第5話  本当の勝利

「さて……。大里の者は、私をこの屋敷で殺した後、ここに潜んで村人が居なくなるのを待ち、残った女、子供、年寄りを襲い、村を乗っ取るよう指示されている。と、この密書には書かれているが……お前達は何故村人の姿が見えなくなるか知って居るか」

 藩士達からは、しわぶき一つ聞こえない。

「四郎。答えよ。これのどこが農民の解放だというのか。お前達の言う解放とは、何か」

「実は……」と、四郎は苦渋の顔で「我等十名の者は、ご統領をしいするまでしか知りませんでした」

「典明。そうか」

「年寄りや女子供のことは確かに全員には知らせておりもうさん」

「何故だ」

「それはつまり、従わない者がでるからでござる」

「ふん。良心のかけらくらいは残っておるのか」

 小夜は藩士を見回し、

「まったく。お前達は自分で考えるということができぬのか」といった。


「村から人が居なくなるのは、工事に行くためだ。お前たちが働きもせずに食う米を、少しでも多く作ろうと、百姓仕事の合間に石を運んで水路を作っているのだ。それは自分の子や年老いた両親に、少しでも多くの飯を食べさせたいという気持ちに他ならない。そうして明日に希望を繋いで家族の団らんを楽しみに帰ってきた家で、我が子、我が妻、我が両親が殺されていたら何と思うか想像してみるが良い。自分の肉親を殺された者が、殺したお前達の支配など受けるはずがあるまい。我が民は復讐の鬼となり、大里の全ての武士という武士を殺戮することになる。そうなったときの悲惨な様が考えられぬのか」                                    


 四郎は頭を下げて、唸り声を上げた。

「恐れ入りました。確かに左様でありました。盗人の汚名を着て死ぬよりは、藩政の改革を一歩でも進めて民の為に死にたく存じます」

「四郎。よく申した。既に習遠も天恐門院も我が手中にある。邪魔者は我等が除いておくので、心置きなく反旗を挙げよ。そのすべについては後ほど伝授する」

「かしこまりました。典明殿は如何になさいますか」

「使えれば生かして助力させる。邪魔になるなら腹を切らせる」

「邪魔などせぬ。い、いや。致しませぬ。助力をいたします」

 軍師が幸田の手にあると聞き、典明はようやく生気を取り戻した。


 夜が白々と明けていた。

 篝火が消されていく。

 障子が、カラリと開けられ、松が現れた。

 小夜が入れ替わりに室内に入り、障子が閉められる。


「では今からこの婆(ばば)が、大里と幸田の田の作り方の違い、それによってどれ程収穫に差が生じるかを説明して進ぜる。その後で収穫した米をどのように割り振りするのがよいか、塾頭の一人が説明する。最後は藩政改革の方法じゃな。以上を学んだ後、そなたたちは明日の八ツ半以降、刀を返して放免とする」

 大里の衆にはただ、驚きの連続であったが、松の言葉は更に驚かせた。


「そなた達は豊かな村を侵略し、戦を仕掛けて奪い尽くすようだが、そんなものは本当の勝利ではなく、賊の勝利じゃ。我等は、我等に負けた相手には、相手にないものを与えてより富ませる。そうした富の中から長きにわたって利を得るのじゃ。それが本当の勝利というもの」

「さて」と手を叩き、

「講義を始める前に、そろそろ腹が減ったであろう。我慢しながらでは、何事も頭に入らぬ。弓衆は皆に朝餉を配れ。槍衆は持ち場に戻ってよい」

 槍衆が引き上げた後、弓衆は背負っていた空穂うつぼから竹皮の包みを取り出した。

 松が、

「この飯を干した戦闘食は、お主等と三日は闘うことを想定して、かくは構えておった。じゃが、それをお主等に食させることになるとはな。巡り合わせの不思議を感じぬか。違う?何がじゃ」

「ご統領様は一日でにこうなることを予想されて、干飯ほしいではなく、朝、昼、夕餉と三食分三個の握り飯をと、ご指示をされていました」

「左様であったか。相変わらず先を読むに違えぬ統領殿よの」


 弓衆の女性達が

「そんな訳ですから、どうぞお召し上がりください」

 三個の握り飯と漬物を包んだ竹皮を、夫々それぞれ武士に手渡す。

「少ないかもしれぬのですが、これで今夕までです。一度に皆食そうと、一つずつ分けて食そうとお手前の勝手になさりませ。大きさは同じですが、味は作る女子で皆それぞれです。お手前は私の握りが食べられて幸いでしたぞ。何と言ってもこの中では私の作ったものが一番美味いのですから」

「あらあ」

「呆れた。ドサクサに紛れて何を言うやら」

「このようなことは先に言うたが勝ちなのです。さあ私は水など汲んで参りましょう」

 女達の喧噪が続く中、握りを食した男が歯を食いしばり、呻き声をだした。

「どうされました」

 女達が緊張する。

「かたじけない。こんな心ある処遇をされたのは初めてじゃ。どうにも、こう、胸が熱くなる」

 女達が笑い出した。

「何だつまらない。味自慢の握り飯で腹を壊したかと期待したではありませんか」

 女達が嬌声を上げる。

「そうですよ。これしきで熱くなるなど、一体どんな寒いところに住んでいるというのです」

 揶揄からかうほどに男の涙は止まらない。

 味自慢をした女房が男の手を握り、「涙をお拭きなさりませ。武士もののふにございましょう。似合いませんよ」そう言って布と水の竹筒を渡す。

 

「各組の長は我が許へ参れ」

 松が呼ぶ。

四半刻30分の後、講義を始める。それまでに食事と厠を済ますように伝えよ。講義を始めたらそなたたちは半数ずつ休め」

「監視は如何にしましょう」

「いらぬ」

 松は笑う口許を扇子で隠して眼で指し示す。

 その先に涙を拭きながら握り飯を頬張る男がいた。

「申したとおりであろうが。厳しく、優しく、褒めて尻を叩けば、男は如何様にも動くもの。それにこれほどの機会を捨てて逃げる者など何の見込みも無いわ」


「それでは自由に歩き回っても良いと申すのか」

 弓衆と言われる女性から説明されて、鼎大三郎かなえだいさぶろうは驚きの声を上げる。

 案内された三カ所の厠は、一カ所は木戸口裏、一カ所は屋敷内廊下の端、もう一カ所は畑の隅にある。

 監視がいないので逃げる気になれば、四半刻は距離を稼げる。

 集合を指示されるまでは、どこで何をしようと勝手と言われて、思わずそんな考えも頭に走った。

だが、逃げ帰った先に何があるかと問われれば、思い浮かぶものは何も無い。ただ虚ろな日々だ。

 竹筒を渡され、厨房の水瓶を示された。見れば皆、腰に竹筒を着けている。

 敵という我等百人の為に、既にここまで準備を整えていたのだと気がつき、相手の思慮の深さ、力の差に打ちのめされた。

 正しきことを知り、正しくないことを排すれば正しい日々を過ごすことが出来るのだと、どうしてそれをしないのだと、統領と慕われている美しい女性に叱られた輩がいた。

 大三郎はそのとおりだと思った。

 自分達の兵糧を渡し、明るく笑う女性の優しさが心に沁みた。

 あれ程の弓の腕を持ち、これほどに、たおやかな心根の女性と共に、此の村で働く日々を過ごせたら、どれほど楽しく心安らぐ日々であろうかと思い、生を受けて初めて心がときめいた。

 我が藩の行く道を糾した後であれば、此の村は自分を受け入れてくれるだろうか。

 そのためにも汚れた我が藩の改革を成し遂げねばならないと心を固め、同じ志を持つ者を探し求めた。


※     ※


 蝶次郎が北村の土蔵に近づき耳をそばだてる。

 声は聞こえない。

 そっと扉を開け中を見たが、誰の姿もなかった。床を見る。争った後も血の後もない。

 辺りを警戒しながら村に入る木戸口に近づくと、数人の女性が弦を弓から外し、あるいは巻き取った弦を空穂うつぼに仕舞いながら談笑しているのが見えた。


「あら。蝶次郎ではないか」

 中の一人が目聡く見つけて声をかける。

「一人でこんなところで何をしている」

「統領のお使いをしておりました。皆様方はどうなされるのですか」

「準備した握りを武士達にあげたので、誰ぞの家で食事会をしようかとな。持ち寄るものの算段をしているところです」

「成る程。子供らはどうしているのですか」

「戦にもならぬ我等の圧勝であったから、くめ殿が塾に送ってくれた。今頃はみんな寝ていることでしょう」

 大体の状況は分かった。

「蝶次郎は腹が減ってはいないのか。一緒に食べて行きなさい」

「有り難うございます。大丈夫です。報告を急ぎますので」

 笑いながら館に向けて、走った。 

「よかった……」走りながら何故か涙がこぼれた。

「蝶次郎さん」

 社の下を通るとき、階段の上から女の声がした。麦だった。

「有り難うございます」

 麦はそれだけを言って頭を下げた。

 組頭が話したのだと蝶次郎は理解して「迷惑ではなかったろうか」と訊ねた。

「わたくしで宜しければ」

「では、お願いする」

それだけの会話で、蝶次郎の心は言い知れぬ幸福感で満たされて、更に駈ける速度を増した。


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