第1話 盛郎

「う、わ、あれ!?」


 人の声で目覚めた。


 頭が痛い。すごく明るい。だから、頭が痛い。明るい光は苦手だ。


 というか、ここ、どこだ?


 目の前には、空。いくつか雲がたなびく晴れた青空。真上の雲には何故かまん丸の穴が開いている。


「だ、誰でやんすか!?」


 声のほうを見る。


 うわっ! このデコっぱち。団子鼻。薄い唇。同じ美術部の徳山盛郎もろうじゃないか。


「ちょ、ちょっと、だ、大丈夫でやんすか?」


 頭に黒い棒をつけている。なんて格好だ。変な喋り方して。それに汚い。何の真似だ。ここはどこだ。


 ガバっと上体を起こし、周囲を見回す。

 三十センチほどの草が生い茂る、草原だ。

 いや、単なる野原、いや荒れ地か?

 自分もずぶ濡れだ。なんだこれ。晴れてんのに。


 スマホを見る。午後二時過ぎ。地図を開くも反応が無い。


 圏外だ。


「なにこれ。どここれ。徳山くん、コスプレはいいから、教えてよ」

「なんで拙の名を知ってるでやんすか!」

「しかし圏外ってマジ?」

「不可思議でやんす」

「変な言葉使って誤魔化さないで! 徳山くん、私をさらったの!?」

「さらったって! 滅相もないでやんすよ!」徳山は目を見開いて慌てている。


 葵は立ち上がって周囲を見回した。

 周囲一帯がずぶ濡れだ。草むらに、何ていうの、農道? というか、建物も……あ、あるみたい。だけど、やばい。全くわからない。ここ。


「娘さん!」

「徳山くん、コスプレで忙しいとこ悪いんだけど、ここ、どこだか教えてくれない?」

「どこって言いますと」

「体育館……地下で遊んでたら、多分寝ちゃって、起きたらここに」

「タイーッカン? はて」


 しかし変なコスプレだ。足軽? 飛脚か? 佐川急便か?

 というか徳山は全然濡れてない。怪しい。こっちはずぶ濡れなのに。


「とにかく、ここどこ。学校は?」

「ガッコー? わからないでやんすが、ここは、顔本かおもと様の領内でやんす」

「カオモトサマ?」


 人の名前か? カオモト。しかし、冗談にしては徳山の顔が真剣だ。


「それって、どこよ?」

「どこって……中総なかうさの」


 なかうさって何。ウサギか。


「徳山くんだよね?」

「そうでやんす。行商人のモローでやんす」

「モロー。そんなアダ名だっけ?」

「アダ名……。拙の名でやんすよ。馬鹿にしないでやんす」

「ごめん。徳山くん、その」

「モロ―ってよんで下さいでやんす」

「え、いいの? モロー、ここさ」

「その前に、娘さん」

「娘さんって何よ」

「お名前を」

「私、知ってるでしょ。忘れたの? 美術部の」

「ビジュ……ブツって何でやんすか?」

「大丈夫? 記憶喪失?」

「なんでやんすか、それ」

「もういい! とにかく、学校に連れてって」


 また辺りを見回すが、学校はもとより、見覚えのあるものは何一つ見えない。


「まいった。降参。モロー、降参だから、種明かししてよ」

「……種明かしって、先程から、その、何か勘違いしてないでやんすか?」

「勘違い?」

「娘さん、娘さんは拙のことご存知のようでやんすが、拙は娘さんのこと、全く知らないのでやんすよ」

「だから、記憶喪失なんでしょ?」

 イライラする。

「もういい、言いたくないなら、交番でも連れてって。あとは自分で帰るから」

「コーバンって何でやんすか?」

「え、交番も忘れたの? うーん、ちょっと、考えさせて……」


 当初心配そうにしていた徳山が、段々面倒くさそうな態度になってきた。


「迷子でやんしたら、ちょっと宿まで案内するでやんすよ。番所はここから遠いでやんすから」

「い、いや、ちょっと待って」


 こいつ、徳山だと思ってたが、どうも怪しい。


 改めて周囲を見回す。荒れ地のようなところに一本のドロ道、ぽつんぽつんと藁葺の家。遠くには山もあるようだが、もともと山の形なんて覚えてない。


 そしてこの「徳山」。コスプレかと思ったが、服があまりにも馴染み過ぎている。使い込んでところどころ傷んでいるようだ。今朝仕上がったばかりの安っぽさが無い。

 それに、顔が汚い。コスプレだったら顔くらいキレイにする。あと、頭の棒……ちょんまげだ。境目も無い。ヅラじゃない。剃ってる。本物だ。

 荷物も、なんか紐で縛っていてお土産みたいだ。藁の草履と汚い靴下。


 そして、圏外。電波が無い。これは、合理的に考えたら……。そうだ!


「そうね、夢ね!」

「夢! 夢でやんすか! 大丈夫でやんすか!?」

「そう。安心。夢で死ぬことはないもの。うふふ」

「大丈夫やんすか!」

「そう! 夢ならボヨヨン大丈夫!」

「なんだかわからないけど、宿まで送っていくでやんす」

「そう、どうもありがとう!」


 なんだか急に気持ちが軽くなった。なんだ夢じゃん。もう、徳山でも何でもいいわ。


 葵は、スマホをスカートのポケットに入れると、周囲をキョロキョロしながら徳山……モローに付いていった。


「娘さん、お名前くらい教えてくださいでやんすよ」


 まあ夢の中だ。仕方ない。これも夢の謎解きのキーになるかもしれない。


「私、葵。武田葵でーす」

「た、武田……様でやんすか! ど、どうりで言葉も格好も……こ、これは大変失礼をば」


 モローが急にかしこまり、片膝をついて頭を下げた。


「え!? い、いや、何よ。モロー、やめてよ」

「いえそんな、こちとら卑しい商人でやんす。お武家様とは、つゆ知らず……」

「武家? 武家? え?」


 いったい何の冗談だ。

 葵は、案内が進まない苛立ちを隠すように、丁寧に言葉を続けた。


「あーモロー、葵、って呼んで。それに別に武家じゃないし」

「ぶ、武家じゃない! ってことは、く、お、か、お公家様!」

「お、おくげ! いや、よくわからんけど、そんなじゃない! そんなじゃないから、早く、お願い! 宿までお願い!」


 なんだか慌ててしまった。しかし夢の中の冒険でも、ハラハラドキドキはちょっと楽しい。いっそのこと、もっとかき回して面白い夢にしてしまおうか。


「そう、モロー。お気を確か……じゃなく、お気軽? いや、お気を楽に? うーん」

「……葵様、大丈夫でやんすか」


 いつの間にか向き直ったモローが、葵の顔を覗き込む。

 汚い顔だ。臭いもきつい。夢でも臭いってするんだな。

 っていうか「葵様」はいくら何でも恥ずかしい。


「様はつけなくていいよ! 武田さん、とか、葵さん、で。別にそんな偉い人じゃないんで」

「そうでやんすか。いや、でも、いや苗字、うーん。じゃあ、あ、葵さん、で」

「それでお願いするね。モロー」

「ようがす。葵さん。あそこが宿屋でやんす」


 見てみると、さきほど遠くに見えてた民家だ。藁葺屋根の木造住宅。


「え、あれ? あれに泊まるってこと?」

「そうでやんすよ。おかしいでやんすか?」


 モローは不思議そうに葵を見る。


「いや、大丈夫」

「あ、お公家様でやんしたら、あんな汚い宿には……」

「おくげ? そんなじゃないってば。大丈夫だから、とにかく!」


 慌てて否定する。なんだか面白そうな夢だ。せっかくだから、楽しい方向に持っていきたい。

 迷子の荒れ地で犬に食われて飛び起きるようなエンディングだけは避けたい。悪夢は怖い。そう、ここで放り出されたら、バッドエンドになりそうだ。


 とにかく、何としてでもこの夢ゲーム、クリアしてやるから。寝覚めが悪いのは嫌だ。


「だ、大丈夫だよモロー。ぜひ案内してくだしゃんせ」

「え? は、はいでやんす」


 しまった。言い方間違えたか?


 しかしあんな家に泊まるの、初めて。中身が本当かどうかわからないけど。


 っていうか、夢って基本、自分の脳から出るんじゃないのか。知らないことは適当な想像だから、本物な筈はない。


 それでも、夢と思ったら何だか気楽だ。


「で、モローはどうすんの?」

「あっしでやんすか。あっしもそこに泊まるでやんす。馴染みの宿屋でやんすから」

「あ、そうなの! なら安心! 案内ありがとう!」


 フンフンと鼻歌混じりで、少しづつ近づいてくる宿屋の周囲を見ながら歩く。


 周辺にはぽつぽつと建物が散在している。さらに道の奥のほうは、町のような感じになっている。いずれにしても、昭和……


 いや、よく考えたら、昭和のことなんて、何も知らない。


「ついたでやんす」


 軒先に「お常」と墨で書かれた木の板がぶら下がっている。看板か、表札か。


 モローの後について宿屋に入る。薄暗い。なんだ。停電かよ。


「あらあ、モローさん、まいど。いつもありがとうね」


 薄暗い奥からヌっとキモノの女性が出てきた。うわ。昔の人だ。時代劇か。


「今日はちょっと、迷子を拾ってきたでやんす。ちょっとこの辺の人じゃない娘さんみたいで」


 モローがキモノの女性と小声で話す。女性もこちらを全身舐めるようにジロジロ見ているので、自分のことだろう。よく聞こえない。

 まあ、表情からは悪い企みでもなさそうだけど。


「じゃあ、お前さん、こちらにどうぞ」


 女性がまだジロジロ見ている。


「ありがとうございまーす」


 靴を脱いで上がる。

 スリッパも無いの……?


 あたりを見回すが、がらんとした、古い木の建物だ。物がない。時計すらない。


 振り返るとモローが玄関で座って何かをしている。水で足をじゃぶじゃぶ洗っていた。


 うえっ。部屋でやれ。


「これ、お前さんの草履? 変わった形だねえ。革で出来てるのかい?」


 女性が声をかけてきた。手に持った葵のスニーカーをひっくり返したりしながら観察している。


「草履! あ、スニーカー。革じゃなく合皮と思いますが」

「ゴーヒ?」

「いやその、安いやつです」


 女性がスニーカーを渡してよこす。

 なんだ? 自分で持って歩けってか? 仕方なく受け取る。


「部屋に案内するね。モローさんはいつものとこ、ご自由に」

「あいでやんす」

 振り返りもせずにモローが答えた。


 女性に促されて廊下を歩く。なんだか殺風景だ。何もない。


 小さな部屋に着く。畳の上に座る。

 いや、何もない。テレビはもちろん、机も何もない。ただの部屋。というか空間というか。


「今日はここ空いてるから、泊まっていって。後でまた来るから」


 薄暗い。見回すも電灯すらない。まるで空き倉庫のようだ。

 まあ屋根と床と壁がある分、野宿よりいいか。とりあえず、ここが陣地、と。


 奥の押入れを開けた。


 げげっ。


 慌てて閉める。なにこれ、押入れの中に別の部屋!? 

 ってか、こっちと同じような部屋だった。というか人が寝てた。


 仕方なく部屋の真ん中に戻るが、椅子も座布団もない。

 畳の上にそのまま座ってスマホを取り出す。


 相変わらず圏外だ。どこにも繋がらない。


「さておまたせ。お前さん、迷子なんだって?」


 襖がいきなり開いてさっきの女性が入ってきた。手には浴衣を持っている。


「あ、そうなんです。なんか気づいたらここにいたっていうか」


 慌てて姿勢を整える。女性は真向かいに座った。


「お国はどこだい? 格好も喋り方も、この辺じゃないようだね」

「国? といいますと、日本とかですか?」

「ニホン?」

「あ、お国って、住んでるとことかなら、千葉の根木ねぎ市で」

「チバノネ?? やっぱりこの辺りじゃないねえ」

「え、そうですか。ここは、どこでしょう? さっきモローが、ナカウサと言ってたんですが、聞いたことなくて」

「中総の顔本様の領内、別巣べっすだね」

「ベッス? ここって、ベッスって場所なんですか」

「別の巣、鳥の巣の巣だね。それで別巣。うーん、このあたりのこと、全然知らないんだねえ。やっぱり遠くの人なんだね」


 まだこちらをジロジロ見ている。


「あ、あの、布団とか、どこにあるんですか?」

「布団? お布団は、え、あ、そうか。迷子さんだったね。後で持ってくるわ。貸してあげる」

「あと、あの、この辺にコンビニは……」

「コンビニ?」

「……あ、いいです」


 これまでの記憶を総合すると、この夢の「設定」は、要するに「昔」だ。コンビニとかは無い昔に違いない。迂闊。変な事を訊いたりするとバッドエンドで犬に喰われる。そして死にながら目が覚める。


「えーと、この奥に人が居たんですけど」

「奥? ああ、隣の部屋ね。今日は別のお客がいるよ」

「別のお客って……カギとか無いですか?」

「カギ? はて」

「えーと、寝てる時に入られたら嫌だなって」

「うーん、そう。ちょっと、この宿じゃあ、無いね」

「え、無いんスか!」


 驚きのあまり大声になってしまった。女性は一瞬たじろいだものの、すぐに柔らかい表情になった。


「まずはこの手ぬぐいで体を拭いて、この浴衣に着替えな。そのままじゃあ、風邪ひいちまうよ。また何か困ったことがあったら、いつでも訊いてよ」


 そう言うと女性は手に持った手ぬぐいと浴衣を葵に手渡し、立ち上がって部屋を出て行った。

 障子が閉まると室内はまた薄暗くなった。


 カギがない? どうすんの?


 急に不安になってきた。いつ襖が開くか分からない。怖い。ちょっと着替えは躊躇する。

 とりあえず手拭で身体の濡れた部分を拭いて、部屋の隅に追いておいたスニーカーを取り上げ、廊下に出る。


 廊下の壁に開いた扉があり、そこから外を覗く。庭のようだ。井戸もある。スニーカーを下に置くと、スマホを手に外に出てみた。

 ちらりとスマホを確認するが、やはり圏外だった。


 見回すとそこは四方を古い木の壁に囲まれた狭い庭で、井戸の他には小さな木の扉が一つあるだけだった。


 扉のほうへ歩いて行くと、ふいに扉が開いた。


「あ、モロー!」

「葵さん。お部屋はどうでやんすか。安宿なんで、お武家……じゃないんでやんしたね」

「そう。私は『平民』よ」

「へーミンでやんすか。よくわからないでやんすね」


 不思議そうな顔をしながら、モローは手に持った小さな桶に水を汲み始めた。


 しかし言葉は通じるのに通じない、という不思議な感覚だ。日本語なのに日本語じゃないみたい。昔ってこうなのね。面白い。夢だから本当かどうかわからないけど。


「えと、あっしはしばらくこのあたりで過ごす予定でやんすが、葵さんはどうするでやんすか?」


 水の入った桶を持ったモローが立ち去り際にまた声をかけてくる。


「えーと、どうしよう」


 どう答えればいいのか。夢の中で眠ったら、どうなるか。どう答えれば犬に喰われないエンディングに向かえるだろう。


「まあ、適当に」

「適当でやんすか。まあそれはご自由に……と言いたいとこでやんすが、うーん、今日はこの界隈で仕事があるんで、明日あたりまた、でやんすね」

「おっけー。また明日! モローありがとう」


 やや困惑顔で軽く会釈をして扉から出ていくモローを目で追う。そこから外に出られるのか。


 ちょっと間を置いてから、木の扉を開けて覗いてみる。


 外は通りだった。モローは見当たらない。

 通りを歩いているのが数人いるが、皆、昔の格好だ。独特だ。ちょんまげもちらほら。


「あれ、刀?」


 まじまじと見る。

 刀を持つ男と目が会うと、相手は一瞬顔をこわばらせて立ち止まり、ジロジロとこちらを見てきた。


「な、何ぞ御用か」

 男は刀らしきものに手を掛けている。


「い、いえ、スミマセン」

 慌てて扉を閉める。


 やばい。これ、バッドエンドの予兆だ。犬に喰われるより斬り殺されるほうが痛くないかな。でもなあ。


 そうっとまた扉を開けてみる。


「ぬ」

「ひゃっ!」


 扉を閉めようとすると、刀の男がぐいぐいと扉をこじ開け、襟元を掴んでくる。


「き、いやあああーーー!!」


 大声を出すも、相手はひるまない。


「も、物の怪か、女賊か、面妖な!」


 そのまま扉から引きずり出されてしまう。

 もうだめだ。バッドエンド。このまま首をヘシ折られるのかな……。


「何事ですか!」


 女性の大きな声が響いた。

「おお、女将。この賊が、女将の宿に忍び込んで」

「あ、つ、追蛇ついだ様! 申し訳ございません! このオナゴは当宿の客でございます。ご無礼を働きましたでしょうか?」

「い、いや、うーん。怪しい振る舞いと、この格好だ。賊かと」

「誠に申し訳ございません。賊ではないので、どうかご安心を。どうか、お許しを」


 そう言うと、女将は深々と頭を下げた。

 追蛇はそれをちらりと見ると、ようやく葵の襟元から手を離した。


「今回だけは許そう。客とな。そちもそのような紛らわしい格好をするでないぞ!」


 言うやいなや、男は肩をいからせながら去って行った。


「……ふう、大丈夫だったかい?」

「あ、有難うございました」


 葵は胸をなでおろした。

 女将が去っていった男の方角をちらちらと見ながら、口を開いた。


「あの人ね、この先の工場の主やってる追蛇って侍なんだよ。普段はぶつぶつ独り言いってるくらいで良いんだけどね、何かあると急にパーっと機嫌が悪くなって燃えたみたいになるのね。まあ、すぐ収まるんだけどね」


 うわなんか面倒臭そうな人だな……


「すみませんなんか、ご迷惑おかけして」

「いいのいいの。宿屋なんかやってるとね、いろんなトラブルあるのさ。頭なんて下げるの慣れっこなんだから」


 葵は神妙に頭を下げる。


「でも、外に出るなら、このあたり、気をつけなよ。野盗とか賊がいるからね。あまりうろうろしない方がいいよ」

「わかりました。ちょっと外見てから、すぐ部屋に戻ります」

「十分に注意おしよ」

「ありがとうございます」


 女将が宿の入口に消えると同時に、葵は通りを見渡す。


 向かいに数件、並びに数件、パラパラと建物がある。この宿屋と似た外見だ。全部宿だろうか。

 どの建物の入り口の横にも先程葵が出て来たような木の扉のついた塀がついている。


 道の奥のほうを見ると、片方は元来た方向で、そちらのほうに民家らしきものは何も見当たらない。


 何気なく、建物が多い反対側に向かっていく。


 歩いていると、すれ違う人々がじろじろ見たり、ハッとして立ち止まったりする感覚があった。

 まあ、ちょっと浮いてるかな。こっちも何だか居心地が悪くなる。


 道沿いの建物は、自分が泊まっているような宿屋のようでもあるが、ちょっと違う風情のところもある。普通の古い家なのに玄関が開け放たれているような家もある。何かを売ってる風でもあるが、よく分からない。


 ある店のような建物の前で看板を探す。よく見ると、小さな木の板に「笠羽」とだけ書かれている。

 店の名前だろうか。あるいは表札だろうか。


 立ち止まってじっと見ていると、中から着物姿のおっさんが出てきてこちらをにらみ、腕組みをした。慌てて踵を返して立ち去る。


 ふらふらと十分ほど歩く間に、建物の連なる端まで来てしまった。


 立てられたポットほどの大きさの石に何か文字が書いてあるが、何と書いてあるのかはよく判らない。向かいには、地蔵があった。そちらに向かい、じっと観察する。


 ゲームなら、これが何かのチェックポイントになりそうなもんだけど。


 一応手を合わせてみる。何も起こらない。

 供えてある半透明の乳白色のものを見る。餅のようだ。まだツヤツヤして新しいので供えられたばかりかもしれない。


 ふと、空腹を覚えた。


 そうだ、食べ物。お店は無いかな。お菓子でもいいんだけど。


 ここまでには、それらしき店は無かった。

 じっと目を凝らして道の遠くのほうを見るが、しばらくは建物が無いようだ。しかしギリギリ何とか見えるような少し離れたところに、もう少しにぎやかそうな場所の雰囲気がある。食べ物屋や、この場所の情報が得られるようなものがあるかもしれない。うまくいけば、夢ゲームはクリア、かも。


 そちらに向かって少し歩いていると、後ろから大声が聴こえた。


「あ、葵さん、ちょっと、危ないでやんすよ!」

「え!?」


 慌てて振り返る。モローが駆け寄ってくる。


「これから一人であっちに行くの、危ないでやんす」

「え、危ないって、一本道だけど、そんなに?」

「いや、あそこまで行って、帰るころには暗くなってるでやんす。この辺り、最近、賊がいるって話で、これからオナゴが一人で、ってのはとっても見てられないでやんすよ」

「暗くなって、って。まだ……」


 じっと道を見る。なんだか違和感がある。

 そう、何もない。

 街灯が無い。


「え、じゃあ、どうやって行けばいいの?」

「どうやって、って、行っちゃいけないでやんすよ!」

「いけないって。駄目? どうしても?」

「とにかく、今はいったん宿屋に帰って、行くなら明日の朝に出るといいでやんすよ」

「明日の朝! え、そんな、でも、すぐそこなのに!」


 空腹のためか、ちょっとイライラしてきた。

 だいたい、いつもならオヤツのソイジョイを食べてる頃だ。教室の鞄の中に入っている。


「どうしても、っていうなら止めないでやんすが、でも女将に聞いたら何日か前に二人も襲われて殺されてるでやんすよ」

「こ、殺されて!? 誰に!」

「判らないでやんすよ。この界隈を根城にしてる、賊でやんす。誰とかいうもんでもないでやんす。この道の両脇の草むらが深くて、そこに潜んでるでやんすよ」


 ゾクとは。殺人じゃないか、それ。いや流石に殺されてまで行きたくは……でも、夢だから。いや、バッドエンドはやっぱり嫌。


「うーん」


 考えていると、モローがいつの間にか呆れ顔になっている。


「だいたいでやんす、葵さん、その格好、怪しすぎるでやんすよ。すごく目立って、目をつけられて、すぐやられるでやんす」


 怪しすぎるって何よ。でもそうか。歩いてる間にもずっとジロジロ見られていた。

 確かにこの格好でウロウロするのは危ないかもしれない。


「モロ―、わかった。ありがとう! 宿に戻るわ。で、どっか、パンとか売ってるとこ、知らない?」

「パン?」

「いや、うん、えーと、何か食べ物」

「食べ物……でやんすか」モロ―が振り返って建物群を見つめる。

「この辺じゃ団子くらいなもんでやんすね。付いて来なっせ」


 スタスタ歩くモローの後をついていく。

 一軒の建物にスイッと入った。さっき怖いおっさんが睨んできたところだ……。


「やっちゃん、おいーす」

「モロー、なんださっき来たばかりじゃねえか。また食べんのかい?」

「いやね、ちょっと連れが腹減ったって言ってるでやんすから」

「連れって……あ、さっきの、変な……いや、あれだ」

 やっちゃんと呼ばれたおっさんが、バツが悪そうに頭を掻いた。


「南蛮の娘みたいでやんすよ。迷子だとか」

「なんだ迷子か。困ってるだろ。ちょいとそこに座んな。おーい、お茶二つと団子三本」


 やっちゃんが、奥に声をかけた。


「あいよ、お客さん。お待ち!」


 威勢の良い声とともに、ちょっと太り気味のおばさんが奥から出てきた。手にはお盆を載せている。


「お、お客さん。またそれ、どういう格好だい。雨でも降ってたのかい?」


 おばさんは、おぼんを持ったまま目を丸くしている。


「い、いえ、その」


 うまく説明できない。


「南蛮から来た迷子だそうだ」やっちゃんがおばさんに説明する。

「言葉は通じるのかい?」

「あ、大丈夫です。葵といいます」


 苗字を言うとモローの時のように変な反応がありそうなので、とりあえず名前だけ言う。


「葵ちゃんねえ。通じるようだけど、変な訛りだねえ」


 とりあえずクリア、か。


 おばさんが葵とモローの間に団子とお茶を置いた。美味しそうな醤油の香りが鼻をくすぐる。お腹がきゅうっと鳴る。


「葵さん、ささ、食べるでやんす」


 と、その時、思い出した。

 さ、財布は。学校に置いてきたままだ……。とすると……。


「え、えーと、その」

「なんだい?」

「スイカ、使えますか?」

「西瓜だって? 西瓜は今の時期、無いねえ」


 呆れたような顔をするおばさん。モローも不思議そうな顔をするが、目を閉じてお茶をすすり始めた。


 あ、そうだ。「昔の世界」っていうルールだっけ。スイカって、いつから?

 っていうか、電気で動くもの、全然ないから無理っぽいな……。


 葵は、意を決しておばさんに伝えた。


「お、お金、なくて!」

「あらあら」


 おばさんが笑う。やっちゃんが横から口をはさむ。


「葵ちゃん、だっけ。大丈夫でい。お代は、このモローが払うからさ!」

「やっぱりそうなるでやんすか! せっかく目立たないように静かにしてたのに!」


 モローもやっちゃんを指差しながら笑う。


「え、いえ。あ、ありがとうございます。助かります」

「だって、迷子ってんでやんしょ? そんな、南蛮人に行き倒れなんかされた日にや、お上からどんな咎が来るか、わかったもんじゃねえでやんすから。とりあえすあとは、宿屋で相談、でやんすよ」

「ほんと、すみません!」

「いいからって。団子、早く食べないと冷めっちまうよ。ここいらの名物、ヨソにはない笠羽かさば団子なんだ。食っといて損は無し、旨く食べりゃお得満載だよ」


 ああ、さっき見た「笠羽」ってのは、お団子の名前だったんだ。もっと判りやすくすればいいのに。

 おばさんに促されて団子の串を手にする。香ばしい香りが伝わってくる。

 これ、本当に夢なんだろうか……。


 口に含んで驚いた。あったかい。モチモチ! なにこれ!


「あ、あったかい!」

「そらそうだよ。焼きたてだからね」


 不思議そうにするおばさん。


「焼くんですか! 団子を!」


 おばさんとモロー、やっちゃんが顔を見合わせ、そして笑い出した。


「やっぱ、この娘は、南蛮人だ!」


 何を笑われてるのか判らないまま、葵は焼き立ての団子を頬張り続けた。


 香ばしくてモチモチでおいしい。表面が軽くパリっとしている。


 おなかがちょっと、「ほっ」とした。

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