第5章 第1話  水無月

 山上の倉と、川向こうの避難小屋が完成した。

 どちらも、仕上げは荒いが風雨には強い造りで、数人が寝泊まりできる資材と食料が搬入された。

 特に山の倉の完成は、天候が急変したときに待避する場所ができたので、精神面にもゆとりができた。

普請を終えた大工達は、続いて第二堤に上・中・下の放出のための水門を作り、第一堤の滝側に貯水用の注水門を造る作業に取りかかった。


 工事の途中、大里勢の襲撃で二日間、作業の空白が出来たが、雨天の予備日と換算すれば何の遅れも生じてはいない。

 そればかりか、大里の襲撃は、『守る』とは何か。そのことを、身を以て村人が知るきっかけになった。

 

 山の衆の小頭が、飯時の休みに若衆を集めて戦の時の嫁自慢をする。


「あのときの弓を構えた女房の凜々しい姿を見て、改めて惚れ直したぞ。それも当たり前よ。飯を与えた侍でさえ、自分が村入りしたら女房になってくれと口説かれたと言うぞ」


「そりゃあ小頭、えらいことではないですか。腐っても侍だ。一応は武芸も教養もあるのが相手だ。分が悪い」

「馬鹿かてめえら。俺の女房があんな奴らになびくわけがねえ。ちゃんと、私には好いた旦那様がおりますと、他に独り身の女子も沢山いますからそちらへと、そう言ってだな、断ったのだ」

「そりゃあいけねえよ小頭。俺達も独り身の者は多く居るんだ。こっちはどうしてくれるんですか」

「そこだよ、面白えのは。そう言われた侍はよ、何て言ったと思う」

 小頭は、興味津々の若衆の視線を溜めにためて、

「『それでは誰でも良いから一人頼む』だってよ」

「うえー」

「ひでえ」

 数人が手を打って笑い、何人かが呆気にとられる。

「笑えるだろう。蕎麦や用事を頼むんじゃねえってんだ。誰でも良いからはねえだろうよ。当然女房達は怒って、みんなで侍を矢でつきまくったらしいがよ」

 小頭は、思いのほか反応が鈍いことに気がついた。

「おい。てめえらどうしたんだ。ここあ笑うとこなんだぜ。俺が馬鹿みてえじゃねえか」

「小頭。俺は笑えねえ」

「俺もだ。俺だって、誰でも良いからってのは言いそうだ」

「俺もです。何が可笑しいのかわからねえ」

 小頭は思わず被っていた菅笠すげがさを脱いだ。

「何だおめえら、そんなに日照ってるんか」

 そこまで考えずに女房自慢をしたことを、「そりゃあ――」罪なことをしたなと声はでなかったが心で詫びた。

「小頭。俺に考えがあるんですが」

 そう言ったのは補佐の重吉だ。

「言ってみろ」

「俺達が娘さんを見初めても畏れ多くてどうにもできねえ。だが娘さんの中には俺達の誰それなら良いってひとが居る筈なんだ。小頭だって女房殿がいるぐれえだ」

「この野郎。俺だっててのは何てえ言い草だ」

「済まねえ。先ず其処の所の口のきき方から教えて貰いてえんだがよ、娘さんの方から見て、あれでもいいって選んで貰うのはどうだろう。それこそ蕎麦でも注文する感じで構わねえ」

「成る程なあ。これはちょっとえれえ話になってきたが、儂にも小頭として、おめえ等の面倒を見る責任ってものもある。帰ってから女房殿と、それから機会を見て吉次様に話してみよう」

 うんうんと頷きながら小頭が立ち上がった。



「あははははっ」

 小夜の笑う声が屋敷の外まで聞こえる。

台所に近い間で障子、襖を開け放してあるからすべての使用人、従者にも声は届く。

「そうですか。そんなことが」


 朝、作業の指示伺いに来た吉次と小頭の女房の口から、山での事が語られていた。

「でも、わたくしもわかるなあ。若い衆と、その武士が言ったこと」

「まあ。小夜様もそんな、誰でもよいなどと言われるのですか」

「そうではない。ほら何れが菖蒲あやめ杜若かきつばたというではないか。我が幸田の娘達は、誰を何処に出しても恥ずかしくはない揃った器量良しです。それどころか義に厚く情けもあり、自分で運命を切り開く力も賢さもある。すべてのおなごがこのように育っているのは、弓衆としての心構えを教え、塾生として教育している此の村だからです。だから山の若い衆は畏れ多いと言い、その侍は、この村の娘なら誰でも、と言ったのでしょう」

「あっ。そのように言われてみれば確かに左様でございますね」

「ここまで揃っていれば誰をとっても否やはない。個人の性格の違いはあろうが、それは添い合ったあとの楽しみというか、男としては誰を取っても可愛くてならぬのではないか」

「それではご決済は」

「私は良いと思う。吉次は幸田村で生業なりわいを持つ、全ての独り身の男の台帳を作り、娘達に見せなさい」

「まことに楽しい役目ではありますが、只今、堤が仕上げに掛かろうとしております。私が抜ける訳には参りません」

「それもそうね」

 小夜が、「では誰に」と思案を巡らせたとき、

「ならば私が」

 勝手から、みずきという使用人が名乗り出た。


 くめが与一と店をやるために、屋敷を出た後に入った娘だ。十九になる。

「私が女房殿を補佐して差し上げます」

「私は男と女でやるのが良いと思うが、どうであろう」

「いえ。女同士の方がより相談に乗ってあげられると思います。私なら周りの評判も聞いてあげたりできますし」

「小夜様が仰有るそばから現れましたな。どうせ自分が一番に男の品定めする気でありましょうな」

「あつ。それは……」

 顔を真っ紅にしてうつむく。

「図星じゃな。まあ良いではありませんか、小夜様。女房殿がよければですが」

「はい。私はこのように自分から名乗り出る者がよう御座います」

「ではそのように」

「有り難う御座います。一生懸命、お手伝いをいたします。手始めに男の方に教えて差し上げたいことがございますが、よろしいでしょうか」


 小夜と女房が顔を見合わせる

「面白い。何を教える」

「普段の服装のことです。いつも汗の臭いのする同じ服を着ないようによく洗えと。それから体や住まいを清潔にして髭を剃り、口をよく漱ぎ、臭い息をしないようにと申します。これらのどれ一つ欠けても嫁取りはできぬと初めに教えて差し上げたいのです」

「まっ」

「これは良い。若者達が競って美しくなろうとするであろうな」

「それに、清潔に気をつければ病気になる者も減ることでございましょう。それを名簿を作るときに男衆に伝えるのですね」

「はい。こっそりと秘伝を伝えるように申します」

 それを聞いた者全てが口を手で覆って笑った。

 

 ※     ※


 ――あの日――二組弓衆として戦に望んだみずきは――女房達に矢で突つかれながら、そんなつもりで言ったのではないと謝っていた、痩せて気が弱そうに見えるかなえと名乗った男が可笑しくて、しばらく見ていた。


 だが気が弱そうに見えた男は、松の講義が始まると誰よりも熱心に聞き、懐紙と矢立を出して松の言葉を書き留め始めたのだ。それはつまり本気で藩の改革をやろうとしていることを意味する。


 みずきや女房達がそのときに聞いた、とげのように引っかかる『誰でもよい』という言葉も、誰よりも幸田の女性を的確に見抜いた上での言葉足らずであったと、小夜の言葉で理解した。そのとき――「本当に武士を捨て、この村に来るのであれば、あの男の嫁になろう」みずきはそう決意して呟いた。

 同時に思わず名乗り出ていた。


 夫婦という単位で一生を共にするのであれば、人を『好きになる』という、この不思議な感情を供に持ちあい、一緒に生きて行きたいと思うのは自然なことだ。


 鼎を見ていたみずきに、人を好きになるという『気持ち』が生じたとき、その先にあるもう一つの感情が目覚めた。

 それこそが、小夜と鬼王丸が共に居るときに感じる、もう一つの何か――きずなであり、愛とのちに言われるそれ――と同じだと気付いたのだ。


「あの感情こそが、小夜様と見えぬ何かの間に鬼王丸様がいる証しであり、小夜様がご自分の『気持ち』を形にすることができた証左なのだ」と、みずきは理解した。

『愛』という言葉は知らなかったがその感情は心を震わせた。

「人を好きになることは、何と凄い……」と眼が眩むような思いがした。

 

 それが、これから自分が作る人物の紹介文で夫婦になろうとする、全ての人々に共通する想いであってほしい。だからこそ最良の組み合わせを提供したいと、みずきは思った。

 ※     ※

「では吉次、日差しがきつくなってきましたから、例年通り菅笠などの被り物と水を飲むこと。それから滝で身体を冷やすことを、くれぐれも実行させるように」

「かしこまりました」 

 小夜は吉次に体調管理の注意を指示したあと、石工が来るのを待ち三人で堰堤に上がった。

 堰堤の端に突き出した岩を石工に示して意匠を伝え、書き付けを渡した。 石工にも菅笠を与え、休憩と、滝で身体を冷やすことを命じ、山の衆には、石工がいる岩の周りは聖域にするので立ち入らぬよう指示して山を降りた。

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