第3話  正しきもの

「我等はあのような女人を殺そうとしていたのか」

「我が娘と変わらぬ手弱女たおやめではないか。儂にはとても出来ぬ」


 武士達が騒ぐ中、忠兵衛が、

此度こたびは大里勢が我等に夜襲を仕掛けたとして、統領以下迎え撃たんと見参けんざんした。 しかしながら、勝敗は斯くの如し。この上は潔く投降するが武士もののふの道と思うが、如何に」

「とっ投降後のご処断は」

「むろんの事。かような、武士にあるまじき卑怯な振る舞いの責任は取って頂く」


 それを聞いた途端に集団から二人、はじき出されたように飛び出て、囲う者のいない東の木戸口に向かって走り出した。

は右」

 小夜の下知に答えたとねは、男が三十間離れるのを待ち、矢を放った。

 とねの放つ重い矢は集団の頭上を掠めて低伸し、逃げる男の右足脹ら脛に突き刺さった。

 左を走っていた男は、右前を走っていた男の足に矢が刺さったのを見た瞬間、自らも左肩につちで殴られた様な衝撃を受け、前のめりに倒れた。 この一瞬の出来事で、二人に触発されて浮き足だった他の者は、左の男が何故倒れたかが解らず、逃亡を思いとどまった。


 木戸の奥の暗がりから四人の組頭が刀を抜いて二人に近づき、何事かを話しかけると、二人は全てを諦めた体でうつ伏せになった。

「とね殿の矢。右足脹ら脛に的中ではありますが三寸ほども入ってござる」

 組頭の声に、

「しまった。力が入りすぎたか」

とねは済まなさそうに言い、「でも的中ではありますから」と慰める声と共に列の後ろに下がる。

 聞こえた武士が、「的中とはあれが狙った場所だということか」と顔を見合わせた。

「しかも女ではないか」

「いや、弓はみな女子じゃ。だから儂は二十間も走れば逃げ切れると思っていたのだがな」

「見よあれを」

 組頭が如何にも手慣れた様子で足首を踏みつけ矢を抜いた。

「刺さった矢は、血止めのために抜いてはならぬと聞いたが、あのやりようはまるで手慣れている。獣に刺さった矢を抜くようではないか」

「いかにも。まるで人の足よりも矢を大事にしているような」

「さもありなん。我等は、統領を殺そうとしたにっくき敵じゃからな。この様子では、ここに居らぬ者は、皆、ほふられたかもしれぬの」

「或いは出奔したか」


「統領のつぶて」

 先程の組頭の声がした。

「肩の骨が割れておりますぞ」

「オーッ」という声には感嘆と武士への同情が含まれている。

「私のせいではないぞ」

 小夜が膨れ顔で抗議する。

「村の者であれば骨は割れぬ。そやつが軟弱なだけだ。大方、することもなく、日々を無駄に過ごしているのであろう」

 武士への同情の声が消えた。


 そのことも大里の武士達には理解できなかった。

 逃げる者を一人は矢。一人は統領が何かで食い止めた。矢を射た者は深く傷つけたと嘆き、統領は肩の骨を割ったと家来の一部に非難される。そんな世界など見たことも聞いたこともなかった。


 忠兵衛は典明に、

「さて、あの逃亡を図った両名であるが、大里藩の軍規では、上からの指示無く敵前で逃亡を図った者は死罪と書かれている。ご存じであろうな」

「もっも勿論存じておる」

「ならば、勝手に逃げ出したのであれば両名の罪。上からの指示無く、其処元が命じたのであれば其処元の罪である」

「いっいやいや、いや。このような状況で儂がそのように命じる訳がない。逃亡の罪はあくまでその両名でござる」

「さようか。我等も大分軽く見られておるようなのでな。如何に軍律厳しく戦をするか、世に知らしめる必要がある。両名の死罪で良いのだな」

「よろしゅうござる」


「お待ちください」

 集団の中から声がした。

   

「確かに敵前逃亡は死罪で有りますが、それは我等の軍規でありますぞ。なにゆえ我が軍規で、そちらが我等を裁かれますか」

「そのとおりである。ならばお主があの両人を切ると申すか」

「あっいやそれは……」

「そうであろうが。虜囚が好き勝手に同じ虜囚を裁くなどあってはならぬのだ」

 忠兵衛は組頭に向かって「斬れ」と声高に下知した。   


 篝火の灯りが揺らめく中、白刃が二閃して正座した二人の武士が崩れ落ちた。


「さて、我等は未だそちらからの正式な投降の意思を聞いていない。典明殿、如何に」

 大里藩の武士達は、圧倒的な数で囲まれたときから捕らわれたような錯覚に陥っていたが、典明の「投降致す」と言った言葉に、あらためて一切の反撃も逃亡の意思も消え失せてその場に座った。


 既に大半の者が、下げ緒をほどき、それで大小をまとめている。

 それを陣の後に居た弓衆の女達が丁寧に受け取り運び去る。

「先ずは、こう並び、座られませい」

 屋敷の縁側に立つ小夜の前に並び座ると、蔵に入れられていた者達も出され、そのうしろに連座した。

 先程斬られた筈の二人も、傷の手当てを受け組頭に支えられながら列中に入る。


「そこに行かれよ」という指示の先に、右足の同じ場所を手当された者が五人いた。

 列の中から「お主等、斬られたのではなかったのか」問う声がする。

「斬られたさ。首の皮を一枚な」

 腕を布で吊った男が言った。

「死んでおれと言われてな。死んでおれば死人から命は取らぬと言われた」

「それは……なんともうせばよいのかわからぬが」

 問いを発した男は組頭を見る。

「大事ないのであろうか。其処許そこもとは主命に反したことになり申すが」

 予め、狂言を仕組んでいる筈も無かった。

 組頭は「はははっ」と笑い声を上げる。

「我等は主従であるからな」

 そう言うと、もう一人の組頭が、

「透けて見えるのよ。主の考えている事がな」


 藩士が顔を見合わせる。

「参ったな」

「如何にも、参った。我等には藩主の思いなど想像もつかん」

 数人が嘆息する。

「こうも、見事なまでにやられようとはの。おぬしは肩を射られたのか」

「儂のはどうやら統領のつぶてのようじゃ。三十間も離れたところから食ろうてこの様よ」

「なんと!」


「聞け」

 縁の上から小夜の声が響く。

 

「これからそなた達に、大里藩が、なにゆえ貧しいのか、どうすれば豊かになれるかを教える。それによってそなたらが何を成すべきかを知るだろう。藩に帰った後は悪しき制度を改革せよ。まず、百姓の下に人を置く農奴の制度をなくせ。我が身のくだらなさをよくよく自覚して、百姓、村民とよく話し合え、二度と搾取して百姓を苦しめる事がないようにせよ」

 藩士の間に動揺が広がる。

「国に帰すというのか。しかも豊かになる法を教えて」

「そうはもうされますが」

 若い藩士が不満げに反論した。

「年貢を取るのは藩主でござる。我々には何の決めごともできもうさん」

「では、お前の存在は無用であるから、切って捨てよう。一人でも武士が減れば百姓は有り難いと喜ぶぞ」

「それは極端な申されよう」

「何を言うか。あれこれと理屈を付けて何もせず、腐った今に留まろうとする怠惰な奴が。ようやく動き出したと思えば、私を殺して村を盗もうとする野盗にも劣る振る舞いをしてこの始末。許せないのは、自国から百姓を連れてきてその下に我が村民を支配させようとしたことだ。人の誇りをどこまでも貶しめ、奴隷までも作り己の利を貪る唾棄すべき人でなしめ。まともな武士であれば人の物を盗る前に、先ず己の悪しき在り方を恥じてより良き藩に改革するのが先では無いのか。正しく生きるためには、正しくないものを廃するだけだ。そんな簡単なことすらもできぬお前のどこに生きる値打ちがあるのか、とくと説明してみろ」


「ならばあと一つ伺いたき事これあり。ご統領こそ田畑を私して、田の面積を偽り、米の穫れだかを誤魔化し、納めるべき年貢を納めず、富を搾取して領主様を困窮させて居るではありませんか。それを諫めた軍師殿を殺めようと五人で襲ったが、軍師一人に追い散らされて、今も軍師の姿に逃げ惑う、そのみっともなさは正しいのでありましょうか。我等は統領から村人を解放せんがために此度かように集結致した。このことは正しくないのでありましょうか」


 村人から「オー」と、唸るような感嘆の声がした。

「成る程。そう言われてきたのか」小夜の感心した言葉にあわせて、忍び笑いがあちらこちらから聞こえた。

「まったく。お前の理屈は三才の幼児にも等しい。自分で言っておいて話が合わぬと思わぬのか。見ろ。そして聞け。我が村民が可笑しさに耐えきれなくて吹き出しておるわ」

 小夜の言葉に、その忍び笑いはさざ波のように伝わり、波は徐々に大きくなり、こらえようとしてもこらえきれぬ可笑しさは、とうとう怒濤の様な全村を揺るがす大爆笑になった。

「まず褒めておこう。私を非難するのは当然死を覚悟してのことであろうからである。名を聞いておく」

「中州国大里藩、藩士、蓮場四郎はすばしろうでござる」

「蓮場四郎。その覚悟天晴れである。首は間違いなく親に届けるであろう」

「ご無用にございます。すでに親はおりません。ここらの野辺にでも捨て置きください」

「良いのか。この村であれば、ただの盗賊として葬られるのだぞ」

 四郎は一瞬声を詰まらせた。流石に盗賊として葬られるのは抵抗がある。だが首が国に戻っても、葬ってくれる者さえいない。

「やむを得ぬことかと」

「分かった。では先程そなたが言ったことは誰から聞いた。そなたが自ら調べたのでは無いことは分かっている」

「ここの城に居る軍師、習遠殿が、自ら歩いて調べて、今なら村を奪還してご領主にお返しできる好機として、配下の典明様に命じ我等に説明なされたこと」

 習遠の名が出る度に、失笑が漏れ聞こえる。 

「ふむ。すべては我等の調べと一致する。残りの者も、皆そのように聞いているのであろうな」

 武士達が顔を見合わせて、或るものは頷き、或る者は首を横に振った。



 

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