第10話  祭り

 村で抱えていた米問屋が最大限の働きをした。


 安兵衛が出す日和見所の情報を利用して、新米が出る直前の古米を東から安値で買い、それを嵐で減産した西に高値で売ったのだ。

 同時に東には、新米として取れたばかりの米の一部を出した後、残りは売り控えて、今年は取れ高が少ないと取引所に報せがくるのを待っていた。


 幸田の三つの米蔵は天井まで埋め尽くされて評定価格の上昇を待ち、例年の六割増しに達してようやく出荷された。


 収穫があり、潤いのあった年ではあるが、来年の減反を心に刻んで、派手さや豪華さは控えて、秋祭りは落ち着いた雰囲気の中で行われた。


 来年は今回に勝る豪雨が予想されると、日和見所ひよりみどころが発表したからでもあった。

 

 祭りに領主が招待された。

 忍びで。とはいえ家老と役方のほか、護衛の小姓組頭が随伴したので、村は小夜の他、村長七人と忠兵衛が出迎えた。


 拝領した腰刀を佩くため敢えて袴を着用して出迎えた小夜に、領主は「心遣いをいたみいる」と謝辞を述べ、「息災であったか」と言葉を掛けて座に着いた。 

「お久しゅうございます。殿様にもお変わりなく」

 改めて挨拶する小夜の顔にも懐かしさが滲む。

 

 則忠にとっても、領主という立場にありながら初めての恋心を持ち、その想いを果たせなかった相手でもある。

「変わらずに美姫であるな」と、褒めるのでもなく言葉が自然に漏れた。

幼子おさなごに、鬼に似ていると言われましたのに」

 領主が笑った。

「我が義母に叶う鬼なぞ、世にはおるまいに」

「それは……ご一緒には笑えませぬ」

 口を手で隠し、声を出さずに肩を震わせた。


「幼子にそう思わせる難事かがあるか」

 儂に出来ることがあるなら申してみよと言外に言った。

「その前に先ず先般年貢を下げて頂きましたことに御礼申し上げます。そのおかげでかくも心強き備えをすることができました。工事が格段と進みます」


 小夜が、領主、家老、役方にと礼をするのにあわせて庄屋の出で立ちをした村長がともに頭を下げる。

 役方が、「こちらこそ蔵米の処置を遅らせるよう連絡をいただき、まことにかたじけのうござった。お陰でこれまでにない高値で取引ができもうした」と礼を言った。

 挨拶が終わり、料理と酒が運び込まれ村長達が下がる。


 忠兵衛が小夜の左後ろに座り、家老、役方、小姓組頭と並んだ。

 小夜が振り返り、忠兵衛を見ると同時に小姓組頭と視線を絡ませる。


「今年こそ、このように収穫がありましたが、来年は今回に勝る大雨になると予想されております。したがいまして来年は、水路が確保できる数十町、卯月から田植えが可能な田のみに新しい方法で苗を植える事に致しました。しかし年貢米につきましては既に確保してありますのでご心配には及びません」

「他の田は治さぬということか」

「そのとおりです。村はこの後、村塾恒例の模擬戦を行いますが、その後で山の工事に取りかかります。村の総力を上げて堤と水路を作るつもりなので、いずれまた雨に浸かる田を治すのはその後になるのもやむなしと。ですが、そのような田であればこそ村人の愛着も強いのでありましょうし、新しい工法についても不安が生じるのは当然。そこを押し切るのですから、いかに統領といえども中々の難事で笑ってばかりもいられません」

「それで鬼と言われたか」

「まことの鬼なら人の気持ちを解さずとも良いものをと鬼が羨ましくも思いますが、それはさておき、そんな訳でご領地内が向こう二年、荒れているかに見えますので、お許しくださいますように」

「心得た。うーむ。鬼も中々に生きにくいものであるな」

「まことに」

「その新しき工法とは?」

「簡単に申しますと刈り入れ前に田の水を抜きそのままにします。水がないので春の田起こしは土が堅くなりくわが入りません。それを深く耕すために牛馬の力を使えないものかと考えております。さすれば、肥料とともに土を耕す事が出来ますし刈り入れも楽。しかも地力が上がるので多くの米がよく育つという理屈」

「なるほど。まことにそなたは類い希な知恵者であるな」

「いえこれらも全て父、八郎太の思いつきによるものでございます」

「そうであったか。ときに先程申していた模擬戦なるものであるが、余にも見せてくれぬか」 

「それは構いませぬが、近頃は図面ばかりの戦ですので面白くはありませんが、よろしゅうございますか」


 四年前から、村対抗の白兵戦は中止した。代わりに、塾生同士が、戦術を紙面で戦う方法を取り入れた。

 

 則忠が小夜を手招きして耳に口を寄せる。

「そなたらの戦法が知りたいのでは無いぞ。一昨年、義母、天恐門院が国元から習遠しゅうえんなる軍師を呼び寄せた。だが、これが余が言うのも何であるが、使えぬ男でな。戦が無いときの軍師にするしか役の与えようがないのじゃ」

 家老と小姓組頭が笑い声を上げる。

「まあ。戦の無いときの軍師様」


「義母は自分が贅沢できなくなったのは、そなたらのせいだと思っていてな。時代の変化が読めぬ故、やむなきことではあるのだが、それでそなたらを支配しようと、軍師に戦を仕掛けさせる積もりなのじゃ」

「これは恐ろしいことを。鬼にも勝る鬼のような天恐門院様」

「なに。児戯にも劣るわ」


 家老が、

「ご懸念には及びませぬぞ、ご統領。我等にはまったくその気はありませぬので」

「ご家老の言われるとおりでござる。院は騒ぎ立てが過ぎまして、殿が嫌がっておられるのが判らぬ御仁なのです」

役方も言葉を併せる。


「そなた等の模擬戦は、子供ながら、軍学の才を持つ藤井忠兵衛が手塩にかけた者同士の戦であると聞いた。それを見れば自分の愚かさに気がつくかとも思ってな。無論、余の楽しみでもあるのだが」

「藤井様は如何に」

 小夜の言葉に領主も振り返る。

「どうかな、忠兵衛」

「もとよりご領主のお望みであれば否やはありませぬ。隠すことなど何もありませぬので。ですが、私は戦の解説をせねばなりませぬので、軍師殿の対応は、我が統領にお任せしたいとおもいますが」

「それならば軍師様には、二度と我等といさかいをせぬが御為と解って頂くことにいたしますが。よろしうございますか」

「よい。造作を掛けるが、よしなに頼む」

「承知致しました。ではその折はまたお忍びでおいでくださいませ」

「心得た」


「さあさ。それでは皆様、あとは楽しく過ごしましょう。踊りも屋台もご自由にお混ざりくださいな。殿様も」

「殿とは申すな。忍びである」

「では、則忠様と」

「ふーむ。そんな名もあったな。初めて呼ばれた気がするぞ」

 家老が役方と顔を見合わせて、

「そういえば、殿の前はずっと若君でございましたな」

「小夜。今後そなただけはその名で余を呼んでくれぬか」

「まあ。畏れ多いことではございますが、ご命令とあれば」

「その腰刀だけでいつでも城の出入りが出来る様にしておく。皆も左様心得よ」

「かしこまりました」

 

 あらあら。ご家老がかしこまってしまわれたけど。と、小夜には領主の世間知らずが好ましく感じられる。

 まさか門の衛士に『則忠様に会いに来ました』と言っても戸惑わせるばかりであろうに。

 と、またも小姓組頭、佐門之助行平ゆきひらと目配せをして笑う。

「皆様、ご無聊であるとのことなれば、これから弓で遊んで見ませぬか」

「何と致す」 

「村の女と十射競うのです。一射ごと的の芯に近い方が勝ちとして、負けた方が杯を干します。負ければ酒に酔って益々当たらぬようになる仕組みです」

「負けた方が酒を飲むとは面白い。戯れであれば余に挑ませよ」

「では得物をお選びください」


 則忠は三十本の矢から十本の矢を選び、三張りの弓から側白木そばじらきの三人張りを選んだ。

 十人の娘から十七になった松五郎の娘、雪を対戦相手として指名し、三射を二回、弓癖を掴むための点検射をしたのち、四射勝ち六射負けた。


 再度挑戦を所望したが、他の娘が名乗りを上げ、この娘からも四対六で負けた。

 口惜しがる則忠の耳許に小夜が口を寄せ「女子なれば遠的で勝負なされば勝てますよ」と言うので弓を重藤の四人張りに変え、三十間の遠的で三人目の娘と勝負してようやく七射勝つことができた。

 勢いに乗った則忠は、酒を飲ませた娘に射流しを挑み、六十三間の飛距離で全勝した。

「なんとなんと。近的で負けはしたがこれほど面白き勝負はしたことがない。愉快であった。何か褒美をとらす」

 その言葉通り、後日、対戦した娘にと、扇子が届けられた。

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