第4話  与一 (其の四)

 屋敷の一隅が仕切られ、宴席が設けられた。


 使用人を集めて小夜が言った。

「しばらく世俗にまみれた悪所を作るが、この場所に立ち入ってはならぬ」

「どうなさるんで」六助が訊く。

「あの男を殺すことになるやもしれぬ」

 息を呑む一同に忠兵衛が、

「ご当主のなさることである。万が一にも間違いはない」

 皆に向かって言い含めた。


 山海の珍味が仕出しされ、遊び女が呼ばれて歌舞音曲が奏でられる。

女達が与一の口に運ぶ物は、煮物焼き物、刺身でさえも今まで食べた事の無い味がして与一を驚かせた。


「人の口ってえのはこんなに沢山の味を感じられるんだって初めて知った。だがもういいぜ。腹は一杯だ」

「駄目です。食べ物を残すと小夜様に叱られますよ」

「そうだった」

 ようやく女の手が止まったとき、与一は破裂しそうな胃の腑を抱えて、のたうち回ることさえも出来ずに、苦しさに泪を流した。

 明け方、厠から這い出てきた与一を女達が井戸に連れて行く。

口を漱ぎ、身体を清めた後、戻った部屋には夜具が敷かれ、女が三人待ち構えていた。

          

 襦袢姿になった女に「今はそんな気分じゃねえ」と言ったが、女達は手練手管を用いて与一に悲鳴を上げる程の快感を与えた。

 

「……精も根も尽き果てた」

 与一が呟くと、再び女達が笑い声をあげる。

「お小夜様に感謝するが良い」

「そうじゃとも。ここまでおなごのことを知ることができたお前は果報者よな」

「もう、女はいらねえ」


「おう。そう思ったときこそ真の女のさがが見えてくるのじゃ」

「女の色香に惑わされぬゆえにな」

「よいか。我等遊び女はな、じつは無く色香だけで男を操る。抱かせる前にあれもこれもとねだりごとを言えば、どの男も言うなりになる」


「ほんに。男はな、我等のよがる姿が見たいのじゃ」

「ほんに、ほんに。耳かき程のもので入り口だけを掻かれてもなあ。それでもよがってみせれば男は喜ぶ。征服した気にさせてやるのじゃ」

女達が笑う。


「そうじゃ。良いことを教えよう。小夜様には言われてなかったが」

 二人の女が「何?」「言うてもよいことか?」と顔を見合わす。

「構わぬであろう、これしきのことは。よいか与一殿。我等は何十、何百の男を相手にしておることを忘れるな。寝物語もたんと聞く。じゃによって、その男の話すことが噓か誠かをすぐに見分ける。知った振りは嘲笑われていると思え」

「そうよ。知らなければ訊けばよい。それで馬鹿にするおなごはおらぬ。むしろ、正直者よと好かれるわ」


「瞞されまいぞ」

「瞞すまいぞ」

 遊び女達の嬌声が与一の頭に響いた。


「誰か水をくれねぇか」

 女の一人が出て行き、漆塗りの椀を持ってきた。 

かぶりつくように飲み干した与一は驚きの声を上げる。

「これあ酒じゃねえか」


 椀の残りを見て、

「おどれぇた。透き通ってやがる」

「お前様はまだ飲んだことがなかったろう、これほどの良きものは。これを飲むと頭の芯の痛みがとれる」

「確かにそうだ」

 酔いが頭を麻痺させて頭の痛みが取れた気がした。

    

 寝足りて目覚めたのではない。

 飯屋の親父に頭を殴られて意識が朦朧もうろうとしているのだと思った。

心臓が血を送り出す度に、頭が痛んだ。


 熟した柿のような酒の匂いがして猛烈な吐き気がした。

 辺りを見回すと、廁と書いた紙を貼り付けた桶が有り、その桶に胃の中身を全て戻した。


 自分の吐瀉物としゃぶつの匂いを嗅いで三度胃袋がひっくり返り、息が詰まった。


 ぜーぜーと息を切らせながら、胃が空になったので少しは楽になるかと思えば、次は胃が引きつったように喉元にせり上がり、苦い胃液を絞り出す。

「もういらねえ。金輪際酒は飲まねえ」

 そう思いながら込み上げてくる胃液に喉元を焼かれ続けた。

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