第5話  模擬戦(五)軍師

 

 「凄いぞ本物の軍師様だ」と言う声に、ひと際威厳を繕った顔で、「習遠しゅうえんと申す。名高き軍学者である、藤井忠兵衛殿にそう言われては是非もない。お言葉ですから、気がついたことを数点」

 領主に礼をして大沢山見取り図、陣地図の貼った襖を並べた。「これは実に良い考えである。どなたが考えられたのか。私も以前、このような……」

 皆が一斉に小夜の顔を見る。言いかけた軍師に小夜が、

「真似をしたら金を取りますよ」

 領主が思わず吹き出した。

「さて城であれ陣地であれ、赤が作ったこのような備えがあるところは案外もろい。であれば、命令は大沢山の確保であるから、命令を遵守し、丸山に兵を割くことなく正面から総攻撃が王道である」


 その言葉に全員が驚きの声を上げる。

「それって作戦じゃねーし」

 蝶次郎が発言を求めて、

「どのようにもろいのか、教えて頂ければと思いますが」


「何故堅牢にしたかを考える。そうしなければ弱かったからだ。また堅牢になれば兵の配置も少なくてよいと考えるのが普通である」

「言ってることが矛盾してねーか」

「いつも塾頭にこっぴどく叱られる『勝手に予測戦術』やってるぜ」ひそひそ話が出始める。


「儂が寄せ手なら、あの程度の堀、瞬く間に埋めてしまうであろう」

 蝶次郎が再び挙手して、

「で、ありますから掩蔽えんぺいした側防そくぼうを配置しました。これによって寄せ手は堀での作業ができなくなります」

「そくぼうとはなんだ。そんなもの聞いたことが無い」

 それを聞いた塾生達が言葉を失うなか、忠兵衛が「ほうっ」感嘆の声を出した。

 小夜と互いに、『思ったより正直者であるな』とうなずき合う。


「塾生達には馴染みの言葉であるが、これは元々この忠兵衛が創りだした言葉であるから村外の者が知らぬは当然。むしろ知っていると言う者が怪しいのである」

 そう言って、蝶次郎に「側防の説明を」と命じた。


 蝶次郎は軍師の前で塾生二人に縄を張らせ、

「この縄を堀とお考え下さい」と言った。

「この堀の片方の端に、此度は石標や灯篭、或いは土を盛った戸板などを使い強固に覆い隠したむろを造り、中に弓衆を隠しておきます。すると、この弓衆は堀を真横から見ることになりますから、即ち、階段下に身を隠したつもりの敵兵、或いは堀を埋めようとする敵兵は室からの射界に姿をさらした形になります」

「ならば更に好都合である」

 軍師が開き直り、興奮状態で甲高い声を出す。


矢で射られた雑兵が十人も重なれば充分な足掛かりになる。そのうえで先手の三十人も討たれれば三十一人目は本陣に届く。造作も無く落とせるだろう」

 塾生が唖然として、口を開けたまま、顔を見合わせた。

「軍師様」 

 多助が手を上げて発言を求める。

「赤の布陣は縦深防御であります。我々は陣を突破する度に側背から包囲され、兵を失うのではありませんか」


 蝶次郎は緒戦で奇襲攻撃を仕掛けた多助の性格と普段の言動から、弓の命中率が下がる暗夜の奇襲が、可能行動としては最も考えられるとして、前線で撃破するのではなく、陣の奥深くに誘い込み後方及び側方から包み込んで攻撃する多重防御という陣形を採用していた。

 

 だが軍師はその事についても頑なに無視をして自説を展開する。


「命令は大沢山を取ることであった。ならば如何なる手段を執ろうとも大沢山を取るのが兵の務めである。戦の途中で目標をふらふら変えるなどあってはならぬ」


「いやー。だから判断を仰げということだったろ」

「いや。何があっても猪突猛進して粉砕するってことだ」「あれだな。もうしんは見えない盲進だな」という声がして、忠兵衛は後ろを向いてくっくっと笑い声を上げる。


「それから白の大将」

「はい多助です」

「お前は南の藪に赤の主力を集めておいて正面から攻めようとしたであろう」

「いや。あれは……」

「儂は何でも知っている。あれは中々に良い手であったが何故やらなかった。あれをやれば二~三十人程の損耗で済んだかもしれぬぞ」

「あれはバレてましたから」

「何を言う。赤は殆どの兵を正面に展開していたではないか。バレていても行動が伴えば敵は疑心暗鬼にとらわれる。そこで敢闘精神があれば勝利を自分のものにできるのだ。だから百姓風情の戦なぞ戯れ言に等しいのだ。バレたと思う根拠は何だ」


「それはですね、我々の話を聞いた副将が、自分で動かずに大将に相談したからです。赤の大将はああいうやり方にはかなり鋭いのです」

「だが大将は相談を受けて兵を配置したであろうが。赤の大将」

「はい蝶次郎です。はい。副将から聞いてすぐに罠だとわかりました。副将が厠に入ってすぐに二人が来たと言うのがそもそも怪しい上に、尿ゆばりの音が短かったと聞き、したくなってしに行ったのではなかろうと判断しました。それに話し声が異様に声を潜めていたと。それほど声を潜めなければならぬ話なら、そもそも外では話さぬもの。それで罠にかかったふりだけはしてやろうと槍を五人宛配しました」


「こちらもかかったふりをしていることがわかったので、丸山占拠の間、同じく槍を五本宛配置しました」

 「くっ」と笑い声を押さえた白の副将が、軍師の顔を見たまま、小次郎の頭を「わかったか。バレたこともバレてんだよ」と言って叩いた。

 小次郎も軍師の顔を睨み、軍師に成り代わったかのように「申し訳ありません。浅はかでした」と言って謝った。

 今や、針の一突きで爆発しそうになった笑い声を押さえたのは軍師の声だった。

「だいたい戦は命懸けだというのにお前達は真剣味が足りぬ」

「いやいや。そんなことはございません」という声に、

「白は緒戦で床に転がって遊んでいたではないか」と軍師。

「なに。まことにそのようなことがあったのか」組頭が問いかけた。

「いえあれは決してふざけたり遊んでいたのでは無く」

「そうです。統領の有り難い戦陣訓を」

「言うな」

「またおまえか」

再び小次郎が皆に蹴られ殴られた。

「統領そのようなことを彼らだけに」

組頭が詰問の口調で言う。

「いや、覚えが無い。どのようなことか言ってごらん」

「違います我等にでは無く、楓太が先の伝令の折頂きました言葉を我等に伝えたところ皆ああなりましただけのこと」

「楓太」

「差し支えなければ」

「かまいません」

「統領……は――『飯と糞は食えるときに喰い、出せるときにだしておくものぞ』と言われました」

「あ、言った言った」

 手を叩き、大声で笑う小夜に、とうとうイ室の我慢の緒が切れた。


「くッくぎりがない」「どこで区切ってもおなじことだ」「ウワーッ」と鳴り響くような笑い声がようやく治まりかけたとき、「私は厠には行かないと言った小夜様の言葉を信じていたのに、そのお口から……」という、雪の泣く様な声が再び笑いの坩堝るつぼに皆をおとしいれる。


「お前等は儂を愚弄して居るのか」

という軍師の声と、

「あら、忘れてた」という小夜の声が、泡が吹く様に笑いの余韻を残し、意識をその場に引き戻した。

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