第7話 潜入

 次の日の朝、女将にもらった股引と鯉口というTシャツのようなもの、その上につける腹掛けを試す。なんだか身軽だ。いい感じ。

 カッパを羽織ると、井戸の水を汲んで顔をざざっと洗った。へっついで軽くご飯をいただき、表玄関に向かう。


「あ、え? 葵ちゃん!?」

 通りがかった中年の女中が目を剥いている。

「いや、いろいろありまして……」


 すれ違う人が皆立ち止まって二度見していた。照れるなあ。


「あ、女将さん、ありがとうございます!」

 入口に居た女将にポーズをとって見せる。


「あら葵ちゃん、似合うじゃないか! なんだか女にしとくの、勿体ないねえ」


 上から下までじろじろ見られて恥ずかしい。


「でもあれだねえ。その頭、ちょっと。丁髷にしたげようかい?」

 葵は頭をブンブンと横に振った。

 女将が口に手を当ててハハハハと笑いながら奥へと去って行く。


 スニーカーを履いて外に出る。ジーンズと比べるとなんだか頼りなさそうだけど、これなら走れる。うひょっほう!


「あ……葵ちゃん、でやんすよね?」

 モローがこちらを上から下まで見回している。なんだか女将に見られるときと違う恥ずかしさがある。


「そう、これで行くから、よろしくモロー」

「あ、頭はちょっと、アレでやんすねえ。それじゃ目立ち過ぎるでやんす。手ぬぐいか何か巻いたほうが良いでやんすよ」


 その手があったか。格さん助さんだ。水戸黄門だ。


「あ、ありがとう! 途中で買ってくわ」

「いいでやんすよ。これ、あげるでやんす」


 モローは細かい柄のついた手ぬぐいを懐から出して葵に渡す。

 なんだ。気が利くじゃないか。


「あんまり変な格好だと目立って怪しまれてこっちも危ないでやんすから」


 なんだよそういうことか。


「じゃ、行ってくるでやんすよ」


 玄関には、お繭が出てきていた。不安げな表情だ。

「お繭、大丈夫。お兄さん探してくるから!」


 笑顔で手を振るとモローの後をついて別巣を出た。



 別巣と是付との中間地点に休憩用の丸太と岩がある。岩にはうっすらと字が書いてあるようだが、ちゃんと読めない。その丸太と岩の間から、細い横道があった。それが、工場へ向かう道のようだ。


「ちょっと歩くでやんすよ。あの丘の向こうにあるでやんす。ここからは見えないんでやんすよ」


 ひい。あの丘って、なんか遠いんですけど。


「なんでそんなとこに工場作ったの?」

「いや、拙も知らないでやんすよ。笠羽芋の畑が向こうにあるんでやんす。多分、畑から近いほうがいいってんで、工場作ったんでやんす」


 本当かなあ。


 歩く道すがらでも周囲を見回してみる。単なる荒れ地が広がっている。沼らしきものも見当たらない。

 モローも同じことを考えているようで時折遠くを眺めている。


 丘の上に到着する。向こう側はやや急な斜面でジグザグに道が出来ている。その向こう、すぐのところに工場はあった。意外に大きい。学校の体育館くらいあるだろうか。ところどころにある煙突のようなところから湯気が立ちのぼっている。

 振り返ってみる。ここからだと左には別巣、右には是付の町が見える。やっぱり別巣と比べると街の大きさが全然違う。


 しかし辺りを見回しても、田んぼが全く見当たらない。川の流れはあるものの、まわりは荒れ地のようなものがずっと広がり、畑すらない。そして、沼らしきものも見当たらない。


 また工場の方に目を戻す。工場の建物の向こう側、ちょっと離れた場所に、毛色の違う広い土地があった。


「工場の裏に広がってるのが、笠羽芋の畑でやんすよ」


 ああ、あれがこの地域唯一の作物、笠羽芋。それしか採れないっていう土地。


「工場から是付に行くときは、この丘をぐるっと回って向こうから行くんでやんすけどね、まあ今回ははしょって丘から来たわけでやんすよ。ちょっと大変でやんしたか?」

「ううん大丈夫。丁度いい運動になったわ。ちょっと昨日の筋肉痛が残ってるけど」


 モローは笑顔になりながら、そばの倒木に腰を下ろした。葵もつられて隣に座る。


「モローって、ずっとこの界隈で営業……いや仕事してるの?」

「まあ、ずっとってわけじゃないでやんすが、ちょっといろいろ最近込み入った話もあって、この辺りを根城に行商してるってわけでやんす」


 またなんだかボカすような言い方だ。


「出身はどこ?」

「出身でやんすか? 近江でやんすね」


 近江ってどこだっけ。


「笠羽芋の工場には、何度か行ったことはあるの?」


 一瞬、モローの表情が固くなった気がした。が、すぐに応える。


「仕事で何度か行ったことはあるでやんすよ。工場長とも会ったことあるでやんす」


 なるほど。なら、意外に早くわかるかも。ちょっとホッとする。


「けど、あまり、期待できないかもしれないでやんすよ。ちょっとこの工場、いろいろ問題あるみたいでやんして」

「え、問題って?」


 モローがまた黙ってしまった。あまり突っ込まないほうがいいのか。


「いやねえ、今回みたいなの初めてじゃないでやんすよ。団子も評判になってきて、工場がだんだん大きくなってきた頃、何年か前でやんすね。工場で怪我やら病気やらが増えて是付のお医者がてんてこ舞いになったんでやんす。その時は怪我や病気やら治ればまた工場に戻ったんでやんすが、だんだん戻るのが嫌だという人が出てきたんでやんすね」


 工場の怪我か。労働災害って奴か?

 そりゃそんなの続いたら誰だって働くのは嫌だろう。


「でもこの辺りじゃあ、他に働く場所もないでやんすし、働くとしたら下総か江戸まで行かにゃならかったんでやんすね。田畑もできない土地でやんすから。だから仕方なく行ってたんでやんす。けどやっぱり怪我人やら病人やらが出るし、そのうち亡くなる人までいたんでやんすよ」


 げげ。ブラック企業じゃんそれ。


「それ、警察……いや、なんだ。うーん、どこだろう。奉行所! とか、あと、うーん、役所? みたいなとこは、何もしなかったの?」


 モローはしばらく考えている素振りをしていたが、葵の言わんとすることが解ったようだ。


「ああ、お城の耳にもちらりと入ったんでやんす。笠羽団子はこの辺にしか無い名物でやんすが、江戸は……江戸の幕府が、こういうのあまり好きじゃないんでやんすね。あまり独自の産品で勝手に儲けられるのは嫌みたいでやんす。だから城主の顔本様も、あの工場をあまり目立たせたくなかったんでやんす。それがこんな病気とか怪我とかで騒ぎになるとやばい、ってんで、工場を監視する医者を常駐させることにしたんでやんすね」

「え、医者? なんで? 警察、いや、なんだろう。そう、岡っ引き、じゃなくて?」


 またモローが考え込む。

 すまないモロー。こっちの仕組みよく知らないんだ。


「ああ、怪我とかもそうでやんすが、病気になっちまうのを防ぐっていうんでやんすかね、そういうお目付け役みたいな医者、でやんす」

「内科とか外科とかそういうんじゃないのね」

「南蛮の医者の種類は分らないんでやんすが、是付の医者の中で、ちょっと昔工場で働いたことある、って漢方医がいて、その医者を『産方医』って役職で工場に配置させたんでやんすよ」


 サンポウイ? 聞き慣れない。


「で、仕事場の環境やら休憩やらの仕組みを整えていって、事故も病気も減っていったんでやんすよ。けどここ半年くらい、なんだか団子の質が落ちてきてる感じがするんでやんす。あと、またぞろ病気やら事故の話が出てきてるんでやんすね。けど、前はすぐ是付の医者に連れてこられたので判ったんざんすが、それが、今回は全然見えてこないんざんすよ」

「え、その産方医とかが治してるんじゃないの?」


 モローの口がだんだん軽くなってきたようだ。

 葵の言葉に乗って次々と語り出す。


「産方医は怪我や病気が出て治したら番所を通じてお城に報告するようになってるんでやんす。けど、最近それがそれがぱったり無くなったのに、工場で働く男衆からの手紙には、どこそこの誰が怪我したとか病気になったとか、書かれてたんでやんすよ。変だなってなって、たまに工場に行商に行ってる拙も、番所の役人にいろいろ訊かれたことがあって、その流れで調べてくれ、って言われてたんでやんす。まあこの辺りが賑わってこそ拙の商売も成り立つってんで嫌々……いやその請け負ったんでやんすがね、そこで今回のジロの変な手紙でやんすから」


 ふむふむ、これは事件ですよ、モロー。


「もう、引くに引けないでやんすよ。で、まあ葵ちゃんには、その、そっちの調査のお手伝いというか、してほしいな、でやんす」


 なんだそれ。


「いやその、私、そんな隠密みたいなこと、出来ないから!」

「隠密って! いやそんな大層なもんじゃないでやんすよ。いや、拙はこの辺りでももう顔知られてるでやんす。なので、ちょっといろいろ都合が悪いこともあるんでやんすね」言葉を濁すモロー。


 っていってもなあ。

 だいたいそんな、モローが依頼された仕事じゃん。しかも役所からの仕事。勝手な部外者、っていうかこんな「南蛮人」が手伝ったりしてもいいのかって。


「いや大丈夫でやんす。っていうか、ここまで知られちゃったからには手伝ってもらうでやんすよ」


 モロー。脅す気か。

 でも、これチャンスかもしれない。

 このままじゃ、いずれにしてもこの世界に馴染んでそのまま生きていってしまいそうだった。ちょっと強烈な打開策っていうか、解決になるような行動してみないと、ダメかもしれない。

 やってダメでも、もともと。


「わかったわよ。でも、ちゃんとサポートしてよ」


 不思議そうな顔をするモローを無視して丘の道をジグザグに降りていく。

 慌ててモローが後を追う。

「そ、そんな真正面からはダメでやんす!」

「わかったわよ。どうすりゃいいの」

 葵はいったん歩を緩めた。

「表からの御用聞きで分かる範囲が、さっき話したところまででやんす。あとは、こう、こっそりと調べるんでやんす」

「こっそり?」

「そうでやんす。工場は、工場の建物と、あとは住み込みの部屋があるはずでやんす。ここから見ると、手前がその住み込みで、その奥が工場でやんすね」

「住み込みのとこにもちらちら人いるけど、話を聞くのは?」

「それはこれからやるでやんす。その間に、葵ちゃんには『中』の調査をしてほしいでやんすよ」


 中って、まさか、工場の中!?


「え、嫌よ。そんな、怪我とか病気とか、怖いじゃん!」

「だ、大丈夫でやんすよ! ちょっと天井裏から覗くだけでやんす!」


 なおさら怖いわ。先行き不安になってきた。



「まったく、天井裏から覗くって、ノゾキじゃないの。それって犯罪じゃないの? ネズミ?」


 ぶつぶつ言いながら、葵は工場建物の後ろ側から天井裏に忍び込んでいた。

 天井裏は思いのほか、広い。ところどころ太い梁や柱が縦横に入っているのに気をつければ、動き回るのはたやすい。


 天井板同士には細く隙間がある。通気のためだろうか。そこから少し光が漏れてくるので、真っ暗ということもない。

 たまにちゃんと固定されてないような天井板がある。開け閉めするためだろう。そこに体重を乗せてひっくり返らないよう、注意しながら動く。


 しかし問題がある。暑い。すごく暑い。蒸し暑い。


 板の隙間から下を覗くと、上半身裸の男たちが、並んで一斉に何かを回している。石臼のようだ。細い筋肉が躍動している。細マッチョだ。絵のモデルにしたいくらい。そして次々と白い何かを投入し、回し、下の穴からは桶の中に何かモロモロのものが出てきている。


 そのモロモロが入った桶を運ぶ者、その先を目で追うと、小さなプールのようなところに次々と投入しているようだ。端の方では、そのプールの底をヘラにようなものでガリガリ引っ掻いている者、その引っ掻いて出来る欠片をまた桶に入れる者、運ぶ者、それぞれ分業で黙々と働いている。また別の場所では、芋の山から芋を取り上げて皮を剥いて別の山に乗せる者、それをざく切りにする者、と、様々な仕事が同時に並行して流れていた。


 すごい。人がまるでロボットのようだ。


 しばらくじっと眺めていたが、ほんと、みんな持ち場を離れずに機械的に芋やそれから作った物と思しきものを、加工し、運び、加工し、運び、とやっている一連の動きには乱れが無い。

 真上からは、ちょっと頭が禿げた人から若そうな人まで様々に見える。


(お繭のお兄さんは……ちょっとこれじゃ、分らないわよね。だいたい、ジロさんだっけ、顔も知らないし)


 今回はモローに「工場内の人の配置とかをザッと調べてほしいでやんす」と言われている。人の配置。うーん。これでいいのか。


 少し移動して見えにくいところを見ていく。あ、なんかちょっと高くなったところに、雰囲気の違う人。仕事してるっていうより現場監督みたいな感じか。棒を持って、それを向けて誰かを指して大声を出している。怒られてるのかな。指された人を見ると、ムッとしながら働いている。大変だわこりゃ。


 そのような「監督」は、工場に四人ほどいるようだ。だいたい一つの作業が十人くらいのグループになっていて、それが六つほどある。全部で五、六十人くらいが働いてるのね。


 工場の端の扉が開いて、集団が入ってきた。きちっと並んでいる。「監督」と同じ格好をした人が先頭と最後にいて、一糸乱れぬ動きで配置されて……って、なんか変。


 こ、腰に、ロープ?


 目を疑った。腰にベルトのようなものが巻かれ、ベルトについた輪にロープのような太い紐が通してある。


 なんだあれ。囚人か?


 その「囚人」があるグループに近づくと、そのグループが全員立ち上がった。


 え、このグループも、腰にロープが!?


 そして、先頭と最後にまた「監督」が立って、大声を上げた。


「さっさと並べ! 行け!」


 げげっ! これ、まるで刑務所!?


 他のグループをよく見てみるが、腰に紐が付いているのはその二つのグループだけのようだ。


 天井裏を移動して、さっき交代のグループが入ってきたところをこっそり見る。

 頑丈そうな扉だ。その外は……少し移動してまた下を覗く。廊下だ。廊下を挟んで左右に、幾つかの部屋がある。ここが住み込み場所だろうか。


 住み込み場所って……要は「寮」よねえ。そんなとこ、覗いちゃっていいのかね。

 これが逆だったら、単なる覗き魔だ。っていうか、逆だとダメな理由が分らない。本当はこれでもダメだろう。


 えーい。どうにでもなれ。元の世界に繋がるヒントは、ここにしか無い!


 天井裏をゴソゴソと動いては下を見る。大体の部屋は薄暗くてよく分らない。見える部屋も、十人ほどがごはんを食べているか横になっているか。十人でこんな部屋。狭いじゃない。大丈夫か。板の間にゴザだし。畳もない。そしてなんだかみんな、活気がない。っていうか、ごはん、あれ、何だろう。さっきの芋のガラにも見えるけど。

 奥に近い別の薄暗い部屋を覗く。うーん。よく見え……。


 え!?


 七、八人がゴザに横たわり、呻いている。足に包帯を巻いているのは怪我人だろうか。小さな桶に吐いてる人もいる。あと、横になって天井を見ながら、両手をブルブル震わせてる人も。


 なんだこれ。病人と怪我人じゃん。ここ、医務室か何か? にしては看護師とか医者とか誰もいないし、放っとかれてるみたい。


 両手を震わせている人が、ふと天井を見た。目が合った気がして、とっさに隙間から目を離す。やばい。見つかったか?


 ゆっくりと移動し、一番奥。あ、ここは風呂……って、なんだか汚いな。大丈夫かこのお湯。幸い人は入っていない。

 うーん、ちょっと、ブラックっていうか、いやなんていうか、端的にここの人たちって、囚人か、あるいは、奴隷!?


 ひときわ明るい光が漏れている場所があった。そこに行ってみる。何だろう。


 下を覗くと、そこは立派な部屋だった。これまで覗いた部屋とは、格が違う。豪華というわけではないが、机があり、畳があり、行灯があり、どっしりと落ち着いた感じの「ちゃんとした部屋」のようだ。そして、大きな障子窓。そこから光が入っていて、それで明るく見えたようだ。

 そういえば他の部屋は薄暗かった。窓が小さいのか閉まってたのか。とすると、この立派な部屋は、モローが言ってた工場長とやらの部屋だろうか。


 誰かが入ってきた。男だ。ちょんまげ……じゃない。つるつる、スキンヘッドだ。ちょっと上等そうな着物を着ている。そして、机の下から綴じられた大きめの本のようなものを取り上げると、机の上で開いた。紙が畳まれて挟んであった。それを広げて見るスキンヘッド。何かが書いてあるようだが、葵の目には何が書かれているかはよく判らなかった。

 そこへ、もうひとりの男が入ってきた。こちらはちょんまげだ。ちょんまげで、刀を腰に付けている。武士か!?


 ちょんまげの男が口を開く。

「ああ、姶鼻あいび先生、いつもお疲れ様ですなあ」

「いやいや追蛇どの、工場長のお陰様で、こちらも助かってますよ。わはははは」


 なんて黒い笑いだ。悪代官か。いや、代官じゃないな。先生と呼ばれてるハゲのほうはアイビっていうんだな。多分これがモローの言う「産方医」だろう。で、ツイダとかいうのが……まてよ。この世界に来たとき、襲いかかってきた武士が追蛇って名前だった。確か。似顔絵も描いてやった奴だ。クシャクシャに丸めやがって。くそ。女将さんの話でも工場長だって言ってたし。上からじゃ顔がちゃんと見えないけど、こいつ、やっぱりあいつか!


 しかしこのあからさまなグヘグヘ具合。どう見ても悪人だ。時代劇かよ。


「さて今月の報告は出来ましたかな?」

「もちろん、こちらに」

 姶鼻が先ほど拡げた紙を指す。

「工場巡視をはじめ、健康調査、環境診断、工程視察、疲労問診、応急対処、恒久対策、それらの結果はすべてこちらに書いてありますよ」

「それは重畳。どれどれ、見せていただけますかな?」

 追蛇は机に向かって座り、紙を端から読んでいく。

「さすがですな姶鼻先生。全く問題無しではかえって怪しまれる。この勘所が分かるのは、医者である姶鼻先生だけですからな」

「まあこちらも、頂くものを頂いていますからな。それに見合った利益を追蛇殿にもたらさないと、専門家としての力量が問われるというわけで」


 またグヘグヘとした笑いだ。暑い。黒い声の臭さが暑い。


「さて、こちらが今月の分ですな。今後ともよろしくお願いしますよ」

 読んでいた紙を丁寧に畳んで懐にしまうと、追蛇は何か木の箱を姶鼻に渡した。

 なるほど、工場謹製の出来たて笠羽餅の豪華詰め合わせか。あれは美味しい。


 んなわけあるかーいっ!


 箱を両手で受け取り、追蛇に合わせてお辞儀をする姶鼻。


 くそ、あいつら。ブラック工場で従業員をこき使って大儲けしてるんだな。なんて奴らだ。


 追蛇が出ていった後、姶鼻は机の上に開いてあった「本」を閉じ、机の下に仕舞った。まだ何冊かあるようだ。そして部屋の隅に行き台のようなものを引き寄せると、それに頭を乗せて眠ってしまった。やや頬がこけ、無精髭のようなものが見える。目は閉じているが、まっすぐ天井を向いていた。


 やばい。音を立てずに移動しないと。


 葵は注意深くその部屋の上から移動した。


 廊下を隔てた向かいの部屋は、またさらに立派な部屋だった。そこには、さっきのちょんまげ男がいる。追蛇だ。棚のようなところに何かを仕舞っているようだ。先程の書類だろうか。とすると、あそこが書類棚か。そして追蛇は周囲を見回すと、部屋を出て行ってしまった。


 うーむ、ここに忍び込……むのは難しいだろうなあ。やっぱ一人では無理か。


 工場建物の屋根裏をほぼ一周した後、元の場所に戻った。そこから注意深く覗く。外には誰もいない。今だ。地面に降りる。

「おつかれでやんす」

「ひっ」

 思わず変な声が出た。振り返るとモローがいた。


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