第6話  習遠と天恐門院

 松が、大里の藩士達に教育を始めた頃、屋敷を抜け出た小夜は、軍師が研ぎに出した刀と鬼の面を携え、城の三の丸菖蒲門で、出迎えた小姓組頭、行平ゆきひらと会っていた。

 愛馬黒毛の手綱を厩番うまやばんに渡し、「首尾はいかが?」と訊ねる行平に「上々。一人も失うことなく捕らえました」と返答する。


 行平が案内する城内の通路は、だれ一人としてすれ違う者もいなくて、人の気配さえもしなかった。

 

「ここが軍師の部屋でござる。軍師は今、天恐門院様のところにおりますが程なく戻って参りましょう。そのあとで菓子を持って天恐門院様がここを訪れるのが常であります。我等はその間、遠くに人払いをするよう言われておりますので、どれ程の声でも人は参りません」 

「ご苦労でした。後は全て私がやります。私が帰った後のことは、またいつものように知らせてください」


 ――少し前――。

 天恐門院は習遠を呼びつけ、典明の報告が遅いと騒いでいた。


「田畑などの利益が直ぐに上がらぬ事など分かっておる。それよりも統領とか言う小娘のもとには、珍しい宝があると言ったではないか。そういったものをすぐに届けるように手配をせよと言っておるのだ」

「あの村は結構広うございますからな。それに統領の敵討ちなどと、抵抗する奴らがおるのかもしれません。いずれにしても今夕には山から戻った百姓共が慌てふためいて、典明に命乞いをする事になるでしょうな。それまで今後の楽しみ方などを、あれこれ考えてみられては如何でしょう」

「それはそうなのだが」

「都の天子様が食される甘い菓子。空に浮いたような気分になる阿片あへんなるもの。これからは自由に手に入りますぞ」

「ふむ。確かに、今後は何をしたら良いのかわからなくなるほどの富が手に入ったのであるからな。ではいつものとおり酒と菓子でも食して典明を待つか」

「それがよろしいかと。では先に戻って人払いと酒の準備をしておきますので」


 習遠は部屋に入るなり、身の毛を総立てて凍り付いた。

 白い鬼が立っていたのだ。


 女の鬼が抜き身の刀を下げてゆらりと揺れた。

 白い掛下に血が流れたような緋の筋が見える。

「化けて出たのか……」

 今、まさに人を殺したのか、殺されたかのような凄惨な鬼の顔に息が止まった。

 目瞬きもできず、微動もできない習遠の周りを、鬼は舞うように静かに巡り、うなじに息を吹きかけた。

 毛がそよぎ、頭から足先までぞくりと身震いをする。


「己は腹の傷が癒えた途端に策を弄するか」

 一巡りして習遠の前に立った鬼は、被っていた面を取り、

「三度目はないと言ったぞ。この刀、切っ先から三寸、刃を残しておいたは何のためか教えてやろう」

そう言って真横に二閃させる。

切っ先は、習遠の腹を一寸の深さで二筋切り裂いた。

「命には別状無い」という小夜の声も聞こえず習遠の五体は恐怖に固まったまま、声も出さず崩れ落ちた。


「誰ぞ居るのか」

 部屋の中に、習遠以外の気配を感じて、いきなり障子を開けた天恐門院は、小夜の黒髪を見て「どこぞの女が……」と怒りを露わに、こちらを向けと叫んだ。


 ゆるりと振り返った女の顔と足下に崩れている習遠を見て、院が驚愕の悲鳴を上げる。


「鬼じゃー」と叫び続ける天恐門院は、畳に突き立った刀を見つけ、抜き取ると「鬼めが」と斬りかかった。

 鬼は、ふわりと宙に浮いたように見え、天恐門院の後ろに降り立った。

 院は耳許に鬼の息を吹きかけられ、悲鳴を上げて首をよじる。


「我は幸田の統領、幸田小夜である。我が村を襲い、年寄り、女子供を殺せと命じた罪の深さ思い知るがよい」

 髪を掴まれ引き倒された天恐門院は、恐怖に身体を震わせながらも「私の知ったことではない。習遠が勝手にしたこと」と。尚も刀を振り回す。

「人のせいにして何をたばかるか。その習遠を呼んだのはお前であろうが」

 天恐門院は息を切らしてふらふらと立ち上がり、

「ふん。年寄り子供は生かしておいても何の役にもたちはせぬ。田を我が手に戻す前に掃除をさせたまでのこと」そう言った。

「お前に幾つもの怨霊が取り憑いているのはそれ故か。ものの憐れも知らず、己の醜さも知らぬ。人の命を鴻毛こうもうのごとく軽んずる人でなし」

「無礼者が、正体は知れたぞ。面を取れ。お前も村の奴らと同じあの世に送ってやろう」

天恐門院が「出会えー鬼が出たぞ」と叫ぶ。

「無駄だ。誰も来ぬ。お前に従う者など、今や一人も居りはせぬのが分からぬか。我が村民とて生憎、誰一人として死んではおらぬ。お前が送った藩士どもは全て我に降伏した。その証拠に典明は報告に来ず私は生きている]

「そんな言葉誰が信じるか。無礼者。ええい忌々いまいましい。さっさと立ち去れ」

「立ち去ろう。お前の腐った匂いは耐えがたい。だがお前の所業は許せぬ。生きて己が罪を知れ」

 小夜がそう言うと天井に雲が湧いた。

「面妖な」

 天恐門院がおののく。

 雲から赤く巨大な鬼の腕が出て天恐門院の腕を掴むや、悲鳴を残して、雲と共に消え去った。


 後日、京の都に、右手に刀が癒着した、自ら院号を名乗る狂女があらわれたと街道筋で噂になった。


 都の衛士えじ達がどのようにしても刀が離れず、腕を切り落とすことも憐れでならず、刀を振り回すので近寄ることもできぬまま、疎まれ嫌われ、飯を食わせろと泣きながら各家の扉を叩く姿が見られたと、旅の僧が市場で話したことが村人に広まった。

「その狂女の名乗りが、事もあろうに先代ご領主の奥方の、門跡として授かった天恐門院ということであったので、興味を持って大里を訪ねたついでにこの地を訪れてみた」

 僧はそのように面白く話した。       


 小夜のもとには行平から書が届き、習遠は腹の傷がなかなか癒えず、膿が出て臭いので、近頃は女中さえも食事を運ぶのをはばかると書いてあった。 

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