第2話  与一 (其の二)

 さて、この男をどうしよう。小夜は首をひねって思案する。


 凡そ忠誠心や義心など持ち合わせていない小悪党であることは見て取れた。

 善と悪の区別もおぼつかない。


 盗人も平気でやるし、人を傷つけることも平気。いつか、人を殺めるかも知れない。

 与一は、そんな危うさを持ち合わせている。

 このままでは、どこかに紹介することもできず、下男として使うこともできない。


「与一は読み書きができますか」

 小夜の問いに、沈み込んだ与一が神妙に答える。

「へい。飯屋の品書きができるようにと教わりました。勘定ができるようにと、そろばんも教わりました」

「それは良かった」 

 小夜は「よく聞いてね。私の目を見て」と言った。

「あなたに今の飯屋さんで貰う給金の、多分十倍近くのお金を渡します」

「ほんとにですか」

 女の身体から出た銀は、残り五粒ある。この銀は普通に換金すれば一粒が四分か四分と二朱。つまり四分は一両なので一粒一両と二朱になるが、細工師に渡せば二両から三両にもなると、和尚は言った。

「ほんとにです。この銀はそれ程の価値があるのです。でもそれは或る場所、ある人に限っての値打ちですから、あなたに渡しても、ただの銀粒でしか無い。だから私が持って私が換金するの。解るわね」

「へい。よく解ります」

「それで、あなたの給金は?」

 与一は倍の額を言いかけたが、見ている小夜の目の奥が射貫くように光るのを見て言葉を飲み込み、正直に言った。

「あしは店に住み込んでますんで、月、三百文の見当で、一朱と五十文頂いてます」

 満足そうに頷く小夜の笑顔を見て、与一は鼻を押さえてホッと吐息する。


 与一は、噓を言わなくてよかったと思った。『この人は本当に怖え』背中に汗を流してそう思った。

 自分より強い奴はいくらでも居る。でもそんな奴らは何でもねえ。敵わなけりゃあ夜道で襲えばいいし、寝込みを襲えばどんな奴にでも勝てる。だが自分の考えを言い当てられたら勝てっこねえ。それより何てったって変に気迫があるし、笑ったときが特に恐ろしい。

 そのとき小夜が『そうなのか?』という顔をして与一を見た。

 これだ。まるで俺の考えが聞こえているようじゃねえか。


 与一は心を無にする技など持ってはいない。聞かれていることを覚悟して、小夜の目を見たまま心で語りかける。


 喧嘩にはやりようがあるんでさ。

 中途半端に止めちゃならねえ。まず、相手が二度と近寄りたくないと思う程痛めつける。そうしねぇと、いつ何時仕返しされるかわからねえ。だが今は真逆だ。こんなとこには二度と来たくねえ……。


 与一は初めて畏怖いふすべき人間に出会ったのだ。

「ここでしばらくお待ちなさい」

 小夜はたきを呼び、父親の着物と帯を持ってくるように言いつけて奥に走らせると、自分は台所に入った。


 上がりかまちに仕込んだ引き出しから、七分と五朱、それに五十文の小銭ばかりを取り出すと、着物と共に与一に与えた。

「ここに全部で二両と一朱五十文あります。これはお母様からのあなたのお金ですからご自由にしなさい。全部を一度に渡さないのは、使い切るとまた悪さをして人様のお金を盗るかも知れないからです。なくなれば、言ってくればまた都合します。それで残りが三ヶ月分の給金になったときはそう言いますから憶えておくこと。いいですね」

 与一は初めてのまとまった銭に驚きの声を上げた。

「にっ二両もあるじゃありませんか。ありがとうごぜえます。どうか残りの分もよろしくおねげえしやす」

 

 与一は働いていた飯屋に、七人の盗人仲間を連れて行った。

「俺の奢りだ。何でも喰え。呑みたいだけ呑んでいいぞ。ただし、そのババアは良く見張れ。気にくわねえ客の汁にゃあ胆唾を吐きやがるぞ」

「なんてえババアだ。こんなやつあ追い出して、娘にでも作らせろ」

「そのジジイは、客が酔ったら酒に水を入れやがるから、酒はてめえでつげ」


「そ、そうじゃねえ。あっあれは悪酔いしねえように親切でやってるんだ」

「親切なら金を取るんじゃねえ」 ゴロツキ共が爆笑して、空を飛んだ瓶子が柱に当たり砕け散った。

 酒甕さけがめを空にして、食材の全てを食い散らかした八人のゴロツキは、傍若無人に振る舞い、気勢を上げる。

 行ったことの無い遊女屋の名前を与一が叫び、

「こんな小汚え飯屋にいつまでいたってらちもねえ。次は遊郭だ。親父、この払いは俺の給金全部をくれてやる。世話になったとは言わねえ」

「そっ、そんなもんで足りるか。恩を仇で返しやがって」

「俺にしつけさせろ」

 ゴロツキの頭、五郎丸が奥から声を上げた。

「それあおかしいんじゃねぇか、親父」

 その声で全員が飯屋の親父を取り囲む。

「おめえは与一をガキの頃から養ったとか言うが、端から見てりゃ、年端もいかねえ子供をこき使っていやがっただけじゃねえか。丁稚でも年に二度の藪入りにゃあ着物をしつらえて給金持って里帰りだ。なのに与一が給金貰いだしたのはやっとこさ去年からじゃなかったのか。それもたったの一朱と五十文だ」

「こっ子供に賃金だす親がいるもんかい」

「こんなときだけ親父面か。じゃ、どんな親らしいことしたってんだ。言って見ろ」 

 兄貴株の大助が、

「じゃ、なんで賃金やってる。与一のが悪いので、てめえが世間様にあれこれ言われるから面倒になっただけじゃねえか」

「わっ分かった。そう思ってるなら勘定はいらねえ。その代わり与一よ、もうおめえに娘はやらねぇ。店もやらねえ。金輪際店の敷居をまたぐんじゃねえ。とっとと出て行け」

 留助が「えっ」と与一を見る。

「そうだったのかい」

 与一がにやりと笑う。

「俺を口惜しがらせるために、今思いついた出鱈目だ。娘のお春にゃ好きあった相手が居る。もうすぐ腹がでかくなる筈だぜ。そしたら相手の男を店に入れる算段は、こいつらとっくについてらあ。俺はここにいるかぎり、そんな奴らにこき使われるだけだ。俺が何にも知らねぇと思ってやがる。だから留助が気にするこたあなにもねえ」


「何てえけったくそのわりい親父だ。悪党の俺でも胸が悪くならあ」

 五郎丸が、

「それじゃあ親父。手切れ金を出せ。これまでの与一の働いた分だ」

「銭は無え。全部仕入れに使った。あるのはさっきの客が置いてった篭の銭だけだ」

「ああそうかい。それじゃあ、与一の部屋のものは全部持って出るが文句はねえんだな」

「持ってけ持ってけ。布団一枚だって惜しかねえ」

 五郎丸が清助を呼んで与一と階段を上がった。

 薄い布団が二枚と、さらしに下帯、垢じみた着物が一枚入った柳行李だけの何も無い部屋だ。

 布団を丸めて縄で括りながら与一が言った。

「頭。見ての通り何もねえんで、兄貴まで来て貰うほどのこたあねえ」

 五郎丸と清助はにやりと笑い、柱のほぞを動かすと隠れていた穴が姿を見せる。

「ここを作った大工は俺の知り合いなんだ。覚えておきな。大事なものを隠すときには相手の持ち物の中に隠すんだぜ」

 驚く与一の口を押さえ、大介が中から銭の入った袋を引きずり出すと与一の行李こうりにしまい込む。

「与一。おめえの部屋にあるからおめえのものだぜ。この銭でおめえのヤサ《すみか》を借りてやる」

 ほぞを元に戻して、布団と行李を担ぎ、どやどやと階段を降りる。

「おうっ、みんな。引き上げるぜ」

 五郎丸の号令で一斉に店を出た。

 親父と女将が塩をまき、

「馬鹿野郎どもめ。二度と来るんじゃねえ。与一が出てって清々すらあ」

 五郎丸が振り返り、

「安心しな。俺達だけじゃねえ。他の客にも行かねえように言っといてやる。てめえも与一や俺達に二度と近付くな」

 五郎丸は清助に向かって、呟くように言った。

「おう、清助よ。与一の部屋のもんは与一のもの。確かにそう聞いたよな」

「違いねえ。俺も与一も、こいつらもしっかり聞いたぜ」


 しばらくたって、その言葉の意味に、もしやと気付いた二人が階段を駆け上る。


 二階であげた夫婦の絶叫が、橋向こうを歩く与一にまで届いた。

 

「飲み直しだ。金はあるぜ」

 八人は岡場所に繰り出した。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る