第8話 具伍

「モロー脅かさないでよ! もう」

「す、すまないでやんす。さ、一旦あっちに戻るでやんすよ」

 さっきの丘の上を指差す。

「えー、ちょっと休憩……」


 葵の言葉を無視してモローがどんどん丘を上っていく。しぶしぶついていく葵。


「中の人に、いろいろ話を聞いたでやんすよ。やっぱり最近、怪我とか病気とか増えてるのを手紙に書かれるのを警戒して、工場長が手紙の中身をあらかじめ読んでから是付に持っていく、みたいなことやってるみたいでやんす」

「だから最近手紙が減ってる、ってことなのね」

「そうでやんすよ。あと、手紙にそういう事を書いた人は、『腰縄』って呼ばれて別に扱われてるみたいでやんす」

「あ、それ、多分、工場で見かけた。腰に紐みたいなのついてた人たちがいた。その人たちかも」

「腰に紐、そう、そんな事言ってたやんす。何人くらいいたでやんすか?」


 葵は先程天井裏から覗いた情景を思い出していた。


「そう、うーん十人くらい一組で、二組かなあ。見た範囲では」

「すると、二十人くらいでやんすかね」

 じっと考えるモロー。

「確かこの工場は、昼の男衆と夜の男衆で交代なので、実際にはもっといるかもしれないでやんすね……」


 なるほど。工場の奥のほうの部屋で休んでた人たちが交代要員か。


「いやでも、この工場ひどいよ。監視員みたいなのが、ずーっと立って働いてる人を監視して大声で怒鳴ったりしてるの。暑くてしんどいし。みんな疲れ果ててる。あと、病気とか怪我の人も別の部屋にいたけど、なんか治療っていうより放っとかれてるみたい」

「そうでやんすか。前は病気とか怪我は是付の医者のとこに運び込まれたようでやんすけど。そんな工場の中でちゃんと治療できるんでやんすかね」

「そんなの私に分かるわけないじゃない。あと、そう。医者はいるんだけど、産方医って奴? その部屋の上にも行ったけど、なんか怪しい奴よ。スキンヘ……つるっ禿げで、そう、あの工場長だっけ? 追蛇とかいう武士とグヘグヘ悪そうな事やってた。きっと、ワイロか何かよ」


 モローは葵の言葉を真剣な顔で聞いている。


「あの姶鼻とかいう産方医の部屋に、なんか色んな記録あるみたい。それ、何とか見られれば。名簿とかないかな。お繭のお兄さんの名前とか、書いてあるかも。モローの方は、どう? お繭のお兄さん情報、あった?」心配顔の葵。

「それが、まだよく分らないんでやんすよ。男衆で情報通の『おけ屋の具伍ぐご』って奴に聞いてみたんでやんすが、別巣の次郎右衛門……ジロでやんすね、は、ここしばらく見かけないようでやんすよ」

「情報通の桶屋のグゴさんって、なに? スパイ……いや、なんだ、間諜? みたいな?」

「いや、その」

 モローの言葉が濁る。


 そう、その「事情通」とやらだったら、この工場に関係する「南蛮人」とやらの情報に辿り着くかもしれない。


「桶屋の具伍さんに、会えないかな?」

「はい」


 うおっ! 葵はエビのように飛び退いた。いつの間にかそこには若い男が立って不敵な笑みを浮かべていた。


「え、なにこの人!」

「そう、そいつが具伍でやんすよ」

「具伍といいます。よろしく!」


 なんだかイケメンだ。しかしちょんまげ。しかも上半身裸。工場から直接来たのか。ちょんまげで上半身裸でニヤニヤ。いくらイケメンでもこれはない。


「具伍、今の葵ちゃんの情報と合わせると、何か分かるでやんすか?」

「モローさん、私は情報を集めて覚えているのは得意ですが、判断するのは苦手なんですよ。判断はモローさんにしてもらわないと」


 さらりと言う。なんだか変な人だなあ。


「そうだったでやんすね。具伍、葵ちゃんが言ってた姶鼻っていう産方医って、いつからそこに居るでやんすか?」

「それは半年前ですね。元々、是付の天村てんそん先生が産方医やってたんですが、交代になったようです」

「天村先生ってのは、なんで交代しちゃったの?」

「ちょっとお待ちください」


 具伍が目をつぶり、人差し指を額に当てて小さくクルクルと撫でる。そして数秒後に目をカッと見開いた。


「姶鼻先生が江戸から派遣されてきたから、ですな。押出しです」

「江戸から、って、なんでまた」

「幕府の間諜です」

 ……げげっ。ストレートな。

「工場があまり儲けてるので監視のために幕府が顔本城に押し付けてきた医者ですね」

「その姶鼻って医者が、天村先生を追い出したのね。というか、幕府が派遣した医者がそんな悪徳なんて、監視だけじゃなく工場を潰そうとした、ってこと?」

「それは私には分かりません。その人の意図とか判断とかは分かりません。あくまで、事実とその繋がり、あるいは多くの人々がそれについてどう考えているのか、しか分らないのです」


 なんだかなあ。まあ情報はあったほうがいいか。


 モローは岩の上にしゃがみこんで団子を食べ始めた。どこに持ってたんだ。


「そうそう。お繭のお兄さん……別巣の次郎右衛門さんって見あたらないって、本当?」

「私は嘘は言いません」


 まだニヤニヤしている。イケメンだけど気味が悪い。


「……ごめんなさい。最後に見たのは、いつ?」

「私が最後に見たのは丁度三十七日みそかあまりなのか前ですね」

「みそ?」

「みそかあまりなのか前、ですね。とおが三つに足すことの七日、です」淡々と答える具伍。


 ああ、三十七のことか。しかしやけに細かい。


「それまで一緒の石臼班にいて、その次の日からはバラバラに分かれてしまいました。というか、次郎右衛門は腰縄になりましたんで」

「こ、腰縄!?」

 団子を食べ終わったモローが顔をずいっと寄せて来た。

「腰縄の件は聞いてないでやんすよ」

「訊かないからですよ。訊かれないことには答えられません」

 具伍の目は冷たい。口元では笑ってるが。作り笑いみたいだ。


 なんだか性格悪そう。


「さっき見た! 腰縄って、腰に縄ついてて、くっついて仕事してる班だよね」

「そう。二つの班が、腰縄になっています」


 全部で二十人くらいか。


「腰縄になる人って、何をやったの?」

「色々ですね。脱走とか、盗み、怠け、反抗、漏らし、などです」

「漏らし、って何でやんすか?」

「工場内の事情を手紙に書いて外に伝えることです。悪いことを手紙に書くと、手紙は没収の上、腰縄になります」

「ジロ……次郎右衛門さんは、何をやったんですか?」


 具伍はまた目をつぶり、指を額に数秒あててクルクル撫ぜて目を開く。

 しかしこれ何の儀式だ。


「もしかして、怠け、でしょうか」

「な、怠け? ジロは真面目そうな男でやんすがねえ」

「いえ、これはあくまで『もしかして』です。私が決定したわけじゃないですから。持ち場をちょくちょく離れて、しばらく帰ってこないことがあったので。状況から総合するとその可能性が最も高くなります」

「持ち場を。そういうことか。それは申し訳なかったでやんす」

「モロー、申し訳なかったって?」


 またモローの顔がひきつる。

 なんだか色々隠し事してそうで嫌な感じ。


「モロー、ちゃんと教えてくれないと、協力もちょっと出来ないかな、なんて」

「わ、分かったでやんすよ。実は、最近まで拙に協力してもらって工場の中の情報を伝えてくれてたの、ジロだったんでやんすよ。で、ジロからの連絡が無くなって困ってたときにこの具伍の存在を知ったんで、いろいろ聞いてるんでやんす。多分、持ち場を離れて『怠け』で腰縄、っての、拙が工場内をいろいろ調べさせてたから、だと思うんでやんすよ」

「え、じゃあ、ジロさんを間諜にしてたってこと! それ、お繭は知ってるの!?」

「そ、それが……。言える筈ないでやんすよ。基本的にこれ、番所から頼まれて周囲には秘密の任務でやんす。しかも今回、ジロは謎の手紙を残してて、ますます言えなくなったんでやんすよ」


 眉を寄せてしょぼんとしている。まあ、モローも好き好んで請け負ったわけじゃないみたいだし仕方ないか……。


「で、ある日、だいたい様子が分かってきたので、工場長と産方医の悪行やら工場の酷い状況やらの証人として出てきてもらうことにしたんでやんす。それで是付の奉行所でここの工場長と産方医の悪行を暴いて、それで任務完了、って感じだったんでやんすが」

「それが、行方不明……」


 葵は天を仰いだ。


「最後に会った時、証拠の帳簿の場所が分かった、なんとかしてそれ持ち出すから、一緒に番所に行こう、って話になってたでやんす。なので五日後の昼の八つ時に別巣の外れで、って約束して、そこで待ってたんでやんすよ。そしたら人影があったんで、ジロかと思って近づこうとしたら急に物凄い雨が降ってきて、細長い光っていうんでやんすか、稲妻みたいなのが見えて、ふっと消えたんでやんす。雨もカラっと止んでしまって、ジロが稲妻に打たれたのかと思って慌ててその場所に行ってみたら、葵ちゃんが倒れてたんでやんすよ」

「え、あの時!」


 葵は最初にここで目覚めたときのことを思い出した。

 確かにびしょびしょだった。モローはあそこを偶然通りかかったんじゃなかったのか。


「モローはジロさん待ってたの!?」

「そうでやんす。なので結局、ジロとは会えず。まだ『腰縄』だったら出られないでやんすから」

「え、でも、具五さんがジロさんを最後に見たのが三十と七日前で、手紙が昨日届いたって、なんだかおかしくない?」

「具伍、手紙を送る手順はどうなってたでやんすか?」

「今は、月に二度、集まった手紙の中身を調べ、そして『出してもいい』ものだけ月に一度、是付の反物屋にまとめて持っていく、という形ですね。なので、工場の手紙受けで受けてから届くまでに最大三十日かかることになります」


 三十日! 一ヶ月じゃん!


「つまりあの日より前、帳簿を盗み出そうとしたけど、持ち場を離れたことで「腰縄」になってしまっていたので出られなかったんでやんすね。その手紙は表向きはあの内容ざんしたから、監視の目をかいくぐって出されて、昨日になってようやく反物屋さんに届いたってわけでやんす」

「ってことは、もうひと月くらい閉じ込め中?」

「いや、閉じ込めではないと思います。腰縄というだけであれば、腰縄のままで工場で働いているはずですから。それなら私の目にも止まります。働いていないのは、怪我や病気の男衆だけですね」


 ますます不安になることを言う。


「じゃあ、その怪我人とかの中に、ジロさんはいない?」

 具伍はちょっとまた動きが止まってから、口を開いた。

「わかりません。普通の男衆はその場所に入れませんから。入れないことにはジロさんがいるかどうか、判りません」


 なんだよう。「情報通」が、聞いてあきれる。


 具伍が葵の思いを感じたのか口元の笑みを増やしながら続けた。

「私は禁じられた場所には行かないし、行ってない部分のことは知らないのですよ。知っていても問われないことは答えません」


 そりゃそうでしょうけど。なんだか硬いなあ。まあ、あんま困らせても仕方ないか。


「そうそう、帰ってから天井裏から見た工場の図、描くね。参考になれば」

「ありがとうでやんす。ジロが探していた帳簿が工場長や産方医の部屋にあるなら、場所はあらかじめ知っといた方が良いでやんすね。あとは、ジロの居場所でやんすが、怪我人がいた場所も覚えていれば助かるでやんすよ」

「任せといて!」

 自信満々に自分の胸を叩く。

「そうそう、具伍さん。ついでにちょっと良いですか?」

「なんでしょう」


 まだニヤニヤしている。きもい。


「あの、笠羽団子の畑って南蛮人が作ったって聞いたんですが、それ本当ですか?」

「それは本当です」即答する。

「え、その南蛮人に会えない?」


 ドキドキしてきた。


「南蛮人であることは知ってますが、その南蛮人がどこの誰かは私は知らないのですよ」


 じれったいな。


「噂でもいいから」

「噂も知りません」


 即答だ。そっけない。


「ただ、この場所に最初に笠羽芋の畑を作ったのはその南蛮人だそうですから、工場のどこかにその南蛮人の情報を書いたものが半分の確率で残っていると思われます」


 お!


「それ、どこかな!?」

 身を乗り出す。


「わかりません。ただ――」


 またか。


「私は大概、普通に行ける場所には行っていろいろ見てますが、そこに無かったということは、もしあるとすれば、私が入らなかった場所、すなわち怪我人の部屋や工場長の部屋、産方医の部屋にあるということが考えられますが、そういったものが怪我人の部屋にある可能性はゼロに近いと思いますから、もし工場内に存在するならば、工場長と産方医の部屋、どちらかにある可能性が高いでしょう」

「なるほど。論理的ね。ありがとう!」

「どういたしまして。じゃ、私はそろそろ戻ります。男衆と桶屋の御用聞きとの兼務で規則は緩いとはいえ、あまり空けていては私も『腰縄』になりかねませんから」


 そう言うと、具伍はみるみるうちに丘を下りて工場に入っていった。


「素早いね……」

「ああ、具伍は目端耳端が利いて知らぬうちに素早くいろいろ調べるんでやんす。神出鬼没、ってやつでやんすね。ただ癖があって、使えないときは全く使えないんでやんすが」


 まあそんな感じだよね。

 葵は同じクラスにいる「勉強だけできる秀才」の顔を思い出していた。



「こんな感じ」


 宿屋に戻った葵は、南蛮筆を使って大きめの紙に工場の見取り図を描いてモローに見せた。


「すごいでやんすね。よく覚えてるもんでやんす」

「いやあ、こういうのだけは昔から得意だったもんで」

 頭を掻く。


「とすると、調べるのは、ここ、帳簿なんかは産方医の部屋と工場長の部屋、あとジロが居るかもしれない怪我人の部屋と腰縄の部屋でやんすね」

「でも、どうやって調べる?」


 モローは黙ってしまった。


「……そうでやんすねえ。ちょっと二人だけでは」

「例えば工場長とか産方医がいない日を狙って、とか」

「そういえば、前にジロに聴いた話だと、産方医は二、三日に一回くらいしか来ないらしいでやんす。工場長はいつもいるようでやんすが……あ、その、書面、産方医の作った報告書面を番所に出しに行くのは工場長なんで、その日にもし産方医が居ないなら、両方ともカラのはずでやんすよ!」

「ってことは、明日あたり!?」

「なんででやんすか!」

「だってさっき、産方医のとこに工場長の追蛇が来て、書面受け取っていったし」

「で、でも、受け取ったからすぐ持っていくとは限らないでやんすよ!」


 確かにそうだ。けど、そんなの待ってたらいつになるか分らない。


「ジロさんのことも気になるし、工場作った南蛮人のことも気になる。工場の悪徳ぶりの証拠集めるのも大事だけど、いろいろやりたいことあって、じっとしてられない感じなの」

「いや、しかし大丈夫でやんすかね」

「どっちにしても、ジロさんを見つける。それで、一緒に番所に行く。明日やろう。一緒に屋根裏から侵入しよう」


 モローに言うものの、モローはもう一つ乗ってこない。


「いや、その、拙は、実は……」

「な、なに?」

 なんだか嫌な雰囲気。

「高いところが、に、苦手でやんして」


 両手をぐっと握りしめ、腿の上に置いて体を固くしている。

 やだ。そんなに怖いの。


「え、あんな屋根裏くらいでも?」

「てんでダメ、でやんすよ……」

 泣きそうな顔だ。目も合わせられない。


 こりゃ無理だろう。


「わかったよ。じゃあ、正面からいこう。モロー、一緒に入れるよね!?」


 またモローが苦しげな顔をする。

 なんだよいったい。


「そ、それが、最近見回りや身分の確認が厳しくなってるんでやんすよ。ひと月ほど前に賊が入ったか何かで、工場長の部屋のものが幾つか盗まれたみたいでやんす。いや、その賊ってのも……」

 モローが眉を寄せてまた固まった。


 そうか。賊ってのは……。


「ジロさんね?」

 モローが黙って頷く。

「多分それ、ジロのことだと思うんでやんす。わからないでやんすが。どっちにしても、以前から取引がある人以外、表からは絶対入れない感じでやんす」

「え、だからってまた、私だけ屋根裏から!?」

「ごめんでやんす」


 呆れた。まあ、仕方がない。急に明日、って言ったのは私だ。

 しばし目をつぶってから見取り図に目を落とす。


「わかったよ。じゃ、私は屋根裏から行って、まずここの怪我人のところに下りて、そこから腰縄さん達のところ、その二箇所でジロさん探す。モローは普通に入って逆に腰縄さんのとこからジロさん調べて」

「いいでやんす。あと工場長の部屋とかどうするでやんすか?」

「ジロさん探した後に、二人で行こ。あと産方医の部屋にも」

「証拠探しでやんすね」


 そう。あいつらの悪行の証拠と、あとは自分ののキーを探しに、だ。少しでも「南蛮」に繋がる情報は追っておきたい。ここの人たちにとっての人は「南蛮人」なのだから。


「それで、あと追加でお願い。私やっぱり、元の……南蛮に帰りたい。だから、南蛮に関係する話とか人とか物とかの情報、ついでに調べてほしいの。この工場の元になった畑を作ったの、南蛮人なんでしょ。その人の情報とか」

「わかったでやんす。任せてくださいでやんすよ。具伍ともいっしょにやるでやんす」


 モローの表情が明るくなった。

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