第4話  耳

「そなたらが聞いていることは、全て習遠と典明の造り事、偽りである。そもそも此度のことは、天恐門院の院とは名ばかり、仏門をも無礙むげにした、権勢欲と贅沢を欲する気持ちから始まった。したがって遠因となるのは、天恐門院の出自となる大里藩の過酷な年貢の取り立てと、百姓が、その下にもう一層置く農奴制度こそが原因である。とは言え」

 小夜は四郎を見て、

「先に私は、四郎が言った言葉に返答を与えねばならぬが、私のことを私が弁明するのでは疑いも消えぬ。よって四郎に我が配下のいずれかを指名させ、その者に説明させる。話に齟齬が生じればどちらの言が正しいか判断もつくであろう」


 四郎は先程の自分の言葉を笑った目前にいる弓衆や、槍衆。その後方に厚く備える人波が全て村民だと気がついた。

 自分が言ったことが事実と乖離かいりしていることは、大里村と幸田村の双方の村人が、全く違っていることで明らかだった。

 大里の村人は武士を嫌っていて、武士に対する態度は陰湿だ。だが幸田の村人は明るく快活で知性がある。支配されているという暗さが微塵も感じられない。


 四郎は小夜の自信に満ちた言葉と、典明の恨みがましい物言いと比べ、あきらかに習遠が偽りを言っていると気がついた。

 だがここにいる百姓の、しかも小娘がどのような返答をするのか興味を持ち、「では、この端近はしぢかにいる者に」と指名した。

「次いでその後ろの者にも引き継いで説明して貰いたい。真実であれば両名の言葉は一人の者が語るように聞こえるはず」


 小夜が頷くのを見て、指名された雪が莝射の姿勢から立ち上がると、後ろの者が透かさず腰を落とし雪に代わって莝射位置につく。

 物言わぬその見事な連携に、四郎は「これは違う」と改めて驚嘆きょうたんした。弓が引けるだけで集められた者とは違う。これは鍛え上げられた軍以上ではないか。畏敬の念を込めてそう思った。

 立ち上がった雪を見て「何だ子供ではないか」と声がした。

 雪がその武士を睨み、弓を向けて凛とした声で、

「侮られますな。子供でも、お手前の細首など、ただの一矢で穴を開けてご覧にいれますぞ」

「ご覧にいれると申されてもなあ。首に穴を開けられたら、いかなる技も見ることは叶わぬぞ……」あきらかに雪の言葉を揶揄からかっている。

 雪は自分の言葉の矛盾に気がつき赤面して矢を番える。

「では、その腹に突き立てよう程に、心ゆくまでこの矢を見ておれ」

「丸腰の儂等に勇ましいのう。儂らは統領殿の為にもっと弁の立つ者をと思ったまでのことよ」

「真実を語るのに何故弁の立つ者が要る。真実が一つであれば誰が答えても同じ事であると言って我を指名したのはそこの四郎であろうが」


 それは私に向かってだけではなく、誰でも選べと言った統領の我等に対する信頼をも侮辱しているのだ。そんなことも解らぬのかと、雪は腹立たしい。

「気をつけてもの申せ」

 小夜が氷のような声を出した。

「お前達が人の下に農奴を作って居ることを知った我がたみ達は怒りが抑えきれなくなっている」

 小夜が右の耳を触った。

 同時に雪は矢を放ち、男の右耳を射貫いた。

 矢は男の耳を千切り縁の下に飛び去さった。跳び上がった男が半分になった耳を手で押さえて悲鳴を上げたときには、すでに雪の後ろに備えていた娘が、矢の先を男の首筋に向けていて、坐射の娘達は弓を引き絞り、正面の武士が動けぬように制圧していた。

 雪は二の矢を番えながら、

「これは、ごもっともにございましたな。我等が矢は瞬速なれば、どこを射られたとしてもご覧になる暇はございませぬなあ」

 雪が唇の端を歪めて「ふふっ」と笑うと、坐射が一斉に引いていた弦を戻す。


 目尻を掠め、耳を突き抜けた矢は、間違いなく、あと一寸足らずで目に刺さっている。

 目尻を叩くように通り過ぎた矢羽根に衝撃を受けた男は、恐怖で震えながら虚勢を張り、声を絞り出す。

「わっ我等は丸腰だぞ。卑怯ではないのか」

「私は小娘なので、何が卑怯なのかよく分からないな」

 クスクスと笑い声が上がる。

 男の鬼火を見た英が「丸腰の百姓を殺した男がよくぞ言う」と、声をかけた。

「そういう男か。ならば片耳だけでは見目が悪いな。左の耳も射貫いてやろう」

 雪が矢先を男に向けるとそれまで首を狙っていた娘が、「動けば眼を失うぞ」と言って弦を戻す。

 その言葉に男が硬直する。

 雪は弦を半ば引いたとき、「あっ。外れたッ」と言って矢筈から外した弦を『ブンッ』と鳴らした。

 男は「ヒッ」と悲鳴を上げて目を瞑る。

「ふん。人殺しの小心者めが」 雪の言葉に男が沈黙し、女達が哄笑した。


 四郎が雪に「見苦しい所を見せた」と頭を下げた。

 雪が「まことに見苦しい」と耳を射た男をあざけったとき、小夜の横が青白い炎で揺れた。

 鬼火がともり、小夜が鬼火に向かい両手を合わせると、鬼火は一際燃えさかり明るさを増し、青い炎が小夜を包んだ。

 小夜が、合わせた手で印を結び、天を仰いで瞑目する。

 藩士達は恐怖で為す術もなく沈黙し、小夜を凝視する。

 静寂が場を支配した。


「聞け」

 小夜のよく通る声が広場を圧した。


「お前達の悪業は全て天の鬼が知るところである。悪業を犯した者は地獄で鬼に罪の申告をして自分の罪と向き合うことになる」

 消えかける鬼火を示して言った。

「偽り、誤魔化しで鬼をたばかった者は鬼からも見棄てられるほどの業苦を味わうことになる。ゆえに……現世の今、自分の罪と向かい合え。己が悪業を今償え」


 小夜を包んだ青い炎は小夜を連れ去ろうとするかに見えたが、きらめきと共に光も消えて静寂が戻った。


「雪と英」

 瞑目したまま小夜が呟く。

「話せ」

 気を取り直した雪は矢を外し、大きく息を吸って四郎を見た。


「まず大里の皆様に申しますが、此の村や田畑が武家、領主のものであったことは古来より今に至るまで一度もありません。全ては習遠の勝手な創作」

 静かに、そう切り出した。

「此の村は一帯を支配する豪族であった我々の祖先が汗を流して開拓し、平和に生活を営んでおりましたところへ、今回のように武家が勝手に入ってきたのです。武家との戦に圧勝した我が祖先は、行き場を失った武家と和議を結び内密に武家が村を納めているように装いました。そうすることで新たな侵略者を防いだのです」

 英が言葉を継ぐ。

「ですから、預かった田畑を私しているという言い方は間違っています。言うならば、私達は武家に年貢を渡し、武家を養っているとさえ言えるのです。我々はその見返りになる物とて一切要求もせず受け取りもしてはいません」

 英が雪と目を合わせ、互いに頷くと、再び雪が、

「現在のご領主と統領はとても良い友であり、ご領主はあなた達のような行いを決して望んではおられません。統領の腰刀はご領主から拝領した物ですし、この扇子もご領主から頂いたものです」

 そう言って腰の扇子を開いて見せ、腰に差し戻した。

「我々全ての百姓、村人は、統領をお慕いしております。統領と村のためならば、私達は決してあなたたちの様に投降などしませんし、例え地獄に墜ちようとも丸腰のあなた達を射殺す覚悟は、我等の一人残らずできているのです」

 雪は後ろから肩を叩かれて振り返った。

「交代。ゆきは少し昂ぶってきてるよ」

 英が円を描いて、矢を外しながら雪の立射と入れ替わった。

「そんな訳ですから我々には田の面積を偽ったり、米の穫れだかを誤魔化したりする必要など全く無いことがお分かりになると思います。もし、あなた達が言われるように、統領が搾取されていることを我々が知ったならば……」

 英が言葉を切った。

 村人が息を止めて次の言葉を待つ。


「我等の食糧を全部統領に捧げることで、搾取という言葉が成り立たなくするでしょう」

 列の後ろから、口笛がヒュゥと鳴った。

 次いで「エイちゃん偉いぞ。俺もそうする」

 若者達のざわめきに小夜が苦笑する。

「はい。わかった。私は統領としてあなたと家族から食事を頂かなくてもよいように気をつけます」

再び口笛と列の後ろから拍手と笑い声がした。

 英は、

「はい。ですから、富を搾取して領主様を困窮させて居るという事実はなく、搾取というなら、むしろ軍師殿と天恐門院様が城の財を私していることこそ搾取であろうと思います。それに軍師殿は五人と切り結んだことは一度もありません。ただ……統領を後ろから斬ろうとしたことがあり……」再び「クスクス」と笑い声があがる。

「刀を抜ききらぬうちに四人の組頭に刀を突きつけられて泣き出しました」

 再び爆笑が湧き上がった。

 四郎は先程の大爆笑の訳がようやく判った。


「これでよろしゅうございますか」と訊ねられた小夜は「はい。雪はまだ、大分言い足りないようですが我慢して」と微笑んだ。


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