第3話 与一 (其の三)
刈り入れが終わり、村祭りの段取りが始まる前に、与一が戻ってきた。
六助と補強した柵の具合を試していた小夜は、いち早く与一を見つけて出迎えた。
金を要求する与一に、小夜は微笑みかけて言う。
「もう無いのですよ」
与一は不思議そうな顔をする。
「無い?と」
「そう、無いのです。使うばかりであれば、そりゃあ何時かは無くなるに決まっているではありませんか。さて、どうしましょうね。お腹が空いているのでしょう」
「へえ。まあ」
「奉公していた飯屋であんな振る舞いをすれば、今更暖簾をくぐる訳にもまいりませんしね。判りました。今はまだ私の分がありますのでそれを差し上げましょう。お台所に行ってお食べなさい」
近くに居たくめを呼び、「お台所に案内して、私の昼餉を」と指示する。
「ありがてえ」
与一は喜び、くめについて勝手口から土間に入る。
出されたものは麦飯が一善と大根の漬け物、干し魚一匹が全てだ。
「けちくっせー。何だこれは」
くめが目を吊り上げて、
「これはお小夜様の昼餉です。あなたのせいでお小夜様は昼餉が無くなりました」
まだ十五のくめは、大好きな小夜の昼食を喰う、突然現れた男に腹を立てていた。
せめて器だけでも粗末な物に移し替えてやろうと思うのだが、生憎どの器もくめが知る限りに於いては上物なので、忌々しく思いながら自分の食器に移し替えて出した。
「そんじゃ、おめえ達の分を出し合って分けりゃ造作もねえ」
「お小夜様は使用人が皆、食べ終わるまでご自分はお召し上がりにならないのです」
「まあ、昼餉ってものがあるだけでも世間様よりましか」
ガツガツと、ろくに噛みもせず搔き込んで賄い所から台所を見渡す。
女が二人、くるくると立ち働いていた。
「こんな粗末な飯食ってるんじゃ、どうやら本当に銭はねえようだ」
そう言っているところに小夜が現れると、ほどなくして鳴子が鳴った。
暮れ六つから明けの六つまで、木戸を閉める。その間に来た来訪者は木戸の外に下がった紐を引いて来訪を知らせる仕組みになっている。
「六助に直して貰ったのよ。六助は本当によく働くから、休めと言ってやらないとね」
「お茶を召し上がりますか?」
「頂きます。くめのいれたお茶は本当においしいもの」
「おとねさんの直伝ですから」
くめは小夜の茶碗に七分、茶を注ぎ、熱を見計らい十五まで数えて小夜の前に置く。
小夜は一口、口に含み歯をくぐらせる。二口めは舌の先で、三口めは舌の奥で味わい、四口めで一気に喉をくぐらせ、「ふうっ」と息を吐いた。
「ああ美味しかった。ありがとう」
そう言って、くめを与一の膳とともに下がらせた。
「さて、明日からどうしましょうね」
「小夜様。ひでぇじゃないですか」
「私が酷い?」
「そうですよ。だって金が無くなりかけたならその時に言ってくれる約束だったじゃねえですか」
「申しましたよ。女郎屋のお使いに残りを渡すその都度伝えたし、あと三日もいたらお金は無くなりますよと。あなた方に確かにお伝えしたと聞いています」
「いや、だってみんな酔ってるんですから」
「そうですか。まあ、今ここで言った言わないを言い合っても仕方がありませんね。それで? そのとき確かに聞いていたとしたらどうなりましたか?」
「そりゃあ、その金で賭場に行くんですよ」
「賭場に行けばお金が増える? そんな話は聞いたことがありません」
「勝ち方ってものがあるんですよ。仲間の奴が考えたんです。小夜様だけに教えますが」
「ほう? でも、皆がそうすれば賭場は成り立たないじゃありませんか」
「それは賭場にはそうさせない細かい決まり事があるのと、皆、銭が続かねえからなんです。何人かで組んで符丁を使やあバレる訳が無えんで。それを繰り返しゃ、賭場が開かれる限り遊んで暮らせたんですけどねえ」
「では、その賭け事だけで
「そりゃあ居ません。それにゃ結構な元手がいるんです。それに、そんな金持ちは賭け事をする必要がねえんです」
「お金があるから賭け事をしないのではなくて、賭け事をしないからお金が貯まるのでしょう」
「そういう理屈じゃあ、お小夜様には敵わねえもんなあ」
頭を掻きながら、与一が「相談なんですが」と言った。
「銭を貸して欲しいんです」
「いかほどですか」
喰う物は質素だが、大庄屋の家柄だ。屋敷内には金目の物が沢山有るに違いない。
与一はそう考えて家の奥へ目を配り、息が止まった。
「この家は……なんてえ物騒な造りだ」
「あら、気がついた」
小夜はいたずらっぽく与一を睨む。
「ということは、与一は今、盗人の眼で奥を覗いたのね」
「とっとんでもございやせん。いっいや、たしかにそうやって見たから気がついたんですが、だからといって物を盗ろうなんざ、お小夜様は全てお見通しなんで、その前で本気で考えるはずがねえんで」
しどろもどろに慌てふためく与一を、「わかっています。それほど驚かなくても」と黙らせる。
「この屋敷はね、ひいおじいさまと、大泥棒さんが考えて作ったの。飢饉に備えてお助け米を貯めているし、ご領主様と戦をしたこともあるから。それと盗賊が来たら奉公人も守らなくてはいけないしね」
「どうも、大変なことを教えて頂きました。この事は決して他には漏らしませんので」
「良いのですよ、漏らしても。備えがあることを知れば、人は邪な考えを起こさなくなりますから。だからわざと分かりやすい仕掛けと本当に隠している仕掛けがあるんです」
与一は急いで奥から目を逸らす。
「驚きやした。この他にもまだ何かあるんで。へい。確かに今の私がそうでした。いや見ませんでした。聞いてません。どうかお許しを」
「正直なのやら、抜けているのやら」
小夜は声を上げて笑う
「それで賭け事に勝ったとしましょう。そのお金でどうしたいのですか」
「贅沢って奴がしたいんです」
「贅沢……か。あなたは今の今まで贅沢に過ごしていたのでは? お仲間を引き連れて」
「あれは
小夜は与一の顔を見ていた。この男は、いくら金銭を与えても湯水のように使い切ってしまう。
「一生贅沢で居れる者など、この世にもあの世にもいません。特にあなたには、感謝する気持ちが無いので、すぐに贅沢を贅沢とは感じられなくなるでしょう」
「小夜様。それは贅沢をしたことがある者の贅沢な言い分です」
小夜は笑い声をあげて言った。
「なるほど。それはそうかもしれませんね。でも私はあなたがあのお金で手に職を付けて、一生喰うに困らない職人にでもなればいいのにと思っていました。その道の名人になれば何が贅沢か、そうでないかも解ったはずですし、匠にとっては、贅沢なんかどうでもよいことのようですよ」
与一は頭を叩いて「仰有るとおりです」と言った。
「ですが、職人って奴は、余程才覚の或る奴にしか技を教えません。残りの者は死ぬまで使いぱしりで、所帯も持てやしないんです。あしの仲間にも建具師のせがれが居ますが、奴の親父は弟子に看板をやっちまった」
「ではこういうのはどうですか。お金はあげます。でも賭け事は必ず勝つとは決まっていませんから、博打で勝ったことにして、一度だけ望むことを全て叶えて贅沢をさせてあげます。その後で職を与えますから、そこで真面目に働くというのは?」
「頂いた銭はそのままなんで?」
「そのままです」
「ありがてえ。それじゃあそれでまた稼げるってもんだ」
小夜は呆れたように吐息して言った。
「いいですか。お金も贅沢も、私がしてあげるのはこれが最後ですよ」
これで心を入れ替えなければ、母親の女との約束がある。
「解りました」
「ではあなたが望む事を全て言いなさい。ただし、私が出来ることか出来ないことかを考えて」
「取り敢えず美味い物を腹一杯食いてえんで。それと美味い酒も腹一杯飲みてえんですが」
「わかりました。そのかわり、出された物は全て食べること。飯屋でやったような食べ散らかしは許しませんよ」
「分かりました。あのやり方にはあっしも何かこう、胸につっかえてたんで」
「よかった。それはあなたに、作った者の気持ちが残っているからね。他には?」
「その……お許し頂けるんなら女郎屋に……。この前初めて女を知ったんであんなにいいもんだとは思いませんでした。駄目なら頂ける金でお女郎屋に行きてえ」
「いいでしょう。
「ほっ、ほんとですか。ありがてえ。そうですねぇ。あっしは本当のところ何が贅沢かを知らねえし、宝という物も見たこと無えんです。それで小夜様が美しいとか、良い品だと思う物を見せて頂ければ、物の価値ってもんが、も一つわかるんじゃねぇかと思うんです」
「お安いことです。祖父が手に入れた、書や画、焼き物や刀の名品がありますから見せましょう。幾つかはあなたの手元に置いても良い。但し売り払っては駄目」
「とんでもねえ。そんなもの手放したら二度と手に入らなくなります。それぐらいは心得てますんで」
「よかった」
それは、ようやく見つけた与一の常識の欠片だった。
他にはありませんか。最後の贅沢なんだから」
「他にはまあ何でしょうねえ。冗談ですが、ずーっと働かなくても良い暮らしができりゃあこんな贅沢はないんでしょうね」
「いいですよ」
「いや、そんなにあっさりと仰有るんじゃ恐くなります。話半分でも良いんですから」
「私は鬼と約定を結んだ人間です」
小夜は微笑みながら言った。
「ですから、約束を違えることは万に一つもありません」
与一は小夜の笑顔に恐怖で身体が硬直した。
(恐ええ)
俺はとんでもねえ事を頼んだんじゃねえだろうか。
小夜様には確かに鬼が付いている……。得体の知れない寒気を感じた。
「へい。分かっておりやす。もう身にしみてわかっておりやすので、全て小夜様にお任せします……」
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