第5話 葛藤

 何とかできた。


 葵の手には長さ五センチほどの黒い「南蛮筆」の試作品があった。

 女将にもらった蝋燭のカスを溶かし墨と混ぜて棒のように固めたものだ。ここ三日ほど試行錯誤して完成した。持つ部分には紙を巻き付けて手が汚れないように工夫してある。


 意を決して紙にこすりつけてみる。

 やや心許ないものの思ったとおりの薄黒い線が引けた。何度も引けば重なって濃くなっていく。


 これだ。

 やった。


 早速、紙と特製画板を持って中庭の縁側に座る。

 サラサラと井戸を描く。陰影の濃淡も簡単だ。けど、減りも早い。これは仕方ないか。あまり念入りにデッサンするのには向いてない。先が太くなりやすいし。

 鉛筆とは使い勝手が違うが、筆の一発勝負よりはるかに描きやすい。クレヨン、いやコンテに近いが、さすがにそれらに代わるほどの使いやすさではない。


 画板を持ってへっついに行く。お繭がいる筈だ。


「お繭ぅー」

「ああ、葵。それ例の南蛮筆?」

 火の番をしていたお繭が、葵の持つ棒と画板に目をやった。


 そこへ女将が顔を出した。

「お繭、ここはそろそろ……あ、葵ちゃん。あら南蛮筆、出来たの? みせてくれるかい?」


 葵は南蛮筆と先程の井戸のスケッチを見せた。


「へえ! 不思議なものだねえ。普通の絵と、なんだか雰囲気がぜんぜん違う。南蛮の絵って、こういうものなんだね」


 葵は否定も肯定もしなかった。


「じゃ、顔も描いてみますね」

 そう言うと葵は、ちらりちらりとお繭の姿を見ながら新しい紙にサラサラと南蛮筆を走らせた。

 お繭はどうしていいのか、少し戸惑っている風だ。


「あ、お繭。普通に、っていうか、何かしてていいよ」


 お繭はちょっと緊張気味に、火の様子を見たり薪を寄せたりしている。


「ほら出来た」


 十分ほど描いて二人の前に見せる。


「あら、お繭! まるで生きてるみたいじゃないか!」

「え、私ってこういう顔ですか!」

「そうよ。そっくり!」


 関心する女将と、ちょっと不思議そうなお繭。

 まあ自分の顔って写真とか似顔絵とちょっと違って覚えてるからね。


「次は私のをお願い出来るかい?」

「もちろんです! あ、お繭、これ、あげる!」

「ありがとう! 葵」

 両手で受け取って笑顔になるお繭。

 喜んでくれてこっちも嬉しい。

「じゃ、またあとでね!」

 お繭に伝えると、女将の後をついて行った。


「さ、私はどういうのを描いてもらおうかね」

 玄関先で女将が悩んでいる。

「動いてるほうが生き生きしてていいかもしれないです。そう、化粧とかしているところ、どうでしょう?」

「化粧ねえ。そんなの人様に見せるもんじゃ、ないしねえ」

 しばし考える女将。


 そこへ笠羽団子屋のおばさんが入ってきた。

「ごめんよ。あ、葵ちゃん丁度良かった。看板、出来上がったから、ちょっと見においでよ」



「やっぱいい感じだねえ。店の格が上がった感じがするよ」


 葵がデザインした「笠羽団子屋」の看板に、近所の人たちが集まって来ている。

 五十センチ四方ほどの大きさの木の板に、葵が紙に描いたとおりにマークが彫り込まれ、その部分は綺麗にツヤのある黒色がキッチリ入っていた。

 左下隅には小さく、長方形の中に「あおい」と書かれた落款のようなデザインが入っている。

 うん、なんだか「作品」っぽいぞこれ。いや作品だけど。


「この小さい宿場じゃね、泊まっただけで素通りされちまうことが多いんだよ、この店。隣町の是付にも店出してんだけどね、あっちにも同じの作って出してもらうわ」

 おばさんが満足そうな表情で言う。

「え、是付にもお店、あるんですか?」

「そうなんだよ。っていうか、今じゃあっちのほうが繁盛しててね。こっちはまあ、隠居店ってわけでさ。ヨソにはない味のこの辺の名物だから、向こうでは屋号紋の看板なくても結構売れてんのよ」


 少しがっくりする。

「なんだ。そうなんですか」


「いやでもさ、向こうのほうが見てくれる人も沢山いるから、是非、判子屋の爺さんに追加注文させてもらうよ。さっそく図柄のお代を払わないとねえ。二度目からはさすがに団子ってわけにもいかないだろう?」

「ありがとうございます!」


 見てくれる人が増えるってのは確かに嬉しい。お金が貰えるってんなら、なおさら!


「それでさ、ちょっと考えたんだ。是付でも、あんまり様子がいい看板付けてる店、見かけねえんだよね。だからこの看板が『看板の看板』になるんじゃねえか、って思うんだ」

 やっちゃんが言う。


 看板の看板?


「是付だったらここいらと違って店もたんとあるから、看板欲しがる店もいっぱいあるんじゃないかな。だからこの看板を是付のウチの店にもくっつけて、それ見てほほう、ってなって、別の店からも注目されて、そこにも作ってあげれば凄い商売になるんじゃないかね」


 おおう。なんだか凄い大きい話になってきた。


「うちでも作ってくれんかねえ」

 女将が、笠羽団子屋の看板を見ながらつぶやく。

「もちろん! 最優先で作りますよ!」

 女将はニコニコしながら頷いている。


「あ、そうそう女将さん。ここでお団子食べてるところ、描かせてください」

「え、食べてるところかい?」

 ちょっと困惑している。

「あ、団子を口に入れてるところじゃなくていいです。団子を持って、お話しながらちょいちょいと食べてくれれば」

 そう言って、葵は画板を出す。

「おう、じゃあ葵ちゃんの分と四本、ちょっと待っとくれ!」

 横で見ていたやっちゃんが店の奥に入っていった。


「これが、南蛮の絵の道具かい? 変わってるもんだね」

 画板と南蛮筆をじろじろ見ながら宿の女中の一人が首を傾げる。周りの人たちもウンウン頷く。

「そうなんです。ちょっとやってみますね」


 やっちゃんが持ってきた団子を手に持ち、やや緊張した面持ちで食べ始める女将。それを見ながら、サラサラと描いていく。段々慣れてきた。これ、使えるぞ。


「あ、普通に話とかしていて下さい」

「あいよ」


 団子を食べながら歓談している女将の姿を紙に写していく。

 葵の周りの人達は関心したように口に手をやったり顔を近づけたりしている。


「こんな感じでどうですか?」


 画板を女将に見せる。そこには、座って団子を食べる柔らかな表情の女将がいた。


「すてき!」

 女中がため息をつく。


「これが……私かい? ちょっとヤサ女で美人過ぎやしないかい?」

 女将の目は見開かれ葵の絵に釘付けになっていた。

「いや女将さん綺麗ですよ。動きとかも」

 葵はニコニコ顔で応じた。

「ほんと葵ちゃんの絵って、まるで生きてるみたいだねえ。このまま飛び出してきて団子を食べそうだよ。団子もすごく美味しそうに描けるもんなんだねえ」


 うっほー。そこまで言ってもらえると描いた甲斐があるってもんだ。



 その日から葵はプチ忙しくなった。


 宿屋「お常」の看板デザインを皮切りに、近所の草履屋、かけはぎ屋、豆腐屋、飴屋、鋳掛屋の看板デザインも手掛けた他に「サブ看板」として作ったその店のご主人の似顔絵が是付でも評判となり、うちでも描いてくれないかという話が入ってきていた。


「南蛮筆」のほうも、黒のほかに赤、黃、青、白といった基本色を揃えてさらに似顔絵や姿絵の表現力が上がっていく。自作画板を前にスケッチをしている葵の周りには人だかりが出来るようになった。


 ある日、宿屋の中庭で葵に因縁をつけてきたあの「追蛇」という侍が、人だかりを訝しんで割って入って来た。


「お前か。最近町を騒がす南蛮絵描きってのは」


 やばい。表情が怖い。何をされるか不安で体が固まる。


 追蛇は葵の持つ画板を見てフンと鼻を鳴らす。目の前に座る鋳掛屋のご主人を強引に退けると、そこに自分がどっかと座った。「ちょっと描いてみせろ」


 こ、こわ。


 葵は緊張しながら追蛇の顔を描いた。

 じっとこちらを睨む追蛇。

 なるべく怒らせないよう、やや柔らかい表情で描く。

 葵の周りの人々も関心したように、ほう、とか、ふうむ、と言いながら、追蛇と画板を交互に見ている。


「できました」


 緊張しながら画板から紙を外し、追蛇に見せる。


「……」


 追蛇は葵から紙を受け取り一瞥すると、フンとまた鼻を鳴らした。

「子供の落書で世間を惑わすな」


 な、なによー。


 ムッとする葵を他所に、立ち上がった追蛇は葵から受け取った似顔絵をグシャリと丸めて懐に入れた。


 ひっどーい!


 追蛇は葵の顔をジロリと睨んだ後、ザザッと左右に分かれる人垣の間を悠々と去っていった。


 お金払ってよ、もう!


 機嫌を損ねた葵の様子に、周囲の人垣も次第に散っていく。なんだか疲れた。今日はもう宿屋に帰ろう。宿泊代はもうしばらく十二分にある。


 葵は、自分の能力が認められて嬉しい反面、それがなんだかどんどん手に負えなくなってきている不安を覚えてきた。

 知り合いに描いている分にはいい。お繭や女将さん、他の女中さんや小次郎の絵を描いているときは凄く楽しい。

 それが、初見の人や遠くの知らない店のために看板や似顔絵を描いてお金をもらう、ということの責任や緊張感で、だんだんと疲れを覚えるようになってきた。


 好きなものを好きなように描くことと、お金のために相手が求めるものを描くということの差を、初めて実感していた。



 翌朝。昨晩はいろいろ考えてしまってあまり眠れなかった。

 ぼんやりした頭で着替えをし、へっついに行き、女中さんに笠羽餅をいただく。

 美味しい。おなかが温かくなった。なんだか少し元気が出てきた。


 画板と南蛮筆を持って外に出る。

 いろいろと葛藤はあるものの、ここで私が出来るのは、これしかない。とにかく絵を描こう。


 小次郎が付いてくる。かわいい奴。

 別巣の町の入口にある岩に腰をかけると、小次郎が目の前で座った。こちらを見て舌を出し、ハアハアと浅く息をしている。そうか。プードルって毛が生え変わらなくてずっと伸びてるんだっけ。そら暑いよなあ。こんどハサミで刈ってあげよう。プロのトリマーみたいにはいかないけどさ。


 小次郎を見ながら画板に南蛮筆を動かす。

 何せ時間はある。少しずつ、画板に小次郎が小さく再現されていく。数色の南蛮筆を使って仕上げていく。うん、いい感じ。自画自賛とはこのことだ。


 葵が絵を描いているのを見て、近所の人がちらほら寄ってきた。小次郎の絵を見せると、あら可愛い、生き写しだねえ、などと褒めてくれる。

 ありがたい。自分の好きな絵を描いていると、孤独感からすこし遠ざかる気がする。


「おお、葵ちゃん。どうせなら店先で描いとくれ。団子、好きなだけ食べていいからさ」


 笠羽団子屋の旦那、やっちゃんが声をかけてきた。

 そうしよう。そのほうが団子も売れるだろうし。


 団子屋に入る。瞬時に「あいよっ」と団子が三本出てくる。うお、いい香り。でもさっき、朝食で笠羽餅を食べたばっかりだなあ。それでもなぜか入ってしまう不思議な胃袋。

 というか、この独特の餅のせいね。ぱくっ。


「やっちゃん、団子の売れ行き、どうですか?」

「お陰さまで、上々だよ! 看板も評判いいし、是付のほうの店も大繁盛でさ」

 ニコニコ顔のやっちゃん。それはよかった。


「そうそう、やっちゃん。この笠羽団子と笠羽餅って、どう違うんですか?」


 やっちゃんは一瞬戸惑った後、頭を掻く。

「いや実はもともと、同じものなのよ。串に刺して焼いたのが笠羽団子、そのままが笠羽餅、ってんで。ただそれだけでさあ。お恥ずかしい」


 なんだそうか。でもまあ、そんなとこだよね。


「笠羽団子って、この、醤油ときなこの他に、他のフレーバー……味って無いですか? 甘いのとか」

 やっちゃんは腕組みをして考える。

「甘い味、ってえと飴とかこうじですかい。うーん、考えたことも無かったなあ。ここいらでは香ばしい醤油団子が一番人気だけどなあ」


 そういうもんか。


「あ、他にも笠羽ぜんざい、ってのもあるよ。是付のほうに、だけどな。ここじゃあまり客も多くないから団子ばっかりなんだけどね」


 笠羽ぜんざいか。美味しそう。


「他にも、小さい粒にしてご飯みたいにならねえかって思ったんだけど、駄目だったなあ。この辺はコメも出来ねえし、代わりにしようと思ったんだが、やっぱ、ご飯はご飯。ちょっと、っていうかだいぶ違うんだな」


 いろいろやってんだなあ。


「昨日は、ゆで小豆みたいにならねえかな、ってこんなの作ってみた。ちょっと試してみるかい?」


 出された小さい器に盛られたものは、いくらより一回り大きい半透明の小さい粒が山盛り。それに軽くきなこが振ってある。

 これをこの小さなさじで食べるのか。


 食べてみるが、ピンとこない。ちまちまとして食べにくいし。


「器と匙にくっつかねえように、だし汁を掛けてあるんだ」


 匙で一個ずつすくって口に入れる。

 うーんこれは、ちょっとどうか。微妙な味だ。


「おう、やっちゃん、それ美味そうだな。オレにもおくれ」

 近くに座っていた草履屋の店主が興味深げに声をかけてきた。

「ほいな。ちょっと待ってな」

 やっちゃんは奥に行くと、同じような器を持ってきて草履屋に手渡した。


「いや何だか小さくて可愛いもんだな。しかしこれ、一個一個食べるのかい? こら面倒だ。売れねえだろなあ」

 草履屋はやっちゃんに笑いかけながら、匙で粒をつついている。

「好きに食べりゃいいさ」

 やっちゃんは諦め顔だ。

「そうか。じゃあ男らしく、こうだ」

 片手でぐいっと器を持ち上げ、一気に口の中に流し込んだ。


「あ」


 葵とやっちゃんが見てる前で、草履屋の店主は口をモグモグ動かしている。

「ん、これはなかなか。いける。つるっと一瞬で無くなるが、口の中でこう、しぶとく、満足感がはち切れて。舌の上からぐいぐいとのどを刺激して」


 芸能人グルメリポーターか。


 でも表情を見ると、なんだか美味しそうだ。匙でちまちま食べるのもしんどかったので、葵も真似して一気に口に入れてみる。


 あ、これ。いい。いいよこれ。もぐもぐ。もぐもぐ……ごくん。これ、これって。

「これって。これ、いいよこれ。匙とかじゃなくて、こうやって食べるといいかも」


 葵は何かを思い出した。そう。そう!

「やっちゃん。これ、ちょっと改良しない!?」

「改良だって?」

 呆気に取られた顔をするやっちゃん。

「そう。これ、南蛮で食べてたお菓子と似てるの。これを、紅茶と牛乳に入れて……」


「紅茶? 牛乳?」


 あ、そうか。


「えーと、紅茶って、南蛮のお茶……は、無いですよね。牛の乳って、この辺にあります?」

「牛の乳? どうすんだ?」やっちゃんが問う。

「飲まないですか? 牛の乳」

「飲む? 牛の乳を? どうやって? えー? そんなもん、飲めるんか!?」

 草履屋の主人が驚いている。


 げげ、この時代の人って、牛乳飲まないのか! 


「……こう、この辺の人がよく飲む飲み物、って、何がありますか」

「飲むもんっていやあ、水、酒、茶、だろうな」やっちゃんが答える。


 水と酒じゃあなあ。お茶、ならいいかな。あ、っていうかグリーンティーって日本茶だよね。抹茶かな。それでいけるかも。あとはミルク。牛乳がないなら、なんだろう。乳製品が無いのか。

 似たような、白い飲み物……。


 そうだ、豆乳!


「豆腐屋さんありましたよね! 豆乳とかありますか?」

「豆腐屋はそこにあるけど、トウニュウってなんだ?」

「ちょっと待っててください! あ、あと、お抹茶の粉があれば用意しといてもらえますか?」

「あ、い、いいよ」


 きょとんとしたやっちゃんを尻目に、葵は豆腐屋に駆けていき、豆腐屋の店主と交渉して竹筒に豆乳を入れてもらい、また駆け足で戻ってきた。もう足の痛みは忘れていた。


「大きめの湯呑みください!」

「湯呑み、これでいいかい?」

 奥から団子屋のおばさんが出てきた。

「これ、豆乳! 大豆の汁ね」葵が湯呑みの中に豆乳を入れる。

「ああ、豆腐汁かい」やっちゃんがうなずく。

「これに、ちょっとお抹茶を……」

「はいな」


 やっちゃんが小鉢に入った抹茶を持ってくる。そこから匙で半匙ほど豆乳の中に入れ、かき混ぜた。薄く緑色のついた白い飲み物が出来た。


「これ、何だい?」

 不安げな顔で中を覗き込むおばさん。

「ソイミルクグリーンティーですね」

「そ、そいみる? 舌噛みそうだねこりゃ。南蛮ことばだね」

 草履屋の主人も眉をしかめている。

「これに、さっきの粒の奴を」

 やっちゃんが笠羽餅の粒を持ってきて、湯呑みの白緑色の液体の中にモロモロっと投入した。

「さあ、これで」


 あっ。大事なものを忘れてた!


「す、ストロー……って、無いですよねやっぱ」

「すうとろ? なんだいそりゃ?」草履屋の主人ほか皆が首を傾げる。


 無いよなあ。さすがに。詰んだ。あれがキモなのに……。


「どういうもんだい?」草履屋の主人が訊く。

「えーと、このくらいの太さの、筒なんですけど……」

「ああ、キセルの筒みたいな奴か」


 キ、キセル。さすがにそれじゃあ。まずそうだ。


「キセルに使うような筒なら、そうだな。裏に笹があるから、その茎でいけるんじゃないかな」


 それだ!


 葵は急いで店の裏に回る。あ、あった。笹だ。いい感じの太さの茎があった。

「これをお使いよ」

 おばさんがハサミを貸してくれる。

「ありがとうございます!」

 数本切り取り、中を確認する。綺麗だ。

「ちょっと井戸水お借りします」

「どうぞどうぞ」


 ざっと洗って、また店先に戻る。


「じゃーん」


 葵の手には、笹の茎を使った数本の太い「ストロー」があった。

「これが、すうとろ、かい」

 やっちゃんが興味深そうにストローの一本を手に取ると、端の穴から覗き込んでいる。

「これを、こうやって」

 一本を、先ほど笠羽餅の粒を入れた湯呑みに挿した。そして、底のほうを探って、吸う。


 んー。ぬー、うむ。

 アマクナーイ。


「どれ、試してみてもいいかい?」

 おばさんがストローを湯呑みに挿して、おっかなびっくり吸い出す。

「あ、底のほうに粒があるので、ストローでそれを拾って吸うようにしてください!」

 時折ビクッと驚くようなしぐさをして、ストローを離した。


「こ、これ、面白いねえ。なんか、粒が次々と口の中に入って。お抹茶と豆腐汁のせいか、スルスルって。なんだか美味しいわ、これ」


 大丈夫みたいだ。甘くないけど。


「どれ、俺にも」

 やっちゃんがストローを挿して、吸い込む。

「ゴフッ!」


 むせた!


 外を向いてゴホゴホやっている。やっぱ昔の人にストロー難しいかな。

「なんだよ情けないねえ。ゆっくり、やさしく、だよ。こういうのは」

 さすがおばさん。

「じゃあ、俺も。ゆっくり、やさしく、ね」


 草履屋の主人が、ニヤニヤしながらストローで吸いはじめた。なんかいやらしい。でも上手に吸って、頭を上げると口の中のものを味わっている。


「なんだかこれ凄いな。こんなの食ったことないぜ。新しい食べ物だな」

「この、吸うトロがキモだねえ。こんなので飲み食いするのは初めてだよ」おばさんが感心した顔をしている。


「もう一丁挑戦だ」

 やっちゃんがまたストローを挿す。

「ゆっくり、ゆっくり、だよ」不敵な笑みのおばさん。真剣な顔のやっちゃん。

「ぬ、ん、んまい!」

 ストローごと顔を上げたやっちゃん。目を見開いて葵を見ている。

「これ、売り出そう! 店先で売ったら、人気出るかもしれん! こんなの今まで無かった!」


 よかった。味は薄い感じがするけど、この時代の人って甘い味に慣れてないから、これでいいのかもね。


「葵ちゃんありがとう。考えてくれたお代、また払わないとね!」

 おばさんも大喜びだ。

「え、いえいえ。また美味しいお団子食べさせてください!」

 慌てて手を振りながら応える。

「そうそう、これ、なんて名前にしようかねえ。葵ちゃんが考えたから、葵餅、かねえ」


 いやそれは恥ずかしい!


「いやそれはちょっと。葵、って付けないでください」

「じゃあこの辺、旅人の休憩場所だし、旅のお菓子、『旅お菓子』でどうだろうねえ」

 おばさん提案。

 それを聞いて、ピーンと来た。

「ちょっと縮めて、言いやすいように『たびおか』ってどうですか。平仮名で」

「あら、いいねえ。『たびおか』。平仮名のほうが、なんかこの食べ物のぷるんぷるんした感じそのままでいいね。それでいこう!」おばさんが興奮しながら「吸うトロ」を空中に突き上げた。


 ふふふ。これ見た瞬間、アレだ、って感じだったんだよね。小さい笠羽団子って、食感とかもまるでタピオカじゃん、って。ふふふ、これで江戸時代にタピオカミルクティーを潜入させてやったぜ。


 この界隈の笠羽団子屋とお茶屋での名物が増えた。

 工場でも小さな粒の「たびおか」や保存用の乾燥したものも作って全国に出荷し始めた。


 そしてその後、紙を筒状にしてニカワで固めた使い捨ての「吸斗漏」も考案され、様々なフレーバーもあちこちの店で考案され、広まっていった。

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