第6話  模擬戦(六)軍師の反逆

 「あー笑った。同じ言葉なのに、ときと場所が変わるとこうも可笑しい」と、涙を拭きながら、習遠軍師と忠兵衛を見比べて小夜が言った。

「成る程。藤井先生とはこういう違いがあったのですね」

「それはどういうことであろうか」軍師が色めく。

「いったい何のための軍師であろうかと。十の死体で堀を埋めるとか。三十の死体を階段に置いて本陣に迫るとか、もう滅茶苦茶。そのようなものは、軍師と言わぬ」

「無礼であろう。武士を愚弄致すか」


「そうだわ。我々に計算できないものがまだあります。武士の面目とやら。これがあると、負けが決まっているのに向かってくるのよ。犬よりひどいわ。皆はこんな面目なんていうもの持つんじゃありませんよ」

「はーい」

 塾生がこれ見よがしに返事をする。


 おもしろい。理由は分からないが、統領は習遠に喧嘩を売っていると、塾生達はそれがわかってきた。


「何を言うか。それが武士の戦と百姓の戦の違いというものだ。主の命令を最後の一兵まで守りぬくのが武士道である」

「あら頑迷。則忠様、駄目ですよ。こんな人おそばに置いたら。破滅に向かってまっしぐらです」

「則忠様ってお殿様だぞ」「すげー。初めて見た」「統領と親しいんか」塾生の声が徐々に抑えが効かなくなってくる。

「女。先程から殿に向かって名を呼ぶなど無礼ではないか。その上武士道を愚弄するなら手打ちにするぞ」

「まあ恐い」

 小夜はそう言って『おかしい』と言ったのではないかと耳を疑うほど快活に笑い声をあげる。

 則忠が、「要らんことを申すな。我が名を呼べと余から申したことである」

 叱責をする。

 だが、この習遠という男は相当に感受性が鈍く、人前で『たわけ』と言われたことも、叱責されたことも全く意に介さない、愚鈍な者の恐ろしさを秘めていた。

 なおも、「女。儂が戯れで手打ちなどと言ったと思うか」と自分を庇護するであろう天恐門院を思い浮かべて、言った。

「手打ちと言えば」


 小夜の眼が変わった。

 瞳の奥に小さく火が灯る。


「軍師様は院に呼ばれる前、お国で百姓の女と、幼いその子供をお切りになったそうではありませんか。何の手向かいもできない女子供を切る。それが武士道だとでも?」 

「あの無礼な親子のことか。儂に泥団子を投げつけおった」

「いいえ、違います」小夜の声音は習遠を威圧する。

「あれは子供があなたに戯れで団子を献じようとしただけのこと。それをあなたが汚いと言って力任せに払ったために、子供は泥水に倒れ、団子と泥水が袴についた。母親は『こんな子供に何をする』そう言ってあなたの前に立ち子供を庇った」

「良く知っておるではないか。お前もあの場に居合わせたか。ならば判るだろう。あの場は母親が泥に土下座して詫びるのが筋であった」

 居並ぶ者が呆れて嘆息する。小夜が、あなたは……馬鹿ですかと言いかけて、「お前は……」と言い替えた。


「救いようのない馬鹿だな……。自分の子供が故なく害されるのを守らぬ親がどこにいる。そのこともさりながら、ある筋からの話しでは、天恐門院様とお前は、城の侍を百人減ずれば手許にどれだけの金子が増えるとか、私を亡き者にして村を支配しようとしているとかの算段をしている様子」


「まことか習遠。答えよ」

「それは院が戯れ言を申されただけのこと。私は只、院のご指示に従ったまで」

 塾生が怒りの声を上げて軍師を取り囲もうとする。何人かが小夜と習遠の間に立ち塞がった。

「大丈夫、そんなこと考えてるのはこの人とお城の天恐門院様だけだから。お殿様とは仲良しだから心配しなくてよい。でも危ないから後ろに下がってなさい」


「当然であろう。米はもともと武士のものだ。返さぬとあれば奪い返すまで。一体どこにこんな勝手を許された村がある」

「あら。それでは田畑を渡せば、お武家が米を作るとでも仰有いますのか」

「何を言うか。我が命に従わなければ打ち首にするまで。死ぬのが恐ければおとなしく働けば良いのだ」

「まあ恐い。さすが十にもならない女児を泥水に踏みつけて殺すお方は言う事がお強そう」


「俺は死ぬのは恐くない」楓太が飛び出そうとして組頭に襟を掴まれた。

「何処に行く」

「家に帰って刀を持ってくる。小夜様を守る」

 組頭が「偉いぞ」と言って笑った。

「だが小夜様は何と言われた。大丈夫といわれたではないか。聞こえたであろう」

「それは聞こえましたが」

「ならば、そこで安心して見て居れ。小夜様はお強いぞ。我等が十人でも勝てぬほどじゃ」

「聞こえましたよ庄蔵。この手弱女たおやめに何を言う」

「いや、それは子供を安心させるために言いましたこと。決して本心かどうか、……定かではありませんが」

「なんだ。その返事は。まあいい」


 戻った楓太を多助と蝶次郎が頭を叩いて手荒く向かえた。

多助が自分の刀を楓太に渡す。

「持ってろ。気が落ち着くから」


 小夜がいった一言で、急に言葉を発しなくなった軍師が、腕を上げて振り回した。

「何をしているんですか」

 小夜が則忠に訊く。

 扇子を広げて、小夜の耳に「供の小姓組と納戸組を呼んだつもりであろうな。籠から降りたときにな、供の者に、合図をしたら攻めて来て、小夜を討ち果たせ、とか言うていたので儂が、たわけの言に従うな。と言っておいた。それでなくとも習遠のところになんぞ誰も来ぬがな、はははは」と笑った。


 軍師が数を数え始めた。小姓組が駆けつける刻を見計らっていると思われた。

 同時に五人の組頭も影のように音もなく動く。

 三十ほど数えたとき、習遠が小夜の背後に回り鯉口を切る。

 刀を半分抜いたとき、「動くな」と声がして、いつのまにか四人の組頭が軍師に脇差しを突きつけていた。

「痛い。これをどけよ」

 小夜が振り返ってにこりと笑う。「嫌」そう言って小指の爪を示す。

 その長さだけ四つの切っ先が食い込んだ。

「いッ痛いッ。どけよ。でないと供の者がお前達を……」

「供は来ないぞ。来てもそちの言う事なんぞ聞く者はおらぬがな」

「とっ殿。ご命令を。この者達の無礼をやめるように」

「なにを言うか。我が友に切りつけようとしたのはお前ではないか。しかも背後に回る卑怯者が。小夜。この者は朝、城を出るとき身体の不調を申しておった。病で急に倒れることもあるやもしれぬな」

「と殿、私はそんなことは一言も」

「いや。私も確かにこの耳で聞いておりますぞ」

いつの間にか来ていた家老が言った。

「例えお忍びであるとはいえ。訪れた先で刀を抜くなど、正気とはおもえませぬな。我々の信義を地に落とした所業。お手討ちにてもしかるべき」

「まあ待て。手打ちとなれば国元の詮議もあるし、院もうるさい。ここはやはり急な病であろう。奥で茶など所望して、余が知らぬうちに倒れたというのはどうか」

「はい。実はそのお茶の用意が整いましたので私が参りました次第」

「そうか。では小夜。あとはよしなに」

「かしこまりました」

領主、塾長、塾頭が塾長室へと移動する。

 

「お前も我等に敵対せずば、今頃皆と茶を飲んでいられたものを」

「殺すのか。儂を」

「そうだな。その前に二つ望みを訊いてやっても良いぞ。辞世の句など詠んでみるか」

遠巻きにしている塾生に声を掛ける。

「塾生は集まれ」

 領主に見放された、元軍師を囲んだ。

「見よ。今、四振りの刀が爪の先程食い込んでいるが、それだけでこの痛がりようだ。このまま刀が入っていくと内臓が切れて、まず助かることは無い。しかもすぐには死なぬから苦しみと痛みは相当長く続く。死ぬまでどれ程続くのか試して見ることもできるのだがな」

 小夜が中指を示すと、中指の爪の生え際までの深さに刃が入る。

「いっ痛い。やめろ。子供の前で」

「よし。やめよう。これでのぞみを一つ聞いてやったぞ」

 四本の刃は肉への侵入をやめてその位置に止まった。

 組頭が、

「小夜様。此奴の言う子供の前とは、子供に見せるなと言う意味にあらず。恥ずかしいので子供に見られたくないと申しておるのです」

「何だ。それならどれ程痛がるか、塾生に見せておかねばならぬ」


 小夜は途中まで抜かれたままの習遠の刀を抜く。

「それは天恐門院様より頂いた来国正らいくにまさの名刀だ。助けてくれたらそれをやろう」

「いらん」

 これが偽物だと知らないのはこの元軍師だけだろう。


 小夜は刀で石を叩いて物打ちの一部を残し刃を潰した。

「この刀を見よ」

 塾生に欠けた刃を見せる。

 戦場で打ち合いをしたり鎧に当たったりすると刀はよくこのようになる。それゆえ切れぬ。我等は剣術において、刃を打ち合わせないように鍛錬しているが、その訳はこれだ。この刀で介錯するとしたら何度も叩きつけねばならぬ。何度でその首が落ちるか試しても良いのだが、誰か試みる者はおらぬか」

 四人の組頭に問いかけながら、はばきを習遠の首に当て、物打ちのあたりまで引き切ると、欠けた刃が習遠の首の皮を浅く裂いた。

「ぎゃー」

 習遠が悲鳴を上げ袴を黒い染みで汚した。

「やっやめてくれ。何でもする。何でもやる。お願いだ」

「よし。やめよう。これで願いは二つ聞いたぞ。三つ目は無いからそう思え」

 四人の組頭が小夜の目配せで、一斉に習遠から刀を引いた。

 

「この男をとくと見よ。自分は兵の遙か後方の安全なところにいて、家臣をあたかも器物のように扱う。無謀、無策な作戦で殺した臣下を悼むどころか、敗因は全て臣のせいにして憚らぬ。武士には面目や意地があると言いながら爪ほどの傷で泣きわめく。この生き様には凡そ誇りというものがない」


「はい。統領」

 質問の手が上がる。

「十一年、数磨かずまです。塾頭が我等に誇りを持てと言いますが、面目というものとの違いがよくわかりません」

「うん。誇りとは自分以外の人やものを守ったり褒め讃えることだな。面目とは自分の事で、正しきことに照らして恥ずかしいことをせぬ事だ。例えばこの男」

 しゃがんで腹を抱える軍師を見下ろす。

「天恐門院の里に居た頃、幼い女児に、袴にぬかるみの泥をかけられたことを、面目を潰されたと言って女児を足蹴にし、顔を泥水に踏みつけた上で殺した」

 ゴオッという非難の声が上がる。

「これは面目ではない。わかるか」

「わかります」

「泥水を飲まされた女児と母親は、泥を掴んでこの男の顔に投げつけた。泥が口に入ったこの男は、母と娘を切った後、近くに居た村人達からも次々に泥を投げられて、泥人形のようになり、逃げ帰ったときく。その女子はどうか」

 塾生が一斉に拍手する。「親子は面目を保ちました」

「うん。だが私はそれも面目ではないと考える。何故なら、成すべき事を正しく成す。それが面目だからだ。母親は面目と誇りを守った。では、娘が守ったのは何だ?」

塾生が挙手せず一斉に答える・

「誇りです」

「そのとおり。この場では簡単に言っておくので常に自分はどうかと考えよ」

「わかりました」

「さて、藩や村のあらゆる人々に嫌われているこの男を城に招いたのは、我等に戦で負けた先代城主の正室であった天恐門院である。招いた目的は私の暗殺と、村を支配下に置いて収穫を搾取するためだ」

 塾生が汚物のように習遠を見る。

 小夜は涙と鼻水で汚れた男を見下ろし、

「こんな奴がいる天恐門院出自の大里村の民は、さぞ重税に苦しんでおるのだろうな」

 小夜はあらためて塾生を見た。

「良いか皆。我等はお前達に戦を教える。だがそれは負けて死なないために、勝って生きるために教えているのだぞ。人のなかにはこのように味方を殺してまで我が利を得ようとする奴らがいる。そんな奴らに出会ったらまず逃げよ。支配をされるな」

「わかりました」

 小夜は刀を男の鞘に戻した。

「よいか、習遠殿。そなたはこれから天恐門院とやらが二度と我等に刃向かうことのなきよう、とくと説得せよ。できねばお前とその女は恐怖で気が狂う事になる。我が眼を見よ」

軍師は小夜の瞳の奥に魂を焼き尽くしそうな憎悪の炎が燃えているのを見て悲鳴を上げた。

「我等のがわに居るならば、証しとしてその刀を研ぐことを禁ずる」

「わっ解り申した」

「城には我等の間諜を多数忍ばせている。裏切れば三度目は無いと思え」

 腑抜けた習遠は、ただこくこくと頷くばかりだ。

「楓太。来よ」

 片膝を突いて楓太を呼んだ。

楓太を抱きしめて「ありがとう」と言った。「わたしを守ってくれたのだな」

「いえ、何も、……できませんでした」といいかけたが声が出なかった。


「わたしの為に命は惜しくないと言った。お前は、おとこだな」


 小夜はそう言って今年の村塾模擬戦の終了を告げた。


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