉と同時に、具伍が箱から小判の束を取り上げた。

「わ、私にお尋ねですか」

 問われた追蛇の声が震えている。


 と、そこへ姶鼻が割って入った。

「それを問うなら、そこの南蛮人に問うべきじゃないかと。盗んだというのはこやつなのですから」


 相変わらず態度がでかい。


「本当にそう思うか?」

「ですから、先程から追蛇殿も拙者も、工場内にはお金は無いと言っておるではないか。その小判は後からこの南蛮人が入れたものであろう。そもそもこのような箱は、是付ではどこでも売っている」

「では、この葵殿は何も盗んでいないと?」

 与力の言葉に一瞬ぐっと詰まる姶鼻だが、すぐに言葉を繋いだ。

「盗んではいないかもしれぬが、侵入して混乱させた罪があるのは事実であろう」


 な、なにー!? 盗んでないって。

 そうか、これが自分たちのものじゃないってことにして、悪事をホッカムリするつもりだな!

 なにおー!!

 ゆるさーん!!!


「異議あり!!!!」


 葵は大声で叫ぶと、中腰になって姶鼻を指差した。


 姶鼻は目を見開いて固まってしまった。

 周囲の者たちは呆気に取られている。

 与力の左右にいる従者が緊張して身構えた。


「あ、葵殿。お静かになされい。座りなさい」与力が焦った顔でなだめる。


 はっ。やっちまった。


 葵はしゅんとして座り直す。


「葵殿。何か言いたいことがあるなら今だけ言ってよいぞ。ただし今後は問われてから言うように」


 恥ずかしい。ごめんなさい。


「はい。でも聞き捨てなりません。これは確かにそこの姶鼻さんという産方医の部屋で見つけ、持ち出したものです。そもそも同じ箱を昨日にも工場長の部屋で見ています」


 部屋がざわつく。


「昨日に、とな?」

「はい。実は昨日にも工場に入り、屋根裏から工場長の部屋を覗いたのです。その時、その箱を工場長が姶鼻さんに渡していたのを見ました」


 室内がまたざわめく。


「なんと。まことか」

「本当です」


「そ、そんな盗人の言葉、信用なるか!」

 追蛇が声をあらげて葵に食ってかかる。


「鎮まれい!」与力の声が天井を震わせた。

 追蛇はビクッとして座り直すと、また隣の姶鼻とひそひそ話をしている。


「ちょっとよろしいですかな?」姶鼻が声をあげる。

「駄目だ」与力が制止した。

 姶鼻は目を剥いて身を乗り出し何かを言おうとするも、従者が身構えるのを見て黙った。

 眉間に皺をよせてじっと与力を睨んでいる。


「葵殿。前日にも工場に侵入したとのこと。何か理由があってのことか?」

「はい。えーと、工場の実態調査というか……」ここで詰まってしまう。

「実態調査? 葵殿が、か?」


 やばい。どう説明すれば。モローのこと言ってもいいのだろうか。

 でもモローは顔本家から依頼されてるっぽいし、いいのかな。


「えーと、実は協力を頼まれまして」言いづらい。

「協力? 誰にかな?」

「その、えーと、行商の」

「あっしでやんす」


 襖が開くと、モローが廊下に膝をつき、頭を下げていた。


「モロー!」

「盛郎だな。呼んだのは拙者だ。こちらに座れ」


 与力が具伍の隣を指す。

 モローは中腰でそそくさとそこに移ると、腰を下ろした。


「別巣から来てもらって重畳であった。行商人の盛郎。葵殿を手伝わせていたのはまことか」

「そのとおりでやんす。拙は顔本様とこの番所の依頼で工場を調べさせて貰ってるでやんすが、顔も知れているので、流れ者の南蛮人、この葵殿に手伝ってもらった、ってとこでやんす」


 流れ者、って。まあそうだけど。


「此度、この葵殿が工場に侵入したのは、その為だということだな?」

「そうでやんす。金目のものを奪うのが目的ではなく、工場の……最近の工場の運営があまりよろしくないということで、その根拠を探していたところでやんす」

「なるほど。で、この葵殿の持ち帰った箱は、何と理解している?」

「それが、あっしは中身を見るの初めてでやんすが、葵殿が持ち帰ったということは、工場の運営で起こっている問題に関係するものと考えているでやんす」


「問題とは?」

 与力が畳み掛けるように問う。というよりも、番所の依頼なんだから知ってるんじゃないのかな。


「へい。最近、工場で怪我人や病人が増え、また名物の団子の質が落ちてるって話で。このままじゃ名物も廃れてしまうし働く男衆も居なくなる。この辺、特に是付のあたりの産業はこれしか無いでやんすから、これが駄目になるといろいろまずい、ということで、番所を通してお城から頼まれたのでやんす」


 与力はそれを聞き、じろりと追蛇を見る。追蛇はもうじっと俯いている。

 だが姶鼻はまだ自信があるのか、背筋を伸ばして静かに前を見ている。


「姶鼻殿。それを改善する役目がそなたの役目であったな? 病や怪我を防ぎ、工場の状態を整え、調べ、それを番所を通じて城に報告するという。その業務を怠っていたのではないかな? 工場での男衆の働く環境を整える費用を顔本城から受け取っておきながらそれを適正に使わなかった。それの上前が、さっきの小判ではないのか?」

「そ、それは聞き捨てなりませぬ!」姶鼻ば血色ばんだ。

「というと?」与力が、変に落ち着き払った態度で姶鼻に問いかける。

「先程説明しましたように、その箱はどこでも手に入りまする。また、産方医の部屋には金目のものはありませぬ。おおかたその葵とかいう南蛮人の盗人は、その辺で買った笠羽餅の箱に勝手に小判を入れて我々を陥れようとしているのであろう!」


 なによ。そんなことする筈ないじゃない。

 そんなことして私に何の得があるのよ。


「なるほど。それでは小判をどうやって入れたとお思いか?」


 姶鼻がきょとんとする。


「先程、具伍殿じゃなければ結び目はほどけなかったであろう。貴殿の部屋で見つけてそのまま風呂敷で包んだと言っておっただろう。ちなみに、具伍殿は顔本様から直接、工場の調査を依頼されている者ゆえ、疑うにはそれ相応のお覚悟を」

「……ぬ、ならば、仮にその箱が拙者の部屋から出たとして、何の問題があろう。今まで盗人に狙われる危険もあったため隠しておったが、この際仕方がない。医道には金がかかる。急な薬の購入に充てるため、いくらか保管してあったのだ」

「ということは、その金は、追蛇殿から貰ったものではない、もともと自分の金だと?」

「そのとおりに御座る。先程部屋には金銭は無いと言ったことについては、その事情ゆえご容赦願おう」

 頭を深々と下げる姶鼻。


 くっそ。しぶといな。

 むかつく。


 姶鼻のお辞儀に眉をひそめた与力が、追蛇のほうに向き直る。

「ところで追蛇殿。この箱の中身については、本当にご存知ないのか?」

「全くございません。この南蛮人が天井から見たのは、文字通りただの笠羽餅の箱。単に製品の出来具合を調べるためのものに相違なく、この場にある箱とは無関係のものであり、この小判は拙者から渡したものではなく、姶鼻殿の個人的な物でしょう。だいたいその箱自体、本物かどうか分かったもんじゃありません」


 先程よりは幾分リラックスしているようだ。


 与力は、目を閉じてじっと考えているようだ。

 畳んだままの扇子を腿の上でゆっくりと動かしている。


 どうしたんだろう。というか、大丈夫だろうか。


「ならば箱をあらためてみよ」


 従者が箱に近づき、小判を丁寧に取り出す。

 クッション用の紙くずを全て出すと、箱の隅々まで確認する。


「問題ありません。素人が簡単に作れるものじゃありません」

「そうか」

 与力は箱に近づくと、ふと畳の上に置かれた紙くずを取り上げ、一枚一枚広げていく。


 何やってんだろう。


 と、その時、与力の手が止まった。視線が一枚の紙に釘付けになっている。

「これは、何だと思うね?」


 皆に向けて見せる。


 あ、これは!

 葵が腰を浮かせた。


「それ、私が描いたやつです! しばらく前に、別巣の町で追蛇さんに描いて渡しました!」


 つい大声になってしまった。


「これは……確かに追蛇殿ですな? まことにそっくりだ。追蛇殿以外に考えようがないですな」


 横から見た従者達も感心した表情をしている。


 追蛇が目を見開いてじっと見ている。姶鼻は眉間に皺を寄せている。


「この種の絵は見たことが無い。おそらく南蛮の絵。そうでないか?」

 与力が葵に問いかけた。

「そうです。蝋燭から作った南蛮筆で描いた似顔絵です。私にしか描けません。そして、その絵はちゃんと追蛇さんに渡したものです。別巣の人たちも見てるはずです」

「そうか。葵殿にしか描けず、追蛇殿に渡したその唯一の絵がこの箱に入っていて、それが姶鼻殿の部屋から小判とともに出てきたと。そしてその後、箱を開けることは出来なかった、と」

 与力がニヤリとする。


 追蛇は観念したのか目を閉じ、前傾姿勢で手を畳についたまま微動だにしない。


 しかし姶鼻のほうを見ると、与力のほうに怒りに満ちた目を向けている。

「与力殿! それは拙者が江戸から派遣されていると知ってのお言葉かな? この事を知ったら、公方様は何と言うか!」


 太い声で威嚇する姶鼻に、与力は静かに言った。


「公方様が何と言うか? 公方様は大変にお怒りになるでしょうな。江戸の名を背負って委任された業務で不正に蓄財し、公方様の顔にドロを塗ったのは、そちなのだから」


 姶鼻の顔がみるみるうちに青ざめ、口が半開きのまま固まってしまった。

 そして観念したように両手を畳について、頭を下げた。


 ほほう。与力さん、やるなあ。拍手だ。


「今回のこと、問題が大きいゆえ更に調査が必要だ。追蛇殿と姶鼻殿はことの重大性に鑑み、しばらくの間、番所で過ごされますよう。では、本日はこれにて」


 襖から屈強そうな男が四人、静かに入ってきた。

 追蛇と姶鼻には全く抵抗の様子もない。手を引かれてよろけながら立ち上がり、完全に放心した様子で連れられていった。


「では、ご苦労であった。もう出てよいぞ」


 与力の言葉に反応し、葵は畳に両手をついて丁寧にお辞儀をした。


 あ、そうだ。


「そうそう、与力さん、この辺りで変な南蛮人とか見かけませんでしたか? あるいは、そういう噂とか。笠羽芋を作った南蛮人さんの話は聞いたんですが」


 与力はいきなり「さん」付けで問いかけられて面食らったようだが、すぐに表情が崩れた。

「いや、拙者は知らないな。笠羽芋畑の南蛮人の話は何年か前に聞いたことはあるが、会ったことはない。他にここ最近で変な南蛮人といえば、そち位なものだ」

「そうですか……」


 うつむく葵。


 その姿を見て、与力が声をかける。

「まあ、また困ったことがあれば、いつでも来るがよい」

「分かりました。ありがとうございます!」


 葵はゆっくりと立ち上がると、炙に先導されて最初に入った部屋に通された。具伍とモローも一緒だ。


「あとはご自由に。また何かあれば」炙が言って去ろうとする。

「ち、ちょっとまって。今日あそこに『迎えに』来たのは、誰の依頼なのか……」

「ああ、そうでござった」

 炙は足を止め、向き直って腰をおろした。

「先程の与力殿だ。工場からの早馬が是付に来ていた工場長の追蛇に報告した後、追蛇と姶鼻が揃って番所に相談に来た。同心を貸してくれと。ところがこっちはこっそり工場を内偵している立場でもある。工場内の大まかな話はこの盛郎や具伍に聞いていたから概要は知っていたし、近々証拠を探しにいくという話しも出ていた。そこに物盗りの騒ぎだ。たまたま進捗の報告に来ていた盛郎がそれを聞いて慌てて、これは調査を手伝っている葵という娘だから助けてほしいと与力殿に進言し、その指示で拙者が迎えに行ったのだ」


 なるほど、与力さん、モロー、お陰で助かったよ。ありがとう。


「でも、危なかったっでやんすよ。先に工場の目付に捕まっちまったら、あの腰縄の部屋みたいな場所に閉じ込められて大変な目に遭ってたわけでやんす。この炙殿が大急ぎで駆けつけてくれたから、助かったんでやんす」

「そうだったんですね。始めは捕まっちゃうと思って絶望してたのに。炙さん、本当にありがとうございました」頭を下げる葵に、手を振って照れる炙。

「そういうことだ。まあ元々の業務の一環ではあるからな。それでは少し休まれた後、自由になされい」


 炙がすっくと立ち上がり、背筋を伸ばして部屋を出ていった。なんてスタイリッシュ。


「さてお腹も空いたでやんしょ」

 モローが懐から包を出した。笠羽団子だ!

「あ、貰っちゃっていい!?」

「どうぞどうぞでやんす」


 一串もらって頬張る。

 うーん。この独特の食感。ほんと美味しい。


「今回の騒動は何とか収まったでやんす。葵ちゃん、ほんと申し訳なかったでやんすね。怖い思いさせてしまって」

「んー、まあ、自分のことでもあるからね。後は南蛮人のところに行かなきゃだけど」

「具伍に教えてもらったでやんすよ。畑の裏の丘のとこに住んでるんでやんすね。一人じゃ心配だから、今度一緒に付いていくでやんすよ」


 それを聞いて葵はふと思い出した。


 そう。工場でマサさんが言ってた「詐話師」の話。あとはゲンさんがモローのことを信用していないこと。すごく気になる。


 このままモローと「組んで」大丈夫なのかと。言葉巧みに利用されないかと。今回のも、いってみりゃ利用されてた、って感じだし。


 だけど、そんなに悪どい人じゃない……と思う。今回は、自分の手伝いとはいえ助けてもくれた。それに、町の人達との様子を見てもそんなにやたらと人を騙すような人とは思えない。あの工場の人達とは何かあったんだろうけど。


「工場長と産方医が捕まっちゃって、笠羽団子の工場はどうなるのかな」

 ふと漏らす葵に、モローが応える。

「ここだけの話でやんすが、もし追蛇が処分されたら工場長はさっきの与力、福留殿が担うようでやんす。産方医は、元の天村先生でやんすね、多分。ただ――」

「どうしたの?」

「ちょっと今回のだけじゃ、お金を貰って病気や怪我人の嘘の報告書を書いた産方医の姶鼻はともかく、工場長はそのまま、かもしれないんでやんすね」

「え、なんで」

「嘘の報告の責任者は工場長でやんすが、それ産方医が勝手にやった、お金は追蛇がポケットマネーから出した、ってなるとちょっと弱いんでやんすよ。そのお金が城から支給されたお金からちょろまかしたかどうか、やっぱり出納帳――帳簿が無いと確実じゃないんでやんすね。それが今回は、どうしても見つからなかったでやんすから」

「でも、今のうちに工場内をくまなく調べれば……」

 葵は不安になる。


「葵ちゃんも見たとおり、あそこで隠せそうなのは工場長と産方医の部屋くらいでやんす。そしてそこ、何も無かったんでやんすよ。というか、その部分の帳簿だけ、きっちり無くなってやんしたから、工場長が処分したならもうとっくに無いでやんすし、万が一ジロが持ち出せていたにしたも、今は行方が分らないわけでやんすから」

「もし、見つからなかったら?」

「また工場長に戻る可能性もあるでやんすね。まあ天村先生がいれば大丈夫かもしれないでやんすが、また追蛇が変な企みをしないとも……」


 そうか。証拠の小判だけじゃ足りなかったか。


「でも大丈夫でやんすよ。後は何とかするでやんす。なあに、天村先生はこちらの味方でやんすから。葵ちゃんはこれ以上、危険なことやる必要ないでやんすよ」


 うーん、それはありがたい。けどむかつくなあ。あの追蛇が。

 絵をくしゃくしゃにしやがった追蛇が。また出てきちゃうなんて。


「まあ追蛇も姶鼻もいないうちに、いちおう工場は全部こっちで探すでやんすよ」


 もう私の出番はないってことか。なら、こっちはこっちで自分のことをやろう。


「じゃ、拙は是付でまだ野暮用があるでやんすから、具伍、葵ちゃんを別巣まで送っていってくれでやんす」

「了解した」

 硬い返事をして、具伍が立ち上がった。

 


 具伍が借りた馬の後ろに乗せてもらい、葵はモローについて気になっていたことを口にした。


「具伍さん、さっき工場に忍び込んだ時、怪我してたマサさんがモローのことを『詐話師』って言ってたんだけど。ほんと? 腰縄のゲンさん達もモローのこと信用してなかったみたいだけど」


 具伍は前を向いたまま、しばらく黙っていた。そして、ゆっくりとした口調で応えた。


「この地域に種芋を持ち込んだ後、畑と工場を立ち上げるまでは南蛮人がやっていました。その後、さっきの与力――福留殿が城から工場を任された頃、男衆集めを頼まれて奔走したのがモローさんでした。あそこで働けば一財産できてそれで商売を始められる、とか、そういう口上で集めてたんですね。まあ、モローさんとしては商売人の普通の駆け引きみたいなものでしょうが、この辺りの人は、みんな純朴ですからね」


 まあ、大げさな求人広告みたいなものか。


「その後も、もう少し頑張れば工場も大きくなって楽になる、と言ってた頃に工場長が追蛇に変わったりとか、江戸から偉い医者が来て怪我もすぐに治るとか言ったら姶鼻が来て……とか。苦しい男衆を励ましていたのが次々と裏目に出たんですね。その度に待遇が悪くなり、環境も悪くなり、怪我も増え、病気も増え、ますます仕事が辛くなっていく。笠羽芋を持ち込んだのがモローさんだってのは皆知ってましたから、結局、男衆には、笠羽芋を使って皆を騙して儲けてる首謀者、みたいに思われてたんですね」


 なるほど。工場長と産方医の悪だくみとか、男衆からは見えないからなあ。


「でも、町ではあまりモローの悪い評判きかないよね」

「そうですね。町では普通に行商してるようですし、品物も、まあ値段の交渉くらいはしても騙したり、ということも無いですし。あと珍しいものを色々持ち込んでくるので、町の人には人気があるようです。それに」

 具伍がちょっと躊躇ったあと、続ける。

「それに、町の人に信用されなければ、情報は集まらないですから」


 ああ、まあ、そうだよな。

 工場の男衆からは嫌われてるから、情報集めには内偵のジロさんとか具伍さんが必要だった。町の人にまで嫌われたら拠点を作ることもできない。


「具伍さんから見て、モローって、信用できる?」

「信用、ですか」


 こういう質問、具伍には苦手かなあ。


「葵さんとの言動を総合的に勘案すると、葵さんはモローさんを信用しても良いと思われます」


 そう。わかった。もう、信用することにしよう!

「ありがとう、具伍さん」


 そうこうしているうちに別巣の宿屋についた。入り口には女将さんがいた。


「葵ちゃん、あら、ずいぶんくたびれて。送っていただいて、ありがとうございました」

 女将さんが具伍に頭を下げると、具伍が軽く会釈して去っていった。


「ただいま戻りました」

 入り口に座る。

「足、また挫いちゃったのね」

 葵の歩き方を見た女将が心配そうな顔をする。

「葵! 大丈夫!?」

 お繭が隣に来た。

「大丈夫。ちょっと足、また怪我しちゃって」

「それだけじゃない。なんか全体的に汚れて大変。これからお風呂に入るから、葵も一緒に入ろう!」

「ありがとう!」


 明るく応えたものの葵の気持ちは重かった。

 結局ジロさんは居なかった。工場から逃げて行方不明だ。それをどう伝えたらいいだろう。


 結局、「分からなかった」としか伝えられなかった。


 お繭の悲しそうな顔が葵の目に焼き付いて離れなかった。

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