第2章 第1話 模擬戦(一)
秋。
村塾恒例の模擬戦が始まった。
模擬戦は、砂や木切れで実際の地形を縮小して模した砂盤と言われるものの上で、戦の流れを一部切り取った状況下を、紅白に分かれた塾生同士が戦う。
小夜の祖父が軍学者の藤井忠兵衛を招き、村を導く指導者としての戦略と、村を守るための戦術を系統立てて運用する武装組織を確立した。
その組織は村が経験した幾つもの戦で、卓越した軍学者、忠兵衛の指揮によってすべて勝利してきたが、その戦闘組織には実は重大な欠点があった。
統領家に伝えられた戦記を読んでそのことに気がついた小夜は、その弱点を補うための方策を村の指導者と検討した。
小夜が見つけた弱点の一つは、作った組織の指揮者が決定的に少ないことで、多方面からの同時攻撃に対応できないことだ。
村が全周を囲まれて攻撃を受けた場合、必ず強弱の場ができる。
攻撃側は勝っているところを増強し、守備側も負けているところを増強する。問題はその時期だ。
時期を外せば攻守どちらにとっても戦況を有利に導く事はできない。その時期を的確に判断する能力のある指揮者が不可欠だ。
『才能』は、一朝一夕でできるものではない。
そのために小夜は村塾の設立時、塾生の習得科目として武術の鍛錬に加えて軍学を必修とした。
どんな小単位であれ、戦術を知る者は戦術を用いることができる。
個の練武としては、女子は幼い頃から弓を、男子は槍を扱えるように、しかもその槍に『投げる』技術を取り込ませたのは相手と
弓についても、上空に高く射上げて、矢盾の奥を真上から攻撃する方法など、工夫して訓練の成果を上げている。
模擬戦の主目的は、学問として習った戦術的知識を実践して、状況判断能力を高めることにある。
実際の戦場では状況判断の誤りが死に至るため、失敗の経験が当事者に生かされることはない。戦史は勝者の傲慢さと傍観者の誇張によって語られるからだ。
だが模擬戦であれば失敗は経験として蓄積され次に生かすことができる。
六年の間には、二~三度しか失敗をしない天才的な戦術、戦略の素質を持つ者もいれば、失敗を繰り返す凡才もいる。
それでも失敗をした経験は自分の能力の優と劣、それぞれを知ることができ、優の活用できる場所に未来を託すことができるし、村は未来の指揮担当候補者を得ることになる。
今年、赤は十六歳になった
通常、大将に指名されたものは、与えられた任務と敵の脅威に応じた戦闘集団を編成していく。
弓隊、槍隊で作られた、主攻、遊撃隊などの規模と量。その戦闘力を維持する日数を支える武器と兵糧だ。
この
或いは初めから、二百人で編制されている隊を与えられることもあるが、これは『へんだて』と言い、平時から、緊急事態に即応するための人員と武器を組み合わせて、実際に組織されている。
編制された隊を与えられた指揮者は、与えられた隊がどれ程の能力を持っているかを熟知していなければならず、その能力をどれほど有効に活用できたかが評価される。
当然、一人の豪傑が何十人分の働きをした。などの英雄話は存在しない。
この村の英雄は、如何に多くの敵を殺したかではなく、如何に少ない戦力でどれだけの効果を納めたか。或いは如何に危険を排除したか。人を救ったかで評価される。
模擬戦は、通常塾の教室である、ア・イ・ウの三室を使って行われる。
ア室が赤の本陣。ウ室が白の本陣。
この現況板を戦場として、紅白軍の行動は短冊に書いたものを、伝令がイ室の審判に渡し、状況の現示が現況板で示される。
今年がいつもと違うのは、現況板の正面と右側に床几が一ずつ置かれ、二人の侍が座ったことと、組頭などの審判部全員が塾生と同じ刺し子の筒袖に脇差しを帯びた戦支度で参加していることだった。
しかも統領勅令の組頭五人の刀の
この紐は刀を抜いたとき手首に巻き付ける。
それによって刀を取り落とすことがないようにするための、実戦の戦支度なので、幸田村では鍔にこの紐を通した者は、戦意がある者とみなされる。
「部外の見物がふたりいるせいかな。組頭達、かなり気合いがはいっているな」
塾生達がそう囁きあった。
赤白の大将が状況を示すイ室に呼ばれ想定が示された。今回は赤が大沢山の守備。
白がその大沢山を攻撃奪取する。
赤白の関係者がイ室に入れるのはこれが最後になるので、地形をしっかり頭に叩き込む。
大沢山は村の東三里ほどにある、平地に椀を伏せたような、小高い大沢、丸山、佐山の三山の一つだ。
この山にだけ街道に続く登り口に三十段の石段があった。
赤、白。擁する兵員は双方共に同じ。
百十人の槍隊。百十人の弓隊。三十三人からなる連絡、通報、物見、兵糧に任ずる報告隊。それに大将を補佐する五人の参謀と副将だ。
通常であれば加えて馬が五頭つき、これが幸田村で一人の村長が実際に備える編制上の戦闘単位だが、今回の攻防は戦場が『山』なので、馬は配備されていない。
竹笛が鳴り、状況開始の伝令が走った。
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