第3章 第1話  与一 (其の一)

 鬼を祀るほこらが、鬼門の方角に向けて築かれた。


 四尺四方の石垣の上に据えた六尺ほどの高さのそれを、皆で拝んで落慶とした日の午後のこと。

 庭で使用人達と談笑していた小夜の所に、木戸を直していた六助が客の来訪を告げた。

「十八~九の無頼者風の若者です」


 鬼が、小夜を女の代わりにして息子をこさせたのだと、小夜には判った。

「座敷に席を作りましょうか」というくめに、

「ここのほうが良い。ここに薪束を三つ。一つを茶の台にして」

 くめが全てを心得て場を作るのを見届けた六助が、男を案内してきた。


 男は小夜の横に居並ぶ使用人達に気後れしたのか、落ち着かない様子で辺りを見回しながら小夜の前に立つと、

「ある人に、お小夜様の所に行けと言われました」と、名乗りもせずにそう言った。

「初めてお目に掛かりますが、与一さんですね。この者達は、たまさかこの祠を拝むために集うていたところ。気になさるな」

 使用人達の方を向き、「とは言うものの、そのように見られては落ち着いて話も出来ぬが、それで、ある人とはどんな」

 名乗る前から名前を呼ばれた男は驚きながら、

「それがはっきりしねえんで。寺の仏像のような人が夢に出てきて、幸田村の名取りの娘、小夜の所に行けと言うもんですから。人に聞いたら確かにその人がいると言うもんですから」

 使用人達が頷きながら顔を見合わせて、祠に手を合わせた。

「判りました。あなたが与一さんである事は間違い有りませんね。お伝えしたいことがあります」

 使用人達に「一休みなさい。それからお客様とばば様にお茶を」と、とねに命じて皆を下がらせ、与一を薪に座らせた。

「あなたのお母様がお亡くなりになられました」

「えっ……」

 与一には事態が飲み込めない。母という存在が理解出来ないのだ。

「私が看取りました。そして亡骸は我が家の菩提寺である慈妙寺じみょうじでお弔いをして頂きました」

「それは……」どうも。と頭を下げる。


 与一は、だから何だと言うんだ。弔い料を出せというのか。それとも何か残してくれたとでもいうのか。ここは迂闊に口を利かないのが得策だ。弔い賃を出せというなら親じゃねえと言うだけのこと。何か呉れるって言うなら棚ぼただ。


「いえ。弔いの料金はいりません」そう言って小夜は「あら」と口を手で押さえた。

 与一は自分の声を漏れ聞かれたと思い、身を小さくして上目遣いで小夜を見た。

 一人だけ、用心のつもりで残っていた忠兵衛は、くめが運んできたお茶を、急拵えの薪の台に置きながら、まるで人に蹴られ続けた野良犬のようであるな。とそう思った。途端に小夜が「先生ッそんなことを」と背中を叩く。

「ここは良いから先生も奥に」

 忠兵衛は「ほい。読まれたわ」と跳び上がって母屋に消えた。

 

 他に人が居なくなり、ようやく落ち着いた様子の与一が、「いってえどういった経緯いきさつなんでしょうか」と小夜に訊ねる。

「あなたのお母様とは鬼界で会いました」

「キカイってのは?」

「鬼の世界です。そこであなたのお母様に会い、あなたのことを聞きました」

 与一が「ゲッ」と声を出し、鬼瓦が乗る祠(ほこら)を見た

「苦労をなさいましたね。辛い目にもあったのでしょうね。でもお母様を恨んではいけません。あなたのお母様はそれはそれはあなたのことを想い、命懸けであなたを探されたのです。あなたに会って、あるお店を継がそうとしていたのですよ」

 与一の顔が欲で赤く染まった。(棚ぼたじゃねえか)

「そうですかい。それで、そのお店というのは?」

「仰有いませんでした」

「なんだそりゃ。いったいどうして」

「あなたが強盗を働いていることを知ったからです」

「げっ……」

「でもこんなものをお預かりしています」

 五粒の銀を袂から出し、与一に見せる。

 あなたのお母様が命と引き替えに残した銀の粒です」

 与一が舌打ちをした。

 手に入れ損なった店が未練な与一は、それに比べれば銀の粒が端金はしたがねに見えて悪態をつく。

「俺を捨てた詫びが、たったこんな銀の粒か。何てぇ勝手な親だ」

「では要りませんね。ならばお寺に寄進してお母様の菩提を弔って頂くことにします」

「よこせ」

「母が子を思う気持ちも分からない、そんな者には渡せません」

「人がおとなしくしてりゃあ、つけあがりやがって。腕尽うでづくでも取るぞ」

 小夜が笑い声を上げた。

「可笑しい。あなたのような痩せ犬が私に腕尽くとは」

 小夜は立ち上がりかけた与一よりも早く、いきなり肘で鼻を叩いた。

「ギャッ」

 仰け反る勢いに加えて小夜の掌底が顎を突き上げた。与一は仰向けに倒れて、後頭部を土に打ち付ける。小夜は下駄のまま胃の腑を踏みつけ、次いで顔を踏みにじろうと足を上げると、与一はたまらず「やっやめてくれ」と息を詰まらせながらわめき声を上げた。

「やめてくれだと。誰に向かってものを言う」

「参りました。やめて下さい。後生ですから」

 頭を抱えて身体を丸める与一を見下ろし、小夜は二歩飛び下がる。

「卑怯者。参ったと言いながら、私の足を掬(すく)おうとしたな」

 それを聞くと、与一は鼻血を出しながら土下座をした。

「本当に参りました」

『なんで俺の考えは全て見通されているんだ。それに、やることに凡そ容赦がねえ』

 この女はどうなってるんだ。

 痛む鼻を押さえると涙が流れた。

「痛いのか。お前の母親が味わった痛みはこんなものではなかったぞ。お前の母親がどんな目に会っていたかを教えてやる」


 鬼界の鬼は人の願いを叶える条件として、人の肉を食らい血を吸い尽くす。喰われた人間は現世うつしよに戻ると血肉は元に戻り、また次の日も肉を食われ血を吸い取られるのだ。

「お前の母親は耐えきれずに自殺を図ったが、鬼との約束が残っていたので死ぬこともできなんだ。怒った鬼はお前の母の血を吸い尽くしたあと、野に晒して獣に腹を喰わせた。それがどれ程辛くて痛くて苦しく、情けなくて悲しいことか解るか。それでも死ぬことが出来ずにお前に詫びて、お前のことを案じていたのだ。

 お前さえ盗みを働かず、まっとうな人間であったなら、母親は死なず、お前もお店の役に立つことができたのに」


「ですが、それあ、あしのあずかり知らねぇことじゃないですか」

 自分を気に掛けてくれる者がいた嬉しさと共に、何故もっと早く、なぜもう少し頑張って会いに来てくれなかったのだと地団駄を踏むような気持ちが歯ぎしりをさせた。

「あしも人の子なんで親がいるだろうぐらいは思っていやしたよ。ですが逢ったこともねぇ親がいきなりああだった、こうだったと言われても、ぴんとこねえ。親だってんなら喰う物ぐらい喰わせてくれりゃあ、あしも盗人なんぞしなくても良かったんだ」

 小夜は、

「怨みを言って泣くな。鬱陶しいわ」

 そう言って与一の頭を殴りつけた。

「では、人を傷つけたことを何とする。お前に傷つけられ金を盗られた者達が、どんな悲惨な予後を暮らしたか一々教えてやろうか。今だってお前はサラシの間に匕首を挟んで居るではないか」

 与一は驚いて懐の匕首を手で押さえる。柄が外に出ている様でも無いのに言い当てられた。

「そうじゃねぇんです。これを握ってると落ち着くんで。決して小夜様をどうこうしようってことじゃありません」

「そんなことは分かっている。どうこうなんぞ、できるものならしてみるがいい」

 小夜は男を見据えた。

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